これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!! 沖縄本土復帰・日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!! 県当局、沖縄戦史を歪曲!! こんなことがなぜ許される? (クリックすると大きくなります!!) 「平和教育通信第100号」2012年5月号より ―転載― 【お知らせ】 子どもと教科書全国ネット21の第15回総会と記念講演のご案内です。 記念講演は会員の方以外でも参加できます。 皆さんのご参加をお待ちしています。 日時 6月3日(日) 10時30分~17時00分 記念講演は10時30分~12時00分 場所 東京大学農学部1号館2階8番教室 (地下鉄南北線東大前駅下車1番出口徒歩2分、 地下鉄千代田線根津駅下車1番出口徒歩7分) お話 西野瑠美子さん(子どもと教科書全国ネット21代表委員、 VAWW-RAC共同代表) 「沖縄戦第32軍司令部壕案内板の「慰安婦」削除問題など」 記念講演 佐藤 学さん(学習院大学教授) 「大阪教育基本条例、東京の「破壊的教育改革」と私たちの課題」 資料代 500円 (会員は無料) 子どもと教科書全国ネット21 日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 黒い太陽731部隊 VIDEO 「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は世界で唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 【315】 国は正しい ?? 水俣病と福島原発 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 大義なき戦争「イラク戦争」に日本は間接的に加担した!!憲法9条はどこへ行ってしまったのか? 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上 劣化ウラン保管、地元は初耳 山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑 20120524 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 【312】 原発の再開問題で、誰もが合意できる項目 / 武田 邦彦 放射能はいらない 市川定夫 ペテンに国民的監視を!(`・ω・´) ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 大連黒石礁事件―731部隊の被害者と遺族― 根岸恵子 39年11月、ソ連軍参謀本部は、沈に対し大連に情報組織を作るように命令しています。沈は中国共産党を介し、諜報活動をするために王耀軒に引き合わされ、王の所有する「興亜写真館」などを拠点に活動を始めました。 王耀軒は1898年生まれ、貧しい出身でしたが、努力し各地に商店や工場を経営していました。しかし、日本の侵略によって悲惨な目に合う中国国民のために抗日運動に参加し、自分の所有する店などを地下組織の拠点にして活動していました。 沈得龍は逮捕後、憲兵隊の懐柔工作に乗せられて、諜報活動の協力者や関係した知人の名前を供述してしまいます。当時の憲兵隊の方針は、ソ連の諜報員はできるだけ逆用しようと、厳しい拷問はせずにご馳走を施して工作を行なっていました。沈は、天津市に滞在し王耀軒や王学年と交流したことや諜報活動の援助者として奉天(瀋陽)の李忠善、呉宝珍などの名前をスラスラと話してしまいました。 大連憲兵隊白浜隊長は、三尾豊、末本広尾両憲兵に、天津に居住する王耀軒、王学年の逮捕を命令。10月初めから調査を開始。郵便配達や電気技師に変装し、手配地図を頼りに捜索を行ないましたが、所番地表示のない地域であったために探し出すのに苦心しました。 10日ほど経って、天津憲兵隊の密偵が王耀軒の潜入している紡績工場を突き止め、これを襲撃。早朝の寝込みを襲おうと、朝まだ暗いうちに、紡績工場の宿舎を包囲し、扉を蹴破って中に突入し、懐中電灯で労働者の寝床を照らすと一つだけもぬけの殻でした。三尾豊が慌てて外に飛び出すと、王耀軒が足を踏み外して屋根から落ちてきました。彼は逮捕され、甥である王学年の居所を追及されると、渋々500mほど離れた王学年の家に案内しました。王学年は突然の襲撃に驚き、武装憲兵の包囲におとなしく逮捕されました。 こうして王耀軒、王学年は逮捕され、大連憲兵隊に連行されました。一方、奉天では李忠善、陽学礼が逮捕され、沈得龍の供述通り、一連の諜報事件の主犯が次々に捕まりました。彼らには厳しい尋問が行われ、ひどい拷問が繰り返されました。 結局、この事件は沈得龍を中心とした国際諜報事件として、沈得龍、王耀軒、王学年、李忠善の4人が731部隊に送られることになりました。 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編人体実験被害者遺族の証言 (クリックすると大きくなります!)731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば アメリカ映画「キングコーン」遺伝子組み換え食品とTPPのウソ 医学界とは731部隊そのものである ニュース保存用 朝鮮戦争でアメリカは細菌戦を行った! 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 [証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) 昨日安全区委員会が会議をして、新たな危機に対処するわけなんだが。日本側がドイツ大使館に通告してきて(彼らは今や我々を無視しているが、我らの議長ラーベがドイツ人なんだ)、安全区の難民たちは、2月4日までに自分の家に戻らねばならず、さもなければ彼らに力でそうさせると言う。南京の町のすごく広い部分が焼き払われていて、何千何万もの人々にもはや家がないというのに、日本側は全然この点を顧みようとしない。そういう人たちのためにキャンプを建てると、日本人は言う。しかし日本人は目の前にある事実を見ていないんで、すなわち我々には現にキャンプが25あり、そこに5万8千人住んでいて、さらには安全区内の家という家に人が充満している。彼らの本当の目的は、これらの人たちを外国人のいる所から引き離し、我々の身辺から引き離そうというんだ。これまでの恐るべき何週かの間、我々がずうっとこの人たちを保護していた。我々がいないということは、好き勝手な強姦を意味し、ひいてはさらにも多くの謀殺を意味している。夏淑琴さん 李秀英さん 侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre 『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2- 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 戦争の爪痕を感じる!! 関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!! 沖縄本土復帰・日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!! 県当局、沖縄戦史を歪曲!! こんなことがなぜ許される? (クリックすると大きくなります!!) 「平和教育通信第100号」2012年5月号より ―転載― 【お知らせ】 子どもと教科書全国ネット21の第15回総会と記念講演のご案内です。 記念講演は会員の方以外でも参加できます。 皆さんのご参加をお待ちしています。 日時 6月3日(日) 10時30分~17時00分 記念講演は10時30分~12時00分 場所 東京大学農学部1号館2階8番教室 (地下鉄南北線東大前駅下車1番出口徒歩2分、 地下鉄千代田線根津駅下車1番出口徒歩7分) お話 西野瑠美子さん(子どもと教科書全国ネット21代表委員、 VAWW-RAC共同代表) 「沖縄戦第32軍司令部壕案内板の「慰安婦」削除問題など」 記念講演 佐藤 学さん(学習院大学教授) 「大阪教育基本条例、東京の「破壊的教育改革」と私たちの課題」 資料代 500円 (会員は無料) 子どもと教科書全国ネット21 日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 黒い太陽731部隊 VIDEO 「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は世界で唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 大義なき戦争「イラク戦争」に日本は間接的に加担した!!憲法9条はどこへ行ってしまったのか? 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上 劣化ウラン保管、地元は初耳 山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑 20120525 福島第一原発4号機の危険性(佐野真一氏) 福島のみなさん 須賀川市(農家) 2012.05.19 VOL.1 あり得ない原発35%案が最後まで残る本当の理由 【310】原発を再開する条件:もっとも危険な情報を伝えること / 武田 邦彦 ペテンに国民的監視を!(`・ω・´) ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 大連黒石礁事件―731部隊の被害者と遺族― 根岸恵子 大連黒石礁事件は、1943年に、当時の大連市星か浦海水浴場近くの黒石礁から発信されていた電波を、関東軍憲兵隊が傍受したことで発覚した国際諜報事件です。この事件によって、王亦兵さんの父親、王耀軒を含め4人が731部隊に送られ、生体実験の犠牲者になりました。 日本の傀儡国家である「満洲」では、当時、日本の侵略に対し民衆や抵抗運動が激しく、ソビエト連邦はそういった抗日活動を支援していました。そのために多くのスパイを中国東北部に送り、そこからもたらされる情報は関東軍にとって大きな打撃となっていました。その対策として関東軍憲兵隊は、39年に新京(長春)に科学捜査部隊を設置し、スパイや抗日分子の一掃を目的にローラー作戦を開始しました。これを満洲第86部隊と称し、6つの分隊が設置されました。 この部隊が、43年6月に大連地区からチタ方面に向かって出されている怪電波を傍受し、発信源が黒石礁の「興亜写真館」であることを突き止めました。憲兵隊は約半年張り込みをし、関係者を内定しました。 10月1日午前2時、怪電波をキャッチすると、憲兵50人、技術憲兵10人が動員され、写真館を包囲、送信の終了を待って突入、無線機を押収、送信者の沈得龍を逮捕しました。家宅捜査後、妊娠中の沈得龍の妻、劉麗華、同居していた写真技師の李振声夫妻と見習いの李文化も連行されました。憲兵隊はこの事件を国際諜報事件と位置づけ、捜査班を編成し捜査に当たらせました。 沈得龍は、1910年の生まれの朝鮮族の青年。李慶春、李成華、陳遠などと名前を変え、抗日活動を行なっていました。父親は日韓併合を嫌って移住した先で病死し、母親は日本軍に殺されました。したがって彼の日本に対する恨みは大きく、金日成の朝鮮独立抗日義勇軍に参加し、中国共産党にも加わることになりました。その後、モスクワに行き、2年間諜報活動の訓練を受け、無線の知識と操作方法を学びました。また、ロシア語や「資本論」などを学習し、写真撮影の技術を体得しました。 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編人体実験被害者遺族の証言 (クリックすると大きくなります!)731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば アメリカ映画「キングコーン」遺伝子組み換え食品とTPPのウソ 医学界とは731部隊そのものである ニュース保存用 朝鮮戦争でアメリカは細菌戦を行った! 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 [証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) ドイツ大使館の書記官が、ある婦女がゴルフのクラブを体内に挿し込まれたと話して、「日本的ナ手法デス」と言っている。僕その母親が、1歳の子供と一緒に死んでいる写真を撮った。あの小さい女の子が言うんだが、大家さんの子供たちの一人で1歳の(上に述べた母親と一緒にいた子供ではない)が、頭を日本兵の刀で2つに割られ、この8歳の子は、傷つけられてから、母親の死体の転がっている別の部屋まで這って行き、そこで小さな妹と14日間一緒に過ごし、ふやけたお米と、中国人が“コーパ”〔Go-ba 鍋巴〕と呼んでいるお釜の底に残ったおこげとを食べ、井戸の水を飲んでいた。そこでは、他の人たちはみんな安全区に逃げてしまっていたんだ。14日後にこの子のお隣の年取ったおばさんが戻ってきたときに、2人は救い出されたのだ。日本兵が絶え間なくやって来たが、そうするとこの2人の子は、古い敷布の下に隠れたのだった。夏淑琴さん 李秀英さん 侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre 『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2- 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 戦争の爪痕を感じる!! 関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
これじゃ死者(=殺された者)は浮かばれない!! 沖縄本土復帰・日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!! 県当局、沖縄戦史を歪曲!! こんなことがなぜ許される? (クリックすると大きくなります!!) 「平和教育通信第100号」2012年5月号より ―転載― 【お知らせ】 子どもと教科書全国ネット21の第15回総会と記念講演のご案内です。 記念講演は会員の方以外でも参加できます。 皆さんのご参加をお待ちしています。 日時 6月3日(日) 10時30分~17時00分 記念講演は10時30分~12時00分 場所 東京大学農学部1号館2階8番教室 (地下鉄南北線東大前駅下車1番出口徒歩2分、 地下鉄千代田線根津駅下車1番出口徒歩7分) お話 西野瑠美子さん(子どもと教科書全国ネット21代表委員、 VAWW-RAC共同代表) 「沖縄戦第32軍司令部壕案内板の「慰安婦」削除問題など」 記念講演 佐藤 学さん(学習院大学教授) 「大阪教育基本条例、東京の「破壊的教育改革」と私たちの課題」 資料代 500円 (会員は無料) 子どもと教科書全国ネット21 日本は世界で唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 黒い太陽731部隊 「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は世界で唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 大義なき戦争「イラク戦争」に日本は間接的に加担した!!憲法9条はどこへ行ってしまったのか? 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上 劣化ウラン保管、地元は初耳 山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑 20120524 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 【308】 専門家は誠実に ... 99.9%除去というのは意味が無い / 武田 邦彦 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 731部隊による被害問題の解決のために Ⅰ 解決の必要性と意味・人体実験という悪魔の所業は、他の戦争犯罪と同列ではない ・確実な証拠 アメリカ資料 サンダース・レポート、トンプソン・レポート (4つの尋問調書) フェル・レポート、ヒル&ビクター・レポート 中国の資料(档按館資料)戦犯供述資料(細菌戦と毒気戦)、日本の残した軍関係資料 旧ソ連の資料 ハバロフスク公判資料 日本の資料 元隊員の証言、研究論文、業務日誌等 ・日本政府は事実を認めていない。―証拠隠滅と東京裁判の取引 ・731部隊罪証陳列館が遺跡公園と資料研究センターとして生まれ変わるⅡ 解決の内容 ①政府が事実を認め、被害者に謝罪すること ②謝罪の証として碑をつくること ③真実の解明、記憶、被害者遺族への慰霊のための731基金への支援 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば 医学界とは731部隊そのものである ニュース保存用 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 [証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) この一週間に、僕もっとも恐るべきものを見、もっとも恥さらしな話を聞いたんだが、その真実性に疑いをさしはさむ余地のないのは、僕が直接に隣人からと、その場にいた8歳の小さい女の子から聞いて、よく解っているからなんだ。日本兵たちが最初に入城したときに、町の東南にある家にやって来て、みんなで13人その家にいた。8歳と3歳か4歳かの2人の小さな女の子のほかは、全部その家で日本兵に殺された。その8歳になる子の話すのを、そのおじさんの話や隣の年取った婦女の話と付き合わせて、僕が確かめたんだが、8歳の子は背中と脇とに3ヶ所刺されたが、死ななかった。死んだ人の中には、76歳のおじいさんと74歳のおばあさんに、母親に3人の娘が含まれていて、娘3人の年齢は16歳に14歳に1歳だ。娘さん2人はそれぞれ3回ほど強姦され、それから日本兵が、もっとも残忍でとても口にはできないようなやり方で2人を殺し、1歳の小さな子もいっぺんに刺し殺された。似たようなケースを南京で僕は、みんなで4件聞いている。夏淑琴さん 李秀英さん 侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre 『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2- 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 戦争の爪痕を感じる!! 関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
県当局、沖縄戦史を歪曲!! (クリックすると大きくなります!!) 「平和教育通信第100号」2012年5月号より 日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 黒い太陽731部隊 VIDEO 「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上 劣化ウラン保管、地元は初耳 山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑 「年1ミリシーベルト」で避難の権利~チェルノブイリ法 やっぱり!原発は津波が来る前に○○で壊れていた 【307】 医と法 : 被曝を機会に深くやさしく考える (1) ... 法を無視する医 20120523 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 弱い者いじめはやめて!(´・ω・`)その2 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 731・南京虐殺等損害賠償請求事件 Ⅰ 原告 王東升の遺族(王慧敏)、王耀軒の遺族(王金淑ら6名)、朱之盈の遺族(敬蘭芝) Ⅱ 裁判の経過 平成 7年 8月 7日 東京地方裁判所訴え 平成11年 9月22日 東京地方裁判所判決 平成17年 4月19日 東京高等裁判所判決 平成19年 5月 9日 最高裁判所判決Ⅲ 事実認定 「当時日本が中国で行った軍事行動は、独断的かつ場当たり的に展開拡大推進されたもので、中国国民に対し弁解の余地がない帝国主義的、植民地主義的な侵略行為にほかならない」 「真摯に中国国民に対して謝罪すべきで、民族感情の融和を図るためにさらに最大限の配慮をすべきことは言うまでもない。」 「731部隊はソ連及び中国の軍事裁判で実態が追及され日本軍人の責任が問われた。731部隊の存在と人体実験などが行われていたことは、疑う余地がない。」 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば 医学界とは731部隊そのものである ニュース保存用 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 [証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 問6.「南京大虐殺」に対して、日本政府はどのように考えていますか。 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) 1月30日、日曜日 午後4時30分に、フォースターと僕と僕らの人たちとで、ハンセンの家に集まって食事したのが、中国の農暦の正月を祝ってのことで、みんなが僕たちを、みんなと一緒に食べるのに招いてくれたんだ。みんないつもは1日2食で、朝9時と午後4時とに一食ずつだ。今日は“乾いた”ご飯のほかに、どんぶり6つの“ツァイ”〔Tsai 菜=おかず〕もあって、みんなにしてみたら、それだけでも大変なご馳走なんで、いつもはほんとに貧弱なものでしか食べてないからだ。その席でフォースターが奨励をし、僕も隣の部屋で、J.L.陳の信徒たちにお奨めをした。午後2時にも、僕小さな礼拝に参加したが、それはJ.L.陳が、シュルツ・パンティンの家に僕たちと住まっている難民たちのためにやったもので、尼さん数人と若い見習い和尚さんも出席していた。4時にフォースターが、自分の人たちのための晩祷もやった。水曜日に難民のための伝道集会をすると、彼が発表していて、金陵女子文理学院や金陵大学や、僕たちの住まいに金陵女子神学院でも似たような集会があり、華中メソヂスト教会の瀋牧師が金陵女子神学院での礼拝をするんだ。僕たちの働き人がこの企てで大きな役割を担っていて、僕らの人たちや僕たちの家屋に住まっている難民たちのためだけではなく、金陵女子文理学院や金陵大学での集会のためにも働いている。侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre 『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2- 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 戦争の爪痕を感じる!! 関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
県当局、沖縄戦史を歪曲!!「平和教育通信第100号」2012年5月号より 日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上 劣化ウラン保管、地元は初耳 山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑 福島では被曝で各種発病が報告されている 内部被曝研究会第一回総会での肥田舜太郎氏の記念講演(30分) フクシマ 真実と未来 弱い者いじめはやめて!(´・ω・`)その1 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 特移扱(とくいあつか)い 憲兵隊や警察は、人体実験の被験者集めをきわめて組織的に行った。毎年600人ほどの中国人やロシア人、朝鮮人たちが「特移扱」として731部隊に送り込まれた。部隊に送られてきた人々は「マルタ」―すなわち人体実験の材料とされた。 「特移扱」とは、主に憲兵が中国人を不法に逮捕して、裁判をせずに人体実験するために731部隊に送った制度。1937年に関東軍司令官植田謙吉 、参謀長東条英機 、石井四郎 らが謀議し、軍司令部から「特移扱規定」を秘密命令として発令、1938年1月26日関憲警第58号によって通達がなされ、さらに43年3月12日『特移扱に関する通牒』として「特移扱」の標準を規定した。 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 [証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!! <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば 医学界とは731部隊そのものである ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) そこの婦女たちはいたずらされていないんで、この点は確かに尋常ならざることであって、その気さえなれば、日本の将校でも部下の兵士たちを統御できるんだということを表している(後に日本兵が一人婦女たちの部屋に闖入しようとしたけど、策をもって阻まれた)。上海で発行されてる日本の新聞が言っているのでは(12月17日かその後だと僕思うけど)、中国の兵士たちが日本軍の情け深い扱いに感激していて、ある兵士がもう一度兵隊になりたいかどうかと聞かれたときに、「また兵隊になるんだったら、自分はきっと日本のために戦います」と答えたという(後に分かったけど、ある中国の兵士がいつもの仕方で刺し殺されたのは、自分の飯のおわんがひっくり返されて、いきり立ったからだった)。それらの負傷者への模範的扱いは、宣伝目的のためにわざと企てられたもので、それによって日常茶飯事になっていた、口にすらできない凶悪残忍さを帳消しにしようとするものだと、僕は思っている。そこの医師や看護婦たちは、いかなる恐るべきことが外で起きているのか、分からないでいるんだ。日本人が米をいくらか送ってきたといっても、そのほとんどが僕たちの手にしている資金で購入されているんだ。我々には様々な国籍の10人ほどで成る委員会があって、国際紅十字会を運営しているんで、僕がその委員会の議長なんだ。我々の手に委ねられている資金を使うのでなければ、我々実際には何ほどのこともできない。けれども負傷者への保護を提供する面において、我々の組織が大いに役立っていると、僕は思っている。そうした負傷者や医師や看護婦を保護する日本人の動機が何であれ、実際にそうされているんで、僕とてもうれしい。神様に感謝します!侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre 『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2- 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 戦争の爪痕を感じる!! 関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!まさか、日本が劣化ウラン弾を作ってはいないでしょうね? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 三井化学岩国大竹工場が爆発、2012年4月22日 深夜に爆音・炎上 劣化ウラン保管、地元は初耳 山口・化学工場爆発と劣化ウランについて。- 2012.04.22 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった イラク攻撃で使用されている劣化ウラン弾に日本の電力会社の劣化ウランが使われている強い疑惑 仏独共同の国営放送局ARTE 「フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実」 5.20 広瀬 隆さん講演会【2時間51分】 またもや破られた日本国憲法 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 731部隊の周辺 ●駐蒙軍冬季衛生研究成績 (クリックすると大きくなります!!) 731部隊による人体実験は、細菌攻撃や防御に備える目的の他に、軍陣医学に資する(戦地での治療や整形外科の)ためにも行われている。このような例は、731部隊の周辺部隊や、広く戦地の陸軍病院などでも行われていた。昭和16年2月、内蒙古において駐蒙軍冬季衛生研究班の研究が実施された。同研究班は、大同陸軍病院谷村一治軍医少佐を中心として、北支那方面軍司令部1名、駐蒙軍司令部6名、北支那防疫給水部張家口支部13名、張家口陸軍病院8名、第26師団衛生隊、独立混成第2旅団衛生隊等から編成され、徳化特務機関の協力のもと、8名の中国人男性に対して、蒙古自治連合政府錫林郭勒盟西蘇尼特西方盆地において手術演習、凍傷実験などを行なった結果、全員死に至らしめた例である。下の文は、演習終了後に読まれた弔辞で、死刑を宣告された捕虜の有効利用であったという趣旨のことも述べられている。 (クリックすると大きくなります!!) 上記の例は防疫給水部(北京1855部隊)が関わっている事例であるが、一般の陸軍病院でも人体実験はあった。 潞安陸軍病院の軍医だった湯浅謙(故人)は、自ら行った6例の手術演習や野外演習の経験を語っている。(「消せない記憶 湯浅軍医生体解剖の記録」:日中出版 吉開那津子著) 元従軍看護婦の村山三千子も、若い軍医の教育用に2名の中国人捕虜に対して行われた生体解剖の苦い思い出を語っている。(NHK戦争証言アーカイブス ) 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編[証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!! <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 武田薬品が、核ビジネス・モンサントとつながっているとすれば 医学界とは731部隊そのものである ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) 外交部にある、負傷兵たちのための国際紅十字会病院の、医師と看護婦たちから聞いたのでは、彼らは男も女も保護されているそうだ。それでも12月14日に、僕がそこに負傷兵をトラックで3台分運んで以来、僕たち外国人は、誰も入っていくのを許されてないんだが。 まさにその入口で、僕が出てこようとしたときに、当時の日本軍の指揮官に出くわし、彼が僕にすごい勢いで怒っていたんだが、僕一生であんなに僕に怒った人を見たことがない。あの時僕原因は、僕が彼の本部に行っていてその命令に従わないでいると彼が思ったんだ、と考えたんだが、後になってまた、外国人が一人こういう病院にやって来て、この病院は国際紅十字会の賛助で運用されるんだと称したのが、彼に彼らの保護以外のことをするのを不可能にしたか、少なくとも難しくしたのかもしれないと考えた。最初に南京にやってきたようなタイプの兵士たちに、機会があったとしても、何ほどのことがやれたかは、疑いの余地がない。それでも僕が初めてそこに行った時に、英語が話せるまともの将校に出逢ったんで、まさにその将校を通して、僕日本軍の総司令部へ行かれたんだ。おそらく僕たちの努力が何百名もの負傷した男の人たちと、そこの医者や看護婦たちの生命を救ったんだ。侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 Rape of Nanking Part I Atrocities in Asia Nanjing Massacre 『地獄のDECEMBER-哀しみの南京- 』舞鶴公演(2011.3.17) -2- 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 戦争の爪痕を感じる!! 関越バス事故:逮捕の運転手 経営者から一転、日雇いに ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!!日本は核兵器を生産している? 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 覚悟が必要です。劣化ウラン弾放射能影響「ファルージャの子供たち」 ■三井化学大竹工場は劣化ウラン弾の秘密工場だった (速報)岩国の三井化学大竹工場には劣化ウラン弾の秘密工場があった!イラク攻撃で使用されている疑い! 三井化学岩国大竹工場内の劣化ウランについて文部科学省が調査 仏独共同の国営放送局ARTE 「フクシマ-最悪事故の陰に潜む真実」 またもや破られた日本国憲法 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 人体実験と細菌戦 ●細菌戦 また、細菌戦の事実は、前掲書の他に、直接被害を受けた被害者遺族の証言があり、地域によっては、細菌攻撃の被害が民話として語り継がれる例もある(上田信、聶莉莉)。 さらに、吉見義明、伊香俊哉らが発見した井本熊男大佐の業務日誌(井本日誌)、金原節三軍医大佐の「陸軍業務日誌摘録」、大塚文朗軍医大佐の「備忘録」、真田穣一郎少将の業務日誌等によって、細菌作戦は関東軍第731部隊と南京1644部隊が共同し、陸軍中央の意思の下に行われたことが明らかになった。 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!! <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 医学界とは731部隊そのものである ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) 日本軍が僕たち外国人をすごく恨んでいる。もちろん例外もあるけど。彼らは我々国際難民区委員会を、働き得ないようにし、我々の手の内にある食物や油や資金を、支配しようとしている。我々は喜んで、馬〔Ma〕市長の要請に応えて任務を引き受けている公の機能を、中国の自治会の手に移しはする。けれども食物やお金などを我々が提供するのを放擲するのは、きっぱり拒絶しているんで、それは我々の働きに必要な経費であるからだし、我々が働きを継続していこうと提案しているのも、今後長い期間にわたって、難民たちが援助を必要としているからなんだ。町の生活秩序全体が全く乱れていて、工業や商業が小規模にでも快復してくるまでは、多くの人たちが援助を必要とせざるを得ないんだ。侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!! 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 医師の自重を求める武田邦彦氏 / 2012.02.26. 石川県珠洲市・講演会 北九州市がれき問題、2人逮捕について。- 2012.05.22 神保哲生 「住民投票」 2012.05.22 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 人体実験と細菌戦 ●人体実験 731部隊が行った人体実験については、戦後、中国に捕まった戦犯たちの供述調書(「細菌戦与毒気戦」:中国档按館編、翻訳は同文館「人体実験―731部隊とその周辺」「細菌作戦―BC兵器の原点」「生体解剖―旧日本軍の戦争犯罪」の3冊に所収)、ソ連が行ったハバロフスク裁判の公判記録(「細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍人ノ事件ニ関スル公判書類」)、森村誠一や常石敬一、松村高夫らの著作でも明らかだが、731部隊における実験を元にした学術論文・研究論文を丹念に読むと、人体実験が行われていたことが明らかになる場合がある。 ・陸軍衛生史第7巻・北野政次論文 流行性出血熱の病原種の決定・・・「実験ざる」と述べているのは「人」 ・日本伝染病学会雑誌(1968) 池田苗夫論文 流行性出血熱のシラミ、ノミによる感染実験・・・健康被験者4人 ・日本生理学会英文誌(1952) 吉村寿人論文 厳寒に対する皮膚反応についての研究(二) 零下20度以下の屋外に被験者をしばりつけ、腕などを塩水をかけて人工的に凍傷をつくる 棒でたたいて、凍り具合を確認する 凍傷になった腕を温度差のある湯につけて、回復具合を見る。時により患部が壊死・脱落して骨があらわになった ・「醫學と生物學」第5巻第2號(1944・受附昭和18年10月6日)池田苗夫 獣血(馬)輸血の臨床的観察・・・ 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編731細菌戦部隊の全貌 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!! <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 医学界とは731部隊そのものである ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) 何日か前に、アメリカ大使館の人たち数人が到着し、今ではドイツとイギリスの大使館員たちも戻ってきている。このことは、僕たち全ての者にとって重大な意義があるんで、彼らが僕たちに手紙を持ってきてくれ、僕たちの手紙を持っていってもくれるんだ。みんな長江で日本の爆撃に遭ったけど、アメリカの軍艦“パナイ”号にあたっただけだった。 僕が見たり聞いたりした恐るべきことを、みんな記録してるんではないんで、当事者からじかに聞いた第一次資料か、確かだと僕が確信したことの何がしかを、書き記しているだけなんだ。一切を黒一色に塗りつぶしてしまいたくないのは、公平に言って、日本人もいくらかは、いいことをしているからなんだ。たとえば、昨日僕ある婦女に逢ったけど、日本が南京を占領する前の空襲のときに、彼女は城外で飛行機から機関銃で撃たれて、何ヶ所も傷を受け、目も片方撃たれてしまい、子供が何人もいるので、彼らを養っていくのに、生後3ヶ月の赤ちゃんを城外に捨てざるを得なかったのだが、日本兵の何人かが彼女を見つけて、いささかの援助をしたんだ。僕たちの庭師が日本人に捕まっていって、何日か働いたら、毎日50セント払ってくれて、食事もいいものを食べさせてくれた。日本の領事館で働いている人たちは、一人領事警察でいやな奴がいるほかは、みんな僕たちを助けてくれたがり、日本軍のすることなすことを、恥ずかしがっていて、外国人の財産をできる限り保護してくれている。日本兵がいったいどれほどたくさん恐るべきことをやってきたのか、彼らにはわからないんだと、僕は思ってるんだが、僕たちこの後いつも彼らに十分伝えた、という結論を出さねばならないし、ずっと彼らに日本軍のやることなすことを、報告し文句をつけ続けるのが、彼らの助けてくれている面を覆い隠すような、反対の作用しか起こさないことになるかもしれない。侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!! 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 20120514 国際共同制作ドキュメンタリー インサイドフクシマ 20120520 除染と避難のはざまで ~父親たちの250日~ 核燃サイクルを何とか「留保」にしたい事情 【300】保安院、必死の抵抗 ... どうしたら原発を危険にするか?! / 武田邦彦 ますます住みにくくなる日本 ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 ●防疫給水部の規模 防疫給水部は、関東軍に731部隊、北支那派遣軍に北京1855部隊、中支那派遣軍に南京1644部隊、南支那派遣軍に広東8604部隊、南方軍にシンガポール9420部隊と各派遣軍ごとに恒久的な本部が置かれ、その下に各本部の支部、野戦防疫給水部、師団防疫給水部などが置かれた。 日本陸軍防疫給水部隊 国内に於いては、軍管区ごとに7つの軍管区防疫給水部本部が置かれ、国内外を含めて、それら全てを統括していたのが、牛込区戸山町(現在の新宿区戸山)にあった陸軍軍医学校防疫研究室(防研)である。 また、防研は、東大・京大の医学アカデミズムと防疫給水部とをつなぐネットワークの要でもあった。多くの医学者たちは防研の嘱託になり、また弟子を731部隊等に供給し、人的、学問的交流を深めた。 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編こんなにもあった細菌戦部隊 731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 ◆旧日本軍の細菌戦、中国人の被害27万人以上 ◆「731部隊」米軍へ細菌兵器攻撃を計画 (TBS 06/7/21) ニュース保存用 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 [証言記録 兵士たちの戦争 [証言記録]従軍看護婦が見た戦争 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!! <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 医学界とは731部隊そのものである ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 3月28日 南京に中華民国維新政府成立。南京事件終焉する。 4月 1日 国家総動員法公布。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】「南京事件」143枚の写真 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! マギー 夫人への手紙 (1937年12月12日~1938年2月5日) 昨日病院で逢った婦女は、何ヶ所も斬られて、頭がもう少しで落っこちるところだった。この婦女はほかの婦女4人と一緒に、金陵大学から日本兵に捕まえられていき、日本兵たちは洗濯したり仕えたりしてくれる婦女を、何人か必要としていた。その婦女の言うのでは、彼女たちのうちで若くてきれいなのは昼間は洗濯し、夜も40回くらい強姦され、彼女自身とほかの何人かは昼間は働いて、夜は10回から20回強姦されたのだ。ある日のこと、2人の日本兵が彼女について来いと命じ、ある空き家に連れて行って、そこで彼女の頭を切り離そうとした。彼女はまったく恐るべき切り傷を首に受けていて、驚いたことに活きているんだ。幸いなことに、急所のところが割られなかったのだ。彼女たちを傷つけた人の中に将校が何人かいたと、彼女が言っている。侵略の戦場で何があったのか!! 12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 南京大虐殺マギーフィルム)1 南京大虐殺 日中戦争 (1937-1938) 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) 兵士たちが記録した南京大虐殺1 阳光卫视 纪录片 国殇 第十二集:南京大屠城 ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 日本の戦争 2 南京大虐殺 南京大虐殺●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】(200)陸軍登戸研究所⑤ 731部隊と登戸研究所 動物慰霊碑1 動物慰霊碑2 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) 風船爆弾(模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)1945年3月10日●東京大空襲 母子と思われる二つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない(石川光陽撮影)我々は106回の東京の空襲も風化させてはならないが、中国重慶 に対して218回も無差別爆撃した事実も忘れてはならない!! 「重慶大爆撃とは?」 重慶大爆撃は、1938年から1943年までの5年半に及んでいる。日本軍が重慶の一般住民の殺戮を意図的に狙った残虐な無差別爆撃である。日本は、1937年7月の廬溝橋事件で中国への全面的な侵略戦争を開始したが、これ以降日本軍機は上海、南京をはじめとする中国のほとんどの主要都市を爆撃した。 重慶大爆撃が最も激しかったのは1939年から41年までの3年間であった。1939年の「五・三、五・四」、1940年の「101号作戦」、1941年の「102号作戦」・「六・五大隧道惨案」とそれぞれ呼ばれている爆撃では、重慶は甚大な被害を出した。最近の資料では、この5年半の爆撃による死傷者は6万1300人、うち死者2万3600人、負傷者3万7700人とされる。重慶大爆撃は、日本の侵略戦争に徹底抗戦する中国の政府・民衆の戦意喪失と侵略への屈服を狙った最大規模の無差別・戦略爆撃であり明白な戦争犯罪であった。重慶大爆撃とは① 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 東京大空襲 東京大空襲・戦災資料センターとは 東京大空襲・戦災資料センター 昭和20年3月10日 史上最大の虐 絵 吉野山氏提供アジアとの友好のために(1) 消えた日の丸1 ●君が代 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! 君が代の口元チェックは何が問題なのか <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●昭和天皇の戦争指導 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
日本は唯一、第2次大戦中、細菌兵器を実戦に使った加害国だった!! 日中国交正常化40周年 問われる日本政府の隠蔽体質!! 問われる日本人の歴史認識!!「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 (2012年4月15日東京ウィメンズプラザ・ホール) 「悪魔の飽食」 人体実験被害者遺族の証言 細菌戦被害者の証言 細菌戦の研究 新資料発見者 奈須重雄さんのお話 松村高夫(慶大)さんのお話 (日本軍の毒ガス被害)日本の被害者は救済するが、中国の被害者は救済しない? 茨城県に賠償命令=神栖ヒ素汚染で2826万円―公害調整委 遺棄毒ガス敦化被害事件、不当判決!! 遺棄毒ガス問題について 周桐さん・731記念館館長のお話 最後の挨拶 日本政府は731・南京大虐殺等の戦史資料及び、福島原発事故当時の官邸議事録を公開せよ!! 日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! ●731・原爆・原発 アーニー・ガンダーセン氏へのインタビュー 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... [証言記録 市民たちの戦争]封印された大震災 ~愛知・半田~ 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。原爆投下 活かされなかった極秘情報 天皇制維持条件にポツダム宣言受諾 ソ連は、アメリカの原爆投下の意図が日本を単独占領し、ソ連を脅して戦後世界政治の指導権を確保することにあると察知しました。ヤルタ協定で約束した対日参戦の時期を早め、8月8日、日本に対する宣戦布告を通知して、ソ連軍は9日未明から中国東北部(旧満州)と樺太への進攻を開始しました。ソ連を仲介者として戦争終結を模索していた日本の戦争指導者たちはポツダム宣言受諾を余儀なくされました。しかし、その通告を行う余裕もなく、2発目の原爆が長崎に投下され「この世の生き地獄」が繰り返されてしまいました。 8月9日の御前会議で、軍部は広島に投下された爆弾を原爆とは認めず、戦争継続を主張しましたが、国体護持を条件にポツダム宣言受諾は決まりました。8月10日、日本政府は「天皇の国家統治の大権に変更を加えるいかなる要求をも包含していないという諒解の下に」ポツダム宣言受諾を申し入れました。この申し入れに対し、当初、アメリカのバーンズ国務長官は、70%の米国民が天皇を戦争犯罪人として何らかの処罰を望んでいることを理由に、承認に反対しました。けれども、バーンズは、進攻を始めたソ連が日本本土に到達し、日本の占領管理に発言権を要求するようになることは、アメリカの利益を損なうというスチムソン陸軍長官の意見を受け入れて、暗に占領下の天皇存続と将来の天皇制存続の可能性を示した回答文を作成しました。この回答文を受け取った日本では8月14日の御前会議で、天皇が「敵は国体を認めると思う」として、軍部の反対を退けてポツダム宣言受諾を決めました。 こうした経過をたどってみると、アメリカ政府の原爆投下は戦争終結を早めるためだったという原爆投下正当化論は歴史的真実ではありません。111006肥田舜太郎氏インタビュー 第26回 原爆被害の隠ぺい(1) 日本政府の秘密主義・隠蔽体質を理解するための注目動画3題 731部隊と山下俊一 731細菌戦部隊残党と長崎大学の放射線医学者たち 福見秀雄・青木義勇と長瀧重信・山下俊一 ヒロシマからフクシマへ 戦後放射線影響調査の光と影【無料版】堀田伸永 山下俊一トンデモ発言 「御用学者」批判ができない大学社会 山下俊一のお師匠さん、重松逸造とは? 広瀬隆氏が山下教授や高木大臣、東電幹部らを刑事告発 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 長崎大学:チェルノブイリ原発事故と甲状腺がん このスライドはベラルーシ共和国のがん登録数で、年齢別に手術された甲状腺がん患者10万人あたりを年次推移としてあらわしたもの。 ここで、福島原発事故後に福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーに就任した山下俊一・長崎大学教授がチェルノブイリ原発事故後10年をピークに、被ばく時年齢0から15歳未満の甲状腺がん手術数が激増していると解説している。 山下教授は、アドバイザーに就任以降、後に計画的避難区域に設定さた福島県飯舘村で行った講演等で、「健康へのリスクは低く、心配する必要はない」などと発言しているが、飯舘村はベラルーシの強制移住の基準を超えている。【177】専門職が立ち上がって欲しい(1) 医学の良心と医師の倫理 / 武田邦彦 これを隠蔽と言わずして何を隠蔽と言うのだろうか 子供さんの甲状腺腫が深刻だ 原発導入のシナリオ ~冷戦下の対日原子力戦略~ 日本の原子爆弾開発 ザ・スクー 日本の原爆開発:核兵器開発競争? 鳥飼行博研究室 古舘、生放送原子力村の存在を認める 120411大石又七氏インタビューダイジェスト 原子力村をぶっつぶせ!!原発の再稼動を許すな!! 2011年12月22日 「国の放射能の『除染に効果はない』」神戸大教授 山内知也 「瓦礫処理うけいれが東北復興にならない」 2012年05月18日【金】Radio News たね蒔きジャーナル・今西憲之 野田首相の大飯原発再稼動の最終判断について。- 2012.05.17 【298】 4号機の燃料プールの計算 ... 危険か安全かを科学のレベルで ... ●「731部隊のすべて~人体実験・細菌戦~」 ●731部隊の沿革 (クリックすると大きくなります!)●731部隊の創設 (クリックすると大きくなります!)731部隊の組織 ●731部隊の任務 731部隊は、正式には「関東軍防疫給水部」という。防疫給水部の任務は、戦場での疫病対策や浄水(飲料水)の確保である。石井四郎が発明した浄水機(石井式濾水機)は、戦地で効果を発揮した。 一方で、前身の「関東軍防疫部」の設立目的(「在満兵備充実に関する意見」1936年4月23日付板垣征四郎関東軍参謀長から梅津美治郎陸軍次官に宛てた文書:国立公文書館アジア資料センター)を見ると、細菌戦準備が、当初から重要な項目として入っていることがわかる。 「在満兵備充実に関する意見」(クリックすると大きくなります!!) 「細菌戦準備」とは、攻撃準備の事を指し、防御の研究には「細菌戦対策」とわざわざ用語を使い分けている。 「731部隊のすべて―人体実験と細菌戦―」のパンフより;731部隊被害者遺族を支える会編731部隊では何が行われたのか 731部隊員の証言 1 中国再訪の旅5 七三一部隊の簡単な歴史 常石敬一 日本「731部隊」の細菌戦で2万6000人がペスト菌感染 「政府は細菌戦の資料公開を」中国の被害者遺族ら会見 旧日本軍、中国で細菌戦 陸軍の極秘公的文書に記述 細菌戦の新発見資料について ▼金子論文はこちら(PDF 14MB) 731部隊の細菌戦 新証拠発見 100部隊 こんなにもあった細菌戦部隊 ※731部隊は、ホルステン河に細菌をまき、日本兵を感染させ治療し感状を貰った!! (731部隊の治療実績を陸軍に見せつけ、陸軍内での石井四郎の発言力・影響力を強めた!!) ノモンハン事件・石井の野望 2 戦時中、普通の軍医・医学者が行なった生体解剖 太行の麓をしのんで -生体解剖- 湯浅謙 九州大学生体解剖事件 731部隊8月9日 証拠湮滅・日本帰還!! <731部隊>関係者リストの作成作業に協力要請 医学界とは731部隊そのものである ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) 精魂塔(裏) 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 証言ー侵略戦争1 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! 2009.10.25 「戦争と医の倫理の検証を」(東京保険医新聞) 「戦争と医の倫理」の検証を進める会 ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 日本政府は、戦史資料を公開せよ!! 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 清明節前に南京大虐殺記念館のモニュメント清める=江蘇省 教科書検定で「南京大虐殺」を否定、中国ネット上で反発の声 南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカン【下関】おける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)【核心氏のコメント(2009年11月2日)】栗原利一資料集 20万人しかいなかったから30万人殺せない、というのはウソ 南京事件-日中戦争 小さな資料集 日本人の「南京大虐殺」に対する認識 三笠宮崇仁と南京事件 偕行社の「お詫び」に見る南京大虐殺 23.南京大虐殺の責任(上) 東京裁判 天皇との絡み新たに 南京大虐殺 稲田朋美氏よ 日本人として恥を知れ!(その1:李秀英名誉毀損裁判) 【「南京大虐殺見た人いない」/ 田母神氏が隊員に教育か】 南京【あの発言から2か月】河村市長へのアドバイス(今、本当にできること) 「河村たかし名古屋市長の南京事件を巡る発言」 河村たかし名古屋市長による 南京大虐殺否定発言に対する抗議声明 1 河村たかし名古屋市長の発言 名古屋市の河村たかし市長は2月20日、姉妹都市である南京市の共産党市委員会の訪問団に対し、1937年12月の「南京大虐殺事件」について、「通常の戦闘行為はあったが南京事件というのはなかったのではないか」と南京大虐殺を否定する発言を行った。その後も河村市長は同趣旨の発言を繰り返し、中国国内で大きな反発を呼び起こすとともに、各種交流事業が中止になるなど、日中間の友好関係に多大なる支障をもたらしている。 しかし南京大虐殺の事実があったことは、多数の目撃者や幸存者が現実に存在しており、南京市民の「民族の記憶」として記憶され、日本、中国及び欧米の膨大な資料がその事実を裏付け、歴史学界の定説ともなっており、第3次家永訴訟では①南京事件が組織的に行われたこと、②大量のレイプが行われたことを認めている。加えて、当弁護団が関与した幾多の判決においてもその存在が認定されている紛れもない歴史の事実である。 2 判決の認定した事実 731・南京・無差別爆撃訴訟事件において1999年9月22日に東京地方裁判所が言い渡した判決は、「『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いのないところというべきであり、原告李秀英がその被害者であることも明らかである」と認定している。 この李秀英さんは、南京大虐殺当時妊娠7ヶ月だったが、日本兵の強姦に抵抗したことで全身を29箇所37回も銃剣で刺され、流産したが自身は奇跡的に生き残ったという体験をした。この李秀英さんを“ニセ被害者”呼ばわりした著者と出版社を訴えた「李秀英名誉毀損訴訟」で、2002年5月の東京地裁判決は、著者と出版社の責任を認めて損害賠償として150万円の支払を命じている。 同じく南京大虐殺の当時8歳で、家族7人を含む11人が日本兵によって虐殺され、母親や姉がレイプされ殺された現場に居合わせた夏淑琴さんについて、“ニセ被害者”と中傷した大学教授と出版社を訴えた「夏淑琴名誉毀損訴訟」でも、2007年11月に東京地裁判決は、「被告東中野の原資料の解釈はおよそ妥当なものとは言い難く、学問研究の成果というに値しないと言って過言ではない」と断罪し、400万円の損害賠償を夏淑琴さんに支払うよう命じた。 そして、上海から南京に進軍中の二人の日本軍少尉が中国人に対するいわゆる「百人斬り競争」を行ったとの毎日新聞報道や、それに対する本多勝一記者による検証論稿等が名誉毀損に問われた「南京百人斬り訴訟」で、2006年5月に東京高裁判決は、「両少尉が、南京攻略戦において軍務に服する過程で、当時としては『百人斬り競争』として新聞報道されることに違和感を持たない競争をした事実自体を否定することはできず」として、その実態が無抵抗の捕虜や農民らに対する「据えもの百人斬り」であったことを実質的に認めている。 3 撤回及び謝罪要求 これら裁判所が認定した事実は、いずれも「通常の戦闘行為」ではない日本軍による虐殺行為である。河村市長による今回の発言は、我が国の裁判所でも認定している「南京大虐殺」の事実を否定するものであり、何らの根拠のない妄言であることは明らかである。 河村市長が、こうした妄言によって中国国民を深く傷つけたこと、それによって日本国民全体の名誉も毀損したこと、さらに日中友好を大きく妨げたことは看過できない。即座に、南京大虐殺の事実を否定した発言を撤回し、中国国民及び日本国民に対し、公式に謝罪することを求めるものである。 2012年3月19日 中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 731・南京・無差別爆撃訴訟弁護団 李秀英名誉毀損訴訟弁護団 夏淑琴名誉毀損訴訟弁護団 南京百人斬り訴訟(本多勝一)弁護団南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(yahoo!ブログ)に寄せられたコメント! 南京大虐殺の大きな特徴は、武装解除した中国兵捕虜の虐殺が多いことです。すでに<12月18日の時点>で、複数の下級兵士の陣中日記に、<7万~10万人の捕虜の虐殺>の記録があります。それ以降も、虐殺が続きます。(捕虜の虐殺は、戦果となり、<軍人として出世の評価>となるので、日本軍側で集計しており、記録に残します。しかし、民間人の殺害は、隠すべきことなので、日本軍側には記録がない)これに、民間人の虐殺が追加されます。特に農村部での掃討作戦と言いながら中国人全員の殺害が多く、更に、食糧徴発、実際は掠奪の際にも、虐殺しています。(農民も、12月冬ですから食糧を掠奪されたら飢え死にです) 2012/4/10(火) 午前 7:24 [ sat*atu**200* ] 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あ