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細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

米中の生物兵器開発?

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―


zoomによる講演会「731部隊と大連黒石礁事件」
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん


これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

安倍前首相、東京地検が不起訴へ 任意聴取で関与否定か

リニア反対!!







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
https://34.gigafile.nu/0211-m50be56cea3e0c58f489e21c6d283275e

敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本


ハンセン病 文書が明らかにした“遺体解剖”の事実




終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


悪魔の飽食:復号731


「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー


「菅政権の暴走を許すな!」緊急講演:藤田高景(「村山談話を継承し発展させる会」理事長) 「攻撃型軍隊に変貌する憲法違反の自衛隊」 前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)


中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


PTSDの日本兵と家族の交流館

NHK「おはよう日本」

黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

薬害エイズ事件

ミドリ十字は元731部隊員が作った会社

731部隊の生き残りと戦後日本の医学
ミドリ十字ばかりではない。戦後の1947年に設立された厚生省の国立予防衛生研究所(現国立感染症研究所)の歴代所長には、731部隊で人体実験に関与した医師が就任していたし、今回の被告人・安部英自身も、薬害エイズ事件以前に、すでに731部隊の関係者の1人として名を挙げられていた人物である。それは、ミドリ十字創業者の内藤良一との密接な関係に基づく報道であったが、今回の薬害事件があまりにも悲惨なものであったため、事件報道の背後で隠蔽されてしまった感がある。すでにエイズ・ウイルスが発見され、非加熱製剤の安全性に国際的にも疑問が出ていた1983年以降ですら、目の前の血友病患者に対して、まるで人体実験のようにミドリ十字社製の非加熱製剤を打ちつづけた安部英は、まさに731部隊の実験体質をそのまま引きずってきた亡霊であるかのように見える。
国際的な歴史感覚を望む
ドイツでは、ナチ時代の医学が1980年以降、一貫して検証され、その批判をもとに編まれた「第三帝国時代の医学」と題する本が医学生の教科書にまでとり入れられている。しかし、日本ではいまだに731部隊の存在をめぐってすら、医学会がはっきりと認める動向にはない。今回の薬害エイズ事件を機に、日本の医学史が再検証され、国際感覚に合致した共通の歴史認識が生まれることを切に期待するとともに、旧ミドリ十字・元厚生省・大学病院の一部などに残存した旧い人体実験体質に対して、歴史的かつ根本的な批判がなされるべきことを主張したい。


東京保険医新聞2001年6月5日号より

    



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

67回講習(第1回公衆衛生学講習)

自昭和4年9月21日至12月21日

1, 伝染病学

細菌学及び免疫学

実習に関する注意事項 9 高木

結核         5 佐藤

らい         3 田宮(貞)

癌          3 長与

梅毒血清診断     3 田宮(貞)

予防接種       3 西沢

種痘         3 城井

狂犬病        3 佐藤

ワクチン及血清療法  6 高木

濾過性病原体     3 高木

皮膚反応       3 田宮

消毒法        3 小島

原虫学        3 宮川

寄生虫学       9 宮川

寄生虫学       6 山田

疫学         9 野辺地

獣疫学        6 城井

伝染病臨床講義 午後8回 二木

             宮川

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3章 細菌戦裁判弁護団から

破綻の火種をはらんだ一審判決

西村正治(弁護士)

 

 1972年当時、中国政府はこうした非人道的な細菌戦が行われたということを認識していませんでした。認識していないものを許すと仮に言ったのだとしても、無効であることは明らかです。1972年の日中共同声明で免疫されたと言ってしまうと、当時の中国政府が細菌戦を許したということになってしまいますが、そんなはずはあり得ません。外交の火種をここに植え付けてしまったと言わざるを得ません。



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

三月二十三日

晴 風少し 悲劇アリ 春の育てた小さい罪だ。



今日は本当にまとまりのない日であった。ルブランのルパン小説に夢中と言うほどでないが面白く心をとらえられた。今日の日記は本当にさみしい 一日中これと言うことなく暮らした故に ただ私には関係ないが鞍山の街の小さな春の悲劇が聞かれた 市内赤城町の敷島の息子さんの二〇歳になる人が一週間ばかり前 春の浮かれに誘われて家出した。ところが今日になって地方の人々や青年団等の努力により上図の所に現れた。そうだ何にしても春が生んだ悲劇だ 原因は不明との事

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

10年間の沈黙と、それに続く9年間の声の時代についてもう一人の被爆者の証言を僕は被爆者を囲む懇談会の被爆者代表挨拶で、聞いた。挨拶に立った被爆者は、片眼を失っている老人である。失明と言えば、森滝教授もまた一つの眼を失っている。19年前、教授は広島高等師範の教師として、学生たちを引率し動員先にいた。教授はインクのしみが一面に飛び散っている当時の日記を保存している。彼は机に向かって、前日の日記を、即ち1945年8月5日の日記を、≪美しき朝焼け、竹槍500本作成≫と書きつけたばかりだった。次の瞬間、教授は被爆し、片眼と学生たちを失った。あの凄まじい光の一閃のあと失明した人々の数は、膨大だったことだろう。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

標本室

 結局731部隊の人たちの中には、“マルタ”の犠牲で肥え太った人たちがいたのです。そういう人たちが日本に帰って大学教授や学長になったり、あるいは学士院賞なんかをもらっているわけです。例えば凍傷実験班長だった吉村寿人は、戦後京都府立医科大学の学長になり、凍傷の研究では世界的に有名になりました。また、勲一等をもらった岡本耕造は病理解剖の名手で、731部隊でも50人から60人を1人で解剖したと言います。この数字は確かではありませんが、そういう人たちが731部隊について一言もしゃべらず悪かったとも言わない。それどころかかえって国の為だったと居直るような方が多いわけです。731部隊で殺された3000人とも言われる“マルタ”にされた人たちの怨みを思いますと、私は下っ端なんですが、よくもまああんなことをしたもんだと・・・人間って一体何だろうかと思うことがあります。

 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

 

榊原秀夫供述書(1955年5月17日)

 

問:前述の大型高圧滅菌釜5具は、細菌培養液蒸気煮沸用だったのか。

答:細菌培養液蒸気煮沸用だった。

問:第731部隊から支給されたものか。

答:第731部隊から1944年8月に支給されたものである。60トンの細菌生産用原料もやはりその時期に受け取った。

問:林口162支隊にいた際、通常どのような細菌を繁殖させて保存していたのか。それぞれどのくらいあったか。

答:162支隊の保存、培養していた細菌としては、チフス菌、A型パラチフス菌、B型パラチフス菌、赤痢菌、結核菌がそれぞれ10管ずつ、合わせて50管あり、純細菌総量は0.5gであった。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

相模海軍工廠の労働状態

  後遺症に苦しむ人々とそれに対する政府の救済制度などについては、樋口健二『樋口健二写真集 毒ガス島』、武田英子『地図から消された島―大久野島毒ガス工場』、辰巳知司『隠された「ヒロシマ」』、中国新聞「毒ガスの島」調査班『毒ガスの島ー大久野島悪夢の傷跡』が詳しく取り上げている。また、市民団体・毒ガス島歴史研究所(山内静代代表)のホームページや同研究所からの会報『記憶にない島』は、毒ガスと大久野島の歴史も含めてわかりやすく解説している。更に、村上初一『毒ガス島の歴史〈大久野島〉』と同『伝言 東京第二陸軍造兵廠忠海兵器製作所』及び『毒ガス島と少年』は、元工員として大久野島の実態を報告・証言している。あわせて参照されたい。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


1963年に毒ガス工場での自分の経歴を回想録に書いた服部忠さんは、今もはっきりとこう記憶している。イペリットの作業場で仕事をしていたとき、毒液がゴム長靴を通して浸透し、右足の皮膚が赤くなって水泡ができた。まるで皮膚と肉とが分かれしまったようで痛みは耐えられないほどだった。後にこの部分の皮膚は広い範囲で壊疽を起こして脱落した、と。

 遅れた生産方式によって作業場の空気や環境が極めて劣悪であるだけでなく、島全体の空気も著しく汚染されていた。多くの植物も島では生存が難しくなり、たとえ生存していてもみな毒剤に犯されていた。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

宮島健司

伍長 分隊長

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

 

 私は戦争に名を借りて、このように中国人婦女やお百姓さんを苦しめ殺してきました。このような境遇にあった人がどれだけ数多くいることでしょう。ああ、私は何という誤った恥ずべき罪を犯したのでしょう。誰が私をこのようにさせたのでしょうか。

 このような非人間の行為はやりまえん。あのように苦しめられ辱められている婦人は、まだ世界におります。日本の婦人もそうです。私はこの方がたに心からすまないと思います。未来の担い手、子どもの母親をこのように、人間の楽しい生活から財産を破壊するように、婦人をこのようにすることは、戦争をやって来た私たちにとって、堪えきれない苦痛なのです。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(2)教範類の作成

この55年の9月14日から24日迄T号演習が実施された。この演習の目的は、表Ⅰに示された調査研究要目が要求する近代戦に「即応する対上陸作戦、対空挺作戦及び原爆戦についてその原則を研究し」、陸幕幹部に報告資料を提供すると共に、学生教育資料、教範編纂の参考資料を整備することであった。

 演習はまず14日から17日にかけて幹部学校内で図上演習として実施され、そこでは「第2次大戦型の攻防方式の概念と、これに対する特殊武器の影響等」を研究し、その後20日から24日迄は現地研究によって問題点を検討し「研究上の指針」を得たとしている。
 教範は部隊を運用する幕僚たちが常に参照すべき事項をまとめたものであり、その作成の為部隊演習が実施され、その演習に於いて「特殊武器」への対応、中でも核攻撃への対応が求められたのである。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

三沢基地のガス爆発事件

 

65年628日、青森県の米軍三沢射爆場で米軍が演習中、異常な爆発音とともに折からの南東の風に乗って幅400mにわたる煙と刺激臭が約3㎞に達するという事件が起きた。近くの平沼部落では約50haの野菜畑と約20haの水田に農作物被害が出て、豚や鶏が死亡し、住民の中にはノドを痛め、吐き気、頭痛を訴える者も出たと言われる。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

マッカーサーはいつも、指導的役割を果たすためにこの世に生を受けたと思っていたが、彼の指揮のもとで得られた成果に対する名声と賞讃はすべて自分が独占すべきものと信じていた。同時に、彼が失敗した際には、失敗の原因は彼にではなく、不十分な支援の結果か、もしくは上層部の陰謀に帰せられなければならなかった。マッカーサーはきわめて利己的で、時に横柄で尊大だったけれども、彼自身も、自分が達成したあらゆることを凌駕する彼の家系の名声の重圧によって、追い立てられていた。しかし、将来、最高司令官になるべき彼の身近にいた人物で、彼が利己的でなく、他人の見解に敬意を払う人間だと持ち上げる者がいた形跡はどこにもない。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱


コジェネの発想と燃料電池

 

 隣国の中国は、原発に邁進し、光化学スモッグを日本に吹き流す危険な経済大国となったばかりか、エネルギー利用効率が日本の9分の1しかない。世界最大の消費国アメリカもまた、効率が日本の2分の1と言うひどさである。中国で原発の大事故が起これば、日本人も巻き込まれて終わりなのである。なぜ日本は、これだけの優れた技術を持っていながら、燃料電池を各国に輸出して、原発のない世界を作ろうとしないのか。排気ガスを振りまく自動車の輸出は、もういい。これからの日本経済の主力は、工業力の粋を集めたこのエネルギー産業であり、そこに力を注ぐ恰好のチャンスではないか。

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

歴史上重要な核実験


歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。

表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。



月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子





 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!






















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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12/30のツイートまとめ

buooo71

細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?⇒ https://t.co/SRO3evALQ6 #アメブロ @ameba_officialより
12-30 09:44

細菌戦の系譜!!⇒ https://t.co/UGFnxwrnGC #アメブロ @ameba_officialより
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12-30 09:20

日中戦時に中国と日本で起こったことを書きたい!! #細菌戦
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はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!!  - 731からフクシマまでhttps://t.co/fim6kwLEbu
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細菌戦の系譜!! https://t.co/yvOhlYepgr
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細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―


zoomによる講演会「731部隊と大連黒石礁事件」
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん

これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

安倍前首相、東京地検が不起訴へ 任意聴取で関与否定か

リニア反対!!







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
https://34.gigafile.nu/0211-m50be56cea3e0c58f489e21c6d283275e

敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本


ハンセン病 文書が明らかにした“遺体解剖”の事実




終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


悪魔の飽食:復号731


「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー


「菅政権の暴走を許すな!」緊急講演:藤田高景(「村山談話を継承し発展させる会」理事長) 「攻撃型軍隊に変貌する憲法違反の自衛隊」 前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)


中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


PTSDの日本兵と家族の交流館

NHK「おはよう日本」

黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

薬害エイズ事件

ミドリ十字は元731部隊員が作った会社

薬害エイズ裁判と731部隊

事件で問われるもの
しかし、この事件を通じて問われたのは、人命より社益を優先させた製薬会社の体質・行政の怠慢と天下り・医師の低い人権感覚などだけではない。全体から見れば小数だが、一部のマスコミ(新聞・TV・雑誌)が日中戦争以来の731部隊とミドリ十字の歴史関係に着目し、日本の戦後医学会における人体実験体質に言及している。すなわち、元731部隊の中枢にいた陸軍軍医学校教官の内藤良一(元軍医中佐)が戦後創業した製薬会社こそ旧ミドリ十字であり、そこには多くの731部隊員が就職していた。細菌兵器を開発するために多数の人間を人体実験に供し、「マルタ」と呼んで番号化し抹殺していた731部隊は、アメリカへの資料提供の見返りに東京裁判で免責となり、ほとんど裁かれることなく戦後社会の中に再び復帰した。この事実は、強制収容所で人体実験に従事していた医師らがニュルンベルグ医師裁判などで裁かれたドイツとは、根本的に異なった事情を戦後日本の医学会にもたらしてきたのではないか。

    



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)




 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

67回講習開始

 

9月21日(土曜日)午前10時半当所内講堂に於いて第67回講習開講式が挙行せられた。

今回の講習は従来の単なる細菌学の講習とは著しくその趣を異にし時代の進運に順応して公衆衛生学を骨子としたものに改められ講師も当所内は勿論、内務省方向からも山田前局長を始め各課長その他諸氏が参加せられることになった。その組織の大略を紹介すると次の如くになる。

第67回講習(第1回公衆衛生学講習)

自昭和4年9月21日至12月21日

 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3章 細菌戦裁判弁護団から

破綻の火種をはらんだ一審判決

西村正治(弁護士)

 

  私は、証拠調べにおいて、井本熊雄日誌を発見し分析した吉見義明中央大学教授の証人尋問などを担当しました。

 判決は、日本軍の陸軍中央からの指令で細菌戦が行われたことをはっきりと認め、当時の日本国は明確に国際人道法に反する違法行為を行い、それに対する国家責任があるという事まではっきり認めた。

 しかし、それが1972年の日中共同声明によって解決されている、国際法上の日本の責任としては解決されたと言い切っている。

 これは裁判所としては言ってはいけないことまで踏み込んだ、大問題を引き起こすきっかけになりかねないところだと思います。

 



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

3月22日

午後四時半射撃予行演習の為に又練兵場に行き 走っては寝打ち走っては寝打ちした 時には巡察も悪くない 早々に射撃が済めばよい 本当によく兵隊をいじめるように忙しくできているものだろう

これから三班に行って満期の話にこの話でもして 点呼を迎えようか待っているのだろう。「加藤さんの方にはお便りを致した」まてまて忘れてた大村中尉の奥さんが昨日来た。使役に行った連山奥時代から写真のみで見たお主婦さんの顔を見た 矢張り妻は可愛らしく見える

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

被爆者の被災白書の作製と国際的なアピールは、いうならば全国民的な被爆者、戦災者救援活動の延長でもあると思われます。来年は原爆20周年が来ます。この8月、この広島で被爆の体験に根ざす平和運動から、世界に向かって被爆の真相を正しく冷静に語り伝える文書の作製提出について、国際的手続きを議する提案が生まれることは参会の皆様の真意にそう、自然の成り行きだと考えられます≫

 僕はこの大会で発せられた全ての声のうち、この提案こそが、原爆20周年の1965年に向かって本質的に最も近づいている、先駆的な意見だと思うものである。

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

標本室

いまだに頭に残っているものがあります。部隊本部の2階に標本室があったのですが、その部屋で、ペストで殺された“マルタ”の生首がホルマリンの瓶の中に浮いているのを見たことです。中国人の男性でした。また、12歳の幼児の天然痘で殺されて、丸ごとホルマリンの中に浮いているのも見ました。それもやはり中国人でした。今もそれが眼に焼き付いて離れません。

 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

 

榊原秀夫供述書(1955年5月17日)

 

問:林口第162支隊にはどんな細菌兵器生産器材と設備があったか。

答:・・・飼育されていたものとしては、白鼠6000匹、モルモット1000匹、兎25匹、馬2頭、ノミ1㎏があった。

このほかさらに、戦時用の防疫医极2組(133梱包)が準備されており、その中には小型蒸気滅菌器2具、乾燥滅菌器3具、小型ふ卵器3具の他、ペプトン0.8トン、圧縮乾燥肉0.7トン、寒天2.3トン、食塩0.3トンが入っていた。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

相模海軍工廠の労働状態

 工員たちの健康状態が深刻な状況にあったことを示す大変悲惨な光景である。

大久野島・曽根・相模で毒ガス製造に関係した人々は、戦後、慢性気管支炎や肺ガンなどの毒ガス後遺症に苦しめられることになる。1949(昭和24)年にはイペリットに発ガン性があることが確認され、93(平成5)年には広島大学医学部などの研究によって、大久野島の毒ガス工場元従業員の染色体異常は、原爆の爆心地から1.2㎞の被爆者の異常率と一致したことが明らかにされており、同ガスが人体に核兵器並みの影響を与えることが確認されている。(中国新聞「毒ガスの島」調査班『毒ガスの島―大久野島悪夢の傷跡』)。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


西村茂さんは劇毒のイペリットガス生産の工室で仕事をしていた。彼の記憶では、1941年4月頃から、咽頭と目及び皮膚の柔らかい部分に傷害を受けたため、医務室の軍医が彼を診察して、別の職場に変えさせられた。しかし、島では、たとえ仕事の種類を変えたところで、毒ガスの被害を受けない所はない。彼は引き続き、ルイサイトの填実と毒剤の焼却等をしており、依然として毎日防毒マスクを着けての仕事に全く耐えられないほどだった。1981年8月、新聞記者がインタビューに行った時もなお、66歳の彼は慢性気管支炎で苦しんでいた。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

宮島健司

伍長 分隊長

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

 

「ハハ・・・ざまあみろい」私は嘲笑をを浴びせかけて、踵を返した。

涙と血に汚された黒土が、“ハダ”をかきむしられたように荒らされ、海から吹き付ける寒風に砂埃となって飛んでいった。灌木のガサッガサッと鳴る音が、一段と大きくなったように聞こえて来た。

 その夜、老人のお百姓さんは、白井中尉と権藤通訳の手によって前日の焚火の場所で焼き殺されてしまった。私は歩哨として見張りをした。

あくる日、更に私は水島上等兵を誘って2人で婦人たちの所へ出かけて行き、自分の家と畑を守り続けている可愛い乳飲み子を抱えた27,8歳のお母さんに拳銃を突き付け、殴りつけて強姦した。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

(2)教範類の作成
1955年度から57年度にかけて編纂が進むことになるが、まず55年度においては幹部学校の、「1調査研究業務」に於いて以下の項目を取り上げることが決定された。ここで第1に戦術核兵器に対する防御が挙げられている。成立間もない自衛隊にとって、CBRN対応が極めて重要な課題だったことを示すものである。

表1 昭和30年度所命調査研究要目
a  戦術原爆に対する諸職種連合部隊の防御
b  諸職種連合部隊の上陸防御
c  対空防御
d  諸職種連合部隊の編制準備
(『幹部学校史1』陸上自衛隊幹部学校、287頁)


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

姫小島の毒ガス事件

  化学兵器を破壊する方法には通常、物料及び器材の焼却、機械的破壊、爆発物による爆破、または水中投機の4つの方法のうちの1つまたはその組み合わせにより破壊するか処分するか、または使用不能にする(自衛隊各種化学器材教範1423)などがある。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

個人的な性格も、ある程度は相互支援の補助的な支えとなった。マッカーサーの方が年上だったが、使命のために若々しく、活発に行動した。裕仁は中年にさしかかったばかりだったが、もっぱら年輩の輔弼者たちと行動をともにしてきた。ふたりはともに長く厳しい軍人教育を受け、同輩とは隔離された生涯を送ってきた。 マッカーサーは、南北戦争で名誉勲章を受けた英雄で後年、アメリカのフィリピン征服時に副司令官となった人物 〔のちにフィリピン占領軍総司令官〕の息子であり、職業軍人の陸軍将校だった。彼はアメリカの陸軍史上、最年少で将官、最年少で参謀総長に昇進するなど、指揮系統のもっとも高い地位に一気に昇りつめた。彼は昇進の過程で才能ある幕僚たちを効果的に利用することに熟練していった。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱


コジェネの発想と燃料電池

 彼らは自然エネルギーが嫌いだが、この高いエネルギー効率には惹かれるはずだ。日本は、家庭で節電しても効果は小さいが、熱をかなり利用する工場、ホテル、病院、店舗などにこれが普及すれば、絶大な省エネルギー効果がある。それは、目前に見えているゴールだ。

 日本の政治家は、原発に拘泥する時代遅れの集団である。

 原発は、海を加熱して、生物を根絶やしにしているだけだ。

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

4.水中核実験 水面下で行われる核実験であり、実施には船舶やはしけ(これらは実験時の爆発で破壊されてしまう)が用いられる。この実験の目的は、水中核爆発の艦船への効果(クロスロード作戦等)と、艦船用兵器(爆雷魚雷)への核兵器の転用可能性を検証することである。しかし海面近くの核爆発では、放射性の水及び蒸気を大量に拡散させ、近くの艦船や建物を汚染してしまう。




1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!




















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

12/29のツイートまとめ

buooo71

細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?⇒ https://t.co/LvF73t8oxE #アメブロ @ameba_officialより
12-29 11:36

細菌戦の系譜!!⇒ https://t.co/gwuuVEZXwB #アメブロ @ameba_officialより
12-29 11:33

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12-29 11:15

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12-29 10:55

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!!  - 731からフクシマまでhttps://t.co/PgJrZbjSU0
12-29 10:51

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細菌戦の系譜!! https://t.co/jZhulgHbO8
12-29 10:38

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―


zoomによる講演会「731部隊と大連黒石礁事件」
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん

これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

安倍前首相、東京地検が不起訴へ 任意聴取で関与否定か

リニア反対!!







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
https://34.gigafile.nu/0211-m50be56cea3e0c58f489e21c6d283275e

敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本


ハンセン病 文書が明らかにした“遺体解剖”の事実




終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


悪魔の飽食:復号731


「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー


「菅政権の暴走を許すな!」緊急講演:藤田高景(「村山談話を継承し発展させる会」理事長) 「攻撃型軍隊に変貌する憲法違反の自衛隊」 前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)


中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


PTSDの日本兵と家族の交流館

NHK「おはよう日本」

黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

薬害エイズ事件

ミドリ十字は元731部隊員が作った会社

血友病患者の悲劇

日本には約5000人の血友病患者がいます。

血友病とは止血に必要な凝固因子が不足しているため、出血した場合に止まりにくい病気のことで、不足している凝固因子によって、血友病A(第8因子)、血友病B(第9因子)に分類されます。
出血した場合の治療として用いられるのが血液製剤です。
1970年代末になると国産のクリオ製剤よりも簡便な濃縮凝固因子製剤が登場し、治療に使用されるようになりました。
しかしこれらの製剤にはウイルスを不活化するための加熱処理はされていませんでした。
そしてこの中にあのエイズ原因ウイルス(HIV)が混入していたのです。
80年代前半、アメリカから輸入された危険な非加熱製剤は、血友病専門医や製薬会社の社員の指導のもと、大量に使用されました。
しかも加熱製剤の認可後も、危険な非加熱製剤はただちに回収されることなく使用され続けたのです。

薬害エイズ裁判と731部隊

             公開日 2001年06月05
地裁判決に控訴決定
1996年、薬害エイズ事件で逮捕された安部英(元帝京大副学長)に、本年3月28日、東京地裁は「無罪」判決を言い渡した。すでに昨年2月24日、旧ミドリ十字の歴代3社長に対しては大阪地裁が実刑判決を下しており、本年9月には厚生省ルートで起訴された松村被告(元厚生省課長)に判決が下る予定となっている。戦後の日本で繰り返された薬害事件(サリドマイド、クロロキン、スモンなど)の中でも、感染者2000人以上という最悪の結果を招いたエイズ事件の中心にいた人物に対し、無罪判決が出たことへの国民の怒りは大きい。同時に司法に対する不信感も、マスコミを通じて露わにされている。検察側も上級審への控訴を決定した。


★安部英のその後
薬害エイズ事件において、1985年5月から6月にかけての計3回、手首から出血した血友病患者に対し非加熱血液製剤(血液凝固第Ⅷ因子製剤)を投与してHIVに感染させ、エイズを発症させ死亡させたとして業務上過失致死罪で逮捕・起訴された。2001年の1審で無罪となり、検察が控訴したが、心臓疾患や認知症を発症したため公判停止となり、2005年4月25日に88歳で死去した。



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)





 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

6、精製破傷風毒素について

細谷 省吾君
岸野 茂樹君

然るにこの精製毒素を以って免疫せる家兎血清は強力
なる抗毒素を有する事は数日前パスツール研究所に於いて
研究中の宮田重雄の私信(細谷に宛てたる)中の成績に一致し血清学上の興味深き事実なり。


7、岡山県及び香川県下に於ける流行性脳炎に就いて

二木 謙三君
高木 逸麿君
(内容の詳細は本誌来月号に掲載する)

 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3章 細菌戦裁判弁護団から

破綻の火種をはらんだ一審判決

西村正治(弁護士)

 

 調査によって次のようなことが判明しました。崇山村では1200人の人口のうち、400人がペストで死ぬという悲惨極まる被害でした。我々が行く1年余前に、崇山村の人々が数千人分の署名を添えて、北京の日本大使館に連合訴状を出していました。しかし、連合訴状は完全に無視され、日本大使館からは何の返答もないことが分かり、私達は日本の弁護士の使命を強く感じました。

 



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

3月22日

日曜日なり 午前中射撃に引っ越しの使役 午後は酒保 射撃予行演習あり。朝の射撃演習に狭サク射撃をする十発 整列の為か早がけをする 満期の相場だ。腹が立つ故か割合に下手だ 弾着状態は上図のごとし(図あり)



午前中は岡村中尉殿の引っ越しの為に使役に行き 官舎で遊んでくる割合に寒し戦友外出すれども

行く気なし人間なんて行けるときは気が進まず、行けない時には行きたくなるらしい 午後二時入浴に行き 酒保で蓄音機に歌に浮かれて歌う内 酒呑み連中に引かれて大声であばれる 新東京音頭行進曲のバス非常に良けれども中々難しい 班に帰って又しても戦友とくるって駄目だ 日曜日らしい面白さではないか

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

広島の現地で、地道な仕事を続けている人間の声が、最も広く日本人の全ての態度に関わる声であるということ、そこに広島という≪宿命の地≫の独特の性格がある。

 金井論説委員は彼の提案説明を次のように結んだ。

≪日本政府は保守政党による内閣であることは明らかですが、保守政党だけのための内閣でないことも明らかであります。その意味で保守も革新も被爆者救援には国会一致の議決を為し得るように、世界最初かつ唯一の原水爆被爆国として、その原水爆被災白書を日本政府に作製させ、これを国連機関を通じて世界に広報するための盛り上がりにこそ全国民的な平和運動、分裂しない平和運動の一翼が潜んでいると思われます。

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

懲罰としてのシラミ飼い

 

森村誠一さんが書かれた『悪魔の飽食』の中に、少年隊員が腸チフス菌入りの饅頭を食べさせられた話がありましたが、それも懲罰の1つではなかったかと思います。そういうことが平気で行われた部隊だったのです。それやこれで、私は何となく嫌な気になりまして、1031日付けをもって、1年で辞めさせてもらいました。その頃は、上司に申し出れば退職することが出来ました。

 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

 

榊原秀夫供述書(1955年5月17日)

 

問:林口第162支隊にはどんな細菌兵器生産器材と設備があったか。

答:直径1.5m、長さ2mにも達する大型高圧蒸気滅菌釜5具、小型高圧蒸気滅菌釜1具、小型蒸気滅菌器2具、乾燥滅菌器3具、大型ふ卵器2具、小型ふ卵器3具、顕微鏡35台、天秤10台、遠心沈降器3台、水素イオン濃度測定器1台、白金条100本、アルコールランプ80個があった。このほか若干の細菌生産用ガラス器具があった。培養室、鏡検室、消毒室などが設けられていた。

 細菌生産用の材料が60トンあった。内訳はペプトン10トン、肉エキス10トン、寒天30トン、塩3トン、綿花2トンである。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

相模海軍工廠の労働状態

 第三工場(イペリット爆弾組み立て工場)の空地で出征する第二工場(イペリット特薬缶製造工場)の工員の壮行式があった時、工員が駆け足で40人位出て来た。ところが壮行会どころか、工員たちの咳が止まらず苦しがって座り込んでしまった。皆血の混ざった、べっとりとした痰を吐いて、身の毛もよだつ凄惨な姿だった。もう戦争はいい、早く平和が来るようにと、祈った。それでも、皆口を押えながら工場へ帰って行った。こんなかわいそうな光景は、第三工場にいた少数の日川中学生しか知らない。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


畑二郎さんは、1929年から島で仕事をしていた。彼は当時を回想して、それがフランス式イペリットであろうが、ドイツ式のイペリットまたはルイサイトの工室であろうが、どれも危険性は同じだった。当時機械の損傷はとくにひどくて、毎回修理と部品の製造には、ハンダ工の腕に頼るしかなかった。いくら防毒マスクや防毒衣を着けて仕事をしても、その毒性は内部に浸透し、彼らの皮膚は火傷にあったときのように傷だらけだった、と語った。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

宮島健司

伍長 分隊長

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

 

「この野郎、この野郎」小沢一等兵の振り上げる棒は、娘の腰を打った。

「よーし!!今日は良い記念日だったなあ。あい権藤通訳!!女たちに、今日は特別に銃殺だけは助けてやると言え。なあに、どうせ死ぬんだ、まあ、どこかの部隊で見つけりゃまた慰問団になるさ。ハハ・・・だがなあ、権藤通訳!!男だけは生かしておいたら後の為にならんぞ。あとでやってしまえ。いいかッ」青木少尉は、こう簡単に命令した。

「ハッ、今夜でも一応絞ってから、やってみましょう」権藤は機嫌を取るように会釈をして、百姓の方をジロリと眺めた。

兵隊たちは、まだ物足りなそうにドロ靴を蹴って、婦人たちに土埃を浴びせた。婦人たちはもう泣いてはいなかった。娘をしっかりと抱きしめた老婆は、土まみれになった花模様の靴を履かせながら、私たちの方を恨めしそうに睨んだ。婦人たちは誰も動こうとしなかった。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応


(1)CBRN対応の開始

 またこれに先立って、陸上幕僚長特命事項として「行政管理」(教材19-6-1)の改定が行われたが、その目的は「米軍方式によって、自衛隊の編成装備に適応するように改定」することであり、「各実務学校の協力を得て」1954年度末に審議を終了し、翌年度陸上幕僚監部に提出している。また同じ54年度には、「幕僚業務諸元」(教材19-5-1)の改定も実施され、「自衛隊の編成装備に適合せしめることを目的として」54年7月に着手している。そして各学校の支援の下55年2月に1次案、5月に2次案が完成し、55年3月S号演習ではこの案を持って演習を実施している。
 このように1954年7月の自衛隊成立と間を置かず、米軍方式の編成装備に適合的な部隊組織作りと運用の原則確立が追及され、そのための基準が―演習を伴いつつ―作成されたのである。教範はこのような部隊全体の運用の原則・基準の策定を受けて、各幕僚の任務・行動の基準を定めるものとして作成されたのである。



CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

姫小島の毒ガス事件

 

68年7月12日、午後4時から約20分にわたって、山口県岩国市に白い霧状のガス体が漂い、多くの市民の眼やノドを刺激するという事件があって、県議会で問題になった。目撃者の話をして県議会で明らかにされたところでは、岩国米軍基地の沖合約4㎞の地点にある姫小島付近から白い煙が上がったという。姫小島は以前から米軍の砲弾爆破場として使用されているところで、この日の白煙は化学兵器の破壊処分によるものに間違いないというのである。(政府は、発煙弾等を処理したものと答弁している)


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

クラックホーンとベーリーに謁見を与えてからほどなく、天皇は、マッカーサーが皇室に対してどのような政策をとろうとしているのか、知ることができればとの期待感を抱いて、マッカーサーのもとを訪れた。天皇が「国体」を護持し、また最高統帥者であり政治体制の主要な活性剤でもあった彼の過去の行動に対する法的・道義的な責任を回避するためには、マッカーサーの個人的な後ろ盾が必要であった。他方、マッカーサーにとっては、占領改革を正当化するために天皇を利用するというのであれば、天皇に「邪悪な軍国主義者」と手を切らせる必要があった。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱


コジェネの発想と燃料電池

 エネルギー効率の実績を比較すると【図72】の通りである。この差は、とてつもなく大きな天然資源の節約と、無駄な排熱の減少と、エネルギーコストの削減に貢献する。原発はエネルギー効率が最低である。燃料電池の効率を上げる目的は、発電時にお湯を作って、従来の熱消費量を減らすことにあるので、よく汗をかいてよく風呂に入る人や大人数世帯ほど効果が大きい。私が燃料電池に期待するのは、家庭用の先にある工業界での普及に巨大な可能性があること確信してきたからである。

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

3.大気圏外実験 大気圏外で行われる核実験であり、実施にはロケットが使われる。この実験の目的は、主に敵国から発射されたICBMを大気圏外で迎撃すること、及び敵国の衛星(主にスパイ衛星)を破壊することの検証である。ただし宇宙空間には大気が無く、核爆発の衝撃波によるターゲットの破壊が出来ないため、目的の達成には近接距離の核爆発による熱線・放射線によるターゲットの物理的な破壊、および電磁パルスによるターゲットの“電子的”破壊(無能化)が必要になる。しかし核爆発で生ずる電磁パルスは、地上の電子機器にまで影響を及ぼすこと、及びターゲットの物理的破壊は近年特に問題になっているスペースデブリを大量に発生させることから、PTBTにて実験が禁止された。




1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!


















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

12/28のツイートまとめ

buooo71

細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?⇒ https://t.co/OOqQhFHXGs #アメブロ @ameba_officialより
12-28 11:40

細菌戦の系譜!!⇒ https://t.co/Cum30xVVsi #アメブロ @ameba_officialより
12-28 11:35

細菌戦の系譜!! https://t.co/jhk3NPWimB @buooo71より
12-28 11:16

細菌戦の系譜!! https://t.co/Z1F9grr6bD @buooo71より
12-28 11:05

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!!  - 731からフクシマまでhttps://t.co/dldJW6EdBN
12-28 10:59

細菌戦の系譜!! https://t.co/aLWLuiTf1q
12-28 10:54

細菌戦の系譜!! https://t.co/AxWiWxQ3p3
12-28 10:52

細菌戦の系譜!! https://t.co/QQ9HV15qXu
12-28 10:48

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―


zoomによる講演会「731部隊と大連黒石礁事件」
(2021.1.21:18:30~)お話:根岸恵子さん

これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

安倍前首相、東京地検が不起訴へ 任意聴取で関与否定か

リニア反対!!







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
https://34.gigafile.nu/0211-m50be56cea3e0c58f489e21c6d283275e

敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本


ハンセン病 文書が明らかにした“遺体解剖”の事実




終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


悪魔の飽食:復号731


「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー


「菅政権の暴走を許すな!」緊急講演:藤田高景(「村山談話を継承し発展させる会」理事長) 「攻撃型軍隊に変貌する憲法違反の自衛隊」 前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)


中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


PTSDの日本兵と家族の交流館

NHK「おはよう日本」

黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)



 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

6、精製破傷風毒素について

細谷 省吾君

岸野 茂樹君

精製毒素に市販フォルマリンを0.2%の割合に加え、37度48時間放置すれば全然毒性を失い所謂Anatoxinとなる。これを約1週間の間隔を以って数回増量的に家兎に皮下注射を行い2か月の後採血し、その血清について血清学的研究を行えり。吾人の研究の範囲に於いては精製毒素は沈降元。過敏症抗体及び補体結合素は化学的にも蛋白質たるの態度を示す事無くその蛋白質消化酵素に作用せられず、その上免疫元性能力を発揮せず。これらの諸点より考えば破傷風毒素は蛋白質又はその高級分解産物なりという学説に左袒する事能わず。

 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3章 細菌戦裁判弁護団から

破綻の火種をはらんだ一審判決

西村正治(弁護士)

 

 調査によって次のようなことが判明しました。崇山村では1200人の人口のうち、400人がペストで死ぬという悲惨極まる被害でした。我々が行く1年余前に、崇山村の人々が数千人分の署名を添えて、北京の日本大使館に連合訴状を出していました。しかし、連合訴状は完全に無視され、日本大使館からは何の返答もないことが分かり、私達は日本の弁護士の使命を強く感じました。

 



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

3月21日

 衛兵勤務が中隊と分遣隊と合わせ 週に二度ぐらい平均あると言っても それは守備隊の勤務状態や編成や日常の勤務を見ればわかるが それ以外に知ることはできないのであろう。一か月か二か月かに一回の勤務者が こうした味を持った軍隊生活が守備隊の内部に入れば必ず一驚することであろう。一か月半で帰る内地の人たちの恵まれた生活に比較して 二ヵ年の勤務の忙しさにはあまりにかけ離れた生活の差異ではあるまいかしら。

 然し決して不平ではない。之も軍隊のような名誉に対する責務である故、喜んで服す。こうしたことが書き出してあるのを見た故、がらになく書いた次第だ。


    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

むしろそれぞれの大会の参加者たちが、自分の大会の正統性を信じすぎているように思われた。)ところが、金井氏はいかにも自由に,この2つに核禁会議の大会を加えた、3つの大会を検討し、選択したのである。沈黙の10年と声の9年を通じての広島での新聞記者生活は彼を、大衆を動員した集会についての直接の不信の念の塊としているに違いない。しかし彼はそれを克服し、具体的な提案と共にこの大会に参加した。彼の提案の具体性は、それ自体が、分裂した平和運動への鋭く率直な批判である。それは平和運動への批判というより、もっと巨視的に、日本人全ての国民運動たるべきものへの批判と言ってよいだろう。

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

懲罰としてのシラミ飼い

 

731部隊は衛生部隊ですから、病理のことも教えられていました。衣ジラミというのは、発疹チフスの宿主です。どこから採って来たかわからないシラミの中に1匹でも発疹チフスリケッチアが巣くっていたら。私は発疹チフスに感染していたところでした。幸いにも感染しなかったので帰れたのですが、実はそれが「戦争はしない方がいい」と言った私に対する“731”的懲罰だったわけです。

 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

 

榊原秀夫供述書(1955年5月17日)

 

問:林口第162支隊はどんな部門から構成されていたか。要員は何人いたか。 

答:林口支隊は総務、第1、第2、資材、教育などの5つの課からなっていた。総務課の任務は部隊命令の伝達及び支隊の人事、経理などを掌ることであった。課長は細矢少佐が担当していた。第1華の任務は細菌の保存・培養、細菌検査、及び一般的な防疫業務で、課長は細矢少佐が兼任し、課附は渡辺中尉であった。第2課の任務は部隊の給水と濾過器の修理で、課長は間所少尉。資材課の任務は各種衛生材料と生産材料の保管と手入れ、並びに動物、ノミの飼育などで、課長は間所少尉が兼任した。教育課の任務は細菌戦に関して必要な要員の養成・訓練で、課長は渡辺中尉が兼任した。

 林口162支隊の編成人数総数は280名で、その中には中国人156名、朝鮮人1名が含まれていた。林口支隊は、第731部隊所轄の4つの支隊の中でも最大の支隊であった。その他の3つの支隊はハイラル支隊、孫呉支隊、牡丹江支隊である。

 


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

相模海軍工廠の労働状態

 相模海軍工廠の場合でも、充分な治療が受けられなかったことがわかる。毒ガス製造の苦しさから逃れようとすれば、軍隊に志願する以外に選択はなかったとしている。

 さらに、学徒動員としてイペリット爆弾の生産に関わった中学生は(山梨県の日川中学生)は、工員たちの様子を「頬は黒く、目は赤く、唇はまくれて白く、肺はただれているようであった」としたうえで次のような光景を目撃したと記している(風間美和「毒ガス工場」同前所収)。



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


三好忠吉さんはこのような機械の修理中に不注意から毒剤をあび、手指に直径2センチ高さ1センチの半球型の水泡ができ、水泡の中には黄色の分泌物がたまり、痛くてたまらなかった。続いて、ここで仕事をしていた6,7人の者が目や喉、手足に傷害を受け、ある者は皮膚に水泡ができ、またある者は結膜炎や気管支炎にかかり、長い間治癒しなかったという。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

宮島健司

伍長 分隊長

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

 

「アアー・・・お母さん」「ええ、歩け歩け、こうして歩くんだよ!!歩かねえとブチ殺すぞ」小沢一等兵はそう叫びながら、娘の方に顔を向け、環を一回り犬の真似をして歩いてみせた。

「歩け歩け、殺さないからやれ」私は銃剣の先で娘の白い皮膚を突いた。銃剣の先に真っ赤な血が付いた。

「アーアーお母さん、おかあ・・・」娘は喉を詰まらせて、あとは声が一瞬途切れた。母親のしわがれた叫びが、断末魔の苦しみのように聞こえる。

「ワハハハ・・・」兵隊たちの淫乱な爆笑は、それをかき消してしまった。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?

何を隠そうとしている??


次回「衛生学校記事」情報公開裁判 2月5日(金)15:00~

419号法廷

「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~

法廷未定

自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

2 陸上自衛隊におけるCBRN対応


(1)CBRN対応の開始

1954年7月1日に自衛隊が発足すると、翌55年1月陸上幕僚監部主催「新教範編纂研究主任者講習」が開催され、その際の指示に基づいて、諸職種連合部隊、大部隊の運用原則と幕僚勤務に関する編纂準備が始まった。そして同年3月18日陸乙般命第42号とその後の研究主任会合同における指示に基づいて、8月末をめどに部隊の運用原則を。そして10月末までに幕領勤務の大綱案を完成することとなった。



CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

防衛庁長官の珍答弁

 682月の衆議院予算委員会で、増田防衛庁長官が「クロルアセトフェノンは、日本の法律の毒劇物取締法に入っておりません。したがって毒ガス問題ではないし、催涙ガスである、こう考えております」という珍答弁をしているわけだが、これと同じ考え方である。

「毒性」があるのか、ないのかという質問に対して、法律で規定していないから毒ガスではないといったような馬鹿げた答弁が国会の場で大臣の口から出るくらいだから、相模原補給廠での毒ガス問題は一向に解決されるはずもないのであろう。国内法がそれを劇毒物に指定しようがしまいが、第1次世界大戦におけるイープルの闘いの塩素ガスによる2万人に上る死傷の事実と、塩素ガスの持つ激しい毒性に何らかの変化も起こるはずが無いのである。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

もっとも、天皇は幣原の手になる回答文を読んだうえでこれを裁可したのであるが、真珠湾攻撃は宣戦の詔書に署名する8時間前に起きていたから、おそらく彼はこの回答文を自分でも信頼できなかっただろうし、また攻撃が確実に奇襲となるようにしたことで個人的には大きな痛みを感じたことだろう。その後、日本政府は、天皇の発言を東条への批判を避けるものに変更する声明を発表し〔情報局のスポークスマンが、天皇は個人を名ざしで非難することはないという声明を発表した〕、それは9月29日付の『ニューヨーク・タイムズ』によって報じられた。このような部分的な前言撤回は、SCAPと東久邇内閣との間の意思疎通が不十分だったことだけでなく、後者が「国体」護持に関する政策をまだ十分に練り上げていなかった実情をも象徴していた。「国体」護持の政策を固めるに際しては、天皇の身代わりとして統帥部の長たち〔参謀総長・軍令部総長〕だけでなく、とくに東条を指定することで天皇を守る必要あったのである。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱


コジェネの発想と燃料電池

 ここまで自信を持って読者に紹介したのは、東京ガスからの10年間100万円のリース方式に応募し、我が家に燃料電池を設置して2010年8月で5年になるからである。私がモニターに応募したのは、化学技術者としても消費者としてもこの装置の「欠陥を探してメーカーの技術者に報告したい」ためであった。2008年にはモニターユーザーに対してパナソニック製新モデルに無償交換してくれたが、驚くべき進歩を実感してきた。普及の為に欠陥があってはならないと、わずかな音の発生にも苦情を伝えると、ほどなく改善された。見事な技術者たちである。

 

 

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?


月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

2.地下核実験 地表面下の様々な深度で行われる核実験である。実験の手法は、冷戦時に米国及びソ連にて確立されたが、本実験以外の手法は1963年に締結された部分的核実験禁止条約 (PTBT) で禁止された。核爆発が完全に地中で収束した場合には、放射性降下物は殆ど発生しない。しかし爆発によって地面に穴が空いてしまった場合には、そこから大量の放射性降下物が発生してしまう。地下核実験では、その核出力と爆弾の構造に応じた地震波が発生するが、多くの場合で地殻の陥没によるクレーターも生成される。1974年には、地下核実験の最大核出力を150キロトンとする地下核実験制限条約 (TTBT) が米国とソ連の間で署名されている。




1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!
















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

12/27のツイートまとめ

buooo71

細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?⇒ https://t.co/SvFLBRICuH #アメブロ @ameba_officialより
12-27 12:11

細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?⇒ https://t.co/05vZWgtTlJ #アメブロ @ameba_officialより
12-27 12:07

細菌戦の系譜!! https://t.co/6GMe8KDKx8 @buooo71より
12-27 11:48

日中戦時に中国と日本で起こったことを書きたい!! #細菌戦
12-27 11:48

細菌戦の系譜!! https://t.co/y2WpAf72La @buooo71より
12-27 11:34

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!!  - 731からフクシマまでhttps://t.co/BTSruZ1Ta6
12-27 11:31

細菌戦の系譜!! https://t.co/Klf8qpwG8c
12-27 11:21

細菌戦の系譜!! https://t.co/Iuk3jtNVvZ
12-27 11:20

細菌戦の系譜!! https://t.co/Ht5H0bW6cK
12-27 11:15

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

これはおかしい!!安倍は起訴だ!!

安倍前首相、東京地検が不起訴へ 任意聴取で関与否定か

リニア反対!!







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。



「人骨問題と731部隊」
講師:鳥居靖さん(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会事務局長)
2021年2月11日(木)までダウンロードできます。
https://34.gigafile.nu/0211-m50be56cea3e0c58f489e21c6d283275e

敵基地攻撃能力、保持させない! 国会前で抗議の「ダイ・イン」
(12月17日、東京新聞Web、動画もあり)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/74979

 

入所者479人の遺体解剖 ハンセン病療養所が報告書―熊本


ハンセン病 文書が明らかにした“遺体解剖”の事実




終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)


悪魔の飽食:復号731


「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー


「菅政権の暴走を許すな!」緊急講演:藤田高景(「村山談話を継承し発展させる会」理事長) 「攻撃型軍隊に変貌する憲法違反の自衛隊」 前田哲男さん(軍事ジャーナリスト)


中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


PTSDの日本兵と家族の交流館

NHK「おはよう日本」

黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」

―医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

水俣病



田宮猛雄(たみやたけお)


国立水俣病総合研究センター
「水俣病に関する社会科学的研究会」報告書

 水俣病の悲劇を繰り返さないために
-水俣病の経験から学ぶもの-

2.昭和 34(1959)年11月の答申後の厚生省食品衛生調査会水俣食中毒特別部会の解散、

昭和 35(1960)年1月に設置された水俣病総合調査研究連絡協議会及び日本化学工業協会の田宮委員会の動き

(3)日本化学工業協会の田宮委員会

 昭和36(1961)年4月から、厚生省は研究費の助成を止め医療費の支出のみとしたため、熊本大学医学部研究班に対する研究費としては1年限りの文部省科学研究費と、NIH のカーランド博士の尽力によるPHS(Public Health Service;公衆衛生事業)の研究資金だけになっていた。それまで熊本大学医学部長で研究班長でもあった世良教授は田宮委員会への参加を断ってきたが、昭和36(1961)年4月に医学部長が忽那教授になると、チッソとの対立関係を改めてチッソからの援助を受け入れることとし、そして同年9月からは熊本大学医学部研究班も田宮委員会に加わることになった。なお、昭和371962)年に熊本大学の入鹿山教授らがチッソ工場内でメチル水銀化合物が副生されていたことを証明した論文「水俣酢酸工場水銀滓中の有機水銀」には、研究費の一部がNIHと田宮委員会によるものである旨が記されている。田宮委員会は、医学界で主導的立場にあった人達が原因究明を始めたということだけで、社会的に大きな影響力を持った。その中で、有機水銀説に対する異説として清浦教授や戸木田教授らの有毒アミン説が発表された。原因については様々な説があり未だ確定していないという彼らの主張がそのままマスコミによって報道され、有機水銀説を相対化させ、原因は未解明という印象を与えることになった。この点で、日化協の田宮委員会が水俣病の原因究明を後退させた影響は大きく新潟における第二水俣病の発生を許す一因にもなった。



水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した






隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 



 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

学術集談会

6、精製破傷風毒素について

細谷 省吾君

岸野 茂樹君

対照として(1)ヂアスターゼを作用せしめざる精製毒素。(2)ヂアスターゼ自身又は(3)破傷風菌を培養せざる普通ブイヨン約1立より精製毒素フラクチオンを作りこれにヂアスターゼを血温1日作用せしめたるもの等にフェニルヒドラヂンを加え加熱せしめたるにいずれもオサゾン結晶を生ぜず。

 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3章 細菌戦裁判弁護団から

破綻の火種をはらんだ一審判決

西村正治(弁護士)

 

 そして、95年の年末、一瀬弁護士と鬼束弁護士、私の3人で、中国の崇山村に聞き取り調査に行くことになりました。このときはまだ、具体的に訴訟を起こすことが直接の課題にのぼっていたわけではありませんが、その可能性があったので、弁護士が現地調査に行こうという事になったのです。

 崇山村の集会所で話を聞く段に入ると、何百人という村人がどんどん集まって来て、熱気もすごく、我々に対する期待がひしひしと伝わってきました。

 



731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

3月21日

 

晴 風少し 旗日にて休みなれども射撃アリ 3発で78回割合によく当たった。火を囲んで車中の満期話に花が咲く

地方の人達と云うより満鉄従業員としての人々が 我々の勤務がいかにしておこなわれているかを研究し理解の目でみていただきたいのが 私の心持である

守備隊の兵隊はそれは非常に忙しい。内地の軍隊の比ではない(私は内地の軍隊生活をした事はないが内地から来た人々の話の様子にそのように知った。週番下士が平気で演習に出られるということでも十分知る事が出来る)その中にあって 銃剣術も射撃も各種訓練も内地式にやらねばならないのだ。

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 





挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅱ 広島再訪

 金井論説委員は、原水爆被災白書の提案の持ち込み先として、一応3つの大会それぞれを考えたことを率直に述べた。彼の躊躇と決断は暗示的である。この大会に参加した大方の人々は、京都の大会をすっかり無視することで自分の大会の正当性を信じている。彼らはこの大会の枠内で満足し、それを疑うことをしない。(もし、この大会の構成メンバーのうちに、この大会に不満と疑いを持つ者たちがおり、京都の大会の構成メンバーのうちの、彼らの大会に同じく不満と疑いを持つ者たちとの間に討論の機会があれば、それこそが、最も端的な、再統一への道であるだろう。しかしそういう兆候は現れはしなかった。

 

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


昆虫班でのノミの増殖

ノモンハンでの細菌撒布も

 

鶴田兼敏(つるたかねとし)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1921年生まれ

1938年 731部隊に入隊(少年隊・田中班)

1939年10月 退職

1945年12月 帰国

■この証言は佐賀731部隊展(1994年12月)の『報告集』をもとに本人がまとまたもの。

 

懲罰としてのシラミ飼い

 

ところがしばらくして昆虫班の班長から、「今日からお前はシラミを飼え」と言われました。私に当てられたシラミは、衣に付く白い衣ジラミでした。シラミは住居が決まっているのです。頭ジラミというのは、毛髪にしかいません。毛ジラミというのは陰毛に、衣ジラミというのは衣服にたかって、人間の血を吸うわけですね。それを飼わされたのです。どうやって飼ったかと言いますと、私の体の血を吸わせたのです。衣ジラミはネズミでは飼えません。それで縦4㎝、横8㎝ぐらいの布切れに30匹ぐらいのシラミを着床させ、それを私の左前腕部に付けて血を吸わせたのです。午前と午後に1回ずつそうやって血を吸わせました。かゆいといって潰すわけにはいかない。しばらくして開けてみると、逆立ちしているんですね。シラミの背中に赤い筋が1本スーッと入っていると、満腹状態です。それをビーカーに移すわけです。それを3日間やらされました。4日目に、何の理由も告げられずに「止めろ」と言われました。

 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

 

榊原秀夫供述書(1955年5月17日)

 

問:第162支隊の任務は何だったか。どの機関の指導を受けたか。

答:だお162支隊の主たる任務は細菌戦の準備をすることであった。その次には、所属軍の武装部隊に対して防疫給水業務を行うことがあった。私の責任は162支隊を直接指導、監督して前記の任務を達成する事であった。同部隊は日本関東軍第731部隊の指導を直接受けていた。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

3章

一般国民と毒ガス

1、自国民にも災厄をもたらした毒ガス

 

相模海軍工廠の労働状態

 また、イペリット爆弾の組み立てに関わった元徴用工(当時17歳)の手記は、作業の苦しさを次のように伝えている。やや長くなるが、当時の様子をよく伝えているので引用したい。

 

 気が付いた時は、皮膚は赤くなる。その時は遅いので、たちまち水疱。医務室へ行けば、軍医に叱られながらの荒治療、頭痛、鼻水に悩まされ、診察を受ければ問診のみ。このくらいなんでもない、すぐに仕事をしろ。人間扱いではない。・・・国家総動員法で、徴用された体。命令に従わなければならず、問答無用の勤務。兄に赤紙召集が来たとの便りで、休暇願を工場長に提出すれば、突然ぶん殴られ、仕事をしろ、それが答えであった。体がボロボロになって放り出されるか、軍隊へ志願するか、どちらかを選ばなければ退職できなかった。軍隊へ志願すれば中国の第1線へ送られ、飲まず食わずの戦争も体験した。8か月の捕虜生活も。(匿名の元徴用工員「徴用工の恨み言」同前所収)



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


この工場だけでなく、島全体の安全と健康管理は極めて遅れており、作業員たちはまるで毒ガスの包囲の中で作業をしているようなものであった。各工室には大小様々な多くの毒ガス入りのドラム缶が置かれ、各種各様の鉄やゴムの管がびっしりと配置されていた。完全密封しての作業が行われるわけではないので、工室内はどこでも有毒の気体とと粉塵が充満していた。ただ、吸気機だけがひっきりなしに回っているが、これらの毒物は洗浄塔に集められ、処理を経て大気中に放出される。しかし、これらの吸気機は強烈な毒ガスの腐食力によってすぐに破損し、よく故障した。往々にして、仕事が一段落するとすぐに機会の修理を行わねばならなかった。しかし、機械の修理中にも、作業員は簡単に傷害を受けるのだ。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

嫌がる少女を銃剣で脅して

 

宮島健司

伍長 分隊長

〈略歴〉

本籍地 神奈川県川崎市

出身階級 労働者 電動機捲線及び修理工

最終卒業学校 電気学校昼間部本科三期卒

部隊名 59師団54旅団110大隊

被捕場所年月日 朝鮮咸鏡南道咸興市女子商業学校 1945年8月25日

年齢 38歳

 

「コラッ、コレッ、脱げ、脱ぐんだ」小沢一等兵は、泣いてすがりつく娘の下着を握ると、バリバリッと引き裂いて脱がした。「小沢一等兵、いいぞ、犬だ、犬をやらせろッ」後ろにいた青木少尉は環の一番前に出てきて命令した。

「ハイッ」私と小沢一等兵は、反射的にこう答えた。「ワハハハ・・・いいぞ、やれ、やれ」周りから髭ずらの嘲笑がドッと湧き上がった。そして、見る見るうちに取り囲んだ環が小さくなっていった。堪えきれぬ辱めと悲しみは、乙女の優しい肌を震わせた。兵隊たちの120の眼は、そして冷たい風は、容赦なく娘の体にナイフのように突き刺さっていった。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


16日に『化学学校記事』の情報公開裁判があった。防衛省は、「衛生学校記事」と違って「化学学校記事」は、公文書として管理していないという。同じ自衛隊の中の機関誌でありながらなぜこうも扱いが違うのか?防衛省は最初「化学学校記事」は12号まではあったと主張していたが、原告が16号を提出すると、2年間も回答をしなかった。そしてやっと存在を認めた。そして20号まではいっていないと思う。何号まで発行されていたかは分からないとの曖昧な回答。

なぜ、防衛省という公的機関の機関誌の存在を、防衛省はきちんと把握できていないのだろうか?