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1938年 南京 1月26日

「南京事件」(笠原著:岩波新書)より
1月26日・・・日本軍将校がアメリカ大使館員アリソンを殴打、外交問題となる(アリソン事件)

「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
1月26日 
中国人兵士の死体はいまだに野ざらしになっている。家の近くだからいやでも目に入ってしまう。いったいいつまでこんなことが続くのだろう。信じられない。なんでもたいそうなお偉いさんが来るという話しだ。こちらの軍隊ではなく、陸軍省直属の将校だとか。是非ともこの混乱をおさめてもらわなければ。もう限界に来ている。


 この間一人の若いアメリカ人が、日本の衛兵に付き添われてやってきた。イギリス大使館に配属されているそうだ。英米合弁製材会社の膨大な在庫を日本軍に売りにきたという。この人から聞いたのだが、上海からここへ来る途中、はじめの50マイルで出会った人間は全部でたった60人ぐらいだったという。いまだに大勢が住んでいるのはもはや南京だけだと言っていた。上海と南京の間はどこも死に絶えたも同然だ、と。

 安全区を出て人気のない道を行く。どの家にもそのまま入っていける。ドアが軒並みこじ開けられているか、大きく開けっぱなしになっているからだ。そして、くり返しすさまじい破壊の結果をみせつけられる。なぜこんなに野蛮なのか、理解できない。
 いったい何のためにこれほどひどいことをするのだろう。ただただ訳がわからない。日本大使館の態度から、軍部のやり方をひどく恥じていることがずっと前からわかっているだけになおさらだ。何とかしてもみ消そうとしている。南京の出入りを禁止しているのだって、要は南京の実態を世界に知られたくないからだ。だがそんなことをしたところで、しょせん時間の問題だと思うがね。ドイツ、アメリカ、イギリスの大使館が再び外交官を置くようになってから、何百通もの手紙が上海へ送られているのだから。それには、ここの状況が克明に記されている。大使館が電報で報告しているのは言うまでもない。
 南京の中で、安全区は人々が生活していることを感じさせる唯一の場所だ。ここの中心部には次々と新しい露店ができている。朝早く、たいていまだ薄暗いうちに、人々は手元に残った品物を手当たり次第に引きずってくる。まだ、売り物になるもの。あるいは、なる、と思っているもの。そして、誰か買ってくれないだろうか、ときょろきょろするのだ。食べ物以外のものに使える金をまだいくらかふところにしている人はいないだろうか、と。群衆は押し合いへしあいしながら、この露店の立ち並ぶ街、常設市を押し分けて進んでいく。貧困と窮乏の支配する市を。米、小麦粉、肉、塩、野菜、タバコなど、生活必需品や嗜好品のその時その時の相場で物価が決まる。
 我々はドイツをはじめ、アメリカやイギリスの各大使館に頼んで、何とかして食糧を取り返してもらいたいと考えている。市内の倉庫にはまだ米や小麦粉があるはずなのだ。だが日本軍の手に渡ってしまったので、取り戻せる見込みはきわめて少ない。
 我々の話を聞いた大使館の3人は、それはどうかな、という顔をして首を振った。たとえまだ残っているとしても日本軍は引き渡さないだろう。それどころか、何とかしてこれ以上補給させまいとがんばるに違いない。我々は彼らにとって目の上のこぶだからだ。厄介払いしたいに決まっている。一日一日と煙たい存在になっているのだ。そのうち、ぽいと上海に追い出されはしないかと、我々の方でもひやひやしている。


「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
1月26日 水曜日
 今朝再び爆撃機数機が西の方角に飛んで行ったが、その後、午後になって引き返してきた。どうやら句容から飛び立っているようだ。漢口、武昌、それに重慶のような都市のことも心配だ。
 今日キャンパスの避難民何人かが夜具がほしい、と言っていた。彼女たちの中には、自宅にずっととどまろうとした者もいたが、依然として兵士が押し入ってきて、夜具や「花姑娘」(若い娘)を要求しているのだ。一昨夜、王さんの弟と姑が寝具を奪われてしまった。水西門近くの自分の家で暮らそうとしている矢先のことだ。
 午前から午後の始めにかけて、「最初の一ヶ月を回顧して」と題する報告を書いていたが、やたらと邪魔が入るので、きちんとした報告が書けない。時としては一つの段落がまとまらないうちに3,4回も邪魔が入る。
 5時近くまで仕事をしたあと、思い切って金陵女子学院の西の通りへ散歩に出かけることにした。虎踞関という通りだ。家々はすべて戸締りされ板で囲われて、どの街路もほとんど人通りがなかった。やっと出会った人はアリソン氏の料理人の母親だった。彼女は、家の向かいの知人の家に寄寓している。兵士がやってくるかもしれないので、心配で自分の家に帰ることができないのだ。彼女は、残っているわずかばかりの物を「老百姓」(庶民)に盗まれないように見張りをしている。私は関邸ー明の第一代皇帝から関一族に与えられたものーを訪ねた。そこには、焼けて炭になった材木や黒焦げの瓦や煉瓦が一面に転がっている。年老いた管理人が挨拶に出てきて、火災原因について彼の推測を話してくれた。兵士たちが牛を盗み、料理するためにこの家に持ち込んだ。当然ながら、彼らは部屋の真ん中で派手に火を焚き、立ち去るさいにそれを消さなかった、というのだ。焼けこげた材木と牛の骨は、管理人の説明が真実であることを証明していた。こうして、興味深い史跡がまた一つ消えてしまった。
 廃墟からの帰途、知り合いの女性に出会った。彼女は私に、揚沟の池に多数の死体があることを知っているか、と尋ねた。そのことは多少聞いて知っているので行ってみたい、と答えると、同道しよう、と言ってくれた。しばらくして彼女の夫に出会い、彼が、私と私の使用人を案内してくれることになった。私たちは問題の池を見つけた。黒焦げになったたくさんの死体が岸辺に転がり、灯油かガソリンの空き缶2缶が死体に混じっていた。死人の両手は、背中の後ろで針金を使ってしばられていた。死体が何体あるのか、また、最初に機関銃で撃たれ、そのあと焼かれたのかどうかはわからない。だが、そうあればよいと思う。これ以外にも焼け焦げた死体は、西側の小さいほうの池におそらく20体ないし40体あった。履いていた靴の中には兵士の靴ではないものもあり、それらは一般民間人の靴のようだった。焼かれていない死体が丘陵地全体に見られる。


「Imagine9」解説【合同出版】より



ひとりひとりの安全を


大事にする世界



 また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。

 日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
 平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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15年戦争時、中国・日本で起こったことを書きたい。

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