
南京大虐殺=国家犯罪!!



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●731部隊(1)
●731部隊(2)
●731部隊(3)
●731部隊(4)
●陸軍軍医学校50周年記念行事について
●南京大虐殺
●昭和天皇
●教科書問題
●陸軍登戸研究所
●日航123便の怪
●日本とドイツの違い
●原発・水俣病にみる学会の原因隠蔽の構図!!
●あなたの住む地域で、「731部隊展」を開いてみませんか?
●731部隊展
●マレーシアの旅
●九大生体解剖事件
●ご案内
秘密国家日本!!
日本だけの無期限秘密(『日本の国家機密』藤井治夫著 1972年)
アメリカではニュヨーク・タイムズによるベトナム秘密文書公表事件いらい、世論の批判が高まったためもあって72年6月1日、秘密文書取扱規則が改正されている。これにより一般秘密文書は、一定期間とに秘密区分をダウンレードし、10年後にはすべて公開することになった。また、国家安全保障にかかわる文書についても、30年を経過したときは自動的に秘密解除されることになった。ただし国務省、国防総省、CIAの文書および外国政府と取り交わした、とくに重要な文書については、関係官庁の長官が必要と認めたときは例外措置がとられる。
このほか各国の状況をみると、学術研究者には全く制限を付さないのがアラブ連合、25年ないし35年で原則的に解除するのが東ドイツ、ハンガリー、アイスランドなど6ヵ国、50年で制限を解くのがイギリス、イタリアなど16ヵ国、100年で解除されるのがスペイン、バチカン、ベルギーの3ヵ国となっている(総理府調べ)。無期限なのは日本だけで、スペインやバチカンより悪質ということになる。政府資料は、とうぜん国民に帰属する。そうした観念を全くもたないのが、わが支配階級なのである。
過去の侵略戦争を全く反省しない自民党政権!!
安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」
地底からの叫び声が聞こえませんか??(「八紘一宇」のスローガンのもと行われた残虐行為!!)
731勿忘
731遺跡は日本軍国主義が細菌戦を行ったことの証しであり、
また、日本軍国主義がその犯罪行為の証拠を隠滅しようとしたことの証しでもある。
ー金成民(侵華日軍第731部隊罪証陳列館館長)
侵華日軍第731部隊本部遺跡CG復元映像
常徳細菌戦
こんなことまで起こっている!!
外務省は、安倍内閣の顔色を窺ったのか、政府からの指示があったのか、中国人細菌戦被害者遺族のビザを発給しなかった!!
これからも、アジアの戦争被害者や遺族の入国を拒否するかもしれない!!
当時の集会の模様
中国人細菌戦被害者なぜいない?
ビザ発給拒否・集会妨害裁判について
12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。
最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。
化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。
「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年 華中戦線 細菌大量使用
1939年 ノモンハン 細菌大量使用
1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用
1941年 湖南省 細菌作戦
1943年 華中、華北 細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」
今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。
今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。
自衛隊はA(核兵器)B(生物兵器)C(化学兵器)の研究をどのようにしているのか、国民にその実態を明らかにしなければなりません。
憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!!


・戦時中に起きた食中毒・赤痢の事件・事故と軍医学校(731)の関係は??軍医学校は強毒のゲルトネル菌の研究開発を進めていた??
1935年(昭和10年)・・・鳥取で食中毒発生(4人死亡)、ゲルトネル菌の免疫血清を持っていたのは、陸軍軍医学校(西俊英)
1936年(昭和11年)・・・浜松で食中毒発生(患者数は2250人、46人が死亡)、原因ゲルトネル菌、防研嘱託(731)小島三郎、石井四朗、北野政次、西俊英がこの問題に取り組む。
紅白の殺戮者
1937年(昭和12年)・・・大牟田爆発赤痢事件(患者数は12332人、712人死亡)以下の事は関係ないのか?
当時、軍と三井が工業所内で秘密裡に赤痢爆弾を製造しており、それが間違って爆発したのではないかとする説がある。
三井三池染料工業所において、事件発生当日の午後6時と26日午前0時20分の2度にわたり爆発事故があったこと
2度目の爆発では市消防組が消火に駆けつけたが会社は消防組の入所を拒否したこと
患者はまず咽喉を侵されたこと(赤痢ならば咽喉がやられることはない)
市内で人々が次々と倒れた時間帯と工場で爆発事故があった時刻が符合すること
(参考)『陸軍軍医学校50年史』(1936年)

・中国外務省の陸慷報道局長は7日の記者会見で、南京大虐殺記念館のほか、満州事変の発端となった柳条湖事件を記念した博物館や731部隊跡地を挙げ、「日本が深刻に反省し本当に謝罪したいなら、中国には多くの弔うべき場所がある」と述べた。
中国にも「弔う場所ある」=安倍首相の真珠湾訪問
「米国が真珠湾を忘れられないように中国も南京大虐殺を忘れることができない」
安倍総理の真珠湾訪問に対し 中国外務省が牽制
「今の日本にもう黙っていられない!」マレーシア
アジアフォーラム
糸数慶子参議院議員挨拶(沖縄の風)


パネル展『戦争の加害』プレイベント(横浜)
戦争の加害と教科書記述の変遷
●南京大虐殺
・南京大虐殺から79年、今日13日は、79年前の日中戦争で南京が陥落した日だ。そして、虐殺が始まる。(もちろん、南京に至る過程でも、残虐行為を繰り返していた!)
松岡さんからのメール
「南京の記憶を今につなぐ」にご参加、ご協力いただいた皆さんへ(銘心会南京・松岡 環)
12月3日大阪市(290人以上)、4日滋賀草津市(250人)、5日京都市(270人)、18日奈良県生駒市(300人)と4日間で1100人以上が映画と講演に参加されました。
それぞれどの会場でも集会前からあふれるばかりの参加者で、熱のある集会でした。各地で中心となった方々は、銘心会南京のスタディーツアーに参加された方、銘心会南京の学習会や映画会に参加された志を持った方たちでした。
そして大阪では、多方面にわたる歴史ある市民運動に関わった皆さん、また新しい運動の力をも上映と講演会に結集することができました。「太平門消えた1300人」「南京引き裂かれた記憶」(二作品とも監督松岡環)と、南京民間抗戦博物館呉先斌館長、大阪大学市川明先生、南京被害と加害の調査者松岡環の講演がありました。映画を見る人たちの中の多くの人が、民間交流を語る講演に耳を傾け、映画では被害者の言葉を聞かれて涙を流しておられました。3,4,5日の上映会には朝日や毎日の記者、南京TV 、高蘇衛視(TV)が取材に来られ、取材や記事を書いていただきました。近畿4県の最後の生駒では、人民日報の記者も取材に来ておられました。動画のニュースも配信されましたので、下記の訳を見てから動画をご覧になると分かりやすいかと思います。
直接運営に関わったみなさん、会場へ参加の皆さん、そしてカンパを寄せてくださった皆さん、全ての歴史認識を大事にされる皆さんへ感謝を申し上げます。
来年は南京大虐殺80周年と国交正常化45周年です。来年の歴史認識活動(講演や上映会、スタディーツアー、学習会)に次のステップアップで行動してくださることを願っております。 銘心会南京 松岡環
上記人民日報動画ニュース(2016年12月19日)
南京大虐殺の真相を調査し30年も続けている人がいます。日本銘心会代表の松岡さんは、今日本の政治は全体的に右傾きの現状を目にし、言葉の中に心配の意を隠せない。日本政府は、何時になったら誠意を持って歴史を反省する事が出来るのか分かりません。松岡さんが作った映画「太平門—消えた1300人」は、当地時間18日、奈良で上映されました。(3日大阪、4日滋賀、5日京都で上映)
このドキュメンタリー映画は、松岡さんが南京大虐殺において日中双方の証言を集める大変苦労した過程を記録しています。最初少なくない元日本兵士は、カメラに面して、詭弁の言葉ばかりでした。虐殺なんか見た事がない。中国側は事実を誇張しているとか。しかし、松岡さんの粘り強い追究した結果、何人かの元日本兵士は、やっと太平門惨案において中国人を殺した事実を認めま話し始めました。
捕まえた中国人を地雷の上で爆死させたり、一部の日本兵は、城壁の上からガソリンを中国人の頭に注ぎ、そして火をつける。或いは、銃剣で直接刺し殺したりすると証言しました。
一人の来場者は、記者にこう言う:元日本兵の証言を聞き、ショックはとても大きかったです。彼らは、中国でこんな残忍非道な事をした事を知りました。
映画は、約75分で、元日本兵と被害者双方の証言により、南京大虐殺の歴史に証拠を提供しました。一致した加害と被害の両方の証言は、再び当時日本軍が南京で犯した罪を証明しました。【高文軍訳】
日本政府は、なぜ中国へ行って謝罪しない??パールハーバーよりも先ではないか!!
当時、南京にいたアメリカ人牧師マギーがとらえた南京虐殺
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
マギーフィルム(日本語訳付き)
フィッチ
フィッチ(George Ashmore Fitch)が中国の蘇州で1883年に生まれたのは、長老教会の宣教師ジョージ・フィジーとメアリー・マックレランとの子としてであった。1906年にウースター・カレッジで文学士号を得、続いてニューヨークのユニオン神学校に進んだ。1909年に按手礼を受けて中国へ戻り、上海青年会で働いた。
南京虐殺の時期には、フィッチは南京青年会の責任者だった。南京安全区国際委員会の働きに積極的に参与し、安全区の総幹事となった。南京大虐殺に関する彼の日記が、1937年12月13日に南京が陥落した後初めてこの地を離れる許可を得た外国人によって上海へ持ち出された。フィッチが書いているように、「私の物語が上海でセンセーションを引き起こしたのは、首都失陥後のそこの情況についての最初のニュースだったからで、コピーされ印刷されて広範囲に伝わった」。
1938年にフィッチはアメリカ各地を旅行し、南京大虐殺を紹介し記録フィルムを放映した。中国に戻ってYMCAや国際連盟の救援本部で奉仕し、続いて朝鮮と台湾のYMCAで働き、1961年に隠退した。
本書には彼の日記と友人宛の書簡2通が収録してある。
日記(1937年12月10日~1938年1月下旬)
12月28日(火)
しかしどれほど長く、こうした難民キャンプをやっていかねばならないだろう?いつになったらこうした難民たちが、自分の家に戻っていけるのだろう?―どれだけの人に、まだ自分の家屋があるのだろう?いつになったら、秩序が回復されるのだろう?
今日初めて、我がYMCA学校へ行ってきた。僕の住まいから遠くないんだ。何もかもひっくり返されていて、物理実験器具などの多くが、故意に壊されている。運動場に、死んだ牛が1頭転がっていて、死体が半分、野犬に食いちぎられている。戸に貼ってあった大使館の掲示が、引きちぎられている。
しゃべってから死ぬ!南京大虐殺
南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
昭和天皇・皇族はすべてを知っていた!!
ハーバード・ピックス著『昭和天皇』(上)より
第3部 陛下の戦争(1931年~1945年)
第9章 聖戦
日本軍が将来犯すことになる戦時虐殺の土台がこの時期に築かれた。・・・・・
1929年には、枢密院が軍の要求に応えて、ジュネーブ捕虜条約(1929年調印の「捕虜の処遇に関する条約」)の批准を保留した。枢密顧問官は、天皇の兵士は捕虜になる事を許されない以上、捕虜の処遇に関する条項は寛大すぎて実行できないという。陸海軍大臣と外務大臣の主張を容れたのである。・・・p171
・・・・・・・・
(南京大虐殺)『昭和天皇』(ハーバード・ビックス著:講談社学術文庫より)
陸海の将兵はともに南京で蛮行を行った。陸軍は中国避難民の船舶やイギリスの砲艦レディ・バード号、ビー号を砲撃した。同時に、2機の海軍航空機が南京から約40キロ上流の揚子江に停泊中のアメリカ砲艦パネー号を故意に爆撃した。同艦には外交官や欧米のジャーナリスト、カメラマンが乗船していた。パネー号の乗員、乗客が燃え盛る船を見捨てると、さらに追い討ちをかけるように、モーターボートに乗った日本兵がこれに接舷し、岸に向かっていた最後の1隻の救命ボートを射撃した。のちに3名のアメリカ人が死亡し、他の3名が重傷を負ったこの事件は、ちょうどイギリス・アメリカで南京大虐殺の衝撃的なニュースが報道され始めた頃に欧米に伝わった。この2つの事件は、アメリカの世論に日本の軍隊が攻撃的で、残虐で、極めて無謀であることを印象付け、2強国の戦闘艦艇を攻撃した事は、日本の中国での行動の中で最も批判された。これらの事件は、また、アメリカの安全保障の直接的脅威になるという新たな対日イメージを形成した。
軍と政府が一体となって実施した慰安婦制度!!
(勿論、警察も見て見ぬふりをした!!)
お粗末な日本政府の情報公開
※南京事件の悪評に苦慮した日本軍上層部は、杉山元陸相、梅津美治郎(よしじろう)中将、今村均(ひとし)中将らを中心に1938年3月4日、日本軍のいる所に「慰安所」の設置を決め、通達した。しかし、日本内地の娼婦だけでは到底間に合わず、ついには朝鮮半島の若い女性たちが生贄(いけにえ)にされた。その発端は、「朝鮮の若い女性は性病がなく、危険が少ない」という麻生軍医の上申書であった。『赤い夕日と黒い大地』(竹内治一著)

世界初の「南京大虐殺辞典」出版される
・日航機墜落事故に自衛隊は関与していなかったのか??
日航機墜落事故(空白の16時間)
森永卓郎さん解説
●ニュース
(朝鮮日報日本語版) 中国政府とメディア、安倍首相の真珠湾慰霊を激しく非難
安倍氏「真珠湾犠牲者を哀悼」…中国「本当の和解望むなら南京に来い」
「安倍首相はまず南京に来るべきだ。我々は寛容の心で受け入れる」
<中国>南京大虐殺の追悼式典 安倍首相の訪問求める声も
中国 南京事件で“30万人虐殺”「否定許されない」
日本政府は、南京大虐殺を認め、謝罪せよ!!
南京事件から79年 追悼式典に1万人参列 中国
ユネスコ分担金38億円支払う、岸田外相が明らかに
「米国のほかにも戦争被害者数千万人… 彼らも慰霊する計画はあるのか?」 戦争責任を終わらせようとする思惑を指摘
実際のところ、その日に日本が攻撃した場所は真珠湾だけではありませんでした。その約1時間前には日本陸軍はマレー半島の北東沿岸を攻撃、同日にはアジア太平洋地域の他の幾つかの英米の植民地や基地を攻撃しています。日本は、中国に対する侵略戦争を続行するために不可欠な石油や他の資源を東南アジアに求めてこれらの攻撃を開始したのです。
それなら、中国や、朝鮮半島、他のアジア太平洋諸国、他の連合国における数千万にも上る戦争被害者の「慰霊」にも行く予定はありますか。
真珠湾訪問にあたっての安倍首相への公開質問状
安倍首相の真珠湾演説、韓国メディアは「戦争に対する謝罪がない」と批判=韓国ネット「日本の良心はどこへ?」「次は韓国を訪問し、謝罪してほしい」
電通、過少申告常態化か…残業代不払いも立件へ
<精神保健指定医>90人以上、医業停止へ 資格不正で処分
(朝鮮日報日本語版) 釜山・日本領事館前に少女像設置=韓国で55番目
釜山の慰安婦像、一転許可 日韓合意より国民情緒優先
プーチン大統領は対抗措置取らず、米新政権見極めへ
「米外交官の子を招待」 プーチン大統領、融和演出
「嘉手納基地撤去を」 150人、事故多発に抗議
福島県で震度4
なぜ今、甲状腺検査見直し?
日本は正しい歴史観に基づいて自国民を教育せよ―中国外交部
[寄稿]1★9★3★7
原子力緊急事態宣言はいつ解除できるのか??20ミリシーベルトはいつ解除になるのか??
自由なラジオ Light Up! 026回 「ベラルーシで甲状腺がんを治療しつづけた医師、菅谷昭・現松本市長と小出裕章さんとの特別対談! in 松本」
第026回ライトアップジャーナル 小出裕章先生「子どもたちに原子力を暴走させた責任はない」
産経新聞が日テレの「南京虐殺」検証番組を「裏付けなしの謀略宣伝」と攻撃! でも捏造と謀略は産経の方だった
三笠宮は、731の生体実験・細菌戦・毒ガス戦・南京大虐殺も全て知っていた!!
三笠宮さま斂葬の儀 軍人、歴史学者…多彩なご生涯
天皇は知っていた!!
日本軍の生体実験や南京大虐殺に怒った三笠宮崇仁、無かったことにしたい安倍晋三
今月2日に百歳になった三笠宮が陸軍少佐とした赴任した南京で見聞した日本軍の数々の残虐行為に驚愕し、南京大虐殺に怒った事は意外と知られていない。
その事実は兄の昭和天皇にも知らされており、兄弟共に暴走する日本軍への不信感を募らせていたことがうかがわれる。
昭和天皇の弟・三笠宮崇仁親王は、南京事件に
日本人としての内省~三笠宮文書を読み直す
「架空の歴史を信じない」。戦時に軍部を批判した皇族、三笠宮さまが注目される理由
日テレが産経に「厳重抗議」 ギャラクシー賞「南京事件番組」検証記事めぐり
村上春樹氏「歴史を書き換えれば結局は自身を傷つけることに」
核兵器禁止条約 決議案が国連の委員会で採択 日本は反対
日本、ユネスコ分担金を保留 「南京」記憶遺産に反発か
山本太郎衆院議員…街頭記者会見「やっていることも言っていることもめちゃくちゃ」
極右稲田朋美防衛相「南京大虐殺を事実と認定しない、日中戦争は侵略と断言出来ない」→韓国人「中国尖閣諸島周辺で活動範囲を拡大」
「核」で過去の発言追及…稲田氏に集中砲火
稲田防衛相らの「白紙領収書」問題
韓国、大揺れ 安倍首相「慰安婦へ謝罪の手紙」拒否に政府板挟み
[特派員コラム] 12・28合意と決別しよう
高速増殖炉「もんじゅ」廃炉へ
韓国で少女像「移転してはならない」が76%
韓国国民の63%が「慰安婦問題再交渉すべき」、少女像移転反対も76%
核兵器禁止、「本音」と「建前」に揺れる日本政府、オバマ大統領の「核先制不使用」には反対
核兵器禁止条約 決議案が国連の委員会で採択 日本は反対
潜在的核保有国化を目指す日本は、「核廃絶」決議を棄権!!
日本は、世界に「核廃絶!!」とは叫んでいないのだ!!
「Iam not ABE に込めた警告 ひとりひとりの挑戦こそが民主社会をつくる」
これが自民党の実態だ!!
憲法改正で自民党が目指すもの!!
国民主権、基本的人権、平和主義の3つを無くし、
国防軍創設、国体護持!!
全く、戦前の日本と同じではないか!!
自民党の目指すもの??
●731問題
横倉氏は政府・与党との連携を重視!!(731のことなど頭にない??)
日本医師会 会長選挙 現職の横倉氏が3選
ドイツはまだ、戦争責任を追及している!!日本は全く忘れようとしている!!いや、あの戦争を肯定している!!
アウシュビッツ元看守に禁錮5年=94歳、殺人ほう助―独
南京大虐殺や原爆開発の反省をしないまま戦後突き進んだ結果が福島原発事故だ!!
木村守江(元軍医で南京戦に参加、元福島県知事。元日本医師会会長の武見太郎との関係は??木村の方が年配だが、同じ慶応大学医学部出身だ!!)と南京大虐殺と原発!!
木村守江と南京、福島原発
昭和天皇(当時は大元帥であり、現人神と教えられた)の名で始めた戦争!アジアで何千万人が犠牲になったのだろうか?
そして敗戦!!昭和天皇は責任を取らなかった!!謝罪もしない!!
あの戦争は明らかに侵略戦争であり、自衛の為の戦争ではなかった!!
安倍晋三と日の丸と戦闘機と「悪魔の飽食」731

安倍晋三のおじいさん岸信介と731の関係は??


岸信介・・・1936年(昭和11年)10月に満州国国務院実業部総務司長に就任して渡満。1937年(昭和12年)7月には産業部次長、1939年(昭和14年)3月には総務庁次長に就任。この間に計画経済・統制経済を大胆に取り入れた満州「産業開発5ヶ年計画」を実施。大蔵省出身で、満州国財政部次長や国務院総務長官を歴任し経済財政政策を統轄した星野直樹らとともに、満州経営に辣腕を振るう。同時に、関東軍参謀長であった東條英機や、日産コンツェルンの総帥鮎川義介、里見機関の里見甫の他、椎名悦三郎、大平正芳、伊東正義、十河信二らの知己を得て、軍・財・官界に跨る広範な人脈を築き、満州国の5人の大物「弐キ参スケ」の1人に数えられた。また、山口県出身の同郷人、鮎川義介・松岡洋右と共に「満州三角同盟」とも呼ばれた。
岸信介という人
以下「日本の右傾化・ファシズム化に危惧するブログ」より
岸信介の最初の実績の満州国で実業部総務司長に就任して訪満し、満州国の事実上の責任者として5ヵ年計画の中心者でした。
国家全体主義に燃え、あらゆる悪事を振舞うことになります。
岸信介は大日本帝国の侵略に果たした役割においては非常に優秀だったといえるかもしれません。
岸信介は満州国の現地の中国人らの生き血やアヘンで稼いだ資金をバックに、東條内閣の商工大臣として戦時統制経済を推進していきました。
岸信介は、東條内閣でも中国に深く関わっていくことにあります。戦時中の労働力不足として、中国人の労働力をも使おうとします。
そのために出されたのが、1942年11月27日、東條内閣による「華人労務者内地移入に関する件」の閣議決定でした。
このときの商工大臣は岸信介であり、「華人労務者」強制連行・強制労働政策遂行の最高責任者でした。
戦犯を逃れて、戦後首相に上り詰めた岸信介はそのことを追及されたのだが、責任者であったにも関わらず、白を切り続けました。
(参考)
岸信介、中曽根康弘、正力松太郎だけではなかった。
自民党自体がCIAの秘密工作機関であった!!
船瀬俊介の本を紹介 世の中はペテンに支配されている
証言 侵略戦争2 「中国人強制連行」 -加害体験の告白-
従軍慰安婦を娼婦呼ばわりし、今回の閣僚・議員の靖国挑発を画策し、アメリカ様よりお叱りを受けて、侵略は国によって異なるとか、靖国や歴史認識、慰安婦の政治問題化は望んでいないなどの噴飯の見苦しい詭弁や言い訳を吐き続ける安倍晋三。親子揃ってそっくりではないですか?
第61・62・63代内閣総理大臣佐藤栄作は実弟。また長女・洋子は安倍晋太郎に嫁いだ。洋子の次男は第90・96・97代内閣総理大臣安倍晋三、三男は政治家岸信夫。
岸は安保反対のデモが続く中、一時は首相官邸で実弟の佐藤栄作と死を覚悟する所まで追いつめられた[65]が、6月18日深夜、条約の自然成立。6月21日には批准、昭和天皇が公布した。新安保条約の批准書交換の日の6月23日、混乱の責任を取る形で岸は閣議にて辞意を表明する。
樺美智子さん(60年【岸内閣】安保闘争の犠牲者)の墓誌


「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
オバマ大統領が広島を訪問し、スピーチをし、原爆資料館を見学した。
広島スピーチ
ロシア下院議長 広島でオバマ大統領の謝罪なしを非難
外遊好きな安倍首相も、パールハーバーや731罪障陳列館や南京大虐殺記念館などを訪問し、スピーチや記念館の見学をしてもよいのでは!!
真珠湾攻撃
終戦50周年731部隊
フィルムは見ていた!検証「南京大虐殺」
生体解剖は、731部隊以外の中国の陸軍病院でも行われていた!!
消せない記憶「元軍医たちの謝罪の旅」
中国帰還者たちの戦後60年
特定秘密保護法撤廃!!
国民は「知る権利」を行使し、軍備増強を阻止しよう!!
軍事技術関連の研究 禁止や制限の国立大は4分の1
「軍事目的の研究」どう対応 日本学術会議が議論開始
学術会議会長「自衛目的の研究許容を」 軍事否定から転換の可能性

大西隆会長
最近の動き

731部隊で行われた人体実験・細菌戦に関し、日本政府は罪をきちんと認め、謝罪すべきだ!!
科学者の社会的責任

日本学術会議の軍事研究容認の動きを危惧し、反対する医学・医療関係者の声明
わが国の人文・社会科学、自然科学全分野の代表機関である日本学術会議が2016年5月20日、軍事研究のあり方を考える「安全保障と学術に関する検討委員会」の設置を幹事会で決定した。これに先立ち同会議の大西隆会長が本年4月の総会で自衛目的の研究を容認する考えを示したのを受けての動きと考えられる。
私たち 「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は、軍事研究に公然と道を開こうというこの委員会設置を強く危惧し、医学界の一員としてここに断固として反対の意を表明する。「『戦争と医の倫理』の検証を進める会」は2009年に発足し、「過去に目を閉ざすものは、結局のところ現在にも盲目となる」という歴史の教訓を生かして、いわゆる「731部隊」に代表される十五年戦争における日本の医学者・医師らによる「人体実験」などの非人道的行為を、史実に沿って検証し、その教訓を生かしていくために活動を続けてきた。
患者の命を守るべき医学者・医師が「研究」の名目のもとに残虐な行為を行う加害者となり、戦後は「人体実験」などのデータ供与と引き換えに米国政府から免責され、わが国の医学界は一貫して検証も反省もせずに事実を隠蔽したまま現在に至っている。このように「731部隊」の問題には、軍事研究が行き着く先のすべてが含まれている。私たちは本会の設立以来、多くの資料や証言によってこの日本で実際に起きた医学者の加害の歴史について検証を進め、二度とこのような過ちを繰り返すべきではないと日本医学会や日本医師会を始め、医学界に強く警鐘を鳴らしてきたのである。今回の学術会議の動きは、まさにその過去の大きな過ちへの道を再びたどるものと危惧する。
平和主義と基本的人権の擁護は、患者の命を守る使命を担った医学者・医師が片ときも忘れることを許されない倫理であると同時に、日本国憲法の原則に一致するものである。世界医師会は「非倫理的行為を求める法には従わない」ことを医師に求めている。
日本学術会議は 1950 年に「戦争を目的とする科学研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を、1967 年には「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を発出している。これはわが国の科学者の真の自律と良心の宣言として、過去・現在そして未来までもその輝きがいささかも失われることがあってはならないのである。
「『戦争と医』の倫理の検証を進める会」は、歴史の教訓を踏まえ、科学者としての倫理と平和を追求する立場から今回の大西会長の発言に大きな危惧を有し、反対の意思を表明し、従来の声明の擁護を求めていくものである。
2016年6月8日
「戦争と医」の倫理の検証を進める会

日本政府は731の史料をことごとく隠蔽し、人体実験・細菌戦の事実を認めていない!!
731部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部に関する質問主意書⁄川田悦子(衆議院議員)
2003年10月3日

いかなる部隊であったのか?


731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。
医学者?と人体実験
731部隊のドキュメンタリー
731部隊にいたことを悔い、医学者の道を捨てた男の物語
こういう人は稀だ!!ほとんどの上級隊員は、731での実績??をもとに出世??した!!
「731部隊と医学者たち」
※中国の731罪障陳列館から特移扱で731部隊に送られ、人体実験されて亡くなった人の資料が届きました。犠牲者は3000人以上とされています。
その「特移扱」というのは、憲兵隊及び偽満州国警察が、中国人民を不法に逮捕し、「重罪にあたる者」と決定したならば、裁判をおこなわないで、憲兵隊から石井部隊に移送して、細菌実験材料としてなぶり殺しにすることであった。
特移扱い被害者李厚彬の資料4

封印された真実
戦争の狂気を語る!!
日本で、米兵の生体解剖したら、戦後大問題!!
九大石山教授は自殺までした。
中国で多くの人を生体解剖しても、なぜ問題にならない???
731の罪業は許されるのか???
九州大学生体解剖事件 (2/2)
九大生体解剖事件、90歳医師の償い 最後の生き証人

九大生体解剖事件
・情報公開裁判
なぜ、自衛隊衛生学校で作った『衛生学校記事』がきちんと保管されていないのだろうか?衛生学校と言っても、国民の税金で作られた公の施設である。自衛隊だから戦後、物品の管理はしっかりやっていると思うのであるが、不思議である。自分たちの大事な研究をまとめた機関誌である。第5代衛生学校長、金原節三氏の大切な寄贈資料も所在不明、よほど、管理が杜撰なのか??
季刊誌『ふかみどり』がきちんとあるのに、なぜ、その前の『衛生学校記事』ない??
金原節三・・陸軍に入り、次いで東大大学院で耳鼻咽喉科を専攻。ドイツ留学、昭和17年軍医大佐、近衛師団軍医部長、第15軍軍医部長、第38軍軍医部長、陸軍省医務局医事課長を歴任。戦後厚生省東海北陸医務出張所長を経て開業。30年防衛隊に入り陸上自衛隊衛生学校長、陸上幕僚監部衛生課長から陸将、第3代陸上幕僚監部衛生監となった。36年退官。その後防衛衛生協会会長、共済組合連合会三宿病院顧問、48年防衛衛生協会名誉会長。竹郎子と号し俳句、俳画をよくした。著書に「大東亜戦争陸軍衛生史」がある。

※『化学学校記事』等についての回答がありました。
審査会の結論
「『化学学校記事』1号ないし最新号」につき、これを保有してしていないとして不開示として決定は、妥当である。
12月21日(水)『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の公開を求める裁判が東京地裁522号法廷でありました。
最初は、情報公開法でその2点を開示請求していたのですが、保有していないことを理由に、行政文書不開示を防衛省は決定しました。それに対し、原告は、行政不服審査法に基づき異議申し立てをしました。その審議会が、防衛省の意向に沿って、不開示は正当であるとの結論を出すまでに、4年も年月をかけているのです。全く何もやっていなかったのではと思ってしまいます。防衛省と審査会とのやり取りはどんなことがあったのか、4年間の経過をきちんと説明してくださいと、弁護士は切実に訴えました。また原告は、いまだに、細菌戦被害・毒ガス被害で悩む中国の被害者のためにも、きちんと公開すべきだと陳述しました。
化学学校記事の第12号には、杉田論文「自衛隊員が語る旧軍技術研究」として次のような細菌戦に関する記述があります。
「-日本は1931年(昭和6年)満州に細菌戦遂行のため〈731〉部隊を編成した。研究所、部隊は逐次整備され1935年(昭和10年)には、ねずみ2000匹を使用してノミを飼育し、ペスト菌の培養量だけでも毎日10㎏に及んだ。
1938年 華中戦線 細菌大量使用
1939年 ノモンハン 細菌大量使用
1940年 重慶爆撃 ペスト菌、コレラ菌使用
1941年 湖南省 細菌作戦
1943年 華中、華北 細菌作戦
その戦績は、衛生部隊としてかつてない大きな成果をあげたとして感謝状36回授与にみられる」
今、現在の研究では、細菌戦を始めたとされるのは1939年のノモンハン事件の時です。この論文が確かだと、ノモンハン事件の前に細菌戦が38年に華中で行われていたこと、また、重慶でも細菌戦が実施されていたこと、1942年の浙贛作戦以降の43年にも細菌戦が行われていることになります。
今、まさに、この『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』『衛生学校記事』そして『731部隊関連資料』の全面公開を実現させ、細菌戦・化学戦の戦中・戦後の実態を解明し、今の日本の現状でいいのかを考える時に来ています。
自衛隊はA(核兵器)B(生物兵器)C(化学兵器)の研究をどのようにしているのか、国民にその実態を明らかにしなければなりません。
憲法9条はないがしろにされ、軍事研究がどんどんとスピードアップされている現状を打破しなければと強く思います!!
審査会の結論
「『衛生学校30年のあゆみ』衛生学校30年のあゆみ編さん委員会編(1982年10月)第4編の資料中の『研究の実績』の昭和55年度(265頁)の『衛生戦史資料の体系化』と題する論文」(以下「本件対象文書」という。) につき、これを保有していないとして不開示とした決定は、妥当である。
「ABC企画ニュース」より

10月11日(火)14:00から、東京地裁419号法廷で、第12回目の防衛省の『衛生学校記事』の公開を求める裁判が行われました。岩井裁判長は、被告の防衛省に対し、詳しく調べるように、具体的な名前まで挙げ(防衛省が管轄する図書館のすべて、例えば、衛生学校図書館、彰古館等)さらに防衛省の外局も調べるように、また、あった場合は、その経緯も報告するように命じました。
また、ある程度時間がかかってもよいということで、よく調べてくださいということでした。
原告側からは、防衛研究所にある資料と金原節三目録の資料とは同じではないかということで、同一のものであることも確認してくださいということが付け加えられました。
ということで、次回の裁判は来年の2月28日になります。
原告の陳述より
2 衛生学校図書室を見学して判明したこと
(3)このように『保安衛生』や『防衛衛生』は1954年の第1巻から、即ち60年以上前の発行物からずっと保管されています。
また自衛隊内の他の学校関係の発行物の『富士学校記事』や『幹部学校記事』まで保管されています。
さらに、私たちは今回は図書室で関覧できませんでしたが、衛生学校図書室の図書目録には、衛生学校が発行する各年度毎『衛生学校史』が昭26(1951)年から平成25(2013)年を図書室に保管されています。
これを一覧表したのが、別紙3の「衛生学校図書室所蔵一覧」です。
(4)上記のような一連の諸事実から見て、私は、防衛省が『衛生学校記事』を保管期間経過を理由に破棄しているという事実は全く存在しないと思います。
裁判所の三権分立がいま問われている!!
なんとか、この防衛省の内部研究誌を公開させたい!!
上記2点に対する裁判所の決定
お粗末な日本政府の情報公開
※自衛隊衛生学校、階級社会のパワハラ、セクハラ!!
国民が見えない密室の中で何が行われているのだろうか??



沖縄の那覇での写真。米軍の戦闘車両です。今年から米軍が参加しています。一回目に送信した写真は自衛隊の特殊防護車と地帯空ミサイルです。

米軍の車両

自衛隊の特殊防護車


地帯空ミサイル
そう言えばこんな事件もありました!!
たちかぜ自衛官いじめ自殺事件
<電通過労自殺>労基法違反容疑で家宅捜索
警視庁でも!!
自殺2警官、上司批判のメモ 警視庁「パワハラない」
※特定秘密保護法が施行され、TPPはじめ、各省の情報開示が困難になってきている昨今、マスコミはこういう裁判を積極的に報道し、国の隠蔽体質を明らかにするべきだと思うが、一社も取材しないとは、どういうことだろうか?嘆かわしい!!
日本は「核兵器の非人道性」を主張する前に「731の非人道性」を謝罪せよ!!
歴代日本政府は、天皇制護持の為、いつも情報を隠蔽している!!
TPP文書だけではない!!
開示された文書「何で黒塗り?」
731部隊の設置許可、人体実験、毒ガス戦・細菌戦実施の許可した昭和天皇とそれに協力せざるを得なかった日本医学界の責任、戦後、その人体実験、毒ガス戦・細菌戦を全く裁判にかけなかったマッカーサーとアメリカ政府の責任、1990年代から2000年代にかけて行われた裁判において、事実を認めながら、それを放置している司法の責任、全く無視している政治の責任、731に対する国民の認識は?
戦後71周年、中国の人々から日本の我々に届いた重いメッセージ!
虐殺された人々(日本人を含む)の声なき声にどう応えるか?
日本人はこの731問題にどう向き合うか?重い課題!!
日本には本当に三権分立があるのかが問われている!!
・・・・・・731部隊というのは一旦入ったら、2度と出ることはできない気違い共の医者たちに目茶目茶に切り刻まれて実験で殺されてしまう。言い換えればあの部隊はるつぼのようなものなんですね。・・・・
白系ロシア人、通訳生が「これからみんなに予防接種するから」・・・連れて行った所が、
向こうは予防接種されると思うしね、殺しちゃう人間にえらく消毒する必要はないわね。一つのカモフラージュですよね。実際にもう試験する資材(マルタ)はもう飽和状態になっているわけ、要らないし、約1㏄(の青酸カリ)だからこんなもんですよね。鉛筆の頭ぐらいのもんですよね。このぐらい注射すると、あのでかいロシア人も音を立てないでパタッーっとひっくり返っちゃう。・・・・・・・・・・・
731(4)
・731部隊は我が大日本帝国最大の機密であり、今後はこの機密保持がどこまでなされるかが最大の問題である???
黒い太陽№15
※「機密」とは、秘密の保全が最高度に必要であって、その漏えいが国の安全又は利益に重大な損害を与えるおそれのあるものをいう。
戦前の刑法には、「敵国ノ為メニ間諜ヲ為シ、又ハ敵国ノ間諜ヲ幇助シタル者ハ死刑又ハ無期若クハ5年以上ノ懲役二処ス 軍事上ノ機密フ敵国二漏泄シタル者亦同シ」(第85条)という規定があった。
朝枝繁春の証言