1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 史実を守る会は、河村市長に以下の抗議文を送りました。 抗議文 名古屋市市長 河村たかし殿 (1)貴殿は2012年2月20日午前、表敬訪問に訪れた南京市の共産党市委員会常務委員の一行に対し、「南京事件はなかったのではないか」と発言し、その後も同趣旨の発言を繰り返し、その結果、南京市は名古屋市との交流を一時停止、中国国内でも大きな反発を呼ぶなど、大きな問題に発展している。 (2)貴殿の今回の発言をまとめると、南京事件を否定する根拠として、①終戦後、下士官だった貴殿の父上が南京市において手厚くもてなされた、②目撃者がいない、という2点を挙げている。 しかし、根拠①は、当時の蒋介石政権の「以徳報怨」政策(国共内戦を見越しての日本軍宥和政策)に基づくものと解されるが、そもそも、この様なことが大虐殺を否定する根拠となるはずもない。これを根拠に大虐殺を否定するなどというのは、父上に対して温情を示した南京市民を裏切る暴論である。 また、根拠②は、事実に基づいていない。まず、その前提として指摘するが、南京市の地理の広さ、事件の期間の長さを考慮すれば、大虐殺の全体像を「目撃」することは不可能である。したがって、ここでの「目撃者」とは個々もしくは一定集団に対する虐殺の目撃事例ということになる。 そこで目撃の一例を挙げるならば、夏淑琴さんのケースがある。夏さんは、当時7~8歳だったが、2家族13人の内、11人が殺害されたことを目撃している(※1)。 一方、 独立工兵第1連隊第2中隊の岩崎昌治伍長は、捕獲した敗残兵を殺害したり、「城内に居った支那人を約二千名」を「全部殺してしまった」と陣中書簡に書いている(※2)。 また、ロイター通信社のスミス記者は、揚子江の桟橋で、「一千人の中国人を」「脆かせ、後頭部を撃ち抜く」という処刑の光景を目撃している(※3)。 この様に南京事件は、被害者も加害者も、また第三者でさえも虐殺の模様を「目撃」している。貴殿が言うところの「目撃者がいない」とは、単に「目撃事例の資料を知らない」ということでしかない。 (3)貴殿の「根拠」は根拠たり得ないものであり、それをもって「南京事件はなかったのではないか」などと主張するのは、非科学的主張としか言いようがない。 あまつさえ、表敬訪問に訪れた被害国の要人に向かい、この様な非科学的主張によって被害事実を否定するなどということは、誹謗中傷と受け止められても致し方ない。 即刻、「南京事件なかった」という暴言を取り消し、日中双方の国民に向かい、自身の不明を詫びることを求めるものである。 2012年2月26日 南京への道・史実を守る会 fact_keeper@yahoo.co.jp http://jijitu.com ※1 笠原十九司『体験者27人が語る南京事件』(高文研、2006年)P132-146 ※2 岩崎稔『或る戦いの軌跡』(近代文藝社、1995年)P23-80 ※3 石田勇治他『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店、2001年)P44-50南京大虐殺否定発言にその場で反論せず、受け流したのはけしからぬ!ネットで批判高まる―中国 南京での山下さん柔道教室など中止に <日本人が見た中国>公の場では不適切、名古屋市長の「南京事件なかった」発言 南京事件「生き証人」の証言を残せ、口述史分会を発足へ―江蘇省南京市 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)河村市長:「礼儀欠いた」 中国の批判報道に戸惑い 河村名古屋市長:南京事件発言 SKE48公演に影響も 石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 <河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 友人への手紙(1938年1月14日) 南京 1938年1月14日 こんにちは: この間君に手紙してから、また1週間過ぎてしまった。 この手紙で君に安心してもらうんだが、僕は依然として元気だし、君手紙くれて、関心寄せてくれてありがとう。アメリカ大使館の好意と助けで、何日か前に、僕君に電報打ったけど、たった今電報出したら、クラリッサからの手紙何通か受け取ったんで、彼女もう香港から上海に無事着いたと、言ってるが、これが彼女の漢口を出てから、初めて僕に得られた消息なんだ。彼女が上海の僕らのミッションの人たちと一緒で、すべて順調とわかり、ほんとにほっとした。僕たちここで余儀なく忍ばされたり、目撃させられたりしたいろんな艱難の只中で、彼女はとっても勇敢だったよ。彼女手紙で、君が出してくれたのを何通も受け取ったと、言ってて、それはみんな上海に保存してあり、大丈夫と思えたときに、南京の僕に送ってくれるそうだ。お父さんの10月12日の手紙を、僕に送ってくれて、それにペティとソフィが、僕の誕生日祝いに書いてくれた手紙もだ。みんな本当にありがとう!お父さんの書かれた詩はすばらしいと、僕思う。それに君のクリスマスに打った電報も、送ってきたんだから、こうしたあらゆる郵便物が、いっぺんに僕の手に入ったときの、こんなにも多くのクリスマスプレゼントを、僕が抱えた気持ち、君分かるだろう。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) 【170】 医療崩壊か? ... 医師の自重を求める / 武田 邦彦 NHKスペシャルより。 VIDEO 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 米原子力規制委 事故直後の議事録(2月22日 13:00更新) 【169】 セシウム...再飛散の恐ろしさ ( 瓦礫と同じ新しい危険 ) / 武田 邦彦 VIDEO “セシウム花粉”の恐怖…濃度は原発“汚染土”の3倍 (zakzak) 2012/02/26小出裕章氏講演会1「すべて知りたい原 2012/02/26小出裕章氏講演会2「すべて知りたい原 「原発推進」東電“社員”議員は10都県に20人 歳費以外に人件費年数億円を電気料金から二重取り この文書、危険につき取扱注意:(;゙゚'ω゚'): しがらみなし 官邸や東電の責任ばっさり 当事者責任に深く踏み込む 東電・東通原発計画に暗雲 経営悪化、国の政策混沌 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 浜中の脱走 本館の方から、ほのかに届く光を受けて、水をたたえたプールは闇に置かれた薄紙のように光って見える。コンクリートのふちに足をかけながら、この中に浜中の水死体が浮いているかもしれないと思うと、私の足はおぼえずすくみがちになった。30数人の者が、あちこちに分散して探しているのだが、このあたりには、まるで人気もなく、私と森島は不気味さのために自然に肩をくっつけるようにしていた。今見つかるか、今見つかるかと思って水面を見て歩くと、わずかな水の動きも、ふと浮遊する死体のように見えてくる。空間から落ちてくるような風が、さっと私達の頭上を越えて水面を揺さぶるたびに、私は、すうっとこめかみのあたりが寒くなった。 「ここじゃないようだなぁ」 「神社の方へ行ってみようか」 神社の方には、満洲桜などが、ちょっとした木立をつくっている。自殺だと言う確証はどこにもないのだが、木立のかすかなざわめきを眺めた瞬間、私は幼いころ村で見た首吊り男の、鼻をたらしてぶら下がっている、醜く気味悪い様子を思い出してぞっとした。 だが、そのあたりにも手がかりはなかった。私達は方針を変えようとしたが、もう見当がつかなくなり、建物のかげや草原などを、当てもなく探し回った。 「いないかァ!どうだ」 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)【お知らせ】 2・29院内集会 「シンポジウム細菌戦実施を示す新資料・金子論文を読む」 日時 2012年2月29日(水)午後3時~5時 会場 衆議院第二議員会館第2会議室(地下1階) 昨年発見された元731部隊員で陸軍軍医学校防疫研究室(途中から9研兼務)の金子順一執筆の細菌作戦に関する論文は、日本軍が中国各地で細菌戦を実施したことを裏付ける決定的な証拠です。現在、金子論文をフェル・レポートや井本熊男業務日誌と対照し731部隊による細菌戦の事実を確定し、細菌戦被害者への謝罪と賠償を実現することは緊急の課題になっています。 発言 吉見義明さん(中央大学教授) (著書:『731部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット) その他、金子論文を発見した奈須重雄さんや 国会議員からも発言を頂く予定です。 ※『金子順一論文集(昭和19年)』紹介 731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! (朝鮮日報日本語版) 南京大虐殺記念館を訪れた韓国の教師たち “南京事件”巡る名古屋市長の発言、海外メディアも関心=中国 河村名古屋市長・南京大虐殺否定発言の波紋広がる、重慶市旅行会社が日本ツアー販売中止を発表―中国 名古屋市HPに海外から大量アクセス、閲覧困難 南京虐殺否定 撤回せよ “南京事件”巡る河村発言…中国報道「日本でも非難の動き」 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)河村市長:「礼儀欠いた」 中国の批判報道に戸惑い 河村名古屋市長:南京事件発言 SKE48公演に影響も 石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 <河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) かなりの外国人が南京に留まっていて、その大部分が様々な人たちに責任を背負っています。委員会が戦闘の起きた場合に、双方がいずれも“中立区”を尊重するようにさせようと、努力しています。金陵大学病院の数少ない何人かの働き人が、勇敢にも自分の職責を履行していますが、外国人医師2人に、中国の医師1人、外国人看護婦2人と中国の看護人数名とです。負担能力を超えた仕事量と人手不足とで、彼らはもう疲れ切っていますが、中国側の管理者もその他の医療人員49名も、みんな漢口へと撤収していきました。これが僕たちの耐え忍ばなければならない、心痛む出来事の1つで―そんなにも多くの、ここで緊急に必要としている専門家が、みんな行ってしまったのです。もう一方で僕たち、危険をも怖れずに職務に忠実な勇ましい行為をも、たくさん目撃しています。僕たちにはキリストの語られた雇われた人とよい羊飼いとのお話が、なんと真実でその通りかがよく解かり、、人のために自分を犠牲にすることに含まれている意味が、これまでよりもずっとよく理解されるのです。 あなた方に、すべてが順調であるように。あなた方に、最上の祝福と深甚な愛とが与えられるように。クリスマスおめでとう!新年おめでとう!! フォースター12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 米原子力規制委 事故直後の議事録(2月22日 13:00更新) いのちを守る脱原発~ドイツ×日本から世界へ~2012 2 21 VIDEO アーニー・ガンダーセンさん、2011/12/29ビデオ(日本語字幕付) VIDEO 神保哲生 原発関連ニュース 2012.02.21 VIDEO 2012年2月22日 検証!福島原発事故記者会見・日隅一雄・たね蒔き VIDEO 20120222 日本で原発事故"その時 アメリカは・・ VIDEO 米NRC、原発事故直後の議事録公開「まだまだ米国のほうがまともな国」小出裕章 VIDEO 「原発のウソと真実」 小出裕章さん 20120224 南相馬“黒い物質”から高濃度セシウム 南相馬「黒い物質」セシウム108万Bq/kg検出「東京などでも特別にそういう強烈なものが集まっている場所はあるはず」小出裕章 VIDEO 2012.2.23(木)ニュース解説 眼 秘密保全法の大罪悪 VIDEO 120212 広瀬隆さん講演会「収束宣言の嘘を暴 120212 広瀬隆さん講演会「収束宣言の嘘を暴 ついに始まった・・Σ(゚д゚lll) NRC元委員長 参考人招致へ(2月27日 6:55更新) 国のやり方恐ろしい…意見交換会欠席の双葉町長 東海第二原発の廃炉を求めて集会 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 浜中の脱走 「俺の当番のときに限って事故をおこしゃがる」 などという傭員たちの声を、私は帰りながら耳にとめた。 野口傭員も、やはり脱走、または自殺行と判断し、私達が初めに属していた内務班の全員がたたき起こされて捜索が開始された。 営外へ出ることは、まず不可能なことなので、営内を探し回るのだが、周囲1里以上もある営内のことであるから、1人の人間を見つけるというのは容易なことではない。まして、月のない夜だからなおさらである。 阿部のこともあるので、私と森島は“自殺”のほうに重点を置いて探すことにした。 「自殺だとすれば、どこだろうかねぇ?」 “自殺”という言葉を言いながら、私は自分でも、いやぁな気がした。私の憶測では、第一に、プールが考えられた。私達は時々プールで泳いだものだったが、私は浜中の泳いでいるのを見たためしがなく、彼は泳ぎが上手ではないのだと思われた。もっとも浜中は泳ぎに興じている精神的ゆとりがなかったともいえるが、それにしても水に親しむ男ではなさそうだった。 「プールのほうを、見てみようか?」 森島は無言で、私の発言に従った。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)【お知らせ】 2・29院内集会 「シンポジウム細菌戦実施を示す新資料・金子論文を読む」 日時 2012年2月29日(水)午後3時~5時 会場 衆議院第二議員会館第2会議室(地下1階) 昨年発見された元731部隊員で陸軍軍医学校防疫研究室(途中から9研兼務)の金子順一執筆の細菌作戦に関する論文は、日本軍が中国各地で細菌戦を実施したことを裏付ける決定的な証拠です。現在、金子論文をフェル・レポートや井本熊男業務日誌と対照し731部隊による細菌戦の事実を確定し、細菌戦被害者への謝罪と賠償を実現することは緊急の課題になっています。 発言 吉見義明さん(中央大学教授) (著書:『731部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット) その他、金子論文を発見した奈須重雄さんや 国会議員からも発言を頂く予定です。 ※『金子順一論文集(昭和19年)』紹介 731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 南京虐殺否定 撤回せよ “南京事件”巡る河村発言…中国報道「日本でも非難の動き」 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)河村市長:「礼儀欠いた」 中国の批判報道に戸惑い 河村名古屋市長:南京事件発言 SKE48公演に影響も 石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 <河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 手紙を出すのはまだできるんで、僕は毎日クラリッサに書いて、漢口まで航空で送っています。彼女からは一通受けただけで、感謝祭当日のお昼に無事に着いたと、知らせてきました。その他に彼女の手紙はもらっていません。先週何とか長距離電話をかけてきて、とても元気で、僕の手紙を受け取ったと、言っていました。それで僕ほんとにうれしくなりました。彼女は毎日語学の学校で勉強しています。南京での経験から中国語が話せるようになることが、どんなに必要かがわかったんです。ほかの人たちと一緒に学べるのを、僕は喜んでいるんで、1人で勉強するよりずっと易しく、ずっと系統だつのです。彼女は、デクステルさんと一緒に、住まっています。ある日大使館から僕に電話で、国務院から、クラリッサの漢口での予定についての問い合わせがあったと、言ってきたので、あなたがきっと僕の、大使館を通じて出した電報で、彼女が漢口を離れることに言及したのを、受け取ったんだと思いました。彼女はあそこで、すべてうまくいってるでしょうけど、もしも離れなければならないのなら、ほかのミッションの人たちと一緒に、適当な時期に行けばいいと、僕は思うんです。香港を通って上海へも行けるし、西へ西へと移っていく中央政府について、四川省に入ってもいいし、何はともあれ、彼女の安全を気遣う必要はないと、僕思っているんです。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 米原子力規制委 事故直後の議事録(2月22日 13:00更新) いのちを守る脱原発~ドイツ×日本から世界へ~2012 2 21 VIDEO アーニー・ガンダーセンさん、2011/12/29ビデオ(日本語字幕付) VIDEO 神保哲生 原発関連ニュース 2012.02.21 VIDEO 2012年2月22日 検証!福島原発事故記者会見・日隅一雄・たね蒔き VIDEO 20120222 日本で原発事故"その時 アメリカは・・ VIDEO 米NRC、原発事故直後の議事録公開「まだまだ米国のほうがまともな国」小出裕章 VIDEO 「原発のウソと真実」 小出裕章さん 20120224 南相馬“黒い物質”から高濃度セシウム 南相馬「黒い物質」セシウム108万Bq/kg検出「東京などでも特別にそういう強烈なものが集まっている場所はあるはず」小出裕章 VIDEO 2012.2.23(木)ニュース解説 眼 秘密保全法の大罪悪 VIDEO 120212 広瀬隆さん講演会「収束宣言の嘘を暴 ついに始まった・・Σ(゚д゚lll) 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 浜中の脱走 私は電流に打たれたように、そのとき、初めて事態のただならぬことを悟った。 支給された被服はきちんとたたまれ、いつもある日記やその他の見廻り品は何1つないのである。意識的に整理したものであることが、歴然としている。 森島も起きてきて、ただならぬ表情で、どうしようと言う風に私を見つめた。 「報告してこようか。俺たちだけで探したって、とても分りゃしないだろうからね」 私は、野口傭員のいる夜警詰所に駆け出して行った。 「どうした?」 私のそぶりはやはり尋常ではなかったのだろう。野口傭員が待ち構えていたように立ち上がってきた。 「浜中が、まだ帰ってこないのであります。それに、私物はすっかり整理されています」 「ん?」 と、野口傭員は目を丸くして、 「すぐゆく」 と、同僚たちに事態の説明にかかった。 「やれやれ、やっかいなことをしてくれぁがったなぁ」 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)【お知らせ】 2・29院内集会 「シンポジウム細菌戦実施を示す新資料・金子論文を読む」 日時 2012年2月29日(水)午後3時~5時 会場 衆議院第二議員会館第2会議室(地下1階) 昨年発見された元731部隊員で陸軍軍医学校防疫研究室(途中から9研兼務)の金子順一執筆の細菌作戦に関する論文は、日本軍が中国各地で細菌戦を実施したことを裏付ける決定的な証拠です。現在、金子論文をフェル・レポートや井本熊男業務日誌と対照し731部隊による細菌戦の事実を確定し、細菌戦被害者への謝罪と賠償を実現することは緊急の課題になっています。 発言 吉見義明さん(中央大学教授) (著書:『731部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット) その他、金子論文を発見した奈須重雄さんや 国会議員からも発言を頂く予定です。 ※『金子順一論文集(昭和19年)』紹介 731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 河村・石原両氏の発言には全くあきれる!! 「ノブの日記」(seesaaブログ)に寄せられたコメント 河村は本当に馬鹿な男だ、数年前実名で河村に抗議したが返事なし、30万は毛沢東の宣伝で過大だが蒋介石は3万人以上と国連に報告、虐殺は有った、私は中国から復員してきた友人の父親の軍医から聞き15年前南京を訪問現地の資料をみて恐ろしくなった。(sakai)河村市長:「礼儀欠いた」 中国の批判報道に戸惑い 河村名古屋市長:南京事件発言 SKE48公演に影響も 石原都知事:「河村君正しい」 南京事件否定発言を擁護 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 <河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 今はそのあたりから来る人が、もう多くないのは、戦線がもうこんなにも近くなり、鉄道の使いようがなくなったからなのです。マギーが、中国の空軍と4年間つきあったアメリカ人と、出逢ったんですが、その人は上海から戻ってきたばかりで、丸々2週間かけて、やっとここに着いたのです。小船に乗ってきたのですが、揚州はいたるところ、鎮江から揚子江を渡って、撤退してきた中国の兵士でいっぱいだったと言っています。と言うことは、僕たちの家屋がもう彼らに占領されてる、ということでしょう。僕たちの中国人司祭の寇さんが、僕への手紙で言っているんですが、揚州地域の役人が2度も、馬漢学校の建物を江蘇省政府の所在地にしようとしてきたんで、僕たちももちろん断りました。もしも承諾したら、私達の政府に累が及ぶことになるでしょう。難民や傷病兵が僕たちの家屋を使うのは、認めますけど、軍事や政治の機構に用いるのは、認めないのです。もしも彼らが力ずくで占用したらば、僕たちも方法がありません。寇さんから僕が最後に聞いた言い方では、建物はまだ占用されていません。南京ではもう郵便物が受け取れなく、僕たち外界と隔絶されて、もうかなり経ちました。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 米原子力規制委 事故直後の議事録(2月22日 13:00更新) いのちを守る脱原発~ドイツ×日本から世界へ~2012 2 21 VIDEO アーニー・ガンダーセンさん、2011/12/29ビデオ(日本語字幕付) VIDEO 神保哲生 原発関連ニュース 2012.02.21 VIDEO 2012年2月22日 検証!福島原発事故記者会見・日隅一雄・たね蒔き VIDEO 20120222 日本で原発事故"その時 アメリカは・・ VIDEO 米NRC、原発事故直後の議事録公開「まだまだ米国のほうがまともな国」小出裕章 VIDEO 「原発のウソと真実」 小出裕章さん 南相馬「黒い物質」セシウム108万Bq/kg検出「東京などでも特別にそういう強烈なものが集まっている場所はあるはず」小出裕章 VIDEO 双葉8首長、国・東電に不満噴出 県も指導力不足と注文 過去に目を閉ざす者は結局のところ現在に盲目となります。 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! この8人の先生は本当に勇気があると思う!! 君が代不起立:大阪市教委、8人処分 条例施行後で初 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 浜中の脱走 その夜も、いつもとかわりなく、消燈後に浜中はふらっと部屋を出た。ところが、戻る時分になっても帰って来ずに、とうとう12時の巡視の時間になってしまった。 回ってきたのは、野口と言うあまり目立たない温厚な傭員であった。 「浜中はどうした?」 ときかれ、私は、正直に、外に出たというよりなかった。 「勝手な行動をさせちゃ困るじゃないか。なぜ、注意しないのだ」 「このごろ、何かふさぎこんでいるようですので、私達もどうしていいか分からず、困っています。」 「友達がいのない奴らだなぁ。帰ってきたら、すぐに報告に来るように言っておけ」 そのときは、それだけで一応すんだ。 しかし、浜中は1時になっても帰ってこなかった。 「どうしたんだろうな」 「まさか・・・・」 と、内気な森島は口をそれっきりつむんだ。脱走か、自殺か、と考えたのだろう。しかしどちらも大げさすぎて私にはどうしても実感がわいてこない。といってすてておく気にもなれず、私は、浜中の見廻品を調べた。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)【お知らせ】 2・29院内集会 「シンポジウム細菌戦実施を示す新資料・金子論文を読む」 日時 2012年2月29日(水)午後3時~5時 会場 衆議院第二議員会館第2会議室(地下1階) 昨年発見された元731部隊員で陸軍軍医学校防疫研究室(途中から9研兼務)の金子順一執筆の細菌作戦に関する論文は、日本軍が中国各地で細菌戦を実施したことを裏付ける決定的な証拠です。現在、金子論文をフェル・レポートや井本熊男業務日誌と対照し731部隊による細菌戦の事実を確定し、細菌戦被害者への謝罪と賠償を実現することは緊急の課題になっています。 発言 吉見義明さん(中央大学教授) (著書:『731部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット) その他、金子論文を発見した奈須重雄さんや 国会議員からも発言を頂く予定です。 ※『金子順一論文集(昭和19年)』紹介 731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 <河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 教会堂へ行く道で空襲に遭い、車から飛び降りて、物陰に隠れなければなりませんでした。この車は無錫の人たちが上海へ向かうときに、置いていってくれたもので、今僕たちそれがこの上なく貴重なものと思えるのは、南京は町がとても広いのに、この3週間近くバスも人力車もほとんど停まっていて、ハイヤーもつかまらないからです。来週がこの町の運命を決するときです。できるだけ早くそれが決して、すべてが正常に落ち着いてくれるようにと、願っています。今日午後、自転車で聖ボーロに行きましたが、町は一面に荒廃してしまっていて、ほんのたまさか、1人か2人見かけられるだけでした。 僕たちの傷ついた兵士を救援する仕事に、ほんの少し成果が出てきたようです。前は兵士が駅に着いたばかりのときの駅の状態は、全く恐るべきもので、仕事しに来るよう頼まれていた人は、影も形も見せず、傷病兵は時には何日も、問いかけに来てくれる人もなく、傷口を包帯してくれたり、食物を供給してくれたりする人もいませんでした。僕たち自分自身でそこへ行って、お手伝いしました。僕たちのやってることがなんとか、当局者の注意を引いたようで、措置が採られるようになり、今まで1日24時間そこに医者も看護婦もいて、傷病者は迅速に病院へ送られています。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 米原子力規制委 事故直後の議事録(2月22日 13:00更新) いのちを守る脱原発~ドイツ×日本から世界へ~2012 2 21 VIDEO アーニー・ガンダーセンさん、2011/12/29ビデオ(日本語字幕付) VIDEO 神保哲生 原発関連ニュース 2012.02.21 VIDEO 2012年2月22日 検証!福島原発事故記者会見・日隅一雄・たね蒔き VIDEO 20120222 日本で原発事故"その時 アメリカは・・ VIDEO 米NRC、原発事故直後の議事録公開「まだまだ米国のほうがまともな国」小出裕章 VIDEO 「原発のウソと真実」 小出裕章さん 過去に目を閉ざす者は結局のところ現在に盲目となります。 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 明石氏と再び・・・ それにも増して不思議なのは、「731」の牒報面を背負って立つといわれる資質がどこに隠れているのか、と思えるほど温和で平凡な表情である。5ヶ国語を自由に操ると聞いていたが、不必要な部隊内では間違ってもそんな言葉を口にすることはない。こんな底知れぬ態度が、この人を英雄視している1つの原因だったのだろう。 明石氏は、それ以来8月になっても姿を見せず、部隊が撤去するときも、噂すら聞くことができなかった。浜中の脱走 恋人が家族とともに通化移ってから、浜中は極度に物淋しげであった。夜になると彼はつかれた者のようにふっと立ち上がって外へ出て行き、また悄然と帰ってくる日が続いた。 来住野は隔離され、浜中はみずから私達とは別世界を選んで住んでいるようなもので、私と森島も、さながら2人だけ取り残されたような淋しさを感じていた。だが、私達はそうした浜中を慰めるすべを知らなかったし、彼の自由に任せておいたほうが、彼を刺激しないで済むだろうという気持から、あえて立ち入らなかったのである。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)【お知らせ】 2・29院内集会 「シンポジウム細菌戦実施を示す新資料・金子論文を読む」 日時 2012年2月29日(水)午後3時~5時 会場 衆議院第二議員会館第2会議室(地下1階) 昨年発見された元731部隊員で陸軍軍医学校防疫研究室(途中から9研兼務)の金子順一執筆の細菌作戦に関する論文は、日本軍が中国各地で細菌戦を実施したことを裏付ける決定的な証拠です。現在、金子論文をフェル・レポートや井本熊男業務日誌と対照し731部隊による細菌戦の事実を確定し、細菌戦被害者への謝罪と賠償を実現することは緊急の課題になっています。 発言 吉見義明さん(中央大学教授) (著書:『731部隊と天皇・陸軍中央』岩波ブックレット) その他、金子論文を発見した奈須重雄さんや 国会議員からも発言を頂く予定です。 ※『金子順一論文集(昭和19年)』紹介 731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京事件発言、河村市長を大村知事が批判 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明 <河村市長>南京事件否定発言 撤回の考えないことを明言 「河村名古屋市長の父は南京大虐殺を知るはずない」=中国報道 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 上海あたりで、死傷者が非常に多く、それには最精鋭部隊も含まれているのです。南京防衛に参加しているのは、戦闘能力がどれほどかわからない新兵軍団か、何回となく戦役に参加した老兵たちなのです。僕たちますます一切が、神様の御手の内にあると悟るようになり、主が主の御旨を達成されると、確信させられています。神が私達をここにお召しになり、一日また一日と私達に、為すべき務めを与えてくださっているのであって、私達は主が始めから終わりまで、私達を顧みていてくださるのに、全くお委ねしているのです。僕たちの中国人信徒たちには、それが非常に大きな慰めなので、そのうちの多くはほかに行くべき所がなく、ある者たちは、爆撃されたり破壊されたりした所からここへ逃れてきて、僕たちのここにたどり着いたのです。恨み言を言う人はいません。その人たちの多くが住まっている家に、祭壇を一つしつらえて、毎晩毎晩そこでお祈りしています。マギーがそこで聖餐式をし、同じ時に僕も聖ボーロ堂で同じ式をしました。聖ボーロで式に出た人は多くはないですが、こういう時期に、これほどの人が出ているということが、すでに驚くべきことです。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 米原子力規制委 事故直後の議事録(2月22日 13:00更新) いのちを守る脱原発~ドイツ×日本から世界へ~2012 2 21 VIDEO いわき市の子、35ミリシーベルト甲状腺被ばくについて。- 2012.02.22 VIDEO ニュースの深層「原発事故報道・検証 あの時伝えられたこと」1/3 VIDEO 「1次評価だけでは不十分」=安全委、再稼働判断せず―班目委員長 班目さんがどんなに抵抗しても、多分ダメ 小出裕章 VIDEO 福島原発事故から何も学ばない原発マネーに目の眩んだ高学歴で頭の悪い人々(`・ω・´) 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 明石氏と再び・・・ 「この秋が決戦だろうかな」 と言っただけだった。明石氏はやはり、私を認めてくれるために私を連れ出したのである。 足は自然に酒保に向いていた。だが、明石氏は裏口から入って人気のない小部屋に私を案内した。 「珍しいものがあったらやってくれ」 と、なじみらしい人に言って、私のために、ウィスキーの入ったチョコレートを出してくれた。 故郷を懐かしむ話が断続的に続いた後、 「今度こそ、本当に会えんかもしれないなぁ」 と、明石氏はウィスキーをなめるように味わいながら言った。 「また、どこかへお出かけなんですか?」 「うん。・・・最近また急に忙しくなってね。ハルピンなんかに出ると、みんな俺の敵ばかりだ」 「危険ですね」 「こっちも危険だし、向こうさんも危険だ」 明石氏はそう言って笑った。私は、この人の年齢をまだ、はっきり知らなかった。この人のことをしゃべってくれた技手や雇員たちも、はっきり覚えてはいなかった。ちょっと見ると40才ぐらいに見えるのだが、よく見ると30そこそこぐらいにも見えてくる。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 中国南京市が名古屋市との交流停止、河村市長の発言に反発 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) テクサス石油会社のマネージャーのハンセンさんが、大変ご親切に、僕たち自身と僕たちの周囲の人たちとで、会社の宿舎を使うようにしてくださったのです。それがちょうど国際委員会が、南京から離れようの無い一般の人たちを保護するのに、確保しようとしている安全区の内側なんです。僕たちには、かなり多くの働き人と信徒がいるので、その人達に引っ越して行かせ、そこに落ち着かせることにしたのです。ほかの所はみんないっぱいで、マギーと僕とがこの建物に入れば、仕事をしていくのに、ずっと自由になるんです。それで僕たちも落ち着き、一段落したんです。僕たちできるだけ多くのものを、運んでくるのに忙しかったのは、もしも中国の軍隊がほんとに町を防衛するんだったら、僕たちの下関にある住まいが、砲弾なんかにたっぷり見舞われるに、決まっているからです。いろんな物を片付けるのに、全くてんてこ舞いで、今後もしも僕、宣教師になれなかったら、人に雇われて、物を運んだり荷造りしたりするのになるよ!僕の得ているニュースからすると、日本軍はすぐにも来るようで、中国側がどれだけ抵抗するのかと、誰もがいぶかっています。防御の用意をしてるには決まっていますが、いったいどれほど抵抗できるかが、分からないのです。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 ボケの斑目が原子力委員長のままでいいのか (日刊ゲンダイ)「日々担々」資料ブログhttp://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-5013.html 「生の記憶がない」と発言 まだ居座り続けていたのか――。国会の原発事故調査委員会がきのう(15日)開かれ、参考人として出席した原子力安全委員会の班目春樹委員長が、ユルユルの原発安全基準を示してきた国の指針について「瑕疵(かし)があった。お詫びする」と謝罪した。 5年前、班目委員長は浜岡原発運転差し止め訴訟の証人尋問で、「全て(の危険性)を考慮すると設計できなくなる」と答えていた。危険性を唱える声を無視しながら、今さら「瑕疵」とは笑わせる。 さらに驚いたのは、当時の事故状況について「ほとんど生の記憶が残っていない」とトボケていたことだ。震災翌日に菅前首相とそろってヘリに乗り込み、原発を上空から視察したパフォーマンスも忘れたというのか。 「一番の大罪は、放射性物質の拡散予測システム『SPEEDI』のデータの公表が遅れたことでしょう。あれで福島県の浪江町や南相馬市など多くの地元住民が被曝(ひばく)の危険にさらされた。班目委員長に反省の色は全くなく、きのうの調査委でも『迅速に公開されていたら、うまく避難できたというのは全くの誤解』と言い訳していたが、実際に米軍はそのデータを基に避難したのです。公表データを“うまく”使うか、使わないかを判断するのは住民です。今なお、こんな言い逃ればかりしている姿は理解に苦しみます」(事故調傍聴者) 反省もなく言い訳に終始している男が今も年間1500万円もの報酬を得ている委員長を続投なんて許されるわけがない。即刻、クビにして福島原発の事故現場のガレキ処理に送り込んで罪の償いをさせた方がいい。事故調査委員会での斑目委員長の質疑に対する小出さんの意見 VIDEO 「1次評価だけでは不十分」=安全委、再稼働判断せず―班目委員長 かんさい熱視線「どうする老朽化原発」(NHK) このストレステストでは原発の安全性は確認できない VIDEO 国内の原発が全て停止することについて。福島県民の健康調査の結果について。 VIDEO 国民を守らない国家に成り下がった・・(`・ω・´) 原発避難の子ども達 続く苦しみ 原発周辺 海底の土覆う工事へ(2月22日 5:30更新) 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 橋下市長、原発条例制定に反対 住民投票案に意見書 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 明石氏と再び・・・ 「ちょっと、かりますよ」 明石氏が静かな口調で佐川技手にいい、私の顔を慈父のようなまなざしでのぞいた。 「どうぞ。今日はどうせ、これぎりですから」 と、佐川技手が答えた。 私は、皆の視線を背に感じながら、内心得々として、明石氏と一緒にそこを離れた。 「まだ暑いなぁ。どこへゆこうなか?・・・・俺の官舎へ行ってもご馳走はないな。女房を郷里へ帰してしまったあとだから」 「帰されたのですか?やはりここも危険なのでしょうか?」 と、私は、通化への移動をあわせ考えながらきいた。 「そんなこともあるまいが、第一、俺がここにいることが少ないんだからね。・・・この前、君と会ってから間もなく出かけて、昨日帰ったばかりだ」 「沖縄もとうとうだめでしたけど・・・今度はどっちへくるでしょうか?」 そうたずねる私には、果たして、世界中を驚倒させる新兵器が実際に使用されるのかどうかを知りたい下心と、何か希望的な予想をこの人から聞きたいという期待があった。 しかし、明石氏は、「ううん・・・・」と気のない返事をしたあと、 「この秋が決戦だろうかな」 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 河村市長「南京大虐殺なかった」…中国訪問団に 河村市長発言に中国側が不快感 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 家族への手紙(1937年12月7日) 四条巷10号、鼓楼、南京 1937年12月7日 愛する家族たち: 先週手紙が書けなかったので、今週できるだけ補いをつけます。ごめんなさい。先週はとても忙しく、結局は何とか家の物を下関から、上記のところへ運んだんですが、そこはあるドイツ人の住まいで、ドイツ大使館がその国の人たちを、漢口へ行かせるのにチャーターした船に、その人がクリッソを乗せたんです。コーラと僕たち呼んでいる若いロシア人(ほんとの名前はとても呼びにくい)が、シュルツ・パンティンさんの家を面倒見ているんですが、知ってのとおり、僕たちの下関の敷地は、南京の北に面した主な門の外側なのです。城門からほんのすぐそこなんです。日本軍が南京に迫ってきていて、情勢が日に日に緊迫しているんで、僕たちやはり、中国人の働いてくれてる人たちや信徒たちと一緒に、城内に引っ越した方がよく、しかも城門が警告なしに突然閉まってしまい、僕たちが外に締め出されて行き場が無い、ということにならないようにすべきだと、思ったんです。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 福島1万人余外部被ばく量推定(2月20日 21:00更新) NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 ボケの斑目が原子力委員長のままでいいのか (日刊ゲンダイ)「日々担々」資料ブログhttp://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-5013.html 「生の記憶がない」と発言 まだ居座り続けていたのか――。国会の原発事故調査委員会がきのう(15日)開かれ、参考人として出席した原子力安全委員会の班目春樹委員長が、ユルユルの原発安全基準を示してきた国の指針について「瑕疵(かし)があった。お詫びする」と謝罪した。 5年前、班目委員長は浜岡原発運転差し止め訴訟の証人尋問で、「全て(の危険性)を考慮すると設計できなくなる」と答えていた。危険性を唱える声を無視しながら、今さら「瑕疵」とは笑わせる。 さらに驚いたのは、当時の事故状況について「ほとんど生の記憶が残っていない」とトボケていたことだ。震災翌日に菅前首相とそろってヘリに乗り込み、原発を上空から視察したパフォーマンスも忘れたというのか。 「一番の大罪は、放射性物質の拡散予測システム『SPEEDI』のデータの公表が遅れたことでしょう。あれで福島県の浪江町や南相馬市など多くの地元住民が被曝(ひばく)の危険にさらされた。班目委員長に反省の色は全くなく、きのうの調査委でも『迅速に公開されていたら、うまく避難できたというのは全くの誤解』と言い訳していたが、実際に米軍はそのデータを基に避難したのです。公表データを“うまく”使うか、使わないかを判断するのは住民です。今なお、こんな言い逃ればかりしている姿は理解に苦しみます」(事故調傍聴者) 反省もなく言い訳に終始している男が今も年間1500万円もの報酬を得ている委員長を続投なんて許されるわけがない。即刻、クビにして福島原発の事故現場のガレキ処理に送り込んで罪の償いをさせた方がいい。事故調査委員会での斑目委員長の質疑に対する小出さんの意見 VIDEO 「1次評価だけでは不十分」=安全委、再稼働判断せず―班目委員長 首都直下型地震が切迫している理由:BCPの基礎知識 VIDEO 石橋克彦 神戸大学名誉教授(地震学) 2011.11.29 VIDEO 首都圏で地震が多いですね??(´・ω・`) 20120216 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 VIDEO 命を粗末にしてはいけない!(。・x・)ゝ 橋本さん!首相公選制よりいっそのこと、天皇制から大統領制にしてみては!! (戦争の反省とそれに基づく憲法9条を国是にして) 大阪府教育基本条例案に反対します 橋下市長、原発条例制定に反対 住民投票案に意見書 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 明石氏と再び・・・ 温度に対しても、細菌はきわめて敏感で、多くの病原菌は最低25度くらいから42、3度までが限度であり、37度前後を適温とする。しかし、ペスト菌は、最低摂氏5度でも発育するそうである。 「どんな場合に、どの細菌を使用すればいいか、おおよその見当はつくだろう?」 「ペストに力こぶを入れている理由がわかったろう」 などと、佐川技手がその都度、私達にささやいた。 映画が終って、目のくらむような明るい外に出た。7月の太陽は、西に傾いてからもその焼き尽くしたような熱気を失っていなかった。目をならそうとして、立ち止まったまま少しの間まばたいていた私は、いきなり誰かに肩をつかまれた。 明石氏であった。 私は、湧然とこみ上げる嬉しさに、顔の紅潮してくるのが自分でもよく分かった。 (死にゃしなかったのだ。よかった) と思う。が、私はそれを口に出せず、さきに、 「元気か?」 と言われて、はにかみながら「はい」と答えただけだった。 明石氏は前と同じく平服だったが、佐川技手や小枝傭員たちが愛想よく敬礼するので、私は小気味よい楽しさでその風景を眺めていた。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 2月13日、日曜日 1時間足らずで、手紙が持ってかれるんで、もう幾つか書き加えるよ。今朝の礼拝はとてもよく、雨だったのに、出る人が多かった上に、初めから終わりまで恭しく耳傾けていた。使徒の書簡で、自分たちの前に置かれた馳せ場を走りぬくところなど、説教した。マギーとも、聖ボーロ堂に戻っていく問題でよく話し合ったが、彼はとてもいいアイディアだと、思っている。僕ら食事はやはり、ほとんど一緒にするんだ。彼がずっとシュルツさんの住まいに滞在するのも、下関の情況がよくなるまでだ。今週にも引っ越すつもりで、巻きタバコの缶を幾つか君から送ってもらえたら、折に触れてやって来る兵士らに渡してやれると思いついた。一番高いのでなくていいんだ。マギーも僕も元気で、2人とも忙しい。先週は揚州の我らが“オールド・ホーム”へ行って過ごしたかったよ。すべての人達にどうぞよろしく。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 国家財政が破綻しつつある日本である。 年金もままならない!! 北海道では、生活保護も受け取れず、この寒い中餓死した若い姉妹がいた。 その一方で、巨費をかけた宮内庁病院がありながら、そこではなく、東大・順天堂大の優秀な医師たちに国民の税金をふんだんに使って、手術をさせ、延命をはかる戦犯の息子がいる。マスコミはこぞって大々的にこのニュースを報道し、批判の批の字もない。 国民の最低生活を保障した憲法は本当にこの国で活きているのか?国民主権は本当なのか?疑問に思う!! NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 ボケの斑目が原子力委員長のままでいいのか (日刊ゲンダイ)「日々担々」資料ブログhttp://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-5013.html 「生の記憶がない」と発言 まだ居座り続けていたのか――。国会の原発事故調査委員会がきのう(15日)開かれ、参考人として出席した原子力安全委員会の班目春樹委員長が、ユルユルの原発安全基準を示してきた国の指針について「瑕疵(かし)があった。お詫びする」と謝罪した。 5年前、班目委員長は浜岡原発運転差し止め訴訟の証人尋問で、「全て(の危険性)を考慮すると設計できなくなる」と答えていた。危険性を唱える声を無視しながら、今さら「瑕疵」とは笑わせる。 さらに驚いたのは、当時の事故状況について「ほとんど生の記憶が残っていない」とトボケていたことだ。震災翌日に菅前首相とそろってヘリに乗り込み、原発を上空から視察したパフォーマンスも忘れたというのか。 「一番の大罪は、放射性物質の拡散予測システム『SPEEDI』のデータの公表が遅れたことでしょう。あれで福島県の浪江町や南相馬市など多くの地元住民が被曝(ひばく)の危険にさらされた。班目委員長に反省の色は全くなく、きのうの調査委でも『迅速に公開されていたら、うまく避難できたというのは全くの誤解』と言い訳していたが、実際に米軍はそのデータを基に避難したのです。公表データを“うまく”使うか、使わないかを判断するのは住民です。今なお、こんな言い逃ればかりしている姿は理解に苦しみます」(事故調傍聴者) 反省もなく言い訳に終始している男が今も年間1500万円もの報酬を得ている委員長を続投なんて許されるわけがない。即刻、クビにして福島原発の事故現場のガレキ処理に送り込んで罪の償いをさせた方がいい。事故調査委員会での斑目委員長の質疑に対する小出さんの意見 VIDEO 20120216 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 VIDEO 命を粗末にしてはいけない!(。・x・)ゝ 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 明石氏と再び・・・ かなり古いフィルムなので、画面は、ちらちら絶えず雨が降っていた。この日の映画は、かつての実験に基づく細菌の特殊な生活性状をとらえたもので、寒冷と乾燥温に対する各細菌の抵抗力の差異が説明された。寒冷に対しては一般に抵抗力が強く、氷結中にあるペスト菌、コレラ菌、化膿性球菌などが、死滅せずに残っていて、春とともにまた繁殖を再開する有様。乾燥に対して抵抗力が弱く乾燥後数時間にして死滅してしまう、インフルエンザ菌、ペスト菌、コレラ菌などと、比較的抵抗の強いチフス菌、ジフテリー菌などの比較、さらに乾燥数十日数ヶ月を経ても死なずにまた活動を始める結核菌、葡萄状菌などの生態が次々に映し出される。特に、破傷風菌、脾脱疽菌 、悪性浮腫菌など、芽胞を形成している菌類は、沸騰している湯をかけても死滅しないのであった。つまり、芽胞は高等植物の種子にあたる耐久器官で、菌体が破壊されても芽胞だけ残っていて、また発芽してくるのである。そして、それらはいずれも実地に即応して行われた実験らしかった。 こうした、風土気候と細菌の抵抗力を知ることは、細菌戦を行うにあたって重要な課題なのである。いかに強力な菌を生産しても、生活環境を無視しては、その威力を発揮することはできない。 部隊で特に気象班を整備して周到な気象観測を続けているのもそのためにほかならないのである。 温度に対しても、細菌はきわめて敏感で、多くの病原菌は最低25度くらいから42、3度までが限度であり、37度前後を適温とする。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) それにスーツケースから出て来たいろんな物を送るよ。スーツケースやら引き出しやらどこだか分からない所やらに、ごたごたしていた物また物で、全く頭が痛く、何とか早く片付いてほしいんだが。・・・コーラとズィンドゥベルグが今朝栖霞山からやって来て、お昼ご飯を食べて、また出て行った。ズィンドゥベルグはサングリーンとスールさんとを知っている。僕たちがこの前そこへ行ってから、今まで、うんと長い時間が経ったみたいだね?(11月2日に上海から揚州まで)今日午後中国の飛行機がご到来になった。日本軍が高射砲で反撃し、うんとやかましかったけど、全く目標に命中しないんで、何の損失も生じなかった。春がもうじき来るんで、聖ボーロ堂の花壇に少しばかり、野菜の種を蒔くべきときなんじゃないかなと思ってる。そんなことをしても無駄かもしれないけど、賢明な策であるかもしれないよね。なんかの種を手に入れて、送ってもらえないかな。ここ大学で手に入るとは思わないんだ。今晩放送されたニュースをたった今、タイプし終わったところで、これをほかの人達に届けるんだが、みんないつも待ちかねていて読みたがり、僕が現れるや、たちまち取り囲まれてしまうんだ。明日僕お隣の陳さんの信徒たちに、説教することになっているんで、もう眠らなきゃならない。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 国家財政が破綻しつつある日本である。 年金もままならない!! 北海道では、生活保護も受け取れず、この寒い中餓死した若い姉妹がいた。 その一方で、巨費をかけた宮内庁病院がありながら、そこではなく、東大・順天堂大の優秀な医師たちに国民の税金をふんだんに使って、手術をさせ、延命をはかる戦犯の息子がいる。マスコミはこぞって大々的にこのニュースを報道し、批判の批の字もない。 国民の最低生活を保障した憲法は本当にこの国で活きているのか?国民主権は本当なのか?疑問に思う!! NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 ボケの斑目が原子力委員長のままでいいのか (日刊ゲンダイ)「日々担々」資料ブログhttp://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-5013.html 「生の記憶がない」と発言 まだ居座り続けていたのか――。国会の原発事故調査委員会がきのう(15日)開かれ、参考人として出席した原子力安全委員会の班目春樹委員長が、ユルユルの原発安全基準を示してきた国の指針について「瑕疵(かし)があった。お詫びする」と謝罪した。 5年前、班目委員長は浜岡原発運転差し止め訴訟の証人尋問で、「全て(の危険性)を考慮すると設計できなくなる」と答えていた。危険性を唱える声を無視しながら、今さら「瑕疵」とは笑わせる。 さらに驚いたのは、当時の事故状況について「ほとんど生の記憶が残っていない」とトボケていたことだ。震災翌日に菅前首相とそろってヘリに乗り込み、原発を上空から視察したパフォーマンスも忘れたというのか。 「一番の大罪は、放射性物質の拡散予測システム『SPEEDI』のデータの公表が遅れたことでしょう。あれで福島県の浪江町や南相馬市など多くの地元住民が被曝(ひばく)の危険にさらされた。班目委員長に反省の色は全くなく、きのうの調査委でも『迅速に公開されていたら、うまく避難できたというのは全くの誤解』と言い訳していたが、実際に米軍はそのデータを基に避難したのです。公表データを“うまく”使うか、使わないかを判断するのは住民です。今なお、こんな言い逃ればかりしている姿は理解に苦しみます」(事故調傍聴者) 反省もなく言い訳に終始している男が今も年間1500万円もの報酬を得ている委員長を続投なんて許されるわけがない。即刻、クビにして福島原発の事故現場のガレキ処理に送り込んで罪の償いをさせた方がいい。事故調査委員会での斑目委員長の質疑に対する小出さんの意見 VIDEO 20120216 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章 VIDEO 命を粗末にしてはいけない!(。・x・)ゝ 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 友は隔離病舎に 「大丈夫だって、言ってはいたけど・・・」 私も、不安を振り切ることはできなかった。我々の士気を阻喪させまいとして、上官たちは都合の悪いことを隠す傾向にあるのだと感づいていたのである。私は、来住野のためにポケットに突っ込んできたミルクキャンデーを出して 「食おうや」と言った。 「あ、呼ばれよか」 と林田は、2つ一遍に口に入れた。そして、 「病院じゃ、何を食わすのかなぁ」 と、やはり来住野の身の上を案じ続けていた。 ―来住野はついに、私達が最も恐れ案じていた通り、再び私達と顔を合わせることができないのであった。― ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 今日午後、僕たち復帰委員会で会議し可能な予算を討議した。この働きに10万ドルくらい調達できれば、それで人々が元の所に戻って行くのに、住まいを修繕するのを助けたり、寡婦や孤児やとりわけ貧困な人達に、救済金を出したりできる。僕たちできる限りのすべてを必要としている。フィッチが上海でもう救済の働きにと、かなりの額を調達できたそうで、ほんとによかった。ずっと彼に会う暇が無く、明日機会があるといいんだが。君は上海で会ったかい?マギーの映画フィルムが効果絶大なんで、彼すごく喜んでいる。大使館の何人もの人が、コピーを欲しがっている。ローゼン博士もヒットラーに送って見せようと、一揃い注文した。君に送ったカメラフィルムに、スティーヴが揚州で僕らの家を撮ったのが入っていると思う。カメラを17号から持ってくるのを忘れなかったら、もう一巻き送れるけど、その中に17号の向かいの寺で、殺害された人たちの写真がある。まだ僕にフィルムを幾つか送ってもらえるかな。多分面白いスナップが撮れると思うんだが。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 肥田舜太郎さんから民医連の医師たちへ VIDEO NHKスペシャルより。 広島・長崎あわせて20万を超える人々の命を奪った原子爆弾。これまで日本は、アメリカが原爆攻撃の準備をしていることを知らないまま、“想定外”の奇襲を受けたとしてきた。しかし実際は、原爆投下に向けた米軍の動きを事前に察知していたことが、新たな証言と資料から明らかになってきた。日本軍の諜報部隊が追跡していたのは、テニアン島を拠点に活動するある部隊。軍は、不審なコールサインで交信するこの部隊を、「ある任務を負った特殊部隊」とみて警戒していたのだ。8月6日、コールサインを傍受した軍は、特殊部隊が広島に迫っていることを察知。しかし、空襲警報さえ出されないまま、原爆は人々の頭上で炸裂した。そして9日未明、軍は再び同じコールサインを傍受、「第2の原爆」と確信した。情報は軍上層部にも伝えられたが、長崎の悲劇も防ぐことはできなかった。 番組では、広島・長崎への原爆投下を巡る日本側の動きを克明に追う。情報を掴みながら、なぜ多くの人々が無防備のまま亡くならなければならなかったのか…。原爆投下から66年、その問いに初めて迫る調査報道である。 *SPEEDIの情報をつかみながら住民の避難に生かさず見殺しにした民主党政権は、戦時中の大本営とまるで変わりありません。20120211 原爆投下 活かされなかった極秘情報 地下で異変?福島原発で直下型地震の危険 VIDEO 「しんぶん赤旗」 2012年2月16日(木) 福島原発事故 「想定外」通用せぬ/吉井議員 東電経営陣の責任追及 ボケの斑目が原子力委員長のままでいいのか (日刊ゲンダイ)「日々担々」資料ブログhttp://asumaken.blog41.fc2.com/blog-entry-5013.html 「生の記憶がない」と発言 まだ居座り続けていたのか――。国会の原発事故調査委員会がきのう(15日)開かれ、参考人として出席した原子力安全委員会の班目春樹委員長が、ユルユルの原発安全基準を示してきた国の指針について「瑕疵(かし)があった。お詫びする」と謝罪した。 5年前、班目委員長は浜岡原発運転差し止め訴訟の証人尋問で、「全て(の危険性)を考慮すると設計できなくなる」と答えていた。危険性を唱える声を無視しながら、今さら「瑕疵」とは笑わせる。 さらに驚いたのは、当時の事故状況について「ほとんど生の記憶が残っていない」とトボケていたことだ。震災翌日に菅前首相とそろってヘリに乗り込み、原発を上空から視察したパフォーマンスも忘れたというのか。 「一番の大罪は、放射性物質の拡散予測システム『SPEEDI』のデータの公表が遅れたことでしょう。あれで福島県の浪江町や南相馬市など多くの地元住民が被曝(ひばく)の危険にさらされた。班目委員長に反省の色は全くなく、きのうの調査委でも『迅速に公開されていたら、うまく避難できたというのは全くの誤解』と言い訳していたが、実際に米軍はそのデータを基に避難したのです。公表データを“うまく”使うか、使わないかを判断するのは住民です。今なお、こんな言い逃ればかりしている姿は理解に苦しみます」(事故調傍聴者) 反省もなく言い訳に終始している男が今も年間1500万円もの報酬を得ている委員長を続投なんて許されるわけがない。即刻、クビにして福島原発の事故現場のガレキ処理に送り込んで罪の償いをさせた方がいい。福島原発事故 「想定外」通用せぬ/吉井議員 命を粗末にしてはいけない!(。・x・)ゝ 核燃料サイクル「無限ムリ」 原子力委が見直し 原子力のPR「理解得られない」 福島の財団解散 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 友は隔離病舎に 「大分、悪いのでしょうか?」 私は、危険と言われたことで急に心配になっていた。 「そういうわけじゃないんだ。ただ、どういう加減で君達に感染しないとは限らないから、危険だと言っているのだ。危険性が無いと認めれば、退院させるんだから、君達がやってくることはないじゃないか」 軍医の理屈は、どこか納得しがたいものだったが、私達は「はい」と答えるよりなかった。 「病状はどの程度のものでしょうか?」 軍医の不機嫌を察していながら、私は幾分しつこいと思えるほど尋ねてみた。 「程度?君に程度を言っても、わかりゃせんだろ?・・・ま、死にゃしないから、心配は無用だ」 私の知識では、実際、軍医の言う通りかも知れないのだが、私は辱しめられたような怒りと、同時に、上官に対して反感を抱いたことをさとられはしないかという恐れを覚えて、その場を退去した。 「助かるだろうか?」 とぼとぼ歩きながら、林田は憮然としてつぶやいた。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) この頃僕よく思うんだけど、聖ボーロ堂に僕戻るべきかもしれないし、僕と一緒に行きたい人を、連れて行ってもいいかも知れない。下関は城門の外だし、とてもややこしい。問題は、僕が引き移って行ったとしても、ここにいたのと同じように、働きができるかどうかなんだ。やってみないことには、答えが出るわけがないとは思っている。今日僕このことで、ミルズさんに聞いたんだが、僕がこの町の一角で、事柄に目を留めているのも、大いに役立つと彼は思っている。僕らの復帰委員会が最初の事務所を開くんだが、その場所が僕らから遠くない、中華路のミッションの建物なんだ。そこで僕手伝えるかも知れない。もう1つが交通の問題だ。僕の自転車は天気が好ければまあ間に合う。何はともあれ、やはりやってみる価値はあると思ってるんだ。人々がそれぞれのところに戻って来る場合に、どこの教会堂の門も閉まっているというのが、僕いやなんだ。僕の行くのが、家に戻っていく人たちに自信をもたらすだろう。そこで夜を過ごすべきだけど、食事はやはりマギーと10号でとると思う。そうすれば僕、情勢を判断する機会が得られるし、そうするに値するかどうかもわかるだろう。君とベッスィ・スィムズとが早く戻ってこられるといいんだが。それが何と大いなる日であることか!12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 2012.2.14(火)ニュース解説 眼 こんな規制庁ならいらない VIDEO 2012年2月15日 放射能からいのちを守る全国サミット・たね蒔きジャーナル VIDEO 班目春樹氏のSPEEDIの証言「住民を逃がせないと斑目さんが認めた 原子力発電所はつくるべきでないというべきだ」小出裕章 VIDEO 2.15第4回国会東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 VIDEO 小出裕章氏講演会 2012.02.11 佐賀 VIDEO 賢い子供たちと愚かな大人たち 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 友は隔離病舎に 来住野が罹病したことにからんでの質問だったが、たとえば蚕が媒介するといっても、具体的にペスト菌が、どのようにして体内に入るのか、はっきり飲み込めないふしがあったのである。 「不注意だけだとは言い切れない場合もあるからね。熱湯で処理したねずみの死骸なんかには、もう蚤はいないはずなんだが、実際に調べてみると、まだ蚤がついていたり、菌が生き残っていたりすることだって、あるんだから・・・」 と、前置きして、菌が体内に入る経路は、まだ、はっきり断定できないらしいといった。 これまでは、保菌蚤が人体を刺したときに、その口から直接蚤の血液が逆送されると考えられていたのだが、学者によっては、そうした場合よりはむしろ、蚤に刺された場合に爪で掻いたりしてできた小さな傷口から、そのあたりに附着していた菌が入るか、または掻いた指先に附着して、いつとはなしに口や鼻腔から菌が入るほうが多いという人もいるそうである。 午休み、独身者食堂の前で待っていた林田と連れ立って病院に行った。 来住野はやはり隔離病棟にいるという。といっても、部隊の病院全体が隔離病舎のようなものだが、伝染病患者のそれは特に奥まったところにある。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) マギーが会議を終えて戻って来た。フィッチも会にいたんで、“オアフ”号が午後3時に着いたんだろう。ペティの書いてよこした手紙を一通受け取ったよ。君が読んでないとすると、ほかにも君が受け取ってない手紙があるのかもなと、かんぐっている。この前の手紙で、君が“オアフ”号で手紙を送ってよこすと言っていた。マギーがとってもがっかりしてるんだが、今度のにもこの前“ミツバチ”号で来たのにも、フェイスから彼への手紙がなかったからなんだ。明日も僕ら手紙を出すチャンスがあるのは、キアネイ神父がフランスの船で上海に戻るんで、昨日来たばかりと思うんだが、手紙類を出したり受けたりできるチャンスのある度に、僕たちうれしくてたまらないんだ。揚州に僕らが残してきた、家具などのリストをやっと書き上げたんで、手紙につけて、あの黒いノートも送るよ。車の後部トランクのものは書き出してないんで、君に思い出して、書き入れてほしいんだ。スィムズさんのやロバーツの物は、まだチェックできてないけど、なるべく早くやるよ。夕べは17号で夜を過ごした。今日午前中、マギーに僕に僕らの中国人同僚たちで一緒に、難民が家に戻ることを相談した。彼らは全くそうはしたくないようで、僕らが先にそうしない限り、ほかの人たちを家に帰すことはできそうにない。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 2号機温度計故障・キセノンが発生した場合・4号機使用済燃料プールの水について小出裕章 VIDEO 20120204 広瀬隆講演会in福島 1/9 VIDEO 20120204 広瀬隆講演会in福島 2/9 VIDEO 私は怪人??(´・ω・`)その2 班目委員長「指針に瑕疵」と謝罪 原発事故調で誤り認める 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 友は隔離病舎に 「本当か?知らんな、どうしたのだ」 「ほら、この間、使役で来住野がここへ来たろう」 「あ、君と同郷の、だな?」 「うん。何でも、あの日に感染したらしいんだが、どうだったんだい、一体その日は・・・」 時間が無いので、私はせいていた。 「知らん。俺は初めて聞いた」 「ねずみをいじったりなんかしたらしいんだから、そのときなんだろうがね」 林田は、思い出そうとしているらしく、眼をあらぬほうにすえていた。しかし、もう、作業開始の時間だった。 「やつ、どうなんだ?」 「入院しているんだが、まだ行ってみない。午休みに行くつもりだ」 私は去りながら叫んだ。 「俺も行くぞ。その時にな・・・・」 私は林田の声に、後向きのまま大きくうなずきながら駆け出した。 いつもの通り、菌の移植作業をやりながら、私は、ペストが感染する時の様子を、小枝傭員に尋ねてみた。 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。 一審・二審の判決は、 1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、 2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、 3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、 4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、 5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、 6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、 などの重大な事実認定を行いました。 ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。 731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。 ●戦後の医学界・薬学界・政界 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?) 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?) 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか? テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!! ●731部隊と天皇 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。 当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。 731部隊にも三笠宮をはじめ何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族(竹田宮)もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!! 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!! マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか? そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。 そのためアメリカは、731部隊員に戦犯免責を与える代わりに731部隊のデータ全てを独占して買い取り、また、上級部隊員をアメリカ軍に協力させ、朝鮮戦争やベトナム戦争に開発した兵器を使用したようだ。 このような流れの中で、アメリカは東京裁判では731部隊の事は取り上げず、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。 アメリカ大使館での昭和天皇(1945年9月27日フェレイス撮影3枚中の1枚) 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!) その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか? ※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】 ●巨大なプロジェクト:石井機関 (常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より) ジュネーブ議定書の下で ・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・ 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。 ●昭和天皇の戦争指導 重慶大爆撃とは① 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁) 「今の状態でも危ないのに、これ以上原発再稼動・戦争・軍事演習・核実験を繰り返していたら、もっと早く地球は壊れてしまう!!」 第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】 1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。 ●祈り1 ●祈り2
1937年12月13日南京陥落 !! ●南京大虐殺 南京大虐殺74周年、日本は沈黙 「南京事件」から74周年、市内各所では追悼式典を開催―南京 “南京事件”…犠牲者名簿に新たに1万人を追加=中国 南京大虐殺、新たな証拠品 南京大虐殺 日本の住職、資料を寄贈 南京大虐殺74年で追悼式典 未解決の歴史問題浮き彫り 2月14日・・・大本営、中支那方面軍・上海派遣軍・第10軍の戦闘序列を解く(松井石根、司令官を解任)。 18日・・・南京安全区国際委員会、日本当局の要請により、名称を南京国際救済委員会と変更。 23日・・・国際委員会ラーベ委員長、南京を離れる。 【南京事件:笠原十九司著:岩波新書より】 「この事実を・・・・」 (「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税) ※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。 南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。 今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!! フォースター 夫人への手紙 (1937年11月23日~1938年2月13日) 2月12日、土曜日 マギーが国際委員会へ会議をしに行き、その帰りを待って晩ご飯を食べる前に、ちょっとの時間君に手紙するんだが。・・・・昨日1日マギーも僕も、手紙のたぐいを用意するんで忙しく、ビショップリックさんに持って行ってもらったんだ。僕らへの知らせは、4時までに大使館へだったんだが、マギーが僕に手紙を1通、ビショップリックさんにじかに届けさせ、マギーの上海にあるフィルムのコピーを1部、手に入れてもらうよう頼んだんだ。マギーは大学のバイブル・クラスで話さなければならず、ビショップリックさんは、ドイツ大使館のローゼン博士と一緒だったんだ。僕がそこへ行った時、2人は南京に訪ねてきたばかりのフランスの大使館付き武官と会見しているところだった。ビショップリックさんは喜んで、自分で手紙を届けると言われたけど、豫園路に住んでいるんで、君の住いに遠くないんだ。彼に会える機会もあるわけで、これはなんともうれしいことだ!どの手紙にも僕ら切手を貼ってないけど、君が中身を増やしたいと思うかもしれないと思ったんで、いずれにしてもそれらを読めればいいんだ。上海の友人たちに書いた手紙は、たぶん君に自分で届けてもらえるだろう。12月17日 南京入城式 『南京城頭日章旗翻る』&『南京入城式』 VIDEO ・映画やテレビの時代劇ではクライマックスにチャンバラシーンがあるが、斬られた方のその後の苦しみ・悲惨な光景は省略されることが多い!!日中戦争でも多くの捕虜や市民が日本刀による「据えもの斬り」にされ、殺された。最近のテレビでは日本刀を伝統文化だといって取扱っている番組があったようだ!!恐ろしい!! ・なぜ南京軍事法廷では皇族の朝香宮(当時上海派遣軍司令官)は皇族ゆえ裁かれなかったのか?南京戦犯裁判軍事法廷の設立と経緯 VIDEO 南京大虐殺マギーフィルム)1 VIDEO 南京大虐殺 VIDEO 日中戦争 (1937-1938) VIDEO 南京大屠殺 ( Nanking Massacre ) VIDEO 兵士たちが記録した南京大虐殺1 VIDEO ●「南京!南京!」 が見られる映画サイト 映画「南京!南京!」日本語字幕版全編1/14 VIDEO 日本の戦争 2 VIDEO 南京大虐殺 南京大虐殺 南京大虐殺日本は唯一の被爆国であり、広島・長崎では核兵器廃絶のアピールが毎年盛んに行われていたが、今度はその日本が、放射能汚染の加害国になってしまった!! 原発輸出反対!! 日本政府は、先の侵略戦争を真摯に反省し、アジア・日本の被害者に対し謝罪すべきである!! 遺棄毒ガス兵器の処理を急げ!!きけ!!「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 「怨」 No More 731!! No More Nanking!! No More Noborito!! No More War!! No More Fukushima!! 武器よ!原発よ!さらば!! 沖縄の米軍基地撤去!! 「日の丸」・「君が代」反対!! (侵略のシンボル)(天皇賛美の歌) 9条を世界に!! 新しい日本!! 世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!! 昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!! 政府は戦史資料を全面公開せよ!! 原発・軍事偵察衛星・次期主力戦闘機・リニア・スパコンは要らない!! 税金を震災復興に回せ!!憲法9条が泣いている!! ※リニアモーターカーは膨大な電力を食い(原発3基分)、福島第1原子力発電所の事故ではスピーディー(スパコン)で計算されたデータは全く生かされなかった!! 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか? 広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!! 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ 福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!! ふるさとを返せ!!自然を返せ!! 日常を返せ!! 脱原発!! 日本は、“平和を愛した?”「昭和天皇」・“原子力の未来を明るく描いた”「鉄腕アトム」・“アメリカと結託して原子力を推進した”「中曽根・正力」 ・“今現在でも原子力を推進しようとする「石原」に騙され続けているのでは?と強く思う!! 福島4号地震で傾斜修理中! 1.2.3号機メルトスルー!5/13ガンダーセン(字幕) 東電のカネに汚染した東大に騙されるな! 日本を導く頼もしい学者先生方 医学は水俣病で何をしたか(抜粋) 水俣病のときは、東大の学者を利用して世論操作を行い、被害を拡大させてしまって... 「原爆報告書」は、毒ガス戦・731部隊の隠蔽と国体護持のために、アメリカに少しでもいい心証を与えるために国策として作られ、当の苦しんでいる被爆者には活用されなかった!!なるほど、天皇は原爆忌に広島・長崎には行けないわけだ!! 731部隊を隠蔽する目的の取引!NHKスペシャル 封印された原爆報告書 封印された原爆報告書 731部隊と山下俊一 絶対原子力戦隊スイシンジャー VIDEO スイシンジャー 次回予告 VIDEO 2012.2.13(月)ニュース解説 眼 このストレステストで安全といえるのか VIDEO 20120213 たね蒔きジャーナル 京都大学原子炉実験所助教 小出裕章VIDEO 【158】 まともな日本に02 東大廃止のチャンス / 武田 邦彦 VIDEO 脱原発宣言:中沢さん、内田さんらが毎日新聞に意見広告 「大江健三郎」2.11さようなら原発1000万人アクション VIDEO 石原都知事の原発住民投票の否定的発言について。- 2012.02.10 VIDEO ドキュメンタリー映画『バベルの塔』youtube 小出裕章先生編 VIDEO ドキュメンタリー映画『バベルの塔』youtube 安斎先生編 VIDEO 120131 マーチン・トンデル講演1 無関心ですまされませんよね?(`・ω・´)ゞ たとえあなたが少数派であろうとも、真実は真実なのです。 <原発住民投票>条例制定 市民団体が橋下・大阪市長に請求 米原発新設 コスト高が重荷になる 大阪府教育基本条例案に反対します 「君が代」は歌えない!! <君が代訴訟>「減給や停職は慎重に」…最高裁が初判断 <大阪府教委>君が代起立斉唱の職務命令 都教委は、「君が代」不服従の教員を 停職処分にするな! 免職(解雇)にするな! 逮捕された中国人の心情は理解できる!! 「靖国神社にも放火」火炎瓶の中国人男に逮捕状 ●陸軍登戸研究所 ・陸軍登戸研究所とは 1937(昭和12)年、新宿にあった陸軍科学研究所の実験場が登戸に移され、電波に関する研究と実験が行なわれた。その後、秘密・謀略戦の研究所として本格的に拡充された。 陸軍参謀本部直属で、1942(昭和17)年に正式名称が「第9陸軍技術研究所」とされたが、軍の法規にすら記載されずにその存在は最後まで秘匿され、ただ「登戸研究所」と俗称されていた。 登戸研究所の任務は、秘密戦・謀略戦に関わる研究・開発だった。毒物、細菌などの生物化学兵器・他国紙幣の偽造・風船爆弾・憲兵隊やスパイ(特務機関員)などが使う武器・器具などを開発、製造した。したがって単なる研究所ではなく、数多くの地元住民を含めて約1000人が働く巨大な秘密兵器生産工場でもあった。 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑 ①正門裏手にあって、高さは3メートルほどある。 碑の裏面には、「陸軍登戸研究所」「昭和18年3月」とあり、碑文の書は所長の「篠田鐐」であることも刻まれている。 ②「陸軍登戸研究所」となっていることが注目される。正式名称「第9陸軍技術研究所」はあらゆる陸軍法規からも抹消されていた。 ③碑の巨大さも不可解である。ここで格別に多数の動物を実験材料に使っていたという形跡はない。にもかかわらず、すでに戦局が傾いている最中にこれだけの大きさの碑を建てたのは、何か別の理由があったと考えられる。 第2科では生物化学兵器を研究・開発していた。その過程でイヌ、サル、モルモット、ブタなどを使って動物実験を繰り返したのだが、完成すると中国で人体実験を行なった。1941年5月22日から、登戸研究所の幹部7名が南京1644部隊に赴いて、青酸カリ、青酸ニトリール、雨傘毒蛇、ハブの毒などを用いて、約30人の中国人に実験した。1943年12月から翌年1月にかけても青酸ガスなどの人体実験を行なっている。いずれも防疫給水本部(731部隊=石井部隊)の協力のもとで行なわれた。 この事実を踏まえると、人体実験犠牲者の慰霊碑は建てられないので、動物の慰霊碑として巨大なものを建てたとも考えられる。費用は、この時期に陸軍大臣から与えられた「陸軍技術有功章」に伴う賞金が充当された。 ④人体実験をする科学者の心理はどのようなものか。通常の倫理観を持った科学者が悪魔の科学者に変身する。第2科で生物化学兵器研究の中心にいた伴繁雄(終戦時、陸軍少佐)は、帝銀事件の捜査で警察の事情調査を受けた時、次のように供述している。 「実験を始めた。最初は厭であったが、馴れると1つの趣味になった(自分の薬の効果をためすために)。相手は支那の捕虜を使った。相手が試験官を疑うので偽装して行なった。たとえば・・・・。」(帝銀毒殺事件捜査手記第5巻より。昭和22年4月26日) 【「陸軍登戸研究所見学のしおり」より:登戸研究所保存の会】動物慰霊碑1 VIDEO 動物慰霊碑2 VIDEO 秘密戦関係 記念写真(中央 三笠宮) 偽札(登戸研究所で作っていた) (模型)登戸研究所で製造していた!!●516部隊 第516部隊 516部隊 516部隊と731部隊 中国戦線における日本軍の毒ガス戦 日本軍が遺棄した毒ガス及び中国人に与えた傷害 その1 内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室 化学兵器CAREみらい基金ブログ 旧日本軍が遺棄した毒ガス兵器で今現在でも苦しむ人々が、日本や中国に多くいる!! ニュースレター Vol.12でもご報告いたしましたが、チチハル毒ガス事件の被害者、曲忠誠さんが肝臓がんのため、昨年12月15日に亡くなりました。45歳でした。年末も押し迫った頃、中国人のコーディネーターから連絡が入りました。残念でなりません。マスタードガスに含まれていたイペリットは発ガン物質として知られおり、皮膚だけではなく、内臓にも被害が及びます。曲さんの肝臓がんと毒ガス事故の因果関係は、医学的にも否定することはできません。 曲忠誠さん: 2010年3月 日中合同ハルビン検診にて 大久野島と毒ガス ●731部隊 「特殊部隊731」 秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)第2部 友は隔離病舎に 翌日、早朝に病院を訪れるつもりであったのだが、疲れているにもかかわらず、消燈後しばらく眠れなかった私は、まだまだ眠り足りない気分でやっと起床時間に床を出た。早く起きて来住野(くすの)を見舞わなかったことに慙愧を覚えたが、もう時間がなかった。 私は急いで出勤し、林田のいる飼育班をのぞいてみた。少し待っていると林田がやって来た。 「大変な事になったよ」 と私は挨拶抜きで呼びかけた。 「何ね?」 林田は、目をぎょろぎょろさせて、私を見た。 「来住野がペストにかかったのを、君は知っているか?」 ※アメリカは中国における日本軍の情報を集めていた。 南京大虐殺・重慶などの都市の無差別爆撃、毒ガス戦・大規模な細菌戦などの残虐行為に対して、今度は報復に出た。東京大空襲の写真 大量に発見 ※満州の満人部落をはじめ、農安県でも731部隊は細菌をばらまき、多くの人々を殺し、家々を焼き払った。これも、細菌が自然発生したように見せかけた謀略であった。 フェル・レポートによればPX(ペスト菌を保菌しているゲオプスネズミノミという兵器)を使用した細菌戦は12ケ所で行われ、一次流行したら二次流行と続き多くの犠牲者を出した。 今現在でも中国でこの細菌戦の調査が行なわれている。また、他の病原菌を使った細菌戦やゲオプスネズミノミ以外のペストノミを使用した細菌戦もあったようだ!!(『731資料センター会報第2号』を参照・・・ノブ) ※・・・加えて、フランクリン・D・ルーズヴェルト大統領が、1943年には、日本の細菌兵器及び化学兵器による攻撃を非難する声明を出した。ルーズヴェルトは、「日本の武装勢力によって中国の様々な場所で有毒ガスが使用されているとの信頼すべき報告が当政府に届いている」と言明した。彼は次のように警告した―。 もし、日本がこの非人道的な戦闘方式を、中国に対してでも他のどの連合国に対してでも採用し続けるならば、当政府はそのような攻撃を、アメリカ合衆国に対して行われたものとみなし、全身全霊をかけて最大限の報復を日本に対してなすであろうことを、間違いなく明確にしておきたいと心から願うものである。 ルーズヴェルトは、彼の警告を以下の言説で締め括っている―「我々は完全な懲罰を強制する準備をしておかなければならない。日本には(国際)責任が発生するであろう」 (『死の工場』シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 P139)731部隊員の証言 1 VIDEO 731部隊 究明なるか 年明けにも3カ所目の調査 細菌戦の新発見資料について 精魂塔(表) VIDEO 精魂塔(裏) VIDEO 精魂塔 (これは一体誰を供養しているのだろうか?裏側は何か消したようにも見える!!)731部隊・細菌戦 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 黒い太陽731部隊 殺人工廠(1) 731の最後 死亡列車0 「前事不忘 後事之師」(前の経験を忘れず、後の教訓とする) “戦争を語る”人々 戦犯たちの戦後 VIDEO 証言ー侵略戦争1 VIDEO 北朝鮮による拉致も大きな政治課題だが、戦時中に日本軍が行なった大規模な強制連行(拉致)に対しては戦後日本はきちんと対応したのであろうか? 中国人強制連行1 VIDEO ●全国各地で奮闘する語り部たち (相模湖・大久野島・花岡・・・・で戦時中何があったのか?) 必見!!「戦争を語り伝える人々」のガイドブック!! 『ルポ 悼(いた)みの列島』 あの日、日本のどこかで 室田元美 もう過去のことなんて、いいんじゃない?と思う人もいるかもしれないが、私の胸のなかには、石川啄木 が「韓国併合」 のおり詠んだ「地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く」 が常に引っかかっている。(「はじめに」より)毒ガス島歴史研究所 大久野島と毒ガス 大久野島戦争遺跡の案内 毒ガス貯蔵庫アジアとの友好のために(1) VIDEO 消えた日の丸1 VIDEO 中国に咲いた一輪の花!! 朝日新聞より 2011年7月9日15時30分 中国の731部隊跡地に謝罪の碑 日本人の募金で設置731部隊の旧跡に建てられた日本人の募金による記念碑=9日、ハルビン、西村写す (日本政府が正式に謝罪すべきだ!!) 罪の重さを思うと言葉で「謝罪」は表せない! (ABC企画NEWSより) 7月9日、ハルピン市平房区、731部隊本部遺跡内に建立した碑・『謝罪と不戦平和の誓い』除幕式典で、日本側代表挨拶を終え、壇上から降りた矢口仁也は“ああするしか思いつかなかった”とつぶやいた。 今日、私たちはこの日を迎えるに当たって、これまでの道のりを回顧すると、裁判闘争に限界を感じ、日本政府の歴史認識の曖昧さに落胆し、怒り、“せめて市民の手で「謝罪」の碑を建てよう!”と決意し2004年、名称も碑文も決まらないまま『殉難烈士慰霊碑』(仮称)建立募金の呼びかけを開始した。 名称『謝罪と不戦平和の誓い』、わずか4行の碑文に加害者としての謝罪の言葉を記すことの難しさは6月、石碑に文字を刻む作業直前まで迷い続けた。私達の思いは果たして被害者の心に届くのであろうか?一抹の不安を抱えながら迎えた除幕式であった。 「731部隊によって虐殺された3000人以上の烈士の皆さん、夫を、父を、息子を奪われた遺族の方々、そして731部隊に住処を奪われ「労工」として強制的に働かされた多くの罪なき人々、1人1人にどの様に謝ればよいか申し上げるべき言葉はありません。」と言って矢口代表は碑の前にひざまずいた。参列者の私たちも思わず頭を垂れた。この謝罪碑は、731部隊によって亡くなった方々への謝罪と同時に、日本の侵略戦争によって侵された全ての犠牲者に対する謝罪の気持ちを込めた碑でもある。 落成式に参列したペスト被害者の故靖福和夫人、『特移扱』被害者遺族の朱玉芬さんは「市民の皆さんが建てた謝罪碑によって多少心が和んだ。皆さんの気持ちに感謝したい、しかし、それでも日本政府には是非謝罪を求めたい」と述べた。新たな気持ちで次の一歩を! 碑を建設したことで“謝罪が終わった。許していただいた”ということではない。15年にも亘る侵略戦争によって語り尽くせないほどの被害を受けた中国人民に対し、世代が変わろうと、加害者である日本人としての責任は果たさなければならない。 私たちはその責任の1つに731部隊遺跡保存があると考えている。731部隊遺跡は平房区の住民にとっては本来“目の前から消えてほしいもの”。その屈辱の遺跡が今日まで保存されているのは住民の皆さん、歴代陳列館長を初めとする区、市、省政府の諸先生方の歴史認識の結果であると思う。彼らの努力に感謝するとともに、今日を新しい出発点として、友好を深め、平和を創造し、子孫の未来のために日本政府が正式に謝罪し、戦後補償を実現するまで私たちは運動を続けていくことを誓う。 今回、国会議員の参列は実現できなかったが、阿部知子衆議院議員、服部良一衆議院議員、今野東参議院議員、斉藤勁衆議院議員、川田龍平参議院議員、笠井亮衆議院議員の6人からメッセージを頂いたことは今後の運動への第一歩ともいえる。 最後に、除幕式開催にあたり特に協力、準備してくださった黒竜江省外事弁公室の諸先生方、金成民陳列館館長と職員の皆様に心から感謝します。問題提起 (731部隊・細菌戦資料センター のホームページより) 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名