【日航機墜落事故の真相】
9月24日に行われた「731部隊と人権ー裁判から考える」を下記のアドレスからダウンロードできます。
11月24日までダウンロードが可能です。
録画
パワーポイント資料

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る
米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
鼠咬症研究受賞祝賀会
多年鼠咬症に関する研究に従事せられたる
二木謙三、高木逸麿、谷口腆二、大角真八の4博士並びに
鼠咬症の実験的研究に従事せられたる石原喜久太郎、
太田原豊一両博士に故田村幸太郎氏は共にその功空しからず
帝国学士のみとめらるる所となり同院に於ける大阪毎日新聞社
、東京日日新聞社寄付東宮成婚記念賞を授与せらる。
その如きはただに受賞者の栄誉たるのみならずわが研究所
のために一段の光彩を添えられたるものにして所員一同の欣快
とする所なり。
その光栄を祝福せしむが為に4月30日午前11時職員並びに
研究生一同集合、前記所博士来臨の下に祝賀の小宴を張れり。
席上所長の祝辞二木博士の謝辞あり、歓談歓語尽くる所を知
らざりき。
黒屋博士渡欧
今般黒屋政彦博士は文部省在外研究員として
渡欧せらるることとなり去る5月6日午後8時45分
東京駅発同9日賀茂丸にて神戸港より出帆せられたり。

伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第2部
第1審判決に対する原告団、弁護団の怒りの声と控訴審の決意
第1章 原告団から
日本政府は条理に適った解決を
陳知法(原告、浙江省義烏市)
細菌兵器は最も残酷な兵器です。被害がどんどん広がっていきます。普通の市民を殺害し、責任をとらなくてもよいなどという、世の中の理屈がありますでしょうか。
ここで私は聞きたいのです。両国民が平和な時代には中国の庶民は受けた損害を日本政府に対して求めてはいけないのでしょうか。日本が起こした侵略戦争です。画策したのは日本政府です。すべては日本政府の決定した政策です。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
731部隊の行なった細菌戦
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

二月二十五日
晴 風あり 午後十時分遣隊出発。
初めてのモーターカー巡察だ 零下十二度の冷たさをついて走るモーターカー この冷たさは何も書きようがない ちょうど内地の冬に裸で走るようだ 二拾丁にゆかないうちに悲鳴を上げる 靴の中の足が針で刺されるように痛む 然しこれも一つの勤務だ 下らない冷たいことばかり考えている訳にはいかない 何故ならばそうして心を他に奪われていたならば其の時ードンー。もしだ馬賊に打たれでもしたら如何にする?軍人として取るべからざるあわて方をするだろうよ
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
1 広島への最初の旅
いったん白血病を発すれば、その患者は6か月か1年、薬品の効果によっていったん回復することがあるにしても、それもごく短い期間生き延びることができるだけだ。再び白血球が増えることがあるにしても、それもごく短い期間生き延びることだけだ。再び白血球が増え始めるとそれはもう致命的である。重藤院長は、一旦回復しては、再び確実に悪化して死を招く白血球の秘密について、現在の薬品の使い方にポイントの違いがあるのではないかと疑っている。院長が、白血球の患者について語る時の、彼の眼の中の深い悲しに満ちた暗黒についても僕はそれを忘れることができない。院長自身、被爆者だ、彼もまた地獄を見た人間の一人なのだ。そしていかにも人間らしい威厳と共に、今日も人間の体の中で存在し続けている原爆と闘い続けているまさに広島の独自の人間、広島的な人間なのだ。
日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
解説ー細菌戦(森正孝)
細菌戦のための生体実験
同様の証言を数人の元隊員から私は聴取しているが、つまり生体実験―生体解剖は、そこで得られる医学的データを目的とするものではなく、それはあくまで細菌戦展開のための副次的なものに過ぎない、ということであった。このことは、従前から「731部隊の犯罪」を平房やその周辺(安達など)での医師たちの種々の生体実験としがちであったことを考えると改めて強調されてよい。それは細菌戦による被害の深刻さという面からも言い得ることであった。
・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」
貝沼一郎供述書(1954年10月14日)
問:新京憲兵隊本部で戦務課防諜班に勤務していた期間の犯罪行為について述べよ。
答:1945年5月、命令により抗日工作員于楓林の活動状況についての情報を集め、林次郎曹長と共にその妻に対して電気拷問を行った。また、その他の関係者についても拷問を加えた。その後、于楓林を石井部隊へ護送した。
(1)119-2、853、1、第4号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第1章毒ガス兵器の製造と教育
2 日本陸軍の毒ガス兵器製造工場
日本軍資料からの製造量の分析
なお、海軍の製造量については、関係者が記しているので、これを84~85頁の表6に添付しておいた。海軍では1941年から大量製造が始まっているが、敗戦までの製造量は762トンとしているので(相模海軍工廠「現在品目録」)、総製造量からこれを差し引きと、577トンが毒ガス兵器などに詰められるなどして相模海軍工廠から送り出されたことになる。しかし、ガス弾、ガス爆弾、ガス放射筒などの詳しい生産数を記録した日本軍資料はまだ確認されていない。ただ、イペリット爆弾については、60頁で触れたように、戦争末期に10万発生産する計画を立てたが、材料と航空戦力の弱体化により、約4万3000発を生産して中止したという。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
訳者あとがき(山邉悠喜子)
第1章 「陸軍科学研究所」-日本の毒ガス兵器のゆりかご
臨時毒ガス調査委員会
そもそも、日本の化学戦に対する研究は、第1次世界大戦の末期から始まった。1915年4月22日、まずドイツの軍隊が戦場で塩素ガスを使った。このニュースはヨーロッパ駐在の日本武官と消息通の報道機関の知るところとなったが、当然のことながら日本は化学戦に対しての知識はあまりなかったから、この報道も極めて簡単かつ浅いものであった。しかし、その消息がいかに簡略なものであったとはいえ、日本軍に政策決定機関の関心と興味を引き起こさずにはいなかった。


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
釘うち拷問
残忍極まりない取り調べ
原田左中(はらださちゅう)
憲兵軍曹
〈旧部隊名〉
元関東軍第一特別警備隊第五大隊第一中隊
「出て行け」博は老婆の右手をつかみ、引きずりだそうとした。「我不走(私は行かない)」老婆はお前らこそここから出て行けと言わんばかりに、しっかりとオンドルの隅の柱にしがみついた。
「このくたばりぞこないめ」私はいきなり腰のあたりを右足で力一杯蹴飛ばした。「噯呀ッ」老婆は悲鳴を上げ体をくねらせ後ろにのけぞった。博は老婆の右手を持って引きずり出そうとしたが、なおも老婆はその手を振り切って必死になってオンドルの桟にしがみついた。「このクソ婆あ!」私は老婆の肩を棍棒で殴りつけた。老婆は肩をくねらせて痛みに耐えかねてばったりと倒れ、大声を上げ、救いを求めた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)


●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告
和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)
第4 私達の情報公開裁判闘争の目的
以上の考察からも、防衛省が『衛生学校記事』や『化学学校記事』の頑なに隠蔽する背景には、戦前戦中の日本軍の生物化学兵器の実態の秘匿という戦争責任に関わる問題があると同時に、現在の自衛隊の生物・化学・核放射能に関連する準備状況を秘匿するという軍事情報の秘匿問題が存在していると私達は考えています。
既に『衛生学校記事』『化学学校記事』の開示請求を出してから9年目、裁判になってから7年目を迎えます。
私達は、2つの情報公開裁判は、日本政府の731部隊問題隠蔽との闘いであり、同時に「日米防衛協力指針(ガイドライン)のCBRN戦略反対の闘いであると位置づけて闘っています。
・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)
・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊

●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
2、ベトナムにおける生物・化学兵器使用とその背景
ベトナム戦争で毒ガス使用
AP通信の記者が65年3月22日、サイゴン近くの戦闘に従軍していたとき、DMを飛行機から投下したことを報道したため、全世界から米政府に対する抗議行動が起こった。
ホワイト・ハウス、国務省、国防総省は巻き起こる論争に、それぞれ回答を出した。しかし結局のところそれは暴動鎮圧用のガスでないことを認めねばならなかった。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。

●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
2001年ピュリッツァー賞受賞
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!

第13章 遅すぎた降伏
Ⅳ
トルーマンが、日本の非戦闘員に対する通常兵器による大規模空襲を、残虐行為に相当するとして良心の呵責にとらわれていたかどうかは不明である。しかし、彼はアメリカ兵の死傷が多いとの予測には関心を寄せていた。トルーマンにとって、原爆投下以外の選択は次のようなものであった。満州・朝鮮に対するソ連の地上攻撃の影響が現れるのを待ち、これに合わせて日本本土に通常兵器による砲爆撃を行い、日本の指導者が戦争に耐えられないようにすることだった。しかし、新たな決定的兵器を持ったことで、トルーマンは待つという忍耐力と洞察力を欠くことになった。一方、日本の指導層は、間違った危険なイデオロギーにとらわれ、自らと天皇の権力を守るために、膨大な数の同胞を進んで犠牲にしようとしていた。トルーマンとマーシャル陸軍参謀総長が原爆投下を正当化したのは、ひとつには、日本の統治エリートの心理を打ちのめす意味があったからである。1957年、マーシャルが話した言葉を借りるならば、「(日本の指導層を)驚かせて、行動をとらせる」ためであった。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)
第2章 都市化と原発の膨大な排熱
誰が電力問題を起こしている最大消費者か
電力をどのように生み出し、使うのか、理想的なのだろうか。
第1の論点は、北海道・東北などの寒い地方を除いて、日本では真夏の午後に最大ピーク電力を記録するので、電力会社はその電力需要に応えなければならない現実がある。そのため、最大電力量が発電所の増設に拍車をかける口実に利用され、原発にばかり力が注がれてきた。既に述べたように、真夏に暑い時に、クーラーをかけなければ涼しくなるのに、環境大臣が真夏にヒシャクで道路に水まきしてニュースになるようでは、日本に救いはない。
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
歴史上重要な核実験
歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。
表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!