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細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


BCGの人体接種試験


 皮下1ヶ所接種法から皮下分割2ヶ所接種法、静脈内接種法、皮内接種法、経口的接種法、腋窩、皮下接種法、腹腔内接種法、経皮接種法など次々に接種法が、各方面で研究されるに至ったのである。

 皮下2-3ヶ所分割接種法は潰瘍こそ小さいけれども、瘢痕が多くなるし、特にその潰瘍が融合した場合には、一層大きな瘢痕を残すので賛成できない。

 静脈内接種の場合は、熊谷岱蔵の経験から眼底出血者もみられたので、ツベルクリン反応陽性者に誤って接種した場合には、接種局所の変化はないにしても、毛細血管などに小出血があり、一時的にも出血部に機能障害がおこる可能性もあるので、これも接種方法として、推奨する訳にはいかない。

 腋窩皮下接種法は、高橋義夫が満州で試みて接種局所にはほとんど問題ないということで、私たちも人体にやってみたが、時には注射針を入れたとき血液が、ワクチンを入れた注射器に突如として入ってくることが数々あり、不気味であるし、大体、年頃の女性などにこの接種法を行うことはなかなかできず、これも長続きしなかった。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                  松村高夫(慶応義塾大学教授)

  つい最近は、中国黒竜江省の档案館とABC企画委員会の共同で、『731部隊罪業鉄証』という本が復刻されました。これは関東憲兵隊が得意扱いで中国人を731部隊に連行した秘密文書を復刻したものです。憲兵隊が業績を上げるために、中国人を組織的に連行したことが明らかになっています。

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記


13

曇り風少しあり

羽根の音や万歳が見られないが 女の子の振り袖や男の子のヤッコダコ またはシシ舞等々門松と相まってなかなか心持よい。駅前の通りから少さい横二環?通り 忠魂一通り 雪に埋もれた道を行き正午奉天館に久しぶりにて活動を見る。「ウエイトレス」感心しないが悪くもない。活動らしい活動を入営以来見たことがないからね。兵隊さんの家  定に行く・・・然し休みだ  バイカル公司の〇〇エハガキも宝石も面白くなく―どうせ正月だカフェーよ 場末のような来洋軒で馬鹿騒ぎをした後、中隊に帰る

午後11時半明日は5時起きだのに思い出すまい正月3ケ日が之で消えたのだ。



 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

12. 終戦前、戦地に輸送される兵隊さんの列車を送る出したことも知っています。今度、太平洋戦争の歴史の現実を知りたい。よく残されて居たと思います。まだまだ陸海空の兵士の皆様の当時のことが知りたいです。小さい子どものころB29、グラマンの飛行機を手に取る様に見た事があります。戦時中、見て歩いた事がありました。海軍(長男)、陸軍(次男)にと出兵した姿は今でも覚えています。タスキを掛けた母が兵隊さんを送り出す姿は今でも覚えています。戦後に、平和を作ってくれた兵隊さんを忘れないような映画を展開してほしい。今、平和な日本になった道を永遠に伝えるべき。(兵隊がこの日本を作ったのですか?国民主権の私たちだと思います。)(男、70、市内、折込み)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

55、初めて見ました。広く深く考えなければ・・・と感じました。広島の原爆資料館は何度も見てますが、一見尻切れ風の編集ですが、余韻も感じさせるものでした。

(男性・80代・座間市・朝日新聞)



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

ハルピンの野戦病院にいた私は、もちろん、731部隊が、生体実験を行ない、細菌戦の研究に従事していることは、承知していた。
 では、いったいどうして、その731部隊が、私を必要として、わざわざ部隊に呼んだのであろうか。むろん、その時は知る由もなかったのだが、これには、次のような背景があったのである。
 私は軍医でありながら、ロシア語が読めた。友人にロシア語の達者な人間がいて、高等学校を卒業した頃から、その友人について学んだのである。
 当時、731部隊長であった北野政次軍医少将は、満州出血熱の研究に従事していた。彼は、この満州出血熱とシベリア森林ダニ脳炎との類似症に強い関心を抱いて、ソ連の医学文献を求めていた。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

渡辺卯一郎供述書(1954年8月26日)

問:自分の作った乙級暗号の果たした役割について述べよ。

答:乙級暗号は「満洲国」の各部門で使われていた。

鉄道警護隊と憲兵、警察は、共同で抗日軍を鎮圧するために、日本侵略軍から東北地方に軍用労働者を送り込んでいた。石井細菌部隊に送られて実験材料にされた人についても、私の作った暗号で連絡したのである。


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

日中全面戦争の開始と毒ガス兵器開発の進展


 第5章で詳しく検討するように、1937(昭和12)年7月の日中全面戦争勃発直後から日本軍は中国戦線で催涙性ガス(みどり剤)を使用し、38(昭和13)年4月からはくしゃみ性・嘔吐性ガス(あか剤)を、さらに39(昭和14)年5月からは糜爛(びらん)性ガス(きい剤)を使用し始める。日本軍は、毒ガス兵器やガスマスクをほとんど持たない中国軍を相手に毒ガス戦の経験を積んでいく。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

最後に、行武院長はこれらの情況から次のように結論付けた。

「化学兵器と核兵器は大規模殺傷兵器と呼ばれるものの双生児です。」

「大久野島の毒ガス工場で働いたいことのある労働者はいったい何人いたのでしょうか。何人が傷害を受けたのでしょうか」と私は行武先生に尋ねた。行武先生は1枚の図表を取り出して私にこう言った。

「現在明らかになっているところでは、島で働いたことのある人は6300人で、1992年までに亡くなった人が1648人です。6300人中、広島県から来た人が5342人で、85%を占めていました。そしてこの5342人は、主に竹原市(884人)、忠海町(1224人)、三原市(1260人)から来た人たちだったのです」。




 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

カンフルを注射し、足かせ手かせで固定された中国人はカッと目を見開き、この凶行を確かめるかのように首を回しましたが体の自由がきかず、無念の涙を目にたたえながら天井の一点を見つめ、乾ききった口からは凶行を追及する叫びを発しようとしたのでしょうか、声にはならず、口をわずかに動かしていました。

 中国人の首をなでまわしていた細島は、右手のメスでズバリと中国人の頚動脈にそって切り下げました。血がジューッと流れ出ました。中国人はペスト病の苦しみと、切りさいなまれた痛さで首を左右にふりましたが、そのたびにあごにかかっている首かせが食い込み、ガクリと首をたれ、失神しました。私はあわてて血を拭き取りました。止血鉗子(しけつかんし)を握って待っていた宇田は鉗子で傷をかきまわし、頚動脈を見つけるとカチンカチン両方から血管をはさみました。細島はメスの背で中国人の心臓部を叩き、「ビタカン2本」と叫ぶと中国人の頚動脈を切断しました。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

こうしたは背景の下で、既に1960年代の自衛隊の中では、「CBRChemicai,Biological,Radioactive 化学・生物・放射能)戦」を準備することの重要性が公然と強調されていました(この点は、冒頭に紹介した奈須さんの「衛生学校における生物戦隊の創設とその挫折?」に詳しいので是非ご参照ください)。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

恐るべき人体実験

(問)「実験に関して貴方(川島)の知っていることを全部述べてもらいたい。」

(答)「それは、私が第731部隊勤務を任ぜられて間もなく、すなわち1941年の夏のことでした。安達駅でペスト蚤を充填セル「石井式」陶器製爆弾の使用実験が行われました。

 実験に使用された場所は入念に警備され、そこを通過するすることは禁止されていました。その周囲には特別な歩哨が立ち、局外者が誰もそこに行けにように警備していました。

 

 

 第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

この悲惨な状況に対する天皇の反応は、戦時中の昭和天皇の役割を評価するうえで、もっとも重要である。敗北が必至となった事態に直面して、天皇は頑として譲ることなく、敗北を認めることを拒んだ。617日、嶋田海軍軍令部総長の拝謁に際し、天皇は「此の度の作戦は国家の興隆に関する重大なるものなれば、日本海海戦の如き立派なる戦果を挙ぐる様作戦部隊の奮起を望む」と言明していた。翌日、天皇は東条に対して「万一『サイパン』を失う様なことになれば、東京空襲もしばしばあることになるから、是非とも確保しなければならぬ」と警告した。昭和天皇は、2日間にわたる両統帥部長からの説明で、サイパンの状況が絶望的になりつつあることを聞いていたが、彼らの助言を無視して嶋田にサイパン奪還を命じた。このため海軍軍令部第1部は、直ちにこの問題に全力を挙げて取り組んだ。昼夜兼行で、「切羽詰った決死の気持ち」で、軍令部は621日草案を完成させた。しかしながら、連合艦隊司令部が反対の意思を表明すると、3日後の624日、東条と嶋田は、正式に奪還計画は取りやめるべきであると奏上した。サイパンは永久に失われることとなったのである。

                    "

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

水蒸気の作用

 これが、9年前に私が『燃料電池が世界を変える』に書いた一節である。化学を学んだ人間の熱力学では、これが常識であるから、CO₂温暖化説に大きな疑問を呈したのだが、当時は全く無視された。ようやく最近になって、学者たちも「IPCCは水蒸気の温室効果を忘れている」と言い出した。

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』




核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。


2.地下核実験 地表面下の様々な深度で行われる核実験である。実験の手法は、冷戦時に米国及びソ連にて確立されたが、本実験以外の手法は1963年に締結された部分的核実験禁止条約 (PTBT) で禁止された。核爆発が完全に地中で収束した場合には、放射性降下物は殆ど発生しない。しかし爆発によって地面に穴が空いてしまった場合には、そこから大量の放射性降下物が発生してしまう。地下核実験では、その核出力と爆弾の構造に応じた地震波が発生するが、多くの場合で地殻の陥没によるクレーターも生成される。1974年には、地下核実験の最大核出力を150キロトンとする地下核実験制限条約 (TTBT) が米国とソ連の間で署名されている。






●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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06/29のツイートまとめ

buooo71

アメブロを更新しました。 『細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/VFbrwePFui
06-29 08:09

アメブロを更新しました。 『細菌戦の系譜!!』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/QpdMjvoRPu
06-29 07:59

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!! - 731からフクシマまでhttps://t.co/CcFr8Ftnnk
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細菌戦の系譜!! https://t.co/fgT1lFsPou
06-29 07:15

細菌戦の系譜!! https://t.co/oS4N2nlf9N
06-29 07:14

細菌戦の系譜!! https://t.co/OZir4zUvJf @buooo71より
06-29 07:10

日中戦時に中国と日本で起こったことを書きたい!! #細菌戦
06-29 07:09

細菌戦の系譜!! https://t.co/AZZBHPtZt9
06-29 07:02

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


BCGの人体接種試験

そのとき私に、皮下接種を静脈接種に変えたら接種局所の潰瘍ができなくて良いではないか。ひとつやってみないかとのことであったが、私はその経験は動物実験ですらないし(真っ赤な嘘)、BCGの静脈内接種の文献は内外にないので、頭をかしげてそれを拒んだ。ところが先生は勇敢に、ツベルクリン反応陰性者の看護婦にやられたのである。なるほど接種局所には大きな変化は出なかったが、接種者のうちから一人失明者が出た。眼科で調べるとそれは眼底出血であったらしい。2-3ヶ月で全快したと聞いたが、それから先生もBCGの静脈内接種をあきらめた。

 皮下接種からはじまったBCG接種も、再接種を行なうグループが次第に増加するに伴い、局所反応もいよいよ多発するようになったので、接種方法の改善とワクチンの製法の改良に、研究が向けられていった。

 



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                  松村高夫(慶応義塾大学教授)

 細菌戦の被害の事実認定をして、それがジュネーブ議定書違反であることまでも認定しているのですから、今後、日中共同声明が決して個人の請求権まで放棄したものでないことを明らかにすれば、この判決の論理をもってしても、勝つことができると言えます。

 この731部隊と細菌戦の問題をめぐっては、第2次大戦後、様々な国、権力がこれを隠蔽しようとして、それを明らかにしようとする者との間で激しいつばぜり合いが行なわれてきました。

 1989年に中国が、『細菌戦と毒ガス戦』という本を出して事実を明らかにしました。またソ連が崩壊して、90年代には、ハバロフスク裁判の元の記録が公になりました。アメリカでは情報公開により戦後の4回の調査などが明らかになっています。日本だけが資料を公開しようとしていません。

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記


13

曇り風少しあり

 「わか水で迎へる年や梅の朝」

昨日の不平が未だに消えない。最後には事務室に行き週番下士に頼めども駄目・・・居合わせた清原班長殿にお願いすー

午前11時半奉天着 楽しい自由な正月を初めて迎へた。第18列車までうんと遊んでやろう 駅前食堂にて35銭出して腹をこしらえる。内地の正月と多少異なれども忍ぶに充分 

 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

11. 講演(731部隊の細菌戦):とても良かったです。ありがとうございました。(男、80、新聞)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

54.とても重い映画でした。戦争の話は祖母から聞いたこと、そして色々な映画や歴史でしかわかりません。今のこの時代だからこそ、もっと若い人達や子ども達に戦争の恐ろしさと日本は戦争をしない国であること、スイスのように中立国であるということで戦争はしてはいけない!原子爆弾は持ってはいけないことをこのような映画等で分かりやすく伝えていく事は大切だと思います。今後もこの活動を応援したいと思います。よい映画をありがとうございました。

(女性・50代・市内・朝日新聞)



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

昭和19年になると、満州各地の関東軍から、続々と部隊が南方戦線へ抽出されていった。7月、私の部隊にも命令が下った。沖縄石垣島の守備を命ず、というものであった。
 この年の4月、軍医中尉となっていた私は、ハルピン在住の女性と結婚したばかりであったが、いよいよこれで玉砕か、と密かに覚悟を決めざるを得なかった。
 部隊が南下して、朝鮮の釜山に着き、これから乗船という時になって、1通の電報が私を追いかけるようにして、届いた。
「命令、満州第731部隊ニ転属ヲ命ズ」―関東軍命令であった。正直言って、命拾いをしたという思いがあった(なお、石垣島に渡った山砲連隊は、幸いにして戦闘が回避され、昭和21年に全員無事に復員した)。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

渡辺卯一郎供述書(1954826日)

問:「満洲国」総務庁勤務になったのはいつか、任務は何だったのか。

答:私は193785日に「満洲国」国務院総務庁文書科勤務となり、電務室主任(奏任二等事務官)の職に就いた。文書課長の指導の下で、「満洲国」各機関の暗号編制と暗号技術者の養成を担当した。同時に{満洲国」治安部の事務官も兼務していた。


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

こうして関東軍化学部は、陸軍科学研究所第二部(後の第六陸軍技術研究所)の出先機関として広大な中国東北で毒ガスの実験・演習を行ない、また、関東軍防疫給水部(満州第731部隊)と連携して人体実験も行った。さらに、19385月には毒ガス戦部隊である迫撃第二連隊(連隊長・明石泰二郎中佐)がチチハルに設置されて、中国東北には毒ガス戦の研究機関と実戦部隊の両方が存在することになった。関東軍の毒ガスをめぐる36年の要望は全て実現したのである。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

行武院長は座るとまず、大久野島の毒ガス工場設立の過程及び戦争中の活動と役割について簡単に紹介した。毒ガスの危害について、行武院長は資料を引用して毒ガスの核兵器との類似点を説明した。即ち、この2つの兵器が危害を及ぼす範囲はいずれも相当に広く、これに接触した人は1人の例外もなく傷害を受けること。また、両者のもたらす危害にはいずれも深刻な後遺症をを伴うこと。使用者は相手の報復を恐れるがゆえに、率先して使用することはしないこと。分解・焼却の方法が非常に複雑で難しいこと。最後に、行武院長はこれらの情況から次のように結論付けた。




 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

プツリ、プツリと滅菌器の中の器材がたぎっているときに、課長・大木啓吾少佐と班付の細島宏中尉が全身をゴムの防菌衣に包んで入ってきました。「始めよう」との大木の命令で、細島は目でメスを渡すことを合図しました。メスを何に使うのか分からないままに渡すと、今度は止血鉗子(かんし)出せと合図しました。細島がメスと鉗子を持っている間に、中国人が担架にのせられて運び込まれました。今朝、私が消毒薬をぶちかけた中国人は、死んでも死ななくても今日解剖する予定になっていたのでした。中国人の顔は紫色にはれ、そこは血がべっとりつき、担架の上にしたたり落ちておりました。恐る恐る近づいて中国人の顔をのぞき込んだ大木は「オイッ、早くカンフルをうて、今のびたら実験できなくなるぞ」、側に突っ立って眺めていた細島は、「ハア」と言うと、「カンフル2本」と指を2本出して注射することを私に命じました。中国人の着ていた黒ずんだ病衣の襟首を握った特別班の八坂が、力任せにふりまわしました。病衣は裂け、意識を失い臨死の中にある中国人はガタリとタイル張りのたたきに叩きつけられました。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

現に、陸上自衛隊衛生学校の金原節三学校長は、1957年に発刊した『衛生学校記事』第1号掲載の学校長訓示の中で次のように述べていました。

 即ち、「対特殊武器衛生につきましては、これが将来戦衛生勤務における極めて重要な要素」になる旨を述べていました。

 このように自衛隊は、生物戦(細菌戦)を想定した軍事的な準備の重要性を認識し、戦前の日本軍731部隊の実績の継承を意図していたことが明確になっています。

 他方、陸上自衛隊化学学校は1959年から『化学学校記事』を刊行し、毒ガス戦部隊を設ける準備を行なっていました。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

恐るべき人体実験

細菌戦準備の為に生きた人間を使った理由は、戦犯法廷での被告たちの証言によれば、次の通りである。

被告川島によれば、「第731部隊構内の監獄に監禁された囚人が、細菌準備の諸目的における、色々な研究を行なうために使用されていました。研究は次のような部門、即ち種々なる伝染病の殺人細菌の毒力増強のため、これら細菌の生きた人間に対する使用方法研究の為でありました」と。

 また実戦の為に普通の爆弾だと火薬で細菌が死んでしまうので陶器製爆弾を工夫していた。これも実験としては失敗していた。

 

 

 第5代衛生学校長

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

サイパンをはじめとするマリアナ諸島の日本軍の基地は敵の手に落ちた。ヨーロッパでは連合軍がノルマンディーに上陸し、ヨーロッパの東部と北部に向かって攻撃を続け、同時にソ連がポーランドに侵入していた。大本営の作戦参謀は、いまやドイツが間もなく敗北し、巨大なアメリカ軍の力がヨーロッパから太平洋へやがて移動してくることを予想しなければならなくなった。フィリピン、台湾、沖縄、小笠原諸島が侵攻されるだろう。さらに重要なこととして、日本本土自体が戦場となるのがほぼ確実になった。つまりサイパンから2050キロ離れた東京が、ついにB29の航続距離内となったのである。

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小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

水蒸気の作用

この水分が雲を作って雨と雪を降らせ、蒸発しながら熱を奪い、その水分の保有する巨大な熱量が、気流を起こして風を作り、全気象を変化させてきたのである。二酸化炭素に赤外線の熱が吸収されても、この熱は膨大な量の水蒸気圏に拡散し、一度温まれば水ほど冷えにくい物質はない。熱伝導率が二酸化炭素とほとんど変わらない水分である。どちらが気象に影響を与えるかは歴然としている。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

1.大気圏内核実験 地上、海上、及び空中で行われる核実験である。実験方法には、棟上、気球、船舶、離島、及び航空機からの投下が用いられる。また数は少ないが、高高度核爆発実験もロケットにより行われる。地上近くの核爆発では、土砂とチリがキノコ雲により巻き上げられ大量の放射性降下物が発生してしまう。また高々度での核爆発では強力な電磁パルスが発生し、周辺の電子機器に深刻な障害を引き起こす。








●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       






           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

06/28のツイートまとめ

buooo71

アメブロを更新しました。 『細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/oGqiPmcnez
06-28 08:52

アメブロを更新しました。 『細菌戦の系譜!!』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/2f3ryk1G6M
06-28 08:42

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!! - 731からフクシマまでhttps://t.co/3QSYwiCwaE
06-28 08:25

細菌戦の系譜!! https://t.co/qk2jloT5Vy
06-28 08:17

細菌戦の系譜!! https://t.co/NVsuy8FkyP
06-28 08:12

日中戦時に中国と日本で起こったことを書きたい!! #細菌戦
06-28 08:07

細菌戦の系譜!! https://t.co/d13ap17pew
06-28 07:59

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


BCGの人体接種試験

「BCGが使用できるようになった頃、BCGの毒力が恐ろしいとみえて、はじめて人体研究をする臨床の大先生は0.0001mg接種からはじめていた。その頃私たちはBCG接種は0.03mg皮下接種を進めていたのだから、その隔たりはとても大きかった。

 その頃、今でもはっきり記憶に残る思い出がある。東北大学の熊谷岱蔵先生のことであるが、先生は、最初はBCGなどたいしたことがないと思っておられたらしい。ツベルクリン反応陰性の看護婦の一群にBCGを接種し、他群には何もやらないで比較された訳である。接種して3ヵ月くらいにお目にかかったときには、皮下接種の場合、接種局所に潰瘍ができて、苦情が多くて困ると嘆いていた。それから1年たって会ったときは、接種群からの結核発病の少ないことに驚かれたらしい。

 



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                  松村高夫(慶応義塾大学教授)

 さらに、裁判所は、こうした事実認定に基づいて、1925年のジュネーブ議定書で禁止されていた細菌兵器を使ったことは議定書違反であることを、はっきりと認めています。このように、ジュネーブ議定書違反であることが公の裁判の場で、はっきり認められたことは、大変画期的なことであり、初めての事です。

 しかし、裁判所は、結論としては、1972年の9月の日中共同声明で解決済みであり、中国人が日本政府に請求することは出来ないとしています。 

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記


12

奉天に行ったらうんとあばれてやろうと 元気はあれど金はなし

午前10時半下番  第一歩は何より嬉し―週番下士は田中軍曹 夜は娯楽会ある

中々にぎやかにして盛会なり浪曲コン屋高尾最後至に、あるいは関の五本松。端唄。落語の都々逸何でもよいだ

中隊へ帰ると何より騒ぐのが楽しいのだ 今日もまた相手きらわず班を駆け回る 呑気なもんだ 内地の友達もやはりこのようにせめて正月中は呑気に暮らしているだろうよ

週番下士もでたらめだ 分遺下番を不寝番につけるなんて 戦友起こし回っているだろう

後が恐ろしいが 又分遣さよ―ならだ 組合の娘がいるんだよ・・・・・ハハハ・・・・

 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

10. 映画等で見る戦争とは違う事、見る事が出来ました。涙が出ることがありまして、私たちは本当に5歳まで浜松に疎開して、6歳で横浜の小湊に戻ってきましたが、家はなく、留守番をしていたしていた方はなくなっていました。本当に皆同じ生活苦を味わった時代でした。又、兄弟も10人いたので父も亡くなり母一人で10人の子どもを育ててくれたのを思い出して涙して、写真展を見せていただきありがとうございました。(70、市内、折込み)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

53.気持ちが重くなりました。

(?・70代・市内・朝日新聞)

★要望

72才、福島双葉郡の生まれです。原発の映画知りませんでした。見てみたいです。

  



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

 私は、明治43年に東京で生まれた。昭和13年4月に千葉医科大学を卒業すると、そのまま母校の研究室に残った。専門は皮膚泌尿器科である。
 昭和16年4月、私は召集令状を受け取り、満州へ赴いた。衛生部見習士官として、ハルピンにあった関東軍第28師団第3野戦病院付を命ぜられたのである。
 翌昭和17年、陸軍軍医少尉に任官すると、ハルピン郊外孫家屯にあった満州第379部隊(第28師団山砲連隊)第3大隊付軍医となった。3000人からの兵士たちの傷病の手当てをするのである。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

堀口正雄供述書(1954年5月3日)

問:石井細菌部隊に何人送ったのか。

答:スパイで4件送ったと記憶する。4人である。

    (1)119-2402、第6


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

これが認められ、378月に中国東北・チチハルに新設された関東軍技術部内に化学兵器班(班長・勝村福次郎砲兵中佐)が設置された。そして同班は398月に関東軍化学部(満州第516部隊)として独立した研究機関となる。同部長を務めた経歴を持つ小柳津政雄元中将はこれにより「化学戦準備のため満州に確固たる試験研究の地歩を築いた」と記している(前掲「化学研究史」)。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

しかし、これらの椅子を見ているうちに、どういうわけか私は毒ガスの為に被害を受けたあの労働者たちを思い出していた。彼らはまさにここで治療を待っていたのではなかったか。ここの椅子に座っていた時、どんなことを考えていたのだろうか。

 行武院長は私達を2階のカルテ室へと案内し、話はここで進められた。カルテ室はおよそ50㎡ほどの大きな部屋で、その大半はスチール製の棚で占められていた。これらの棚は床に敷かれたレールの上を動かすことができるが。普段は1か所にまとめられている。資料が必要な時は、棚を移動して、人が動ける隙間を残す。こうすれば大いに空間を節約でき、置ける棚の数が増える。建物の有効利用である。そして同時に、病院の大量のカルテが蓄積されていることを示すものでもある。

行武院長は座る前に、カルテ棚から1冊の分厚い名簿を取り出し、私達にまわし読みする様に言った。病院が治療した患者の名簿がAB2種類に分かれているのである。Aは当時毒ガス工場で働いていた職員、労働者、徴用工、Bは動員されて島へ来た女学生、婦人会・挺身隊のメンバー、戦後化学毒剤処理のために雇われた労働者、「勤労奉仕」の名の下に島へ来ていた人らを指す。行武院長が語るところによれば、ABとも被害の面では大きな差がないが、政府側から受ける待遇が異なる事だ。前者は正式な被害者と認められ、毎月10万円ほどの補助をもらっているが、後者は被害を受けても、もらう補助金はわずか3万円ほどしかない。




 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

「馬鹿野郎ッ、こんなものに手を出して・・・早く消毒しろッ」顔に薄笑いを浮かべて出てきた宇田は“実験中”と書いた札をさしながら、あざけるように私をなじりました。「馬鹿な、こんなものに手なんか出すものか」私はいらいらした怒鳴りつけたいような気持ちを押えながら、特別班の解剖室に入って行きました。

 解剖台の上は解剖が終わったばかりらしく、“血流し”には真っ赤な鮮血が流れ、下に置かれているガラス瓶の中にポタリ、ポタリと落ちていました。大きな解剖刀は中国人の鮮血を吸って真っ赤な血糊がついています。「オイッ、田村、俺は電話してくるから器材を消毒しておけ、すぐ始めるからな」と宇田は出て行きました。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

第4 私達の情報公開裁判闘争の目的

ところで日本は19519月に締結されたサンフランシスコ対日講和条約に基づいて翌19524月に“主権回復”。その後同年中に「保安隊」が設立され、2年後の1954年に「自衛隊」が発足しました。その自衛隊は、発足当初から旧日本軍の731部隊の元幹部隊員を自衛隊に入れて細菌戦部隊が持っていた技術や知見を秘密裏に軍事情報として積極的に収集しました。 


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

恐るべき人体実験

石井部隊には軍医中将が3人、少将が5人か6人、大佐が10人、中佐、少佐が20数人、尉官、見習士官が約300人いた。

 軍属には、細菌学に関係のある医学博士はほとんど日本中から集められ、将官待遇10数人、佐官待遇30人以上であった。終戦時の部隊総員は2000人以上いたと言われる。

 細菌戦準備の為に生きた人間を使った理由は、戦犯法廷での被告たちの証言によれば、次の通りである。

 

 

  




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

相次いで大敗北を喫し、その衝撃が重なっていたにもかかわらず、天皇と統帥部の決定は、依然として大胆だった。19446月中旬、アメリカの大艦隊がマリアナ諸島の重要な日本軍基地を攻略するためサイパンに接近すると、機動部隊を再建した連合艦隊は、9隻の航空母艦と460機以上の艦載機を投入し、サイパン上陸阻止をもくろんだ。続いて、マリアナ諸島での陸・海・空の戦いが、19446月から8月ににかけて繰り広げられ、日本海軍と海軍航空隊にとって決定的な戦闘となった。アメリカの侵攻部隊に大した損害を与えられることもできず、日本海軍は空母3隻を撃沈され、395機が撃墜された。陸軍は再び適切な縦深防御態勢を準備できず、絶望的な戦闘の後、サイパン、グアム、テニアンは陥落した。これらの島々は、まもなく、長距離爆撃機B29(超空の要塞)の前進基地となった。194477日のサイパン陥落は、とりわけ統帥部にとって大きな痛手だった。3週間におよぶ熾烈な抵抗の後、23811名の守備隊と1万名の非戦闘員のほぼ全員が死んだ。これにより日本は、太平洋全域の制空権、制海権も失ったのである。

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小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

水蒸気の作用

温室効果が最も大きいのは二酸化炭素ではなく、水蒸気である。地球を包む温室効果ガスのうち、水蒸気の量は二酸化炭素より一桁大きく、水蒸気同士がもたらす相乗効果を考えれば、私の見る所では、温室効果の95%は水蒸気によるものである。

 -地球の気象を左右してきたのは、大気中に0.03%の体積しかない二酸化炭素ではない。大気中には水蒸気が重量で13兆トンもあり、空気の量の0.26%を占めているが、湿度が高い所では4%にも達する。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。









●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

06/27のツイートまとめ

buooo71

アメブロを更新しました。 『細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/JYij8TS78R
06-27 10:31

アメブロを更新しました。 『細菌戦の系譜!!』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/uXNcvlsHPp
06-27 10:23

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!! - 731からフクシマまでhttps://t.co/put3ofz7jQ
06-27 10:03

細菌戦の系譜!! https://t.co/7AVFGyFIKD
06-27 09:57

細菌戦の系譜!! https://t.co/Za3Uuibyag
06-27 09:52

細菌戦の系譜!! https://t.co/7JwZdBmqx4 @buooo71より
06-27 09:45

細菌戦の系譜!! https://t.co/m24suMAT96
06-27 09:35

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


BCGの人体接種試験

今村からもらった牛胆汁の入ったグリセリン馬鈴薯培地に培養したBCG (竹尾株)と、牛胆汁の入っていないグリセリン馬鈴薯培地に継代培養したBCG(伝研株)とを比較すると,発育状態は肉限的に全くちがう。竹尾株は表面滑らかな集落のかたまりなのに反して、伝研株は表面が粗雑な集落であった。

 菌を染色すると、竹尾株のほうが伝研株よりやや大きいが、発育速度を比較すると伝研株より遅いなどが判明した。両株をモルモットに接種して毒力を比較すると、内臓の変化に変わりはなかったが、竹尾株では接種局所に潰瘍ができてなかなか治らないのに反して、伝研株では潰瘍も小さく治りやすかった。どうも竹尾株の方が毒力がやや強いように思われた。しかし暫くは竹尾株で人体接種試験を行うことに決められた。

背蔭河では、すべて伝研株が使用されていたのに不思議な感があるが、長与又郎には背蔭河のことが知らされていなかったから当然の結果かもしれない。

8小委員会の最終報告書では、「伝研株でも竹尾株でもどちらでも良い。」とされた。

 



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                  松村高夫(慶応義塾大学教授)

  次に個々の被害について、判決は「上記原告らの各陳述書、及び本人尋問における各供述書自体は十分了解し得る説得的なものである」として、原告らが受けた個別の被害に係る主張を充分理解し得るものだと言っています。

 ただ、「客観的な証拠は提出されておらず、これらの事実の的確な認定の為には尚証拠の追加が必要かどうか検討する必要がある」とある点が非常に気になります。大半の原告については、まだなお、客観的な証拠が必要であるということを言っているのです。裁判所を完全に説得するため、今後さらに事実を調査し、証拠を出していかなければなりません。

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記


12

午前10時 分遣下番 正1210分中隊着 温度最低13度  曇り雪少々降り

下番する あとを濁さず 庭掃きす 帰る嬉しさ正月の朝

下番・・・・第24列車・・・・午前1140分 鞍山着 中隊1931年最初のご飯を食べる。

相変わらず電話を以ていたずらをする。明日は奉天外出である。

今日は鞍山外出と思ったがあまりに寒いから行く元気なし 

年賀状は少しもない 

新年らしい気分は少しもない 

 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

9. 万人坑、印象的。村瀬写真:日本へ帰れば家族があり普通の精神状態に戻るであろうが戦争は、自己の命を守るためなのか、何の目的なのか、分からなくても、ただ戦場に居て殺すことも正常な考えもなくなる。これはいけない。日本もドイツのように負の歴史も資料館を作るべき。(女、40、市外、新聞)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

52. 原爆を落とされた広島の人達や、軍人は、情報がない生活を送り、とても恐いと思いました。

(男性・50代・市内・朝日新聞)

 



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

私を除いて、ハルピンには、石井部隊員は誰もいなくなった。

 8月23日、ソ連極東軍司令官マリノフスキー元帥麾下(きか)の戦車隊が、ハルピン市内に姿を現わした。

 なぜ、私が石井部隊の将校でありながら、脱出もせず、ハルピンでソ連軍を迎えることになったのか、不思議に思われる人もいることと思う。そこには、きわめて人間臭い、ささやかな私なりのドラマがあったのである。そのことを語るために、私の経歴から話を始めなければならない。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

堀口正雄供述書(195453日)

問:「特移扱」の情況について述べよ。

答:この件については、今大変申し訳なく思っている。これは人道上許されないことである。当時、憲兵隊は「特移扱」処分というものをやっていた。この処分は憲兵司令官の指示を仰ぐ必要があった。関東軍司令官の許可を得てからでなければ行なえなかったのである。捕まったスパイ嫌疑者の中には軍法会議にかけられた者もあった。特務機関に逆に使われた者も、地方検察庁に送られた者もいた。それ以外が、「特移扱」である。いわゆる「特移扱」処分とは、罪状がはっきりしており、その行為が矯正不可能と見なされた者について、意見を付して、上部に送り、憲兵司令官の審査によって、許可か不許可が決まった。「特移扱」処分が確定すると、ハルピンの香坊部隊(即ち石井部隊あるいは秘密部隊)に送られた。そこに行くのには、やはり司令官の許可が必要で、それが無いと如何なる者も立ち入ることはできなかった。


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

このように、ソ連との戦争では、毒ガスは勝敗を決する重要な兵器であるとして、その準備を大急ぎで推進しようとしていたことが分かる。陸軍科学研究所第2部は、このような問題意識に基づいて同年9月から科学者を嘱託研究員とした新毒ガスの開発を開始している。これについては後述(47頁以降)する。

 一方、対ソ戦の準備を進める関東軍司令部は、1936423日に大規模な軍備拡張を求める「在満兵備充実に関する意見」(『資料集Ⅱ』25)を陸軍大臣に対して提出し、通常部隊だけではなく、「関東軍技術部(化学戦部隊の新設)」の設置を求め、「化学戦関係部門を強化し所要の教導隊を付設するか又は別に化学戦部隊を満洲に新設す」ることを要望した(なお、この要望の中には、「関東軍防疫部の新設増強」と「関東軍軍獣防疫廠の新設増強」も提言されており、後に細菌戦の研究・実験・使用を行なう関東軍防疫給水部=満州第731部隊と関東軍軍馬防疫廠が設置されることになる)。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

 既に私達の訪問はお伝えしており、私達が毒ガスによる傷害についてある程度理解していることもご存知だったので、特に紹介や挨拶をする必要もなく、そのまま私達を病院の玄関に案内された。病院に入ると、第1印象はやはり清潔なことである。ホールの片側に靴箱が置かれ、来訪者や患者は皆自分の靴から病院のスリッパに履き替えなければならない。こうしたスリッパを履いて病院のぴかぴかに磨かれたタイルの床の上を歩くと、「サッ、サッ」をいうかすかな音がして、ここが本当に塵1つないほど清潔であることを感じさせる。日曜日であった為、病院には患者がおらず、ホールに並べられた椅子には誰も座っていない。



 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

  「フ、フ」-私は飢えた狼そのままに、ころがされた婦人をなめるように眺めまわしました。灰色になった“病衣”から露出されている足の片方はかかとのところから無く、片方は指が全部無く、黒い肉となり骨が出ております。《だるまならちょうどあつらえ向きだ》私はあお向けにされ失神したように一切の気力を失い、何の抵抗する力もなくなっている婦人の前にひざをつくと、婦人のすそを力任せにま上げました。婦人はあらん限りの力を出して体の向きを変えようともがき、羞恥と憎しみに燃えた眼は怒りを増し、火を吐くばかりでありました。

  婦人は凍傷試験で手足をもぎ取られ、今又二木班の第4性病の研究でモルモットにされ、残酷に殺害されようとしているのでした。婦人の下腹部に目をやった私は、下腹部から鼠蹊部(そけいぶ)にかけて赤紫にはれ上がり、ウミが床一面に流れているのを見ました。「チェッ、畜生」獣欲を満足することができないと知ると、婦人の腰を力任せに蹴りとばして出て来ました。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

4 私達の情報公開裁判闘争の目的

 日本の侵略戦争の残虐さを象徴する「731部隊」問題について、戦後1950年代から国会で繰り返し取り上げられてきました。

 しかし現在まで日本政府は「731部隊等の部隊の存在は認める。だが同部隊が細菌戦部隊であったことを裏付ける証拠は見つかっていない」と強弁し続けています。

 このように日本政府は、731部隊が細菌戦部隊であることを裏付ける証拠を隠蔽して731部隊の加害行為の被害者に対する謝罪を拒んできました。 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

石井部隊と細菌戦

これは、国連報告書にも指摘されている細菌戦の基本的な考え方を端的に表現している。

また、次のようにも語ったと言われる。解剖室をみせた後、マルタ(丸太)がつながれている特設監獄に連れて行き、

「これはペスト菌を感染させた痕ですよ」

と石井は説明し、「ペスト患者の特徴は足元がふらつくことですよ」と石井がつけ加えた。

「解剖した死体はあのカマに入れて焼いてしまいます。臭いがしないように煙突は特に高くしてあります。この解剖室で働いていた軍医で何人かは、気違いになったのがあります」とも石井が述べてます。

  




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

天皇は南東アジアに対しても注目していた。194417日、天皇はビルマからインドのアッサム州に攻撃を行うことを裁可した。その目的は、ビルマ奪還を狙う連合軍に先制攻撃を加え、できればイギリス支配に対するインド民族主義者の蜂起を促すことにあった。昭和天皇がこの異常な攻勢を積極的に推進したことを示す文献はないが、戦争の全期間を通じ昭和天皇が推進した作戦に見られた特徴、つまり攻撃的で近視眼的な特徴をそれは持っていた。インパール作戦は、ひとつにはビルマ防衛のため、もうひとつには軍の士気を回復するために裁可された。28日に開始され、4月初旬には泥沼化した。当初から作戦に懐疑的であった東条と杉山は、現地に視察団を派遣し、天皇に悪化する状況について最新の情報を伝えた。結局、74日、天皇は東条の勧めに従い、悲惨なインパール作戦の中止を命じた。その時点までに約72000名が死傷していた。

                    "

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

及第した彼らには、各国の政府が膨大な研究予算を付けたので、学者という学者が皆、「目標値」に向かって計算を行うようになり、新聞とテレビがそれを報道し続けた。この事実を聞けば、科学を真剣に考えてきた人たちは呆然とするだろうが、これがIPCCの実態であった。

 私は「100年後の地球が分かるなら、1年後の天気ぐらい、正確に予測できるだろう。予測してみなさい」と言ってきたが、彼らが計算した結果、2000年から気温が上昇していないものは1つもなかった。つまり、10年前の予測は全滅してしまった。全員落第したのだ。その原因を明らかにしておく必要がある。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。







●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       




           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

06/26のツイートまとめ

buooo71

アメブロを更新しました。 『細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/nlasRnWELl
06-26 12:22

アメブロを更新しました。 『細菌戦の系譜!!』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/82gNm2mq1E
06-26 12:10

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!! - 731からフクシマまでhttps://t.co/7dbCeEikP1
06-26 11:52

細菌戦の系譜!! https://t.co/yZYFnl0C6h
06-26 11:39

細菌戦の系譜!! https://t.co/IAPHZervoT
06-26 11:34

日中戦時に中国と日本で起こったことを書きたい!! #細菌戦
06-26 11:27

細菌戦の系譜!! https://t.co/papgbmcC8m
06-26 11:20

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


BCGの人体接種試験


 長与又郎は伝染病研究所所長在任中は、結核対策について傍観していた。ところが第8小委員会では積極的に参画するようになった。この頃の長与又郎日記の中に何度も学術振興会や結核研究所の問題が書かれている。

 柳澤謙は『わが一生の思い出』で、第8小委員会のことを以下のように追憶している。

「BCGの人体使用を我が国で最初に試みたのは、阪大の今村荒男で1929年のことである。1935年には、九大の戸田忠雄と伝研で人体接種試験が開始されている。阪大および九大では竹尾株が使用され、伝研では伝研株が使われた。学術振興会第8小委員会が協同研究を行なう場合、どちらの株菌、すなわち竹尾株を選ぶか、伝研株をとるかで可成りの討議が行なわれたが、長与委員長は両株の毒性や免疫試験を至急するように指示された。ある日の委員会終ったあとで、長与又郎が今村荒男と私を呼んで、今週中にでも私が、1ケ所で伝研株と竹尾株の毒性や免疫効果を至急比較するように言われた。菌株の検査は伝研でやることになったので私の責任は重大なものであった。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                  松村高夫(慶応義塾大学教授)

 寧波の被害者は109人、常徳の場合は、1941114日、731部隊が、ペスト感染ノミ、綿などを投下したことが認定されました。それから、更に常徳周辺の農村にペストが伝播し、被害調査委員会によると、死亡者は7643人に上ると認定されています。

 そして、これらの細菌兵器の実戦使用は、日本軍の戦闘行為の一貫として行われたものであるということが認定されたことと、また陸軍中央司令部の指令によって行われたものであることが認定されたことは、非常に重要なことであります。ペストの感染が人々の間に疑心暗鬼を起こさせ、社会の崩壊を招くという、非常に深刻な結果をもたらすものであることも認定しています。

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記


11

前方の工兵大隊表門には早くも日章旗。降る意志もないような降り方で楽しい

地上に降ったり止んだり積もらない 積もったり止んだり降ったり ああ忙しい―雪の空見ていては中々書ききれない。

昭和6年と云ふよりも私の満期年と言った方が心持ちよい 2ヶ年の軍隊生活が無意義であってはならないのだ。

昔の様に暗の中で理想を追ふ様な少年的な生活をしてはならない。堅実な理性はよく私を幸福にみびいてくれる.

私には友が待っている 親が待っている 私は未だお坊ちゃんだ

私が此の生を受けて以来の初めて歴史を飾る記念の年だ 1931年  ー 満期・・・⋮満期

こんなに書いてもいまだに1ヶ年あるんだな 困ったな  ー あ・・・・帰りたい・・・・・・・・・親がある・・・・。

 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

8. 村瀬さんの写真、万人坑が印象的。万人坑も毒ガスも数年前に知った。加害の歴史を日本人はちゃんと知るべきと強く思う。(女、60、八王子、チラシ)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

51.・私は原爆投下の1か月前、呉で生まれました。物心がつく前に(3~5才頃)身体の肉が溶けてぶら下がったまま歩いている大人を何人も観た記憶が忘れられません。

・「ひろしま」はとても悲惨な映像と伺っていたので、若干躊躇しました。実は昨年11月に、新しくなった原爆資料館で気分が悪くなってしまったからです。

・その点では見易い綺麗な画像でホッとしました。この映画なら、若い人達にも観てもらえるでしょう。

・戦争の恐ろしさを多くの若者に伝えることは、この時代に生きた者の使命だと思います。

・「記憶の継承を進める神奈川の会」の皆様にこれからも是非頑張って頂きたいと思います。

・私も微力ですが「ひろしま」を周囲の若い方達に伝えたいと思っています。

・この度はありがとうございました。

(男性・70代・市外・朝日新聞)

 



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

812日だったと思う、遠く平房の方向から、鈍い爆発音と黒煙が上がるのが、ハルピン市内から認められた。石井部隊本部の最期であった。

 私は、そんな中で、白樺寮の庭で、残された厖大な部隊関係の極秘書類の焼却を行なっていた。8月21日、最後まで留まって撤退処理にあたっていた、中村准尉以下の30数名が、トラックで、朝鮮を目指して、ハルピンを脱出した。ソ連軍先鋒部隊を目前にしての、あわただしい脱出であった。中村准尉は、奥さんとも会えず、私に彼女宛の行李を託して行った。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

森三吾供述書(1954年)

問:先に述べた石井部隊送りの基準についてだが、それでは、人為的にこうした基準に合うようにする方法はなかったか。

答:「特移扱」の条件づくりのための唯一の手段は、残酷な拷問だった。人を捕まえて来てから、水責め、殴打、電気ショック、手の指に鉛筆を挟むなどの拷問を加え、スパイだと無理やり自供させたのである。

原注:この文書には日付が記載されていない。

*訳注:特移扱ー中国語原文は「特殊輸送」。関東憲兵隊作戦命令(122頁参照)にも「特殊輸送」とあるが、1949年のハバロフスク裁判における731部隊関係の証人たちが「特移扱」という語を用い、ある日本軍憲兵の回想も「特移扱」を用いているように、この憲兵に依る731部隊への移送は当時「特移扱」と呼ばれていた。したがって、本訳書では前記の関東憲兵隊作戦命令以外の資料については、「特移扱」の語を用いる(『細菌戦用兵器の準備及び使用の廉で起訴された元日本軍軍人の事件に関する公判書類』外国語図書出版所[モスクワ]1950年、、及び136頁訳注所掲の吉房虎雄「特移扱ー細菌実験の為の拉致、逮捕ー」)。

**訳注:大東公司ー19343月、華北から満洲国に流入する労働者を制限するため、天津に設けられた特殊会社。労働者の身分証明・募集・輸送などを業務とした。のち満洲労工協会(154頁訳注参照)に吸収され、同協会天津支部となった(「労務統制の一元化」『支研経済旬報』19411111日号、満洲国史編纂刊行会『満洲国史』各論、満蒙同胞援護会、1971年、115556頁)


  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

非常に詳細なこの報告書の最終的な結論は次の通りだった。

対〇化学戦の主眼は徹底的大規模なる化学的奇襲及び強襲により戦捷(せんしょう)の動機を構成するにあり。・・・戦争の成果は平時の研究準備に俟つこと最も大なり。国軍は速やかに上述諸件の応ずる施設を徹底的に強化し国家各方面の努力を集中し溌溂たる気力を以て化学戦の研究並びに準備の完成に向かい邁進すること極めて緊要なりと信ず。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

 既に私達の訪問はお伝えしており、私達が毒ガスによる傷害についてある程度理解していることもご存知だったので、特に紹介や挨拶をする必要もなく、そのまま私達を病院の玄関に案内された。病院に入ると、第1印象はやはり清潔なことである。ホールの片側に靴箱が置かれ、来訪者や患者は皆自分の靴から病院のスリッパに履き替えなければならない。こうしたスリッパを履いて病院のぴかぴかに磨かれたタイルの床の上を歩くと、「サッ、サッ」をいうかすかな音がして、ここが本当に塵1つないほど清潔であることを感じさせる。日曜日であった為、病院には患者がおらず、ホールに並べられた椅子には誰も座っていない。



 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

   私を見た婦人は、顔にあざける様な笑いを浮かべながら「你、甚麼事(ニイ、ションマス・・・お前は何の用だ)」と、言い終わるとガックリと頭を壁にもたれ、眼をつぶりました。人が来たら具合が悪い、早いことやってやれ、私は婦人に近づきしゃがみこむと肩に抱きつこうとしました。婦人は眼をつむったまま布団から手を出し、私を払いのけようとしました。

    その手には指が無く、先の方に黒い骨がついていました。吉村班の凍傷試験の結果を見た私は、これは引っかかれる心配はないわいと、今度は力任せに婦人を横倒しにしました。婦人は体を支える力も無く、どかりとその場にあお向けに投げ出され、指の無い手が虚空をつかみ、痛さにもだえるように顔をしかめ、どんよりした眼はかっと見開かれ、憎しみに燃えた眼を投げかけました。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 
 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

裁判になっても不誠実な態度をまだまだ続けようと言うのです。許せません!!

 私達は、これに対し“『化学学校記事』第16号の編集・執筆者は、化学学校の校長、副校長、研究部員なので、『化学学校記事』第16号の編集・執筆の関係者と化学学校の20年史、40年史である『20年のあゆみ』『40年のあゆみ』に掲載されている1973年から1995年3月の間の化学学校の校長、副校長、研究部の役職員の名前を挙げて聞き取り調査を行なうべきだ”と求めています(末尾年譜参照)

 ところが、つい最近被告は「本件訴訟の争点と関連性がない」等と開き直って私達の要請に誠実に応じようとしません。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

石井部隊と細菌戦

昭和17年当時、石井四郎軍医中将は第731部隊を訪ねた関東軍憲兵司令官原大佐と吉房中佐に細菌戦の意義について、次のように述べている。

「細菌攻撃の第1の特徴は、効力が偉大である事である。鉄による砲、爆撃はその周囲一定の範囲のものを殺傷するだけだって、傷ついた者もすぐに回復して、再び戦闘に参加することができる。ところが細菌戦は人から人へ村から村へと効力圏を拡大するばかりではなく、その実毒は人体深く食い込んで死亡率は砲、爆撃に比べて非常に高い。また一旦傷つけば回復は極めて困難で再び戦闘に加わることは期待しがたい。」

「第2の特徴は、鉄の少ない日本にとっては、最も適当な戦争方法であり、経費も安いことにある。」

  




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

民族自決の原則は、連合国にとって戦時外交の重要な問題だったが、昭和天皇自身はこれを認めていなかった。まして、植民地の台湾、朝鮮との関係を見直すことを求めはしなかった。東郷外相やその後継外相の重光葵と同じく、昭和天皇は「分」相応の観点から考えていた。それは条約により保障された日本の特権を伴い、日本が主導する序列化された 「共栄圏」の範囲内で、個々の人種の集まりにふさわしい位置を与えることを意味していた。だが、天皇は戦況悪化につれて、急迫した情勢に意志を曲げ、ふたたび政治的主導権を発揮した。昭和天皇は、「1号作戦」の攻勢によりつくられた機会を、いかに利用すべきかを東条と議論していた。彼らは延安に対する政策の変更を決定し、実際、重慶政府と対立させることを目的として、延安の毛沢東率いる共産主義政権に対し、暗黙の承認を与えた。これは同時に、ソ連に対する宥和政策でもあった。

                    "

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 人間の知り得る科学では複雑すぎて計算できないことを、強引にコンピューターで計算してみせたが、矛盾だらけだったということに尽きる。なぜ将来のシミュレーションを間違えたかという理由がふるっている。IPCCでは、「CO₂増加と温度上昇」の計算結果に関して「目標値」が定められていて、駆り出された自称学者たちに、その目標値に向かって計算を指示したため、彼らが思い思いに計算の指標となる係数(パラメーター)を選んでからスーパーコンピューターに数字を放り込み、出て来た数値が目標値と大きく異なると、パラメーターを手直しした後に計算し直し、最後に全員に花丸がついて及第したのだという。

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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1945年7月16日に行われた人類初の核実験。詳細はトリニティ実験を参照。







●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       



           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

06/25のツイートまとめ

buooo71

アメブロを更新しました。 『細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/DdGrGszGWE
06-25 11:30

アメブロを更新しました。 『細菌戦の系譜!!』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/Y3KT7CDVyk
06-25 11:25

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!! - 731からフクシマまでhttps://t.co/vtUTBaBt4w
06-25 10:18

細菌戦の系譜!! https://t.co/szqEOU1lsI
06-25 10:00

細菌戦の系譜!! https://t.co/zEgUuBN3K7
06-25 09:39

細菌戦の系譜!!


中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        
 


検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


日本学術振興会第8小(結核予防)委員会


日本学術振興会第8小(結核予防)委員会

委員は陸海軍、厚生省ならびに大学および研究所より選ばれた専門家35名以内とし、差し当たり24名が委託された。この名簿を卒業年度順に並べ替えると次のようになる。

慶大教授                                                    西野忠次郎 (東大、1904年卒)

北里研究所副部長                                      渡辺義正 (済世舎、1904年卒)

東大総長                                                    長与又郎 (東大、1905年卒)

海軍省医務局長海軍軍医中将                 高杉新一郎 (東大、1907年卒)

東北大教授              熊谷岱蔵 (東大、1907年卒)

東大教授               緒方知三郎 (東大、1907年卒)

北大教授               有馬英二 (東大、1908年卒)

厚生省予防局長              高野六郎 (東大、1909年卒)

東大教授                 坂口泰蔵 (東大、1910年卒)

陸軍軍医学校長・陸軍軍医中将              寺師義信  (京大、1910年卒)

京大医学部長              戸田正三 (京大、1910年卒)

東大教授                栗山重信 (東大、1911年卒)

阪大教授                今村荒男 (東大、1912年卒)

慶大教授                小林六造 (京大、1913年卒)

伝研所員                佐藤秀三 (東大、1915年卒)

東大講師                岡治道 (東大、1917年卒)

海軍医学校教官・海軍軍医中佐             沓掛諒 (新潟医専、1917年卒)

厚生省体育官              原田豊 (東大、1918年卒)

厚生省予防局予防課長               勝俣稔 (東大、1919年卒)

北大教授                井上善十郎 (東大、1920年卒)

厚生省体育官              野津謙 (東大、1923年卒)

九大教授                戸田忠雄 (東大、1924年卒)

満鉄衛生課長              千種峰蔵 (慶大、1924年卒)

伝研所員                柳澤謙 (東大、1931年卒)

 

委員会の幹事の中心には、柳澤謙がなった。彼はこのとき31歳という若さであった。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                     松村高夫(慶応義塾大学教授)

では、どのような点を裁判所は認めたのでしょうか。判決は以下の事を認定しました。731部隊の前身は、1936年関東軍防疫部であり、1940年に関東軍防疫給水部になり、そこで細菌兵器の開発・研究を行なって、そして開発した細菌兵器を1940年から1942年にかけて、731部隊や1644部隊が、衢州、寧波、常徳、江山に投下したことを認定したのです。 

衢州については、1940年10月4日、日本軍が上空に飛来し、ペストを投下した等、かなり具体的なところまで認定しています。そして衢州で発生したペストが、義烏、東陽に伝播したことも詳しく認定されています。それから崇山村、塔下洲に第2次、第3次感染をしたと、認定されているわけです。

 義烏の市街地における、ペストによる被害者は309人、崇山村では義烏から伝染して1942年の1月までに、死亡者は396人に上り、その数は崇山村の人口の3分の1に当たると認定しています。

 


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記

11

昭和6年度 私の最初の一声はまず遼陽の駅に立てこもる交換嬢と交わされる。

「あらすみませんわね そしてどんな具合なんでしょう?」

「ベルがね少しも鳴らならなくて起信応信少しも駄目なんですよ」

「困りましたわね」

「実際困ったな・・・」

「今夜でなくてはいけませんか」

「今日は免じて明朝ではだめでしょうかね。そうしてくださいまし」

「ウーム」

「ね いいでしょうーそうして下さいね」

と云ふような具合で守備隊専用電話故障の一幕対話劇は終わり

清めの雪とも言うのかもしれないが一面白くなった駅の方から高足ヲドリらしい囃子が聞こえて来る。

 



 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

7. 村瀬写真が印象的。非常に貴重な写真。よく軍の検閲を逃れて残っていたと思うと驚きだ。ぜひ写真集を出版してほしい。・要望、侵略シリーズ上映を望む。(男、60、市外、チラシ)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

50.企画してくださりありがとうございました。

★要望

この作品をたくさんの人に観てほしい。

(女性・40代・二宮町・組合のチラシ)

 



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

 ハルピンには、南棟(なんとう)の陸軍病院に隣接した地点に石井部隊のいわゆる第3部(石井式濾水機製造所及び関東軍保菌者隔離病棟)、吉林街にある事務連絡所及び宿舎の白樺寮、それに市内各所の隊員宿舎、といった石井部隊関係の施設、機関があった。

 ソ連進攻後の関東軍の混乱は、日を追って激しさを増していった。石井部隊も例外ではなかった。811日頃までには、ハルピン市内にいた隊員家族及び隊員の大半は、市郊外約20キロの平房にある部隊本部へ集結し終わっていた。そこから専用引込線に用意された特別列車で朝鮮へ南下、日本へ引き揚げて行った。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

森三吾供述書(1954年)

問:先に述べた石井部隊送りの基準についてだが、それでは、人為的にこうした基準に合うようにする方法はなかったか。

答:「特移扱」の条件づくりのための唯一の手段は、残酷な拷問だった。人を捕まえて来てから、水責め、殴打、電気ショック、手の指に鉛筆を挟むなどの拷問を加え、スパイだと無理やり自供させたのである。

  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

日本陸軍はソ連を仮想敵国とし、ソ連軍との戦闘を想定した作戦研究・訓練・兵器開発を行なったが、毒ガスについても、次第に対ソ戦を想定した研究・演習に重点が置かれれるようになった。

 陸軍科学研究所第2部は、1936(昭和11)年1月に「技術的見地よりする対〇化学戦の研究」というレポートを作成し、陸軍省に提出した(粟屋憲太郎/吉見義明編・解説『毒ガス戦関係資料』資料5。以下、『資料』と略し、資料番号を付す)。「〇」とは「ソ」、つまりソ連軍の事である。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

「忠海病院は町の海に面した側にあり、船着き場と隣り合っている。あまり高くない、こざっぱりとした建物で、外壁は空色に塗られ、周囲の環境とよく調和している。まるでここが病院ではなく、優雅な博物館か美術館であるかのような愉しい気分にさせてくれる。

 私達の乗った車が着くと、すぐに中から行武正刀院長が迎えに出てきて下さった。行武院長は中肉中背で、やや白くなった髪と金属縁の眼鏡が、学者らしい知性あふれる人柄を映し出している。



 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

    宇田の強姦するのを見ていた私は、まるで狂った犬のようになり、錠穴から鍵を抜き取ると隣の監房に差し込みましたが、回そうとしても回りません。じりじりした私は、のぞき穴から中をのぞくと、245歳と思われる中国婦人が2歳くらい思われる子どもを胸にしっかと抱き、こちらを見つめておりました。子どもがおろうがおるまいが、どうでもよい私は、錠を開けようとしましたが、合わない鍵では開くはずはありませんでした。クソ、クソ、私は力一杯鍵を抜き取ると、次の監房の錠穴に突っ込みました。ガチャリと音がしたと思ったら、難なく開きました。中に30歳くらいと思われるやせ衰え、立つ気力もなくなっている婦人が壁にもたれていました。目はどんよりと力が無く、顔ははれているようでもありました。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 
 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

私達は、被告国の主張を覆す証拠として、上記の藤井治夫氏が収集した資料の保管者から提供を受けて『化学学校記事』16号(1970年発行)の写しを法廷に証拠として提出しました。

 しかし被告は、『化学学校記事』16号が1970年1月に発行された事実を指摘されながら、不合理にも認否を拒否し続けました。

 私達が被告の不誠実な訴訟態度を強く批判した結果、ようやく被告は2020年2月の準備書面で、『化学学校記事』第16号に関与した人物1名に接触し、『化学学校記事』16号の発行の事実を初めて認めました。しかし、その一方で「高齢であって体調面にも大きな不安があることから陳述書作成に協力を得られなかった」と弁明し『化学学校記事』がいつまで発行されていたのかを調査しようとしません。


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

石井部隊と細菌戦

 実験の犠牲者は満州人、中国人、白系ロシア人が主であったが、特設班員がハルピンで憲兵隊や特務機関員から引き取り、窓のない黒い輸送車で特設監獄に運び込まれた。

 実験で殺された死体は、灰になるまで焼却炉で完全に処理され、残虐行為が地上に残らぬように配慮されていた。被実験者は背中に番号を付けられ、マルタ(丸太)と呼ばれていた。マルタの取り扱いは、高度の機密を要したので、部隊長は郷里から志操堅固な壮丁を選び、兵役を免除し軍属として勤務させている。




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

結局、1943年1月9日、東条政権と江兆銘の南京政府は共同声明を発表し、日本は中国における租借地を返還し、治外法権の撤廃をするつもりであると世界に表明した。この新政策の下、陸軍は、米英に宣戦布告したばかりの日本の傀儡体制「南京政府」を対等な主権国家として扱い、占領地域における中国の行政機関の軍による監督をやめるように命令した。南京政府の自治の承認と部分的な主権の回復を促進するため、昭和天皇は一番下の弟、三笠宮を支那派遣軍司令部の一員として南京に派遣した。三笠宮の使命は、新しい中国政策について司令部の参謀らと討議し、その理解を促進することにあった。その後も引き続き中国国内でこのような方針を追求し、別の和平工作を進める一方で東条内閣は、アメリカのB29爆撃機が作戦の足場としていた中国内の航空基地を叩ことを目的とした「1号作戦」に取りかかる準備をしていた。「1号作戦」は、19444月から10月にかけて展開され、成果を挙げた。

                    "

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 なぜ「人為的なCO₂が主因と見るのが自然」なのか。結論を、いきなり「都合の良い話」にジャンプさせてはいけない。その人間たちが『不都合な真実』と叫ぶのは、冗談が過ぎる。

 地球の気温を計算するために使われる物理化学(熱力学)の数式は、いずれも実験室的な密閉空間を想定して、一定の条件下で成り立つものに過ぎない。複雑極まりない大気圏の計算を行うまでの水準に、人類は永遠に到達できない。それを認識することこそ、科学する者の態度である。 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約

採択

2017年7月7日核兵器禁止条約採択時の各国の態度)

     賛成

     反対

     棄権

     不参加

2017年7月7日に122か国・地域の賛成多数により採択されたが、全核保有国は不参加、アメリカの核の傘の下にあるカナダやドイツなどNATO加盟国や日本、オーストラリア、韓国なども不参加となった。反対票を投じた国はオランダの1ヶ国、棄権した国はシンガポールの1ヶ国であった。また、当初は条約に賛成だった北朝鮮も核兵器の開発に成功後、不参加に転じた。










●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
       





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

06/24のツイートまとめ

buooo71

アメブロを更新しました。 『細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?』 #731部隊 #細菌戦被害に苦しむ人々https://t.co/Q5KClalK4H
06-24 12:23

アメブロを更新しました。 『細菌戦の系譜!!』 #731部隊 #細菌戦https://t.co/WcUuU9gvPU
06-24 11:37

はてなブログに投稿しました #はてなブログ細菌戦の系譜!! - 731からフクシマまでhttps://t.co/xDoPAKqFwx
06-24 10:55

細菌戦の系譜!! https://t.co/NTzogxnYsB
06-24 10:19

細菌戦の系譜!! https://t.co/xS3ux2I6be
06-24 10:11

日中戦時に中国と日本で起こったことを書きたい!! #細菌戦
06-24 10:05

細菌戦の系譜!! https://t.co/JUwbgiB6GR
06-24 09:45

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争
第5回「戦争の加害」パネル展in横浜
細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。

今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置

【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る



米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察


731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

731部隊被害者遺族の訴え!!        



検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)

第3章 国家機密の抹殺


日本学術振興会第8小(結核予防)委員会


日本学術振興会第八小(結核予防)委員会の委員長には、当時東京帝国大学総長であった長与又郎(東大、1905年卒)指名され、193841日より正式に始まった。

当面の課題は次に記載する事項であった。

1、旧ツベルクリンの標準決定

2、本邦における結核感染および発病羅患蔓延の実状ならびに其の原因調査

3、結核発病予防を目的とするBCG効果の実験

4、予防方法の検討と決定

5、其他委員会の決議により必要と認めたる事項

6、期間 5ケ年



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

   
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                     松村高夫(慶応義塾大学教授)

政府は、証人尋問で一切発言をしませんでしたが、法律論については書面で主張してきました。それは、原告には損害賠償を主張する法的な権限はない、という一点張りの主張でした。裁判所はそれを全面的に採用し、ハーグ陸戦条約第3条を、戦争被害を受けた個人が加害国に対して損害賠償を請求する権利を認めたものではないと解釈しました。

 一方、事実認定については、判決文によると立法不作為のところで認定されています。


●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記


731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
 会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました

1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 
「1931」斉藤準太郎の日記

11

其の位 ・・・故郷。内地明治神宮。鐘。之等のフイルムが回してくれるに充分な11日か12日の食いかけのお供えごと如きの月が 月が浮かぶ白塔沈む露西亜基地。立てる私を眺めている 雨傘つけた昭和5年最後の月・・・さらば昭和5年 私は無事に越年したのだ 思いで語る遼陽の空で

 



 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)

2月9日(日)

7. 村瀬写真が印象的。非常に貴重な写真。よく軍の検閲を逃れて残っていたと思うと驚きだ。ぜひ写真集を出版してほしい。・要望、侵略シリーズ上映を望む。(男、60、市外、チラシ)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

49.映画の狙いが今一つ不明な感じがしました。原爆被害の甚大さ?日米双方の主張?反戦?それぞれ少しずつ感じるが総花的な印象です。もう少し焦点を絞っていたら・・・と思います。

★要望

原爆も社会不正義の1つです。それを許さない運動は不可欠です。頑張って下さい。

(男性・60代・市内・朝日新聞)



日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

●細菌戦
【真相】(unit731)

・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』
郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)

V 私は中国軍の捕虜だった

<ー総務部調査課翻訳(情報)班 H・M

命令、満洲第731部隊に転属を命ず

 昭和2088日、ソ連政府は、対日宣戦布告を発し、同9日午前零時を期して、満州にいっせいに進攻を開始した。

 8月9日、ハルピン市街は、ソ連軍の空襲を受け、ハルピン駅貨物ホームにも爆弾が落ちた。日本の敗北は必至、というよりも、もはや既定の事実であった。

 当時、関東軍第731部隊(石井部隊)総務部調査課情報班(翻訳班の改組。この間の事情については、後に述べる)の班長であった私は、関東軍司令部第4課に、官姓名秘匿のまま嘱託として出向し、ハルピンで勤務していた。階級は、陸軍軍医中尉である。



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』

中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

森三吾供述書(1954年)

問:「特移扱」の条件について、何か補足することがあるか。

答:以上述べたことのほかに、補足したことがひとつある。それは、逮捕して拷問にかけた後、証拠不十分である場合は、軍法会議に送り、釈放されることもあったということである。こうした情況下で、石井部隊に送って処理する様隊長に進言したのだが、似たような例は以前にもあった。いわゆる政治犯のほか、死刑に処せられそうな一般事件の犯人も、「特移扱」することができた。華北、華中方面の捕虜で、「大東公司」を通じて石井部隊に送られた者もいた。

  

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験

対ソ戦を想定した毒ガス戦研究と準備の進展

日本陸軍はソ連を仮想敵国とし、ソ連軍との戦闘を想定した作戦研究・訓練・兵器開発を行なったが、毒ガスについても、次第に対ソ戦を想定した研究・演習に重点が置かれれるようになった。

 陸軍科学研究所第2部は、1936(昭和11)年1月に「技術的見地よりする対〇化学戦の研究」というレポートを作成し、陸軍省に提出した(粟屋憲太郎/吉見義明編・解説『毒ガス戦関係資料』資料5。以下、『資料』と略し、資料番号を付す)。「〇」とは「ソ」、つまりソ連軍の事である。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷
付記・忠海病院及び行武正刀院長訪問記

忠海は、広島県竹原市のそばにある小さな町で、大久野島と海を隔てて向かい合っている。実際のところ、大久野島の後方「基地」でもある。基地というのは、大久野島の現在の全ての生活用品がほとんどみな忠海から来る、という理由からではなく、又今、大久野島で働いている人もほとんどが忠海から来る、という理由からだけでもない。さらにもう1つ、より深い意味があるのだ。ここのある忠海病院は今、大久野島の毒ガス工場で働いていた被害者全ての治療センターである。まさにこれゆえに、小さな町にある病院が広く名を知られるようになったのだ。



 
              毒ガス工場の焼却


現在、大久野島国民休暇村


日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において

本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳

監房の錠を開けるには特別班の班長か日直の許可が要るのに、何だろうと思いながら中をのぞくと、コンクリートに薄い布団を敷いた上に26、7歳と思われる面やつれのした断髪の婦人が、耳をすませて外部の音を聞き取ろうとするように座っておりました。人の子と生まれながら、母親を慕う子どもの心情を理解しておりながら、子どものことを心配し、民族の前途を憂えて侵略者に反抗してきた偉大な母親を、何の理由も無く死刑の判決を下し、もっとも残酷な細菌戦の実験の手段をもって殺害しようとするだけではなく、侵略者はこの母親を辱めようとして襲いかかっていきました。

「幹甚麼(カンションマ・・・何をするんだ)」婦人の顔はより青く、眉はつり上がり、唇は憎しみにわなわな震えておりました。6尺に3尺の犬小屋に入れられ、栄養失調と拷問で体の自由を失っている婦人に抵抗する力があるはずがなく、一片の人間の最低道徳さえ持ち合わせない侵略者に組み伏せられ、獣欲の犠牲となりました。

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!

日本の毒ガス

沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??

「琉球処分」から140 今の沖縄を考える

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

 
 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。

即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。68年度と69年度を比較してみよう。定期刊行物で目録に収録されなくなったのは、陸上自衛隊の『幹部学校記事』、『航空自衛隊幹部学校記事』をはじめ、陸自の『富士学校記事』『化学学校記事』、『会計記事』、『施設学校記事』、『衛生学校記事』、『武器』、『高射』、『通信電子』、『輸送』などで、いずれも月刊ないし季刊の公刊雑誌である。その多くはアメリカは勿論、韓国、台湾や、西ヨーロッパ諸国の軍隊にまで送付されているのである。目録から消えたばかりか、現物も図書館に置かれていない。教範類も完全になくなり、『防衛庁法規類集』さえ置かれなくなった。近頃では、陸海空自衛隊の『公報』さえも消えてしまった。書棚はガラガラで、戦記読物や大衆小説が並んでいるにすぎない。」(『日本の国家機密』(現代評論社、197210月、76頁)と指摘していました。



・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。

・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。

1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊


第4代衛生学校長

『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          


金原節三と細菌戦

金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。

細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。

金原節三と武見太郎

金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。

※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!

『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人

収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。



●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み

1、 生物・化学兵器の開発の歩み

石井部隊と細菌戦

ところで、昭和16年以降、関東軍防疫給水本部を満第731部隊、栄部隊を中支派遣第1644部隊、関東軍軍馬防疫廠を満第100部隊と呼称し、終戦に至った。

 子の3部隊の内、最も大規模なのは、石井四郎軍医中将の率いる第731部隊であった。この部隊の業務は第1部、第2部、第3部、第4部、資材部、診療部に分掌されていた。第1部は基礎研究、第2部の実験、研究が主業務で、安達実験場では常時生体実験が行われていた。

 また、この部隊には特設監獄があり、満州や日本で死刑の判決を受けた犯罪者や抗日分子、スパイなどが収容されていた。年間500人ほどが細菌戦研究の為に生体実験の犠牲となった。




第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
小泉親彦と宮川米次の絆
ヒロシマからフクシマへ
宮川正
「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
ビキニ「死の灰」世界各地へ
自衛隊とサリン
相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
日本の国家機密
兒嶋俊郎さんを偲ぶ


●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。





●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 
2001年ピュリッツァー賞受賞

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          


第12章大元帥の試練

 

戦時外交というのは、当時は、主に南京政府〔日本の愧儡(かいらい)政権〕との関係と、南京政府と重慶の国民政府との提携工作を意味していた。そして、ビルマ戦線での作戦と同様に、天皇はこの戦時外交に注目していた。天皇と東条はすでに、1942年末に始まり1943年初頭まで続いた新たな対中国政策を個人的に後押ししていた。それは中国に於ける軍事力を軽減させ、それにより太平洋に於ける戦力消耗への補給をはかろうとするものであった。この政策の変更は、1年にわたり連絡会議で話し合われてきたが、中国に於ける日本の「権益」を南京政府に引き渡すことに、統治エリートの間で広く抵抗があったため、その実施は遅れた。

                    "

小泉親彦と昭和天皇
近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
近代天皇制の真髄は
福沢諭吉
神武と戦争

憲法9条を生かそう!!




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する

異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 ここまで古い資料をお読みになってお分りの通り、私の知識の大半は、20年以上前からほとんど変わっていない。大学の先生の小難しい理論を学ぶ必要など、どこにもない。いまや報道界は不勉強と付和雷同の塊で、誤報だらけである。

 他にもこれまで述べてきたように、地球の気温を変化させる要因として、ミランコビッチ・サイクル、太陽活動、黒点の増減、宇宙線、地磁気、エルニーニョ、ラニーニャ、偏西風、太平洋振動、大ボールモード現象、水蒸気、火山の噴火、エアロゾル、太陽光線を反射するアルベド効果など数々ある。 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子
核兵器禁止条約

構成

2017年7月7日に採択された核兵器禁止条約の全文日本語訳は、共同通信社の配信によるものが毎日新聞などに掲載されたが、現在は読めないので、朝日新聞の全文翻訳が読める。外務省の翻訳はない。原文は、英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。

1条 禁止

第2条 申告

第3条 保障措置

第4条 核兵器の全廃に向けて

第5条 国家の履行

第6条 被害者支援と環境改善

第7条 国際協力と支援

第8条 締約国会議

第9条 費用

第10条 改正

第11条 紛争解決

第12条 普遍性

第13条 署名

第14条 批准、受諾、承認、加盟

第15条 発効

第16条 留保

第17条 期間と脱退

第18条 別の合意との関係

第19条 寄託者

20条 真正の文面









●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について




日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)

今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?

中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!

ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??

国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)

●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!

なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書



水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           
















           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
「731部隊・100部隊・毒ガス戦」パネル展 2019年4月29日~5月3日
「日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか 」 田中利幸さん
日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病

731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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buooo71

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細菌戦の系譜!!



中国侵略戦争

第5回「戦争の加害」パネル展in横浜

細菌(生物)戦争

『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係

1940年と2020年の東京オリンピック

731部隊と国立感染症研究所の問題

731部隊・細菌戦資料センター総会のご案内

731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書

情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」

ABC企画委員会

731部隊・100部隊展

記憶の継承を進める神奈川の会










●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?

過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)



1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う

*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!

1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う

10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う

10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う

1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行

1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 

8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う

1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



今日は「沖縄慰霊の日」 沖縄戦全記録








【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る







米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。

新型コロナウィルスを撒いたのは??








          1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察




731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
731部隊被害者遺族の訴え!!        




検証・中国に於ける生体実験

東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)


第2章 背陰河の実験はいつ始まり、いつ終了したのか


 背蔭河はいつ終了したのか

 1937年の春までに、BCGの結核予防に対する実験のめどはついていたと考えられる。

 先にも書いたが、矢追秀武は著書『私の70年史』に「柳澤謙を知ったのは、1937430日であった。」と書いており、柳澤謙が1931年春から1937年春までの6年間背蔭河にいたという確証がつかめた。

 また「A工場」では、1933年秋からBCG接種後の経過観察が行われた。最初の2年間は西野忠次郎で1933年から2年間、次に今村荒男が1935年から2年間である。つまり経過観察終了するに4年間かかる。終了したのは1937年秋と考えるのが妥当である。

 終了年度は韓暁と一致し、時期(季節)についてはハリスの記載と一致した。

 ただ背蔭河工場の爆発は事故によるという意見もあるが、証拠隠滅のための爆破であると考えられる。敗戦時の平房とは違い、背蔭河は施設の跡形もなく壊され、現在その所在地もわからないので、余裕をもって破壊されたのだろう。





  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 
 
この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。

日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、事実も認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?

この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?

今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?


●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)



「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 



本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


裁判による事実解明と人間の尊厳回復
                     松村高夫(慶応義塾大学教授)

政府は、証人尋問で一切発言をしませんでしたが、法律論については書面で主張してきました。それは、原告には損害賠償を主張する法的な権限はない、という一点張りの主張でした。裁判所はそれを全面的に採用し、ハーグ陸戦条約第3条を、戦争被害を受けた個人が加害国に対して損害賠償を請求する権利を認めたものではないと解釈しました。

 一方、事実認定については、判決文によると立法不作為のところで認定されています。



●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?


731部隊の行なった細菌戦





●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難


           



2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。
           
731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!



731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




731部隊新文書公開   赤旗200620
京都 隊員の敗戦時の行動
 旧日本陸軍の細菌戦部隊・731部隊に所属した隊員の敗戦時の行動などについて、公文書により新たに明らかになった資料が19日、公表されました。研究者2氏が、京都市内で記者会見しました。
会見したのは、滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授と、「15年戦争と日本の医学医療研究会」幹事の原文夫氏。
 今回明らかにされた資料は、731部隊を本部とする関東軍防疫給水部(関防給)の各支部、隊員の詳細について記された「関東軍防疫給水部部隊概況」。国立公文書館から今年3月に西山氏らが入手し、判読できるよう両氏によって翻刻(ほんこく)されました。
 これまで関防給の部隊員名薄は、当時、陸軍の全部隊が作成していた「留守名簿」が初めて公となった文書でしたが、隊員の詳細までは明らかになっていませんでした。今回の資料では、五つの支部ごとの所属隊員の氏名が、行動群別に階級、本籍、行動状況とともに記されています。また関防給の敗戦時隊員数が、総計3262人であったことも明らかになり、「公文書によって明らかになったのはおそら初めて」としています。
 会見で西山氏は「『留守名簿』で不明だったことが明らかになった意義は大きい。731部隊生き残りの方たちの証言の裏付けにもなる」と強調。原氏は「政府は731部隊を公式には認めていない。およそ全体像が明らかになってきたもとで、研究者が協力して、早く解明すべきだ」と述べました


1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


 
「1931」斉藤準太郎の日記


11

1930年12月31日 遼陽分遣隊上番

1931年 昭和6年の正月は無事遼陽の露西亜兵舎で迎える。

日の出だ 満期 日の入 月が出た 期 月がかくれた 満期 雪だ 満期

どんなに世界が変わろうとも僕の満期には少しの変りも異存もないはず

去年の正月はゆっくり暮らしたにな!

分遺上番整列時は1231日雀のふくらみさえ未だに取れない朝の8時年越しの分遣 ご苦労様ー

わずか2日の勤務にも暖きかないカチカチの兵舎故に有りったけの物を背にして白塔立てる遼陽の化け物屋敷に来たような次第である。

 





 ●パネル展「日中戦争―その実相に迫る!」感想(2020年2月8日~13日)


2月9日(日)

6. 印象に残ったのは、被害を受けた婦女子、子ども。・村瀬写真と731部隊は見たが、他は見切れていない。ミニ講演は詳細で良い報告。聞いている人はよく知らない人がいるのでもっと全体像を中心に話してもらえると聴き易かった。(男、70、市内、新聞記事)

    
●映画「ひろしま」アンケート(1月13日 横浜)
( )は性別・年代・住まい・情報

48、戦争の加害の経験は記憶から喪失させてはならない。日本人の負の遺産として永久に残し、写真、映像、著作を展示・提供していってほしいと感じた。

★要望

 南京大虐殺の写真映像の一部については、捏造との誹謗もあるので、単に一まとめに展示するのではなく、再度精査して、関係のないものは除外すると共に、いわれのない中傷を受けている資料や映像については、根拠を示して厳しく反論して、誹謗の根を断った方が良いと思う。

 多数の原爆体験の著作の中でも今回の「ひろしま」同様の映画製作に適したものを掘り起こして映画化して世界に戦争、核兵器の意味を伝えてほしい。著作の例「空は赤く焼けて」原爆体験をした子ども達のエピソード集。

(男性・70代・市内・?新聞)





日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●細菌戦

【真相】(unit731)



・『石井細菌戦部隊―極秘任務を遂行した隊員たちの証言』

郡司陽子編(1982年11月30日初刷:徳間書店)



Ⅳ 石井部隊、ノモンハン戦線に出動す
ー特別班8棟担当 T・Y
凱旋秘話―早川隊ホルステイン河畔に消ゆ

 残念ながら、私はその事についての当事者ではない。ただ、隊員間に、細菌戦についての噂があったことは、確かである。それと、どのようにわが出動各班が水源の確保に困難を感じても、ハルハ河の水だけは、使用しなかったことを、付け加えておきたい。

 冒頭で述べたように、私の願いは、石井部隊の防疫給水任務の実態を明らかにすることである。細菌戦研究の事実とともに、この防疫給水活動の事実をも、ぜひとも歴史に残してもらいたいと念ずるのである。





・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編

江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 


森三吾供述書(1954年)
問:細菌実験の為石井部隊に送る人は、どんな条件で選んだのか。
答:隊長の秘密命令に従い、次の4つの条件に基づいて選び移送した。
(1)いわゆる諜報工作員で、軍法会議で死刑を言い渡された者。
(2)家族や親戚がいないか、いてもごく少ない者。
(3)同じ事件の関係者がいない者
(4)将来利用できない者

れは軍司令官が機密文書で直接隊長に命令したものである。

問:細菌実験のため石井部隊に生きている人を送る際、特別な名称のあったことを知っているか。

答:知っている。この特別な名称は「特移扱」と呼ばれていた。手続きについては、以上4つの条件に従って、隊長に進言し、隊長から関東軍司令官に指示を仰いで、許可を得てから、輸送を行なった。

  


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第1章 毒ガス兵器の研究と開発


4 対ソ戦を想定した毒ガス兵器開発と人体実験
満州事変の勃発と毒ガス研究の進展

さらに陸軍は33324日に、ルイサイト【糜爛(びらん)性ガス】を「きい2号」、ジフェニルシアンアルシン(くしゃみ性・嘔吐性ガス)を「あか1号」として制定した(陸軍技術本部起案「化学兵器中追加制定の件」『資料集Ⅱ』4-2)。また、36121日には、ドイツ式製造法イペリットを「きい1号甲」として採用し、これに伴いフランス式製造法イペリットの呼称を「きい2号乙」と変更している(陸軍技術本部起案「化学兵器中きい1号甲追加並きい1号名称改称の件」『資料集Ⅱ」4-3)。なお、防護資材では、1935(昭和10)年に91式防毒面を改良した95式防毒面が、また、その翌年には96式防毒衣が制式化されている。

 

  
  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第12章 癒しがたい傷


「生きならが得た」人々

しょっちゅう気管支炎にさいなまれ、息が詰まるほど咳き込む人もいる。もう何年も床に伏せり、手にはいつも痰をを吐くためのコップを握りしめている人もいる。既に息も絶え絶えで、点滴と酵素吸入で最後の生命を維持している人もいる。2枚の写真は曽我部史郎さんである。1枚は力なく奥さんの身体につかまり何とか前に進もうとしている姿で、年老いた奥さんはこの重荷に耐えられるのだろうか、と心配になる。もう1枚は車椅子の力を借りてよろよろ進んでいる情景である。奥さんの重荷はなくなったものの、「生ける者は生をむさぼり、死者はかえりみられず」という詩句を思い起こさせる。

 


 
              毒ガス工場の焼却





現在、大久野島国民休暇村




日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題



●『三光』     中国帰還者連絡会編

日本鬼子(リーベンクイズ)


細菌戦ー731部隊の蛮行
 田村良雄(たむらよそお)防疫診療助手 兵長
(略歴〉
1939年5月  元関東軍防疫給水部本部(731部隊)に入隊
1943年3月  退職
1944年3月  元関東軍59師団32連隊に現役兵として入隊
1945年8月  元関東軍125師団軍医部兵長
1952年6月  逮捕さる。河北省永年県において


本籍地=千葉県長生郡 出身階級=雇農 年齢=34歳
 私が出口に近づいた頃、反対側から実験の直接指揮者である宇田清技手がひょっこりやってきました。こんなに早く宇田が来る理由はないがと、シゲシゲと彼を見ているのを感じ取ったのか、宇田は私の視線を避けようとさえしました。これは秘密の、人に話せない『仕事』をしている時によくとる態度なので、聞こうともせず彼の後に従いました。

 宇田は何かそわそわしているようでしたが、後ろを振り向くと私の耳元に口を寄せ、「面白いことをするんだからつき合えよ」言うが早いか私の腕をつかむと、もと来た方へと足早に歩き始め、裏側のとっつきの監房の前に行き、「いいか、ここで将校が来るかどうか監視してろ」。彼は物入れから私物の鍵を出すと錠穴に差し込みました。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)






●日米安保条約・自衛隊を問う!!

自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!



日本の毒ガス



沖縄・南西諸島が軍事要塞化している現実はおかしくないか??



「琉球処分」から140 今の沖縄を考える


●情報公開裁判

なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?



・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告



和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)


 
 3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

そのために、被告は、196912月発行の『化学学校史 昭和43年度』以降、『化学学校記事』発行の事実を記載せず秘匿したのであり、19704月以降の発行になる1969(昭和44)年度版『防衛庁図書目録』以降、前年度まで掲載していた『化学学校記事』保管の事実を記載しなくなりました。





・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷
緊急事態宣言が出たため、4月の裁判は延期になりました。


・次回 2020年6月3日(水)11:30~ 東京地裁522号廷の予定でしたが、
新型コロナウィルスの影響の為、延期になりました!!




第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。



1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。



『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊





第4代衛生学校長



『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?



金原節三(1901~1976)



陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」



厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
          





金原節三と細菌戦



金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。



細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。



金原節三と武見太郎



金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。



※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!



『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人



収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。






●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み



1、 生物・化学兵器の開発の歩み


石井部隊と細菌戦
関東軍防疫給水部隊ー石井四郎軍医中将のもとに編成された731部隊は、これまで見て来た陸軍の研究機関の1つとして作られたものであった。表向きは防疫と給水部隊ということになっていたが、実体は国際法で禁止されている細菌兵器の大がかりな実験と研究を目的とした部隊であった。






第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身


1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】



第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。



井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。



又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。



南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
            



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ





●昭和天皇の戦争責任を問う!!



天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より



重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。










●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)吉田裕監修 

2001年ピュリッツァー賞受賞


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!



戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
          





第12章大元帥の試練



 

東条が陸海統帥部と陸軍省、海軍省を統合(間接的には国務と統帥)しようとした背景には、連合軍の進攻が日本本土へとさらに近づき、統帥部の戦争指導に対して支配層の間で不信が増大していたことがあった。軍事的危機はマリアナを本当に守れるのかといった戦略や、航空機や船舶の生産に必要な物資が欠乏したためその配分をめぐる論争を激化させていた。これら統帥部内での論争は生産を遅延させがちだった。もし、大元帥がさして自己を抑制せず、自己のイメージをあまり気にかけないような性格であれば、この問題に強力に介入し、裁定を下していただろう。しかし、昭和天皇については、諸問題の処理をお気に入りの東条首相に一任したということ以外に何かをしたという史料はない。そして、東条はみずからが行ったどんな些細なこと、検討中のことさえも天皇に報告していたので、天皇からみれば東条は間違いをしない人物だったのである。結局、東条は指導部の改造と首相・陸相・参謀総長の三職兼任により、単に政敵を増やしただけで、その失脚を早めることとなったのである。

                    "






731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!!

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?



地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!




『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)



第1章 二酸化炭素温暖化論が地球を破壊する


異常な寒さを全くニュースにしない「異常なメディア」

 なぜ膨大な数の人間がこれを信じたかと言えば、星占いの性格判断と同じである。生まれた星座によって人間の性格が決まると聞かされると、かなりの人が成程と感じるのは、牡羊座、魚座などに割り当てられた性格は、全ての人が内に秘めている性格を12に割り振ったものだから、必ず的中するようになっている。占星術師はうまいことを考えたものだ。A型、B型など血液型による性格判断も同じである。IPCCは温度占いによって、かなり稼いだわけだ。

●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?



月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約
目的と特徴
この条約の目的は、核兵器の全面廃止と根絶である。ただし、平和目的での原子力の保有は禁じていない。前文において被爆者の苦痛に対する憂慮と共に国際人道法と国際人権法の原則が、核兵器廃絶に関して再確認されている。


この条約の特徴は、核兵器または核爆発装置を所有、保有、管理していた締約国が申告を要する点にある。
















●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future









●核融合もすべきではない!!

20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について









日本政府・自衛隊は情報を公開せよ!!(情報開示!!)



今年も8月12日がくる──。33年前 520人が犠牲になった日航機墜落、遺物の化学分析で判明した事実とは?



中曽根元総理が知る日航機墜落事故の真実とは?墓場まで発言の真意を調査!



ここの研究所は、どんなことをやっているのだろうか??



国立感染症研究所村山庁舎(武蔵村山)



●1954年3月1日第5福竜丸他1000隻もの船が被曝!核兵器廃絶!!



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
       
      
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。



XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より



・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。



2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。



封印された原爆報告書







水爆実験

水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
           































           



JCOの臨界事故





福島第1原発事故



核兵器廃絶

徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!