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この世の地獄!原発・731・南京!!

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「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
 
    「怨」


No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!


新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


原発存続・立て直し、そして核兵器へ・・・
(平和教育通信第93号 2011.5)より
 政府は国民の健康・安全・生活などは全く考えていない、ただただ原発の存続を経済界(そして、アメリカオバマ政権、さらに一部連合本部の推進派など)の要望に応えようと必死になっているとしか言いようがない。情報隠蔽と政府も東電も事態を何もきちんと把握していないという無策無能ぶりが国民の前に露呈した。もはや誰も政府や東電・安全保安院などの発表を信用していない。怒りが増すばかりである。
 例え浜岡原発を停止させた(13,14日に停止)としても、“津波対策ができたら再開”という前提でしかない。何が何でも原発を開発推進していくという政府の姿勢が見て取れる。それは原発稼動によって作り出されるプルトニウムによる核兵器開発という日本の権力者の長年の野望のためには不可欠だからである。・・・

静岡・本山茶の一部で基準超の放射性セシウム
玄海原発再開安全性確信持てず県と県議会、保安院説明に

東日本大震災で被災された方が頑張っています!!
再出発♪

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
発疹チフス実験の人脈を追う
 それをもう一度整理してみると、
 北野政次 満州医大→731部隊→伝研→他
 渡辺 栄 満州医大→731部隊→観音寺
 浜田豊博 満州医大→731部隊→観音寺
 岩田 茂 満州医大→ジャムス医大→観音寺
 という発疹チフス共同研究チームがあり、
 谷口腆二    同仁会華中支部→阪大微研
 藤野恒三郎  南方軍防疫給水部軍医→阪大微研 
 という創立の中心幹部がいて、それらの中から渡辺というプロモーターを中心にして1つのワクチンメーカーが創立されていったということがわかる。また創立されたワクチンメーカーの中心技術者も731部隊員であった。軍医、731部隊、同仁会、この結合がここでも脈々と活きているのである。
「阪大微研」(1971年1号)で藤野恒三郎は昭和36年2月に亡くなった谷口腆二のことを悼んでこう書いている。
「戦時中揚子江沿岸地方でコレラ防疫に当たられたこと、陸軍軍医学校の希望もあってデング熱とマラリアの研究に精進されましたのを、戦後に回顧されて『私は医学者として悔いも恥も無い』と言い切っておられました。
 谷口腆二の華中同仁会における行動を詳細に知らないが、戦時中の軍、同仁会の研究内容や組織的、資金的一体関係を照らして見れば、、一点の悔いも恥も無いと断言できる谷口氏の思想には驚きを感じる。そのくらいでないと軍、731部隊、同仁会の再結合は出来ないのだろう。ここに、ワクチンメーカー創設の人脈がどう結合していったのかが見える。

※人間は誰しも自分がかわいい。なかなか素直に過去を振り返ることができないと思う。ましてや、戦後研究所の幹部になったり、立ち上げたりでもすれば、過去の事を人前では美化して話すだろう。731部隊で行なったことや同仁会で行なったことなどの悪い事は決して口外しなかっただろう!!上級幹部の誰もがそうだった!!
 日本人は戦後彼らの作ったワクチンで救われたのだろうが、ワクチンが作られるまでには中国で多くの人々が実験台になっていたことを知らなければならないと思う。

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本の花輪南京総領事への書簡(1938年5月11日)
Y.花輪殿
日本総領事、南京
親愛なる花輪殿:
 第2に、私は日本軍を写真に撮ったと誣(し)いられたのです。実際どんな時であろうと、私はいかなる軍事目標をも撮った事はありません。私自身とスマイスと証拠としての私のフィルムとが傍らに打っ棄られていて、1人の兵士の根拠の無い疑いが私を訴える基になっているのです。この立場がはっきりさせられるべきです。
 しかも、軍は南京の在留外国人は漢口政府の支持者であると見なしており、それで私が軍用の目標を写真に撮ったと疑っていると、貴殿は私に言われました。私は貴殿に保証いたしますが、私にしても私の外国の友人にしても、いかなる軍事的ないしは政治的な行動にも参与していません。私は南京に久しく居住していまして、国民党のやり方の欠点と優れた点とをよく知っておりますし、実際に12月に安全区を作って、各所のアメリカ財産を守るのを私が手伝いました時、中国の軍や当局と交渉するのに多くの困難に遭いました。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!


新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

どうする「脱原発」 ドイツの重い問いかけ
事故調が初会合、年内にも中間報告

君が代!反対!!昔の特高と今の特捜の体質は変わらない?
大阪地検特捜部の証拠捏造もそうですが、
それは、今に始まったことではない。
つまり、法曹三者は正義の味方ではないのです。


■特捜検察は、知事と福島県民を「抹殺」した
前福島県知事 佐藤栄佐久


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
発疹チフス実験の人脈を追う
 この渡辺の研究は、前に書いた北野らの死刑囚人体実験、囚人実験の一環である。北野は「防疫秘話」(続3、前出)の中にこの研究の流れを書いている。
 最初虱を利用するワクチン製造を考えたが、しかし、大量生産に適さないので、満州産ハタリスを利用して大量生産をした。
 やがて満州医大時代に創製した共同研究員である渡辺栄と浜田豊博はそのまま731部隊隊員となったわけだ。後に北里研究所員となった岡本博士は鼠肺ワクチンを、金沢謙一博士(武田製薬)は卵を利用するコックス法でつくった。
 北野が書いたものや私自身が調査したものをまとめてみると、当時の北野の発疹チフス共同研究チームには次のような名前が見られる。岩田茂(北野の助手、ジャムス医大教授を経て観音寺へ)、広木彦吉(北野の下で助教授、戦後北里研、日本歯大細菌学教授)、向井良助(北野の下の教室員)、渡辺栄(同教室から731部隊、観音寺へ)、浜田豊博(同教室から731部隊、観音寺へ)。
 これらの共同研究チームの発疹チフスワクチン製造のための研究の頂点が、北野の未発表論文の死刑囚人体実験であり、牡丹江監獄や同監獄鉱山における人体実験である。
 結局、ここに1つの典型が示される。私は、彼ら自らが書いた資料をもとにして、そして観音寺研究所の管理課長が公式に語ったことを土台にしてこうした事実を明らかにしてきた。

※満州医大教授だった北野の影響が強いことがよくわかる。戦後はこれらの教え子は観音寺に研究所を作ってワクチンの製造を始めた!!これらの人々は国策による戦争で一体何人の中国人・その他の民族に生体実験や解剖をしたのだろうか?恐ろしいことである!!

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
日本の花輪南京総領事への書簡(1938年5月11日)
Y.花輪殿
日本総領事、南京
親愛なる花輪殿:
 先日は写真を撮った問題で貴殿に友好的に接していただき、大変感激いたしまして、問題が早く解決されるものと存じました。けれども事が発生しましてから、ただ今まですでに10日、貴殿とお話しましてからでも6日になります。事がこんなにも放っておかれまして、私は大変不満であります。
 第1に、私と英語で話を交わした将校が、私の条件を受け止めたので、フィルムを彼に持ち去らせて証拠とし、彼は自分から3日後に、私に返すからと請け合ったのです。西洋の国々には「将校の言ったことには信用がある」という言い伝えがあります。日本の将校も一度承諾された事は、千金の重みを持つものと私は信じております。彼はどうしてフィルムを、私に返さないでいられるのでしょう?

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!君が代・原発・731・南京!!

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「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
 
     「怨」


No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!


新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

高放射線量がれき撤去 依然課題に(6月6日 22:15更新)
保安院 1号機メルトダウンは5時間後(6月6日 21:10更新)

異議あり!!最高裁判決!!

君が代起立命令、最高裁で再び合憲 裁判官1人が反対意見

「君が代」で想起する事は、
○戦前戦中の天皇制軍国主義!!
・天皇制を批判する人や戦争に反対した人たちは特高に狙われ、逮捕・監禁され多くは拷問を受けて死んでいったこと。小林多喜二三木清、その他大勢!!
・天皇中心の世界(八紘一宇)にしようと無謀にも戦争を起こし、多くのアジアの人々を残虐に殺した事実!!
731部隊然り、南京大虐殺然り。
○731部隊や南京大虐殺などの戦史資料を政府はもうあれから60年以上経っているので、隠さず国民に公表せよ!!


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
発疹チフス実験の人脈を追う
応対した管理課長は「観音寺微研の歴史が知りたい」という私の求めに応じてフランクに語ってくれた。
「阪大医学部の微生物研究所がワクチン製造も検定も一緒にやっていたのをGHQの命令で分離しました。それを機会に製造所を分離することになっていました。渡辺栄(しげり)という方が満州の石井部隊から引き揚げて来られました。その夫人が観音寺の地元の造り酒屋で土地を持っていましたので、ワクチン作りの腕を活かしてここでワクチンメーカーを創設しようと考えていました。それに、その年((昭和21年)は発疹チフスが大流行したものですから、ワクチンの大量需要もありまして、ここに支所ができることになったのです」
 私が手にした観音寺研究所のパンフレット「阪大微研」を見ると、幾つかのことが明らかになる。
 創設者の名前を見ると、谷口腆二(てんじ)博士、藤野恒三郎博士、渡辺栄などの名前が並んでいる。
 谷口腆二博士(故人)は昭和13年4月から14年3月まで同仁会中支防疫班でコレラの防遏(ぼうあつ)に当たった。
 藤野恒三郎博士は、南方軍の軍医であったとだけ記しておこう。
 
※戦後731部隊員はアメリカとの取引によって戦犯免責された。そして日本で発疹チフスが流行するとワクチン作りに手を出し、多くのものが私腹を肥やした。
阪大微研の歴史

谷口腆二

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
「慰安婦」に関する新聞投稿原稿
妓楼が「東亜新秩序」の政治手段
―皇軍が占領された首都の大通りで欲しいままに乱行
 
ポスターの写真は、南京の街路を飾り付けている一種の象徴的なタイプを示している。こういう特殊なPR手段が、中山北路に大きく2枚張り出されている。広場から遠くない処だ。調べて事実と確かめたのでは、そこはとても大きな女子の学校のちょうど向かいで、憲兵司令部の直ぐ近くでもある。南京住民がしょっちゅう回想しているのでは、国民政府の管理下では、ここは風俗を害する類の乱れた淫楽が展開するのを認めなかったところで、市政当局は各種の悪行を厳禁していた。今や住民たちは日本の総理大臣が、その国家は「最大努力を尽くして中国を、日本の文化的レベルにまで引き上げなければならない」と宣言した意義を、了解しつつあるところだ。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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「マルタ・アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
 
     「怨」


No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
武器よ!!さらば!!
沖縄の米軍基地撤去!!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!


新しい日本!! 

世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
昭和天皇の戦争犯罪・戦争責任を問う!!
政府は戦史資料を全面公開せよ!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

敷地外からプルトニウム検出(6月5日 20:30更新)

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
発疹チフス実験の人脈を追う
 かつては死刑囚や牡丹江監獄などで行なった、北野政次らの「発疹チフス及び発疹熱の予防並びに治療に関する研究」が、戦後も府中刑務所内で続行された事実を突き止めた私は、②のナゾ=発疹チフス研究者たちの人脈の存在を解くべく香川県観音寺に向けて旅立った。
 北野の前記エッセイ「防疫秘話」(続3)を見れば「GHQは私らの満州における研究経験を知り、また、当時香川県衛生研究所浜田博士からも聞いた様子である」という記述がある。そこで、私は浜田を訪問してみようと思ったのである。同時に私の狙いは、浜田を含む「発疹チフスと発疹熱の研究」をめぐる731部隊人脈の戦後の動向を探ることにあった。
 なぜ、観音寺へ?それは北野が「満州」医大」で発疹チフスや発疹熱の研究を行なった北野人脈が、ほとんどそのまま、北野が731部隊へ移行すると共に731部隊に入り、その主要なメンバーが敗戦後、観音寺に集まって財団法人阪大微研観音寺研究所というワクチンメーカーを創設したと聞いていたからだ。
 初めて降り立った観音寺は美しい海辺の町であった。砂地の畑にビニールのハウス。小さいがゆったりとした民家。その中に白亜の観音寺研究所はあった。

※満州医大の北野の人脈がそのまま731に移行した。北野の満州医大における力を象徴している。今も医学部の大学教授はいろいろな人事権を握っているのだろうか?
そう言えば「白い巨塔」という映画があったが、まさか今の大学医学部は「白い巨塔」のような世界ではないだろうな?まだあのようなことが行われているのか?

満州医大
満州医科大学(現在の中国医科大学正門)

満州医大でも生体解剖は行なわれていた!!
○残された顕微鏡標本
     ――満州医科大学における生体解剖


白い巨塔

事件:養母の理事長殺害 病院長、容疑で逮捕 佐世保

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
友人たちへの回覧状(1938年4月12日)
親愛なる友人の皆さん:
 外国人宣教師個人ないしは団体への報復が、出て来るかも知れません。この類の行動が必ず出てくるとは、私たちは思っていません。その可能性は全く無いかも知れません。過去1年に私たちの預言した恐るべきことのほとんどが出現したわけではありません。積極的には、私たち戦争が続いている中国の他の地域で、日本軍の行為が異なった拘束を受けるようにと願っています。それに、中国の他の地方の人民にも、東洋の人民にも、世界の他の場所の人民にも、私たちの時代経験の意義深く突出した一頁を、知る権利があります。この本は何種類もの言語に訳され、その収益はすべて国際難民基金の所有に帰するでしょう。
 大変申し訳ないことに、この手紙随分長くなりましたが、これを読まれたとき以上に、出版の問題をお考えになる時に役立つかと思います。それに、もしも私たちの中の誰かが大変な困難に遭いました時に、私たちがこの問題で提供しました背景と観点とがお解かりになるでしょう。臆し怯(ひる)むことでは、私たちの世界で直面している全てを改善できるとは、私は信じません。私たちの自分で想い定めた責任を履行し、善良な想いでやっていき、同じ思いでその後の全ても引き受けていかれますように。
               真摯な友として M.S.ベイツ
追伸;この書物は6月にゴランツが、ロンドンで出版する予定です。しばらくしてアメリカで刊行しますが出版社はまだ分かっていません。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
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 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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「マルタ」・「アジアの被害者」の悲痛な叫び!! 
 
        「怨」

No More 731!! No More Nanking!!
No More War!!
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「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)
9条を世界に!!


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世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!!
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沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
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放射線量 側溝の上は比較的高い値(6月5日 5:00更新)

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
 アメリカの囚人人体実験
 それにしても、なぜアメリカの医学者たちはかなり執拗に田宮らに囚人実験を迫ったのか?北野政次にはよく分かっていたに違いない。
 彼は上海から帰国後、東大伝研の図書室で「流行性黄疸(おうだん)の病原体の研究」がアメリカで行なわれ、その病原体がウイルスであることを人体実験によって突き止めたことを知った。アメリカは囚人人体実験に関して言えば、先輩国なのである。
 私の調べた幾つかのアメリカの人体実験を紹介してみよう。
 〔黒人への梅毒人体実験〕アラバマ州東部の州立タスキージ梅毒研究所で、梅毒が極度に悪化した場合、身体にどんな障害が起こるかを調べるために、同州メーコン軍の黒人梅毒患者431人を全くせず放置。死ぬまでの状態を観察する、というおぞましい研究が行なわれた。この時431人中357人が死亡し、それらを研究所は解剖の実験に利用していた。
〔ジョージア州アトランタ刑務所〕戦時中からマラリア予防薬の試験投与が行なわれていた。これは明らかに太平洋戦争における戦力保持のためであろう。
〔フィラデルフィア刑務所〕サリドマイド系睡眠薬の連用試験。
〔シカゴ刑務所〕白血病患者の体液を囚人に注射。
〔オハイオ刑務所〕ガン組織の移植。
 私がかつて『日本医療の原罪』(亜紀書房刊)に記載しただけでもこうした囚人への人体実験がアメリカでは行なわれている(1962年当時)。あるいは731部隊をアメリカが庇護したのは、こうした人体事件を刑務所で行なうのが日常茶飯事と化しているアメリカ医学界の鈍麻(どんま)した感覚も加わっての結果ではないだろうか。

※アメリカはいつから人体実験を囚人に対して行なっていたのだろうか?アメリカはドイツに対してはユダヤ人の影響が強かったので、残虐な人体実験を行なった医師に対して厳しく対応し死刑にした。また、九大事件に対しても一応厳しく対応した!!これは国際社会に対してのポーズだったのか!!そして自国アメリカではでは人体事件を行なっていた!!
中国人に対して731部隊が行った残虐な人体実験は、中国が共産化したこともあってか、全く無視して、その犯罪を問うこともなく、そのデータを安い値段で買い取ってしまった!!そして、今度は日本の囚人に人体実験を強要した!!

インターネットにあった「アメリカの人体実験表」

1940年
シカゴで400人の囚人をマラリアに感染させて新薬の人体実験。後にニュルンベルグで公判中のナチの医者がホロコースト正当化のため、この人体実験を引き合いに出す。
1942年~1945年
米軍で1000人の軍人を使ったイペリット毒ガスの人体実験。
1944年
米海軍がガスマスクと防護服のテストで人体実験。兵士がガス処刑室でイペリットガスを浴びる。
1944年8月
「生物学的研究プログラム」(プルトニウム人体実験)始まる。
1950年
都市部の生物学的危機対処研究に、米国海軍がサンフランシスコ上空の雲にバクテリアを散布。多くの住民が肺炎の徴候を示す病気になる。
1953年
CIA、米陸海軍共同でニューヨークとサンフランシスコ上空で細菌の空中散布実験。
1955年
CIAがタンパベイ上空に留区軍細菌兵器庫のバクテリア散布。
1956年
陸軍人が黄熱病の蚊をエイボン公園に放った上、公衆衛生局高官になりすまして犠牲者を調査。
1965年
フィラデルフィアの州刑務所で、枯れ葉剤の発ガン物質特定のためのダイオキシンを使用した人体実験。
1966年
陸軍がニューヨークの地下鉄の換気装置に細菌を散布。
1968年
CIAがワシントンで化学物質による飲料水汚染実験。
1971年10月8日
シンシナチ大学の医師が、米国国防総省の依頼で11年間にわたって、がん患者111人に放射線全身照射の人体実験をしていたと判明。
1976年2月21日
原爆開発中の45年から47年にかけ、米国政府が極秘に18人にプルトニウムを注射する人体実験をしていたことが判明。13人死亡。
1977年4月14日
戦後20年間続いた、ネバダ核実験場で原爆使用の演習に参加した兵士に白血病の多発が判明。人体実験の疑い。
1984年1月25日
環境保護グループ、囚人、末期ガン患者の放射能人体実験を告発。
1986年10月24日
米議会スタッフの調査で、1940-1970年代に、米政府の囚人・病人への放射能影響調査の人体実験判明。
1990年
ロサンゼルスにおいて、親に無断で黒人とヒスパニックの6カ月の赤ん坊1500人にはしかワクチンの実験薬が投与。
1993年12月26日
ハーバード大・マサチューセッツ工科大が1940-50年代に精神障害児に放射能人体実験との報道。
1994年
ジョン・D・ロックフェラー上院議員は少なくとも過去50年間、国防省が神経ガス、放射能、精神薬、湾岸戦争で使用された化学兵器などの危険な物質の人体実験のため何十万もの軍人を使ったと公表。
1994年1月6日
米国防省の放射能人体実験により25人が死亡の報道。

1994年3月14日
オッペンハイマー米ロスアラモス国立研究所長が1945年にプルトニウム人体実験支持の手紙を書いたと判明。
1994年6月27日
オレアリー米エネルギー省長官、放射性物質の人体実験問題で、48件、1200人が対象になっていたとの中間調査公表。
1994年10月21日
冷戦時代の放射能人体実験を調べている大統領諮問委員会が、実験は分かっただけでも千数百件、最終的には数千件に達する可能性があるとの中間報告を発表。
1995年
合衆国政府が日本の731部隊の戦争犯罪人を細菌戦のデータ提出と引き換えに免責し、実験を続行させていたと認める。
1995年
湾岸戦争で使用の生物兵器はヒューストンで生産され、囚人で人体実験したものと暴露される。
1995年2月
放射線人体実験に関する大統領諮問委員会の調査で、1950年代に米国が大気圏内核実験による死の灰の人体への蓄積を調べるため日本など世界各国で死産した胎児の骨などを集め分析する極秘の「サンシャイン作戦」を展開していと判明。
1995年2月
米国エネルギー省の「放射線人体実験局」、同省とその前身の原子力委員会(AEC)関与の放射線人体実験に関する報告書を公表。154件で9000人が犠牲に。
1995年3月18日
原爆投下直後に広島で調査を行った学者3人のプルトニウム人体実験関与判明。
1995年6月20日
家族に無断で病院から運び出された約1500体の子供の死体が、戦後の放射線人体実験に利用の報道。
1995年8月17日
米エネルギー省、政府関係機関が戦前から行ってきた放射線の人体実験に関する最終報告書を発表。1930年代から70年代の40年間に435件、対象者は約1万6000人。
1995年10月3日
米大統領の諮問委員会、1944年から74年ごろまでに約4000件、推定被験者数万人の放射線人体実験が行われたとする報告書をまとめる。
1998年1月
米国が最近公表した公文書に、1954年に太平洋ビキニ環礁で実施した実験が人体実験であったことを示唆する文書が含まれていることが判明。

1998年4月28日
1950-60年代に、ノルウェーと米国の研究者が、知的障害者に放射線の人体実験を実施とノルウェー紙報道。
1998年11月
米・ブルッキングズ研究所の調査で1940年代から70年代初めまで、米当局が核開発の一環として、計2万3000人以上の米国人への放射能人体実験実施が判明。
(引用終わり)
…これが、日本を食い散らす人間達の正体である!!

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
友人たちへの回覧状(1938年4月12日)
親愛なる友人の皆さん:
 私たちは早くから、この本をこの方式で出版するのに賛同し、私たちの提供した資料で事実の真相が説明されるようにと、期待していますが、名指しする機関が出てきて欲しくはありません。けれどもティムパレイ氏とその上海の顧問たちは、ますます資料を全部或いはそこから選んだ大部分を使うように、傾いてきました。彼らには一次資料のオリジナリティとオーソリティーとが大事で、出版エイジェンシーたるロンドンやニューヨークの友人たちからも、やいやい催促されてもいるのです。私たちは作業の進行過程全体は何も分かりません。けれどもあらゆる宣教師がみんな南京の資料に関心を寄せていて、しかも上海の教会指導者のかなりの部分が、それを正確なものと見なしてなるべく早く出版をと願っているのです。
 私たちは積極的な仕方で暴虐の真相を暴露するのを、道徳的な一種の義務だと感じています。私たちだけが或いは私たちと一緒に働いた人たちだけが、そうすることができるのです。他の人たちは間接的な仕方か半ば商業的な仕方を通じて、だんだん自由にこうした資料に触れて行かれます。一方では、このようにして、日本人の我々を攻撃する激しさを弱められるかも知れませんし、同時にまた私たちを促して、中国民衆の体験していることを総合的にしかも好意的に推し量れるよう、尋ね求めさせられるでもありましょう。これと関わってくるあらゆる原則や問題は、私が言うまでも無いことで、ご自身でご推測下さればと思います。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

事故直後のデータを公表せず(6月4日 6:00更新)4か所で放射線量が目安超える(6月4日 6:00更新)

君が代反対!!
解説:君が代起立斉唱義務付け条例 大阪府議会、議論尽くさず成立
君が代条例案 自治の土台が揺らぐ
君が代起立 条例で縛るようなことか

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
―へえ。すぐ結論は出ましたか?
「いや1年か2年やったですね」
―何人ぐらいやったんですか?
「10人ぐらいずつ2組も3組もやったでしょうね。本人が申し出てね」
―刑期を軽くしたという話ですが、刑の重い人にもやったんですか?例えば死刑囚に、とか?
「いや、ほんの窃盗とか軽い人ですよ」
―やるときは厳重なものでしょう?
「いや、あのね、小さな缶詰めの缶を輪切りにしたようなものに紗(しゃ)のふたを両サイドにしてある。そこに虱が入れてあって囚人の腕などの肌にくっつける。そして包帯で巻いてしまう。すると虱が紗を通して囚人の血を吸うでしょう。そうやってリケッチア・ムーゼリが人体を何回も通過するうちにリケッチア・ブロワツエキが検出できるかどうか、人体実験をやるんです」。
 私は彼の立場から、彼の証言は真実だ、と見る事ができる。かくて①の疑問は解けた。
 戦後の囚人人体実験は府中刑務所で行われたことを私はK氏の証言で突き止めたのだ。

※府中刑務所で北野政次とGHQが東大伝研を動かして、囚人に対して人体実験を行なった。この時、死亡者が出たのかよく分からないが「府中刑務所」を検索していたら次のような投稿があったので紹介する。

日本国民を米国命令により生体実験する厚労省(2009年1月5日)投稿

四乃四四
 七三一部隊石井隊長の右腕内藤良一が開いた緑十字ではアメリカ政府の命令により血液精剤HIV感染、フィブリノゲン血液製剤肝炎を起し200万人が犠牲となり、国を防衛する目的で発足された特別国家公務員にも手を伸ばし1967年に赤痢予防薬の人体実験を陸上自衛隊員を使って行い1089人中577人に急性食中毒を発症させている。

 1947年、国立予防衛生研究所の北見正見は府中刑務所の受刑者に対して発疹チフスの人体実験を行い64人中8名死亡した。

 1952年、名古屋市立大学小児科の旧731部隊員小川二郎が中心となり石井四郎のネットワークの一つである東京1644部隊にいた小川透、東大伝染病研究所(現在の医科学研究所)、国立予防衛生研究所が協力して行った実験は名古屋市立乳児院事件と呼ばれ、乳児達に対して大腸菌を直接飲ませて激しい下痢を起こさせるという人体実験を行い一人の乳児を殺している。

 1956年、米軍生物兵器部隊406研究所が出資し旧731部隊の北岡正見、浅沼靖が協力した新潟精神病院ツツガムシ病人体実験は、新潟大学医学部桂重鴻教授等が149人の精神病患者にツツガムシの病原体(リケッチア)を投与し、8人が死亡、9人が腕から皮を剥がされる結果となった。

 2001年に国立感染症研究所が、世界で毎年約5万人と十数万の動物が発病死している狂犬病ウィルスを遺伝子操作し”細菌の運び屋”として新種の細菌を都内に散ら撒いた。

 七三一部隊、栄一六四四部隊の残党は政府機関・医学部教授の名声と銭金を失いたくないためアメリカ政府の言いなりである。
 インフルエンザ薬タミフルは日本国民全員分用意されているが、成分は湾岸戦争で米兵士に飲ませた対細菌兵器薬と同じで精神を昂揚させて自制心を失い一生精神的病を患うものである。


サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
友人たちへの回覧状(1938年4月12日)
親愛なる友人の皆さん:
 この働きに対する法的な責任は担えないとしても、初めから私はその働きと一体に結び合っていて、企画とそれを展開する協議に参画していましたし、原稿全ての校閲もしました。それに、この書物は私の(1937年)12月15日に起草したレポートを利用しているもいるのですが、それは当時南京[Nanking」に留まっていた多くの新聞記者のために準備したものでした。付録には(1937年)12月に、私が日本大使館に出した多くの手紙が含まれています。日本大使館への手紙に私は署名しませんでしたけれども、南京と上海と(東京は含まれないとしても)の日本の官吏たちはみんなはっきり知っていて、それらの文書は私の手になるものです。スマイス博士は国際委員会の事務局が出した各種の報告と公文書とに署名していることから、やはり随分と巻き添えにされています。
 この本には地域の限定を受けてなく、中国の他の都市と地区との確かな統計資料が含まれています。でも南京の項が中でも特に重要な位置を占めているのは、私たちのこの都市で暴虐が群がり発生したからです。ですから日本の当局は、特に南京のちっぽけな外国宣教師グループを憎み、とりわけ私を恨んでいるかも知れないのです。フィッチ氏はその日記が引用されていることで、マギー氏はその写真が何枚か掲載されていることで、ひどく累を及ぼされることになるでしょう。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!


沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

1号機原子炉に新圧力計設置へ=2号機プール水温急低下―福島第1

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
 私は小田急線の彼のマンションを訪ねた。K氏は年老いていたが完全に元気で、私は彼とかなり長く話した。以前から私は彼の名を知っていた。それは「米軍資金によるツツガ虫研究の問題」などで彼の名をかなりよく見かけていたからだ。だから率直に言ってお会いするまではK氏についてはあまりいい印象は私の中に残っていない。しかし会ってみれば実に人のいい彼の対応に私はかなりあけすけにいろいろ質問し、彼も率直に答えたと思う。様々な話は省略して、囚人実験についてだけその問答を紹介してみよう。
 ―発疹熱とか発疹チフスが移行するという説があるようですが、Kさんはどう思うわれますか?
「あの研究はね、私もやりましたからね。でも移行(・・・)する(・・)というのは、あの時アメリカの考えです。サムスが持って来てね。いろんな実験をさせられました。人体実験もやりました」
―その人体実験は東大の伝研でやったんですか?
 彼は一瞬、不審そうに私を見たが、あっさりと、
「いや、それは『府中の刑務所』でやったんです。でも発疹熱から発疹チフスに移行するなんて嘘ですね。いくらやってもなりませんでしたよ」
 私は府中の刑務所と聞いてドキッとした。実験の場所についての何ヶ月もの疑問が一挙に解決したのだ。

※刑務所の中で人体実験が行なわれていた。北野政次とGHQが組んで、東大伝研を動かし、人体実験が行なわれた!!戦後の医療界においては、731部隊の反省がなくいろいろな所で人体実験行なわれ、多くの犠牲者が出てしまった!!

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
友人たちへの回覧状(1938年4月12日)
親愛なる友人の皆さん:
 この手紙は上海で書いているものです。長いこと努力して、私にやっと期限10日の軍事通行証がもらえたのは、国際救援委員会と他の団体の代表としてであって、同時に家庭的な理由でもありました。
 皆さん方を脅かしたいわけではなく、私はただ皆さん方に一歩突っ込んだ音信を提供することで、夏に起きるかも知れない震駭(しんがい)すべき事態に備えていただきたいのです。言い出している問題は、強い反応が得られるとは限りませんが、私たちはその可能性に直面しなければならないのです。
 ここで今H.J.ティムパレイ氏の書いた書物を、イギリスとアメリカで出版しようと一生懸命準備していますが、著者は『マンチェスターガーディアン』の資質の優れた記者で、書名は『日本軍の中国での暴虐』(The Japanese Terror in China)となりそうです。ティムパレイ氏は品性の高尚な報道活動家で北平[Peiping]や上海のキリスト教指導者たちと長いこと密接な関係を保っています。彼は当地の救済団体から入手した中国の戦争の実態を陳述した文献を、大量に保存しています。それらの資料は公正で建設的な方式で公にされたものです。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
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●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


高濃度汚染水 水位の上昇続く(6月2日 5:20更新)

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
 元731部隊大連衛研所属のP氏にも会った。P氏は薄暗い研究室の中で試験管を見つめながら言った。
「北野さんの説は一元説でリケッチア・ムーゼリがシラミに媒介され人体を通過するうちにリケッチア・ブロワツエキに移行する、というものです。しかし大連衛研ではそんなことは誰も言わない。否定していましたよ。ムーゼリはムーゼリ。ブロワツエキはブロワツエキ。全く違うものですからね。そんな説はとうに否定されているんですよ」
 しかし彼も自分がいた東大伝研の中で囚人人体実験がどこでどんな風に行なわれたかは全く知らなかった。
 私はその後、2人の人物から、その囚人実験は「東大伝染病研究所の地下で金網を張って行なったのだ」という情報を得た。しかし、毎日新聞の記事は「北岡氏とホイルラー氏が刑務所(・・・)で(・)」行なったとなっている。2人の人物の情報は何か他の(例えばインフルエンザの)人体実験などを勘違いしたものらしかった。
 そしてついに私は、元北支那軍馬防疫廠の陸軍技士(中佐待遇)のK氏から、囚人人体実験が行われた場所を聞くことができた。

※最近の原発の報道を見ていても、情報をすぐに公開しない態度が問題になっているが、伝研で行なわれた人体実験も情報を隠していた。もっと政府は、敗戦から60年も経ったのだから、戦前・戦後の混乱期の国の持っている情報を公開し、あの戦争でどのようなことが国内・国外で行なわれたかをはっきりさせるべきである!!

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイへの書簡(1938年3月3日)
親愛なるティムパレイ様:
馬約翰(つまりマギー、馬吉、訳者)はアメリカ人です。残念なことに市内にイギリス人はいないのですが、それはあなた方のあの慎み深く抑制の利いた外交官が来られるまではです。僕らはブルーンやジェフリーの優れた人柄と、何度も僕らを助けて下さったのを、称賛して止みません。ブルーンの帰国している間、ウィリアムがジェフリーの助手になれるでしょう。アリソンが大使のために蒐集した若干の経済情報を同封します。破壊と生産停止の概況が出ています。今週、自治委員会の小心翼々たる隠蔽の下で、調査の計画が2つ展開されました。スマイスが僕らの中国人同僚たちと農業の面を調査し、私は市内の情況を説明できるような大量の調査に着手しました。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


もんじゅ機器回収工事が本格化 上部構造物の撤去開始

「もんじゅ」燃料棒が取り出せなくて責任者が自殺していた。原発は人類には早すぎた技術だった。

福島原発以上に危険性のある高速増殖炉『もんじゅ』で今起きていること

日本を導く頼もしい学者先生方

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
さて、さらに3つのナゾが未解明のままだ、と思われる。
 ①は、この戦後の囚人への人体実験がどの刑務所で行なわれ、参加したのは北岡以外に誰か、ということである。
 ②は、北野も書いているように、戦前「満州」における研究は北野だけではなくほかにも多く参加していただろうが、それらの人々はどんな研究をし、戦後はどうしているのか?
 ③は、戦後の囚人への人体実験の結果はどのように研究論文ないしは記録として残されているのか、である。
 私はこの3つの単純な事実を知るために幾人もの人々に会った。
 まず世田谷区代田の北野政次氏の自宅を訪ねたのはこの6月初め(82年)の夕刻のことである。買い物帰りの婦人(家人と思われる)と邸宅の前で会い、インタビューの趣旨を話す。
「あの、今伏せっておりますので・・・・」
「お病気ですか・・・・」
「え・・・・あの、老人ですので」
「今、お幾つですか?」
「88歳です」
「で、お病気なんですか?」
「え、でももう呆けておりますから。しっかりしたところもあるのですが・・・・」
 白い壁の立派な家の中で白髪の北野元中将は何を考えているのだろうか。会えば実に多くの聞きたいことがある。

※731部隊の下級隊員たちは、自分たちの犯した罪を勇気を持って731部隊の残虐さを証言し、記録に残し、後世に2度とこのようなことがないようにと訴え続けているが、反対に上級幹部はアメリカとの取引で戦犯免責になり、その後アメリカに協力したこともあって、731部隊での過去の自分の行いを語ることなく死んでいってしまった。石井・北野・北岡・田宮然り。

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイへの書簡(1938年3月3日)
親愛なるティムパレイ様:
 安全区に関し、ミルズが小さな本に書きたがっていますが、100頁くらいです。ただ彼も僕らも、文書の完全な公開が本地域の必要としている救援活動に危害をもたらすことにならなかったり、外国人が将来漢口で奉仕する(難民救援活動を指す―訳者)可能性を妨げなかったりする、保証はしようがないのです。私も「国際的な和解」に関わりのある文書(或いはあなたの提案しているある種の他のメディア)を書きたかったのですが、それは或いは西欧の人たちに、間もなく起きようとしている戦争の生存者問題全体を考える時に、信念を強めさせられるだろうと思うのです。この種の経験は運んでいくわけにいきませんが、それは他の人たちが特殊な境遇の下で可能性をとらえるよう、励ませられます。当地ではあなたへの制約は言及されていなくて、ただあなたに尋ねる会合の事は言われました。確かなのは主たる趨勢はあなたが僕らの提供するいかなる事実を取り上げるにも有利で、あなたの目的、方法、経験に委ねていて、あなたがどうやろうとも、これまで以上に興味がそそられるでしょう。あなたが1月16日のホーンベックの手紙に興味を感じられ取り上げるとして、誰か別の人がその中の小さな誤りにあなたの注意を促すかも知れません。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
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武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


再生可能エネへの転換急ぐ=脱原発方針決めたドイツ
通常炉水の1万倍濃度=1号機地下のたまり水―2号機プール冷却開始へ・福島原発
東電社員2人 上限250ミリシーベルト超か
【ルポ】重大事故から25年、チェルノブイリは今~住民いまだ帰還できず~

異議あり!!最高裁判決!!
君が代訴訟:「教職員への起立命令は合憲」最高裁が初判断
君が代
君が代不起立訴訟の最高裁判決を受け会見する申谷雄二さん=東京・霞が関の司法記者クラブで2011年5月30日、塩入正夫撮影
君が代訴訟:合憲初判断 原告側「思考は短絡的」と批判
「非常に残念」 原告側は敗訴判決に硬い表情 国歌斉唱不起立訴訟
「君が代」条例案:反対アピール発表 ホットライン大阪

終戦特集 ~太平洋戦争の歴史を振り返る~(私流 解釈:敗戦特集~加害の事実の歴史を振り返る~)

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
 その内訳は、2人―ワクチン予防せず発疹チフスを。11人―ワクチン予防して1ヵ月後に発疹チフスを。
宗○耀―男、74歳(死刑犯)、〈16日目〉生きたまま解剖、体内の様子を研究、処置。
曹○光―男、66歳(死刑犯)、〈19日目〉熱下がる。本人「楽になった」と言う、生体解剖、
 処置。
 ワクチン予防した11人中5人が発疹チフスにかかり、5人のうち1人が生体解剖されている。
 私はこうした実験の状態を見るにつけ牡丹江監獄での北野の実験内容を知りたいと思うのである。このようにして、北野らはハタリスワクチンを「満州」衛生廠で大量に日本軍のために作っていた。
 毎日新聞に発表された昭和22年の死刑囚人体実験は、単に「死刑囚ないしは囚人に対して人体実験が行なわれた」という事実の衝撃にとどまらず、やはり731部隊において行なわれた「死刑囚」人体実験の戦後版であり、それは北野が戦後も深く関わっているという仮説を証明し得たと思う。

※戦時中は中国では北野や731部隊に限らずいろいろな病院でも人体実験や生体解剖が行なわれていた。この事実を日本人は知らなければならない!!

湯浅謙
湯浅謙氏

湯浅謙(ウィキペディアより抜粋)
第二次世界大戦中、日本陸軍の軍医として中国で勤務、軍務として生体解剖を行う。
戦後、戦犯容疑者として中国の戦犯管理所へ移送されるが、中国の人道的な対応に接し、自身の罪を強く認識し深く反省する。起訴免除の判決を受けた後、日本へ帰国する。
帰国後、中帰連の会員として、反戦平和、日中友好運動に参加する。自身の戦争体験、特に生体解剖を証言し、戦争の愚かしさを伝える。

生体解剖・・・医学生時代より、軍医になり中国へ渡れば生体解剖を行う機会があるという話を聞いていた。
命令は、第一軍より陸軍病院・各師団旅団へ伝達される。病院では院長と庶務主任が準備をする。師団では、連隊付の軍医15-16名の教育のため実施した。
被害者は、概ね八路軍と密通した被疑者とされていたが、実際に密通者かどうかは分からない。取調べで残酷な拷問を加えるため、解放した後日本軍の悪い噂が立たないように、口封じの為、生体解剖に送られてきた。
湯浅が潞安陸軍病院に赴任した頃には、生体解剖は日常的に行われていた。
湯浅が携わった生体解剖は合計6回に及ぶ。

中国帰還者連絡会の人びと(上)

私が知る「従軍慰安婦」湯浅謙



サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイへの書簡(1938年3月3日)
親愛なるティムパレイ様:
 いつも上海と華東[East China]で広く発行しているプロパガンダ機構―『新申報』が、一連のデマを飛ばして金陵大学を攻撃しています。私は全く武器を以って固守したいところですが、いかなる誤った判断と方法によっても、学校の将来とミッションの利益とを危うくする事はできません。私が単純に自己弁護するのは、私の事件は他の人のに比べて、ずっと「プライベートな性質」のものだからですが、国際委員会が何がしかの、日本人の密かな探り伺いを受けない日は無いのです。『同盟』の記事を1つ訳したのを入れておきますが、これは彼らの立場全体をすっきりと表明したのであって、その特殊な事例を一方に偏って叙述しているわけではありません。どうかその排他性のニュアンスを細かに了解して頂きたいのですが、、それは彼らがここでやっている一切が、すでによくご承知のように、真理を重んじて改めていくという事のできないものだ、ということを意味しているのです。
 それと、僕らここの同僚たちは、日本の方式による報道と国際委員会の報道とは全く別物で、結び付けても何の益にもならないと、見なす傾きにあります。前者の方が当面はずっと大事と見なせそうです。あなたが蘇州杭州地域のために、何がしかの接触をして差し支えないのは明らかで、そこから当地の音信が得られるでしょう。スマイスの「事件報告表」(日本の凶暴行為を指す―訳者)が全体ですでに460件になり、間もなくあなたは上海で、正式な冊子となったのを受け取れるでしょう。僕らはこれに若干補充して、あなたが必要としている音信を詳しく述べることができます。蕪湖の消息はブラウン博士やゲイルさんやその他の人を通じて得られます。揚州に鎭江もそんな具合だと、私は思っています。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


風刺漫画 壱花花
飄漫亭通信

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
牡丹江監獄人体実験の戦後版・府中刑務所
 さて、それでは北野らは「満州」において、どんな人体実験をやったんだろうか?
 私は最近、北野が満州医科大学教授時代に書いた「発疹チフス及び満州チフス(発疹熱のこと―著者注)の予防並びに治療に関する研究(1)(2)」という論文をK大図書館で発見した。それは「日新治療」(第294~5号、昭和17年8月10日)という雑誌に掲載されているものだ。もちろん、これが、GHQのいう「満州での研究」と呼ばれる原論文である。そこには次のような人体実験例が書かれている。
「牡丹江監獄に於いて約500名のものにつき実施した」、「碧山(へきざん)荘において発疹チフス流行時看護人約30名に供試」、「牡丹江監獄鉱山及び其の他病院等に於いて流行時、もしくはしからざる時に使用」と。
 この実験は本多勝一氏によれば、次のような未発表論文が背後に隠されているのだという(「中国の旅」64頁)。この未発表論文は「日新治療」のものと同一タイトルだ。その冒頭に北野は書いている。
「我々は臨江地方で10人の志願者と3人の死刑囚を使って人体実験を行なった。かかる実験は、我々が最初でもなければ、我々の発明でもない。欧米各国は早期より死刑囚を利用して医学実験を試みてきた。我々が実験に使った人体は発疹チフスにかかったことがなく、かつその他の急性的熱性病にかかったこともない32歳から74歳までの健康な男性だった」

※満州で北野政次は人体実験をよくやっていたことが分かる。植民地化した満州では日本人が実権を裏で握り、実行支配していた。ちょっとしたことでも憲兵や警察に睨まれると嫌疑をかけられ、拷問に遭い、731部隊に送られた。死刑囚などではないのである。一般の人々が多くいた。論文には体裁をつくろって死刑囚と書いているがそんなものではなかった!!この731部隊長北野が、戦後裁判にもかけられず日本学術会議南極特別委員会の医学部門の委員として活躍し、(凍傷実験を731部隊でしていた吉村寿人も同じ委員)その後、ミドリ十字の役員に長くいて91歳まで生きたことも驚きである!!

日本医療の原罪(人体実験と戦争責任):高杉晋吾著(亜紀書房)より

 私は、この南極観測に731部隊員が登場したことについて、最近の取材で当時の学術会議会長でもあり、南極観測特別委員長でもあった茅誠司氏に意見を尋ねたことがある。茅誠司氏はその時、私に電話でこう答えた。
「北野政次?その人がどんな人か知らない。私は記憶していない。しかし今、反体制といわれる人でも、戦争中は随分いろいろなことをやっていますよ。戦争中の事はあんまり取り上げない方がよい。それに例え、それが関東軍の経験であっても、昔、南極観測を白瀬中尉がやったように、今の学者に役立つものならば取り上げてよいのではないでしょうか?」
※この人の弁には、全く戦争の反省がない!!

ウィキペディアより
吉村 寿人(よしむら ひさと、1907年 - 1990年)は日本の医学者。生理学者として師である正路倫之助(兵庫県立医科大学、後の神戸医科大学初代学長)より731部隊に赴任するよう命じられ、凍傷研究に従事した。吉村の731部隊における研究について、かつての部下らによるハバロフスク裁判での証言やイギリスの取材陣らが収集した証拠資料と証言資料では、人体実験での貴重な「研究」とされる。戦後、731部隊の人体実験のデータと推定されるものを用いて日本生理学会に論文を多数発表する。また、戦時中においてもすでに成果を同学会において口頭発表がなされていた。戦後京都大学に戻り、正路倫之助が学長になった兵庫県立医科大学(現在の神戸大学医学部)に移動して研究を続け、その後京都府立医科大学の教授となり、学長を務めた。1978年には、「環境適応学」の先駆的業績を果たした功績に勲三等旭日章が授与された。
元731部隊員吉村氏「私がマスコミに責められるのはお門違い」

茅誠司
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
茅 誠司(かや せいじ、1898年(明治31年)12月21日 - 1988年(昭和63年)11月9日)は、神奈川県生まれの物理学者。
人物
旧制厚木中学校(現神奈川県立厚木高等学校)、東京高等工業学校(現東京工業大学)を経て、東北帝国大学理学部卒業。伊登子夫人は天文学者・木村栄の長女。長男は工学者の茅陽一、次男は化学者の茅幸二(理化学研究所所長)。
専門は、強磁性結晶体の研究。しかし、茅が師事していた本多光太郎は、茅の考え方に否定的だった。日本学術会議会長として日本の南極観測参加に尽力する。東京大学退任時の卒業式告辞で述べた小さな親切運動は社会現象となり、社団法人の設立につながった。茅は同法人の初代代表として23年間在職した。同法人は社会全体に社会道徳や親切を広める活動団体の一つとして続いている。


サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイへの書簡(1938年3月3日)
親愛なるティムパレイ様:
 後の方の称号(「精神病」を指す―訳者)は、私がある日の午後、その主だった官吏の「容認する」という方式(いわゆる「合作する」を指す―訳者)を拒絶したことから得られたもので、軍は全力を尽くして情勢を改善しているところで、それで何も特別な恨みがましさはないのです。きっと私が激しているのか恐がっているかだと、彼が見なしたのは、私が無秩序と危険な事実とを言い張って止まなかったからです。ここの何がしかの外国人グループが、しょっちゅう私に(スマイスとミルズにも訪ねに行って)―フィッチがここにいた時も同様―あらゆる外国人宣教師がみんな南京から追い出されることの無いように、報道したり抗議したり、直接的にでなく大衆にこれを公にする(日本軍の凶暴行為を指す―訳者)のを、完全に停止するよう頼みに来ています。これはほんの提案だけで、何がしかの理由で当地では、気をつけて事を運ばなければなりません。フィッチと私とが(日本の)大使に、正式に呼び出されて訊ねられ、彼が我々を「保護」したのは、少なくともアリソンへの1通の無線電報のためでした(こうしたことの全てをあなたの帽子の下の方へうっちゃりますのは、私にはその意味が確かには分からないからです)。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!

<福島第1原発>東電社長、地震当日は夫人同伴で奈良観光
麻生太郎的特殊日本的精神論の問題性
日本の生き残る道は脱原発
福島第一原発事故の精神的苦痛で東京電力を提訴

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
GHQの要求と北野政次の役割
私は、ほかならぬ北野の文章から、この囚人実験の陰の主役が北野であることを立証してみよう。実は、北野が「日本医事新報」(昭和44年12月13日2381号)に連載している「防疫秘話」(続3)に、要旨、次のような意味の文章があるのを発見していた。
「最初GHQは日本の発疹チフス対策で、発疹チフスと発疹熱は別の病気だと思っていた。そして虱の駆除のためにDDTを供給していた。発疹チフスは虱が媒介するのだからDDTで虱を駆除すれば発疹チフスも無くなる道理だからだ。しかしなかなかおさまらない。そこでGHQは『私らの満州における研究経験を知り』香川県の浜田豊博県衛生研究所所長(元731部隊での北野との共同研究者―著者注)から満州での経験をいろいろ聞いたようだ。そこで、実は発疹チフスは虱だけを防いでいてもダメで、発疹熱をもたらす蚤も駆除しないといけない。それは、発疹熱のリケッチア・ムーゼリを持った蚤が人を刺し、その人に虱がたかり、次の人を刺し、何人か刺す内にリケッチア・ムーゼリが人体を何人か通過して行くなかで発疹チフスが発生するのだから・・・・。GHQはこの研究を最初田宮先生に依頼し、結局、北岡博士の協力を得られた」と。
 最後の「GHQが田宮、北岡に依頼し、北岡が協力した研究」とは、無論のこと囚人への人体実験に他ならない。
 本来ならばこれは極秘の企画だからこうしたいきさつを知っているのは、GHQの関係者と企画会議出席の田宮、北岡、浜野などに限られるはずだが、北野がこれを知っているということは北野もこの企画の主たる隠然たる参画者の1人に他ならないことを示している。
 そうでもなければ企画のラチ外の人間がこんな極秘事項を知りうるはずがないのである。

※北野や浜野らが731部隊での経験をもとに米軍に協力し、その追試の人体実験を日本で囚人を使って行なった。
 日本の戦後の医学の中心に731部隊に多くの人材を送り出した東大や京大の教授らが反省もしないまま居座り続け、また帰ってきた731部隊員の多くがそのまま研究職についてしまって、日本医学界に大きな影響力を及ぼしていった。

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイへの書簡(1938年3月3日)
親愛なるティムパレイ様:
 これらの文書はほとんどが、幹事としてのスマイスと、副議長としてのミルズ(ラーベがいなくなってからは彼が本当の議長となった)と、金陵大学のもっとも勤勉な連絡員たる私自身から出ています。日本の軍とひいては外交官が今や、(僕らの)委員会を何とも恨んでいるということを、あなたが了解しているかどうかは知りません。彼らは絶えず自治政府(売国奴政権を指す―訳者)に、僕らがいかなる企業や事業所とも連絡するのを、禁止させようと迫っています(これが彼らの我々に「合作する」よう要求している馬鹿げた方式を、おもしろく暴露しているのだが、実際には彼らが敢えて危険を冒して、自分のために詭弁を弄したりあっさり日本人にデタラメを言ったりする限り、我々は出来るだけ自治委員会と合作している)。(日本)大使館の主だった官吏が、正式に私たちを指して「反日」と見なし、しかも私が「精神病」かどうかと別の人にもどかしげに聞いたりしています―全く滑稽です彼らは。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


<福島第1原発>東電、汚染水処理費は531億円と試算

山本太郎「事務所、辞めました!

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
GHQの要求と北野政次の役割
 つまり、北野政次はこの実験の中心的企画者に等しい位置にいた。
 731部隊で行なった人体実験を、その部隊長が中心となって、戦後になっても囚人に対して行なった、ということが世間に知れれば、世論に与える影響は大きい。だから、北野を黒子として隠した上でGHQが打った芝居。それがサムス、田宮、北岡会談の真相であろう。
 私は共通してこの問題を追及している毎日新聞の記者の脳裡にも同様の想いがよぎったのではないかと思う。ああ、またしても・・・・・と。
 東大伝研岡本助教授が過去、1644部隊が命乞いをする捕虜に対して行なったコレラ菌、チフス菌の人体実験を悔い、「吾(われ)、わが罪を知る」と自殺し果てた時、同じ事をした仲間が、平然として東大伝染病研究所を回し舞台にして再び囚人人体実験を行なうとは・・・・・。
 私は、ほかならぬ北野の文章から、この囚人実験の陰の主役が北野であることを立証してみよう。実は、北野が「日本医事新報」(昭和44年12月13日2381号)に連載している「防疫秘話」(続3)に、要旨、次のような意味の文章があるのを発見していた。

※米軍は731部隊で行われていた人体実験を容認してしまった!!ここに大きな問題がある!!ナチスドイツの行なった人体実験に対してはアメリカは厳しく臨んだのに対して日本のあの残虐な人体実験に対しては容認し、資料まで自国のものにしてしまった。そのため、北野らをはじめとする731部隊員・東大伝研・その他の医療従事者は戦前・戦中の自らの行為に対して何の反省もせず、戦後もその悪い体質のまま生き残ってしまった!!もちろん最高責任者の昭和天皇をはじめ皇族・宮内庁関係者は我関せずの態度であった!!!マッカーサーと天皇の会談、米軍と日本陸軍・731部隊関係者との会談は果たしてどのような内容であったのであろうか?
日本は国体護持に執着し、731部隊の残虐な行為をやっていたという事実を必死に隠した。アメリカは、これに対し天皇の戦争責任を全く免除し、細菌戦の資料を安い値段で買い取り、やり方を学び、そして共産主義に対抗するために沖縄をはじめ日本各地に多くの米軍基地を作らせ、日本を事実上属国にしてしまった!!
 
サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイへの書簡(1938年3月3日)
親愛なるティムパレイ様:
 ベイツ夫人を通じて出した大虐殺に関する電報を、きっと受け取られたことと思いますが、それはあなたの2月17日の手紙での提案から、僕らが選択したものの説明です。あなたがすでにボイントンの南京関係の文書を見たことと、「もう少し研究する」つもりでいることを、知りました。これは私とスマイスとミルズとでやれた第1回秘密会談の成果です。外部の世界では、僕らの今やっていることがとても諒解してもらえるものでないのは、この面への要求が多種多様だからです。
 ここからが僕らの若干の考え方です。遠隔地の公衆に、すでに起こり今やられている戦争の残酷さを分からせるのに、市街地の範囲を超えて効果を強めるといいです。南京全体が異常に変わってしまってからは、よその土地の人はとても感じやすく―ここは政治的な憎悪が集中している所で、しょっちゅう意外なことが起こる、というようなこと等々。そしてもしもある時期に、上海でも松江でも、蘇州、無錫、湖州、杭州などどこでも、類似のストーリーが伝えられるとしたら、全体として効果がずっと有力で信ずべきものとなります。もしもあなたがある都市へ行って、主として僕らの文書を基にして推し量るならば、個人としても団体としても、復讐心が倍増して不安になるでしょう。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
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沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!



こちらで文字起こしをされてるサイトを見つけましたので、リンクを貼っておきます。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65734984.html
5月28日教育テレビで放映されるので録画しよう。
午後3:00~から

【原発】スイス「脱原発」宣言 2034年までに廃炉(05/26 11:53)

<福島第1原発>3号機地下連絡通路に深さ2メートル汚染水

<G8>「日本リスク」への疑念増幅 原発政策で濃淡も

連合、原発推進の方針凍結…今後は白紙で議論

山本太郎、出演予定のドラマ降板に 反原発発言が原因か ツイッターで大反響
文科省前でデモを行なう山本太郎
23日、文科省前でデモを行う山本太郎

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
GHQの要求と北野政次の役割
 それなら、なぜバーギー少佐は直接北野からその研究内容を聞かなかったのか?むしろ北野の立場なら、米軍は彼を庇護してくれているのであるから積極的に自分から占領軍の公衆衛生対策について「満州」の体験を進言しただろうと思われるのだが・・・・。現に彼は、流行性出血熱研究についても、笠原四郎(元731部隊、北里研)と共に田宮猛雄の斡旋で伝研所長室で米ウォルター・リード軍医学校のスマデル博士やウィスマン博士に進講している。そのくらいだから、北野が米軍が知りたがっている問題を積極的に教えない理由は皆無である。
 また、米軍には強制的に訊問できる立場であるのに、わざわざサムスが北野を除いて田宮、北岡らを呼びつけて「人体実験を強要する」というのはいかにも芝居じみている。
 その疑問に対する回答はただ1つのように思える。
①北野はバーギー少佐らを通じて、北野らの731部隊における同実験を進講した。あるいはサムスらがGHQ権力を通じて、北野らから731部隊における実験を訊問した。②GHQはその実験に公衆衛生対策ないしは米軍の防疫対策上興味を抱き、人体実験を企図した。
③こうしてこの研究のルーツが731部隊にあることを国民に秘匿して、しかも人権侵害の非難を避けつつ合法的に行なうため、刑務所という密室で、「本人の合意の上」という合法性を錦の御旗にして人体実験が行なわれたのではないか、ということである。

※北野と米軍の協力関係の中で日本でも人体事件が行なわれてしまった。戦後、大学医学部や病院では生体実験(脳の一部を切除するなど)も行なわれ、学会などでその成果?が発表されていた。
 また、精神病院などの患者に対する虐待などの問題がクローズアップされた。そして死亡した患者の脳は東大などに送られた。
宇都宮病院事件
宇都宮病院事件
一日一偽善 宇都宮病院事件
 
サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイのベイツへの書簡(1938年2月17日)
親愛なるベイツ様:
 ベイツ夫人に速記の手助けをしていただけると、ボイントンのオフィスでコピーをとる負担が軽減され、公衆目的で他の資料を集めるのにも好都合なのですが。
 下記のもの以外には、差し上げる消息がそんなにないのが気にかかります。これは昨日受け取った香港の温源寧の手紙から抜き書きしたものです:
「香港在住のイギリスの知識人が1人、ちょうど漢口から戻って来て、先週土曜日に我々と午餐を共にした。彼が我々に言うには、中央政府は依然として八路軍と誠心誠意には合作していない。彼らは以前の紅色政権を依然としてきわめて恐れている。例を挙げれば、ソ連が飛行機80機と他に何がしかの装備を、紅軍にただで提供するのに、中央政府は受け取りを拒絶している。彼はそれに、漢口でのソ連の飛行機は多く飛んでるわけではないとも言う。だが彼の言うに、漢口の士気はまだ悪く無く、中国の軍事力は日本に比べ依然として弱いと、見ているにもかかわらず、その他の面、経済面と政治面では、中国はやはりずっと強い。」
 ご機嫌よろしく!
                           敬具 ティムパレイ

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


<福島原発>東電に厳重注意…被ばく管理ずさん 保安院

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
GHQの要求と北野政次の役割
 私は取材しながらどこかに一点奇妙なところがある、頭にひっかかることがあった。考えているうちに、その「ひっかかり」が何であるかということに気が付いた。
 それはサムスらがこの囚人実験を言い出したのは、明らかに731部隊が「満州」で行った発疹熱と発疹チフスの移行問題についての人体実験の論文を押収したからだろう。サムスが田宮や北岡らに言った「発疹熱がコロモシラミを通過して発疹チフスになるとの説」というのは間違いなく北野らの実験を指している。
 だとすれば、バーギー少佐が東大伝研の一室に常駐し(1945年以後)、北野が上海から帰国後、中村滝公衆衛生研究所所長になる以前(1946年以前)の一時期は、東大伝研の図書館通いを続け、同じ屋根の下にいたのだから、直接バーギーから北野にその研究について訊問すればよいだけではないか。いや、田宮が米陸軍発疹チフス研究委員会のメンバーであり、バーギー少佐も同委員である以上、同一の関心を北野らの研究に抱くだろう。

※北野と米軍はいろいろと情報を交換していた。そして、発疹熱と発疹チフスの関係を米軍は北野に聞き、田宮や北岡の協力を得て、731部隊でやっていた実験の追試を囚人を使って行った。

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
ティムパレイのベイツへの書簡(1938年2月17日)
親愛なるベイツ様:
 2月11日にお寄せ下さいましたお手紙でボイントン(Charles L. Boynton)に言付けて下さっていました音信が確かめられ、私にこの本を書くようお励まし下さり、同時にフィッチのアメリカ立ち寄りに同意されているのが分かりました。これからの通信の際に、ホーンベック(Hornbeck)に書く手紙のコピーを同封いたします。
 昨日ボイントンのオフィスへ行って、そこの南京と他の地域に関わりある文書をしっかり読んできました。南京だけでも資料がとてもたくさんあり、私はほんとにこの本のテーマに限り一種の個別事件史に仕上げて、書名を「南京での試練」(The Ordeal of Nanking)とするか別の似たような名前にしたいと思います。
 もう少し研究してからですが、南京安全区につながりのある文書を全部、フィッチやあなたや他の人たちの手紙の後ろに、付録としてつけようと思っています。私がこうするのを適当だとお思いになるでしょうか?出版すべきでないと思われる文書がいくつかあるでしょうかどうでしょうか?あなたからさらに多くの目撃者のストーリーが得られたなら、本の第1部にすこぶる有用です。どの文書は削除すべきかとかどの部分は好ましくないとか、はっきりした指示をしていただけたら、非常な助けとなります。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


福島第1原発 1号機と2号機の格納容器に穴の可能性

(転載) 2011.5.24
高木義明文部科学大臣、菅直人首相、清水正孝社長は犯罪者といえませんか。
福島市の随所で文科省が通知した基準放射線20ミリシーベル/年(2.2マイクロシーベルト/h)を越えています。
測定地
● 福島市渡利支所 2.71マイクロシーベルト/h=23.7ミリシーベルト/年

● 同 大波出張所  2.62マイクロシーベルト/h=22.95ミリシーベルト/年
資料:福島市ホームページ、環境放射線測定結果 2011.5.2~5.16の平均値
国は福島県全体の各所測定値に基づき 至急 幼児、妊婦の転居、学童の集団疎開を行わなければなりません。
■ 放射能被爆者を見捨て、放置しているのは重大な犯罪といえませんか。
市民が求め創るマニフェストの会
石垣敏夫

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
ルーツは731部隊の死刑囚実験
 実は、私は自分の手持ちの資料によって、その移行説をもとにさんざん中国で人体実験を行なったのが北野政次ら731部隊であるのを知っていたのだ。私は予研の所長室できわめて短時間のインタビューをするため、あわただしく宍戸所長に尋ねた。
―この実験に宍戸先生は参加したのですか。
「田宮先生と北岡先生とがやられたので、僕は全く関係ありません」
―発疹熱と発疹チフスの関係の研究というのが、731部隊で研究されていたと思うんですが?
「僕は731部隊の事は全然知りません」
―どこの刑務所でやられたのか、ということもご存知ありませんか?
「全然分からない」
ほぼこんなやり取りが所長室で行われたのである。

※予研(現在の国立感染症研究所)8代所長の宍戸亮は戦時中は陸軍防疫研究所の嘱託として勤務していた。だから731部隊とは常に連絡を取り合っており、生体実験などのアドバイスをしていたのではないか?このインタビューでは「731部隊のことは全然知りません」と答えているが、これは全くの嘘ではないか?
 ほとんどの731部隊の上級幹部はこのように、インタビューに応じても、「知らない」とか、「やっていない」を繰り返し、真実を語らなかった!!もちろん田宮や北岡が行っていた刑務所での人体実験などもよく知っていたのではないか?その後この宍戸所長は米軍406部隊とつながりを持つことになる。
 
サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
夫人への手紙(1938年2月1日、13日)
                           1938年2月1日
親愛なるきみ:
 今や、予期されていたことが起きてしまった。今日ある婦女がその娘を連れて、金陵大学にやって来て、日本人の強姦ではらんだ娘に、流産させる手術をしてくれと言うんだ。
 軍楽隊のコンサートがここで、僕らが日本の将校たちと芸者との間にいるのを見せようとの、うんと準備した報道記録映画を撮らせた弁解として催された―南京での友好国際関係。演奏はなかなかだったよ。士官学校の楽隊が松井の2日間訪問でここに連れて来られたんだ。


 たくさん新聞が届いてうれしい、あした読めるといいが。
 上海から運んでくるのを海軍が認めた大豆を、陸軍当局が僕らに卸させようとしない。時間を稼ぐため僕たちしゃにむにうんと努力したんで、ごたごた忙しいのは免れない。上海の軍側が提案し、大豆を自治政府に移管したので、外国人に委託したんではないんだ。実際には僕たちもう自治政府の何人かと合作し、彼らがこの大豆を受け取り、僕らの倉庫の領収書を出すように按排していて、それから僕らの要求によって放出する―日本人がこの要求を受け入れたらだけど。だが、彼らは大豆がいかなる方式によっても安全区に入って来るのを拒絶するかも知れない。もしも彼らが前からのきまりで事を運ぶのなら、僕らは少しずつ少しずつの方式で秘密に輸入するしかない。同時に供給に関する争いが依然続くだろう。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


亀井氏かみついた!班目氏は“でたらめ委員長”

2・3号機も炉心溶融…地震直後のデータ解析

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
ルーツは731部隊の死刑囚実験
「2回で計12人以上が志願し、実験台となったと言うが、どこの刑務所か、死刑囚ばかりだったかは、分かっていない」、「実験はネズミノミの媒介する発疹熱が、コロモシラミの媒介する発疹チフスに変化していくかどうかを調べる研究」というのが毎日新聞の概要である。
 私の調査では、その時スムスと共に日本側の田宮らに立ち会った米側はトーマス中佐、ホイルラー中佐、タイガー中佐、バーギー少佐らでスムスのいつものやり方通り、彼らはスムスの左右に並んでいた。
 サムスが口火を切ったせりふは、「日本にも発疹熱がある。これがコロモシラミを通過して発疹チフスになるという説もあるから、人体実験をやって確かめるのは防疫上きわめて重要だ」というものだ。
 私が注目したのはこの一点にある。
 ネズミノミの媒介する発疹熱(リケッチア・ムーゼリ)がAという人間にたかって刺し、発疹熱を起こさせる。そのAという患者にコモロシラミが吸着し、発疹熱のリケッチア(リケッチア・ムーゼリ)を吸って、そのシラミがBという人を刺す。するとBは発疹熱に感染するのではなく、不思議なことに発疹チフス(リケッチア・ブロワツエキ)に罹(かか)る。つまりリケッチア・ムーゼリがシラミを媒介に人から人へ移っている間にリケッチア・ブロワツエキになってしまうという奇妙な説である。

※敗戦後、最初はアメリカの要請があって、刑務所で人体実験が行われたが、その後、精神病院の患者や乳児院の子供・製薬会社社員などを対象にして人体実験が行われてしまう。731部隊で人間を「マルタ」と呼んで物扱いにしていたが、戦後の日本でも同じような考え方で医学者は患者に接し、一個の人格を持った人間としてみるのではなく、物を扱うように実験材料としてみてしまった。

コロモジラミ
コモロシラミ
 
発疹チフス(ウィキペディアより)
概略
人口密集地域、不衛生な地域に見られ、衣服に付くシラミやダニが媒介することから、冬期、または寒冷地で流行が見られる。特に戦争・飢饉・牢獄・収容所などに好発し、「戦争熱」・「飢饉熱」などの別称がある。例えば、1812年のナポレオンのロシア遠征などである。第一次世界大戦のロシアでは3000万人が罹患し、10%が死亡した。またナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所でも発生し、大きな被害を出したが、これには、アウシュヴィッツをはじめとする収容所が存在したポーランドが、歴史的に、発疹チフスの発生を繰り返して来た土地であった事にも注目する必要がある。『アンネの日記』のアンネ・フランクも、アウシュヴィッツ第二収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に移送された後、発疹チフスによって死亡したとされている。

疫学
日本では第二次世界大戦中から戦後にかけて流行したが、1955年以降報告されていない。20世紀初頭にはそのほか世界各地でもみられたが、現在ではアフリカ、南米の高地といった寒冷地を中心に発生する。

症状
発疹チフス患者の発疹潜伏期は1から2週間。発熱、頭痛,悪寒、手足の疼痛などで突発し、高熱、全身に広がる発疹が特徴的症状である。皮疹は体幹の斑状の紅斑や丘疹からはじまり次第に手足に広ってゆく。手掌、足蹠をおかさないとされる。重症例では点状出血様になる。頭痛・精神錯乱などの脳症状が強いのも特徴である。致死率は年齢により異なり、20歳まででは5%以下であるのに対して、加齢に伴い増加し、60歳以上では100%近くなる。発疹チフスの初感染から回復したヒトに発生する再発型リケッチア症があり、これはブリル病と呼ばれる。
発疹チフス
発疹チフス患者の発疹

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
夫人への手紙(1938年2月1日、13日)
                           1938年2月13日
親愛なるきみ:
 夕べ1通、君の最後の手紙(日付は書いてない)を受け取り、他に郵便物が1つあった。君の12月6日の9番目の手紙も、フランスの汽船に託されて来たもので、その船は香港や漢口を経て戻ってきたんだ。
 ・・・医者が1人まともにここに住まうのは可能なことだ―
これは僕たちや外交官が努力した実りなんだ。キーアネイはフランスの代理人としてここにほんの3日だけいただけなんだが、彼ら(日本人を指す―訳者)は彼がアメリカ人だと分かったら、たちまちいくつかビンタを張った(言語で)んだ。
 ティムパレイやメリケン夫人にも言って欲しいし、君自身にも知って欲しいんだが、政府側のスポークスマンが声明を出して、(軍側に)難民キャンプに強いて安全区から出させる計画があったのを、否定しているけど、事実は全く反対で、位のかなり上の役人が僕らの難民キャンプの責任者に、明確にこの計画を宣布し、それからまた各キャンプ地に出向いたり公示を貼り出したりして、強調したんだ。公示の内容としては、上海路と寧海路に新しく出来た市場の急ごしらえの店舗を、全部取り壊すというのも入っていた。だけどいろいろな要素が混じり合って、彼らはしばらくの間、高圧手段は執らないと決めたんだ。一方では、とても難しい状態で家に戻った多くの人が、恐怖と大変な苦しい目にあったんだ。たっぷり200名もの婦女が家に帰って強姦されてから、また戻って来たけど、他の多くの人たちも戻って来てから、表情が何ともぼやあっとしていて、一言も話さないんだ。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


福島第1原発 海水注入問題、政府が班目氏発言を訂正

班目春樹

班目春樹氏は委員長として不適格 交代をもとめる

●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
ルーツは731部隊の死刑囚実験

「受刑者に発疹チフス人体実験」、「GHQ命令で、厚生省と東大研究所 敗戦後の22年に」。
 ショッキングな記事は毎日新聞(昭和57年2月5日)のものである。
 私はその記事を見て、その記事の原典を調査し始めた。なぜ私がその記事について調査しようと思い始めたのか?それは、この毎日の記事(東京版)では触れていないが、実はその発疹チフス人体実験のルーツが731部隊の北野政次にあることを私は一目で見破ったからだ。
 私はこの事実を証言したという「実験に参加した予研(国立予防衛生研究所)出身の厚生省高官A氏(63)」(毎日新聞)に会った。彼は現国立予防衛生研究所所長宍戸亮であった。ごく短いインタビュー時間の中で、毎日新聞への同氏の証言が全く事実であることを確認した。しかし、私が確認した重点はもう1つの事柄である。その紹介の前に、毎日新聞の記事を引用してみよう。
「昭和21年11月頃、GHQ内のPHW(公衆衛生保健福祉局)局長C・Fサムス大佐(後に准将)が、当時の浜野規矩雄厚生省予防局長と東大医学部長兼伝染病研究所(現在の医科学研究所)の所長だった田宮猛雄教授、それに北岡正見(のち国立予防衛生研究所副所長)の3人(いずれも故人)をGHQに呼び出し、人体実験を命じた。実験の目的は、この年に全国で爆発的に流行、1年間で32366人が発病し、このうち3351人が死亡した発疹チフスと、もともと風土病的にわが国で発生している発疹熱との関係を調べることで、サムス大佐は、実験台に医学生を使うように指示した」
 田宮が人道上の理由で断わると、サムス大佐は「それでは死刑囚を使え」と言い、これにも反論すると「可能か否かは法務省に確認せよ」と命令した。法務省は「受刑者本人の自由意志による承諾書があればよい」と結論し、翌22年の春と秋の2回実験した。

※サムスは731部隊で人体実験が行われていたことを知っていた。また東大伝研もそれに加担していたことも知っていた。だからこのような発言をしたのではないか?
田宮所長は過去において、731部隊で行われていた人体実験にいろいろと助言を与えていたが、敗戦後には人体実験に関わっていた事実を否定したいので人道上の理由と言って断わったのではないか?

 
発疹チフス(ウィキペディアより)
概略
人口密集地域、不衛生な地域に見られ、衣服に付くシラミやダニが媒介することから、冬期、または寒冷地で流行が見られる。特に戦争・飢饉・牢獄・収容所などに好発し、「戦争熱」・「飢饉熱」などの別称がある。例えば、1812年のナポレオンのロシア遠征などである。第一次世界大戦のロシアでは3000万人が罹患し、10%が死亡した。またナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所でも発生し、大きな被害を出したが、これには、アウシュヴィッツをはじめとする収容所が存在したポーランドが、歴史的に、発疹チフスの発生を繰り返して来た土地であった事にも注目する必要がある。『アンネの日記』のアンネ・フランクも、アウシュヴィッツ第二収容所からベルゲン・ベルゼン収容所に移送された後、発疹チフスによって死亡したとされている。

疫学
日本では第二次世界大戦中から戦後にかけて流行したが、1955年以降報告されていない。20世紀初頭にはそのほか世界各地でもみられたが、現在ではアフリカ、南米の高地といった寒冷地を中心に発生する。

症状
発疹チフス患者の発疹潜伏期は1から2週間。発熱、頭痛,悪寒、手足の疼痛などで突発し、高熱、全身に広がる発疹が特徴的症状である。皮疹は体幹の斑状の紅斑や丘疹からはじまり次第に手足に広ってゆく。手掌、足蹠をおかさないとされる。重症例では点状出血様になる。頭痛・精神錯乱などの脳症状が強いのも特徴である。致死率は年齢により異なり、20歳まででは5%以下であるのに対して、加齢に伴い増加し、60歳以上では100%近くなる。発疹チフスの初感染から回復したヒトに発生する再発型リケッチア症があり、これはブリル病と呼ばれる。
発疹チフス
発疹チフス患者の発疹

サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

 
寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
夫人への手紙(1938年2月1日、13日)
                           1938年2月1日
親愛なるきみ:
 文字通り婦女たち数千名が、僕たち1人1人の前にひざまずき、その多くが、自分の家に帰って日本軍に強姦されたり殺されたりするよりは、今いる難民キャンプで死んだ方がいいと、誓って言うのは、この1週間に自分たちの家に住まおうと努めた多くの婦女が、またもや強姦された(殺害された人たちもいた)からなのだ。今日午前中に僕は、昨日兵士が無礼なのを拒絶して殺戮にあった2人の少女の死体を、見つけようとしたんだがそのお母さんが、日本軍に駆逐されるのが、心配で、ふとんすら持てずに2人の子を連れてわが難民キャンプを出たんだ。僕たちのレポートには、まだたくさん他のケースがあるんだけど、だいたいが強姦だ。
 金曜日に、僕たち虐殺に遭うかも知れないが、日本兵が銃剣で、僕たちに依り頼んでいる婦女や子供たちを刺してくる時に、僕は脇に避けて見てはいられないと思うんだ。大使館の人たちには、いかなる粗暴な行動もみんな適切に証言されて迅速に報道されると、分かっている。一方で日本軍は家に戻る人々にただで食品をやり、同時に一方では(難民キャンプを)閉めるんだ。手紙に付けて、安全区の外に貼り出した掲示を一枚送るよ。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
発疹チフス人体事件への始動
 日本軍と同仁会の関係を見ても分かるように、日本の研究者はまことに学問の権力の独立などという気概からはほど遠い。ましてや、田宮は、731部隊や同仁会にはどんどん弟子を送り込む役割をしてきた人物である。彼は、米軍の731部隊に匹敵する406部隊(U.S.Army 406th Medical Laboratory)のC・B・フィリップなどとともにツツガ虫研究を推進し始める。
 ツツガ虫の研究に米軍が熱を入れるのは、日本軍が中国でコレラに悩まされてコレラの研究者を動員したのと同じことである。
 米軍は南太平洋の諸島で日本軍を撃滅しながら上陸作戦を続けたのだが、その間、日常では入らぬジャングルやヤブを踏破するため、多くの毒蛇や害虫の被害を受けた。その中でもツツガ虫による被害は大きく、ある島では上陸した1個大隊のほぼ全員が被害を受けて上陸作戦に失敗するという苦い体験を持っていた。
 約1万人の米兵が罹患(りかん)しその20パーセントが死に追いこまれたツツガ虫とその病原体リケッチアオリエンタリスの研究は、それに抗体(免疫)を持たぬ米兵の軍事力維持に不可欠のものであった。一方で、大量の発疹チフスワクチンの製造、一方で、ツツガ虫の研究、この2つは米軍の重大な課題となったのである。

※東大伝研の田宮教授は731部隊にたくさんの弟子を送り込んだ人物が今度はアメリカの406部隊に協力するようになる。
 この教授は日本の医学界の重鎮になるが、この人の歩んだ道は全く犯罪にならないのだろうか?疑問に思う!!

ツツガムシ病
概説 ツツガムシ病リケッチアを保有するツツガムシ幼虫に刺されることによる急性熱性発疹性疾患です。アカツツガムシ(東北地方の多く、夏に発症)、フトゲツツガムシ(日本海側、春秋)、タテツツガムシ(太平洋側、秋冬)のうち、あとの2種によるものが多くみられます。
 患者発生は北海道・沖縄を除くほぼ日本全国で認められています。ツツガムシ病リケッチアの自然界における宿主はツツガムシで、草叢(くさむら)や林の土の中が生息場所です。ツツガムシの幼虫は成長過程で一度地表に出て、野ネズミ(アカネズミ、ハタネズミ)などの動物に吸着して組織液を吸います。幼虫がリケッチアを保有すると、刺された皮膚から感染します。潜伏期間は、5~14日で、ヒトからヒトへの感染はありません。
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症状 頭髪部、腋窩(えきか:腋の下)、腰などがよく刺される部位です。刺口は、刺されてから2~3日で赤く腫れ、4~5日で水疱、その後潰瘍(かいよう)となり、10日目頃には周囲が赤い陥没した黒いかさぶたとなります。刺されてから10日目前後から、全身の倦怠感、手足の痛み、頭痛を伴う発熱で始まります。高熱は1~2週間続き、発疹は2~5日間に現れます。径5mm前後、紅斑性、丘疹(きゅうしん)性で全身に出現しますが、胸・腹部・背部に多くみられます。7日程度で消退に向かいますが、重症例では出血性となります。刺口部の所属リンパ節腫脹(しゅちょう)はほとんどでみられ圧痛を伴います。全身のリンパ節腫脹も約半数にみられます。肝・脾腫(ひしゅ)は通常、軽度です。重症例では、DIC(播種性血管内血液凝固症候群)による出血傾向、髄膜刺激症状、昏睡・けいれんなどの中枢神経症状、肝障害による黄疸(おうだん)、末梢血管抵抗の弱まりや心筋障害による血圧低下、間質性肺炎や胸膜炎などを合併します。
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ツツガムシ
ツツガムシ
 
サムスと田宮
戦後の人体実験の立役者、サムス大佐(左)と田宮教授(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
夫人への手紙(1938年2月1日、13日)
                           1938年2月1日
親愛なるきみ:
 この1週の格闘は主として、(日本側が)7日を期限とする公示を発表して、人々が必ず2月4日前に難民キャンプを出て、自分の家に帰らなければならないと、指令したことに対するものだ。安全区の中に臨時に組み立てたお店も力ずくで取り払われるというし、ほかのキャンプ以外の個人の家屋からも、市内の別の場所にある自分たちの家に戻らなければならないと暗示している。例えば、日本人が1人手下の憲兵たちと、金陵大学に難民たちに話しにやって来て、2月4日に兵士が難民を追い出した後、校門を封鎖し、誰も夜具やその他の財産を持ち出してはならないという。
 僕たち手をこまぬいて虜になっているわけではないが、軍側の命令に直接反対するわけにもいかない。直接間接あらゆる種類の願い求めが、外国政府への一大アピールとなり、東京に当地の官吏を抑制するよう要求していて(それが実際に、アリソン事件①と林査理[Riggs]や僕への危険とをもたらしたのは、それがこういう連中にとりわけ僕らを敵視させたからだ)、メディアには僕たちが前にやったのより、ずっと大胆な言論が載っている。

①アリソン事件・・・アリソン領事が日本兵にビンタを張られた一事を指す。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
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●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


<内部被ばく>県外原発で働く福島出身作業員から相次ぎ発見
毎日新聞 5月21日(土)2時36分配信

東京電力福島第1原発の事故後、福島県外で働く同県出身の原発作業員から、通常ならめったにない内部被ばくが見つかるケースが相次いでいる。大半は事故後に福島県に立ち寄っており、水素爆発で飛散した放射性物質を吸い込むなどしたとみられる。周辺住民も同様に内部被ばくした可能性もあり、福島県内の一部自治体は独自に検査を検討している。【日下部聡、石川淳一、町田徳丈、袴田貴行、池田知広】


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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Ⅲ戦中戦後の囚人人体実験
発疹チフス人体事件への始動
 
 敗戦の秋、岡本助教授が自殺した後も、東大伝染病研究所の体制は全く揺るがなかった。
 その茶色の建物の広い敷地に植物は秋の色どりが濃くなった。そんなある日、GHQの公衆衛生局から、米軍発疹チフス研究委員会のメンバーが東大伝研を訪れた。サダクス中佐、ホイルラー中佐、バーギー少佐らいずれも博士号を持った軍医だ。
 彼らはひどく丁重であった。田宮猛雄所長に対して敬意を表した後、彼らが切り出したことはこうだ。
「私たちが今日、そろって田宮博士を訪問したのは、私どもが日本のツツガ虫研究を世界でもっとも進んだものであると高く評価しているからです。同時にツツガ虫を含むリッケチア研究に学ぶべきものがあるとかねがね考えていたからです」
 彼らが切り出した用件は「そこでそのリッケチア研究から学ぶために我々にも便宜を供与して欲しい。ツツガ虫研究、リッケチア研究のゆかりの場所である伝研の部屋を2ブロックほど我々に供与してもらえないだろうか。それから動物棚や箱を拝借したいのだが・・・・・・」
 彼らは三田村研究所員のブロック2室を供与され、その後、バーギー少佐と下士官が毎日伝研に通うようになった。
 その頃、大陸からの大量の引揚者の流入と猛烈な貧困。そして悪環境のため発疹チフスが大流行し、ときにコレラも流行した。バーギー少佐らGHQメンバーは田宮所長を米国陸軍発疹チフス研究委員会の委員に任命した。つまり、米軍の防疫(兵士の戦力維持)のために日本の研究者を動員しようというわけだ。

※戦後、アメリカは731部隊や伝研で研究していた「ツツガ虫研究やリッケチア研究」の研究成果にいち早く注目していたのではないか?敗戦前に日本がどのような研究をしていたかをある程度察知していた。陸軍軍医学校と伝研の関係や731部隊との関係も知っていたのではないかと思われる。


寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
夫人への手紙(1938年2月1日、13日)
                           1938年2月1日
親愛なるきみ:
 ミルズにか僕たち2、3人にか、くれたミルクは見つからなかった。スマイスが何ヶ月か前に注文した「錨ブランド」の期待しなかった代用品として、ネスル(Nestle)のだけ船に積まれてた。だけどそれはどうやらセットものらしく、君が書き込んだ用紙にあるわけじゃないんだ。特にミルクを必要とするわけでもないんだ。
 3階で君の古いベッドカバーを見つけたよ―でも、うーんと捜索しなかったら、まだ見つからないでいるかもしれないな。見間違えてはいないと思う。
 君が夏を日本で過ごす計画を、どういう仕方で立てたのか知らないけど、君がうんと行きたいのなら、経済的な危険やそのほかを君が冒すのに同意するよ。僕が長くは多分行かれないのは、一般的にも、具体的な時や所から見てもなんだが、僕たちには前途はいつも定かでないんだ。だけど僕たちは、起こりうる事の為に働かざるを得ないんで(世界のこの部分では、人類の事業という積極的な面で言うに足る見込みのあるものは1つもないんだが)、君が子供たちと上海を出られるんなら、そりゃあずっと好いよ。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原発・731・南京

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
細菌戦を支えた民間「同仁会」
戦後医学の思想の源流「同仁会」 
[付]戦後、GHQ・東大伝研・公衆衛生と731部隊関係年表
1945年(昭和20年)8月  GHQ、公衆衛生・防疫対策としてワクチン製造続行を決める。ワクチン業界活気づく。
1945年 9月 2日   東大伝研で岡本啓氏自殺。
1945年 9月16日   米軍、東大伝研接収のため来所
1945年 10月11日   増田知貞もと1644部隊隊長(大佐)ら米軍の訊問を受ける。石井四郎、千葉県加茂の自宅から若松町へ。
1945年11月       GHQモルトン少佐、サムス大佐の使いで伝研田宮猛雄訪問。伝研・予研分離問題始まる。
1945年秋         発疹チフス研究委員会サダクス、ホイルラー、バーギーら田宮訪問。日本のツツガ虫研究を称揚し、東大伝研にバーギー、一室を獲得。(この頃、北野政次、東大伝研図書館に日参)
1946年初頭       厚生省防疫課、ワクチン協会結成をメーカーに働きかけ。
1946年初頭        米406部隊、馬場先門に発足。
1946年早春        米MP、石井四郎を若松町宅に訪問。米軍、下北沢で731部隊幹部と接触。 
1946年10月        社団法人細菌製剤(ワクチン・血清)協会発足。
1946年11月        サムス・田宮ら東大伝研に発疹チフスワクチン研究のため死刑囚人体実験を求める。
1946年12月        GHQ、伝研、予研分離の覚書。
1947年5月        国立予研発足。   

※戦後、あれほど残虐な生体実験や生体解剖をやり、細菌兵器を開発して実戦に用い、多くの中国人を苦しめた731部隊員の誰一人として、裁判にかけられることなく生き延びてしまった。そこには勝者米軍の打算に満ちた戦略があった。部隊関係者を米軍に協力させ、遅れていた米軍の細菌兵器開発に利用してしまった!! 
 そして、日本の戦後の医療はこの731部隊の恐ろしい思想を反省することなく、進められ、今度は国内で多くの犠牲者を出してしまった。
 
 
 石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
                                   1938年6月16日
親愛なるアリソン様:
 日本軍がまたもや何度も、私たち漢口路1号の大学の花園にご光来になりました。彼らは日本語で書いてある掲示を一顧だにせず、働いている人たちの仕事をひどく邪魔しました。いつも彼らは花を何本かもらえば満足で、私たち恨み言を言った訳でもありませんでした。けれども夕べは7時から8時の間、兵士たち3人が長いこと働く人たちを困らせ、価値の高い樹木や潅木をいくつか欲しがって、銃剣で脅かし、働く人に樹木を切り倒せと命令しました。少なくとも2人の日本兵がほろ酔い加減でした。彼らは中山路と漢口路の角にある、前の司法部へと去って行きました。
 同じ建物の後ろに割り当てられている憲兵が、意のままに通行人を捜査し、現金を略奪していました。このやり方が、私たち自身の職員たちを回り道するしかなくさせています。
 私たちは兵士たちを個別に名指しして、彼らを訴えようとしているわけではありませんし、それにこれは確かに、情勢の然(しか)らしめたものであるわけではありません。この地域の兵士たち全体が、とりわけあの私たちが上に記した建物にいた兵士たちが、充分に厳格なしつけと監督とを受け、私たちを虐待せずに済むよう保護することを、私たちは要求します。
                                        貴殿への尊敬を込めて
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
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「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
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沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
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福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
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●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
細菌戦を支えた民間「同仁会」
戦後医学の思想の源流「同仁会」 
「問われなかった過去の犯罪は、現在の己を腐敗させ苦しめる」
 ここで、私は、731部隊が戦後行ってきたことを書かねばならない。
 731部隊は医療技術であり、医療についての物の考え方(思想)である。それは731部隊というものが消えたからと言って、変わるものだろうか?相手をマルタと呼び、材木と呼んだ思想が、敗戦によって731部隊の医師や技師の中から消え果たであろうか?もしそのまま対象とする民衆や患者を、昔は「戦争のため、勝つため」という名目で「物体」扱いにしてきたのに、現在は、研究のため、あるいは遺伝子工学などにみられるように産業の利潤のために生命存在そのものを「物」、「マルタ」、「材木」とみるようなら、置かれた条件が「戦争、軍隊」から「産業、資本」に代わっただけに過ぎないのではないか?
 医療が、十全会の老人処理工場化したり、富士見病院のごとく女性の肉体をME器械の材料とするような恐ろしい荒廃がはびこる根源に、「人間を限りなく“物”と見た過去の歴史を隠し、免罪してきた結果が、現在の医療を腐らせている」ということではないのだろうか?
 戦後、731部隊は決して消失しなかった。私は、その証拠を、Ⅲ章以下で具体的事例として示してみよう。

※今から30数年前に起こっていた京都の病院の様子と富士見産婦人科病院事件である。本当に十全会ではどんな治療がなされていたのであろうか。いろいろ考えさせられるものがある。
京都十全会病院①
京都十全会病院②
京都十全会病院③
富士見産婦人科病院事事件(これはひどいと思う) 
 石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
                                         1938年5月6日
親愛なるアリソン様:
 アメリカ人の1人が他国(人)を侵犯したと誣(し)いられて、日本の官吏の1人に喚問される場合の、適当な手順及び権利の問題に関し、私は貴殿に判断をお委ね致します。私は以下に、幾つかの点を説明するだけに致します。
(1)兵士の1人のやたらな猜疑で、私は反日と誣いられ、(彼らは)私自身やスマイス博士やフィルムという証拠を何ら考慮しない。
(2)私が大っぴらにこれらすべてをやったのは大通りでのことで、そこには歩哨はいないで、いかなる制限の指示もなかった。私は検査を逃避せず、うんとエネルギーを費やし損失を蒙って、フィルムを彼らに手渡し調べさせた。私が軍事施設を撮影したかどうかという問題の核心は、(彼らが)私のフィルムを検査した上で、何らの報告も出したわけではないことにある。私の「誠意」が猜疑と交換されただけであった。
(3)(ここでは)一種の普遍的な外国人への敵意が、明確でない語彙で表されていて、明らかに、彼らがこの事件をでっち上げるのに、何らの具体的な証拠も無かったのである。
(4)領事警察の高玉さんが私を呼び出しにここに来ただけでなく、彼は1人に止まらない外国人を呼び出したと言っていて、私は軍事的な写真を撮影したとかで、面倒に巻き込まれている。
 私は犯罪とはいかなる仕方でも、巻き添えにされるのを嫌悪しますし、日本側当局は私の属している組織と従事している事業とのためにも、他の外国人の将来の利益のためにも、軍側に対し、ここ事を徹底的にただしてはっきりさせるべきであると、信じております。度を超えた猜疑は、重大な悪い結果を生み出すものです。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


福島に限らず放射能汚染に悩む全世界の人々の悲痛な叫び!!
ふるさとを返せ!!自然を返せ!!
日常を返せ!!  脱原発!!


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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細菌戦を支えた民間「同仁会」
戦後医学の思想の源流「同仁会」 
つまり人的にも、研究内容から見ても、同仁会と軍部そして731部隊の関係は切っても切れない仲だ、ということになる。①については、Y・A氏は著書の中で具体例を多く挙げている。
 たとえば、「華中防疫所のT・Mは18年4月南京の防疫給水部(1644部隊)に応召したが、これは同部隊に必要な寄生虫学者の意味で特に令状が出されたもの」、「漢口班防疫部のI・Yは19年1月華中防疫給水部に応召したが、華中各地からの基礎・臨床関係はそれぞれ10人前後が20日間ほど教育され、基礎関係は防疫給水部に、臨床関係は歩兵隊付医官として配属になった」、「大部分(同仁会の応召者60名)は19年4月の京漢作戦、6月の湘桂作戦で開始した1号作戦のため、現地で独立歩兵旅団10数個を新設したり、その他の補充に当てたことに関連するもので、在華の開業医や会社などの勤務医はもちろんであるが、同仁会が防疫関係者を含む好個の各科軍医の供給源として着目されたにほかならない」と。
 各軍と各地同仁会は、このようにして1つの拡大軍陣医療団を形成していたと言えるだろう。こうした状況の中にいた自分を鋭い感性で見つめ苦しんだ岡本啓氏の死の意味をやはり明確にとらえる意義は非常に大きい。その点毎日新聞記者らの執念の取材に心から敬意を表明する。
 なぜその意味が大きいのか?それが、私が731部隊について一貫して追及してきた視点に関わるのである。

※当たり前の話だが、戦争になれば全ては戦争に勝つために動員されてしまう。そこには個人の意思とか自由は全くなくなる。怖いことだと思う。日中戦争では戦争に至った大儀がまったく無く、ただの資源や領土欲しさの欲望にかられた侵略戦争だった!!国民も大変な戦争に巻き込まれたと思う。天皇・軍部独裁の政治は本当に怖い!!
 
湯浅謙
湯浅謙氏

湯浅謙(ウィキペディアより抜粋)
第二次世界大戦中、日本陸軍の軍医として中国で勤務、軍務として生体解剖を行う。
戦後、戦犯容疑者として中国の戦犯管理所へ移送されるが、中国の人道的な対応に接し、自身の罪を強く認識し深く反省する。起訴免除の判決を受けた後、日本へ帰国する。
帰国後、中帰連の会員として、反戦平和、日中友好運動に参加する。自身の戦争体験、特に生体解剖を証言し、戦争の愚かしさを伝える。

生体解剖・・・医学生時代より、軍医になり中国へ渡れば生体解剖を行う機会があるという話を聞いていた。
命令は、第一軍より陸軍病院・各師団旅団へ伝達される。病院では院長と庶務主任が準備をする。師団では、連隊付の軍医15-16名の教育のため実施した。
被害者は、概ね八路軍と密通した被疑者とされていたが、実際に密通者かどうかは分からない。取調べで残酷な拷問を加えるため、解放した後日本軍の悪い噂が立たないように、口封じの為、生体解剖に送られてきた。
湯浅が潞安陸軍病院に赴任した頃には、生体解剖は日常的に行われていた。
湯浅が携わった生体解剖は合計6回に及ぶ。

中国帰還者連絡会の人びと(上)

私が知る「従軍慰安婦」湯浅謙

石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
                                         1938年5月6日
親愛なるアリソン様:
 花輪さんが言いました。「ただ軍側は、南京の在留外国人が漢口政府を支持していると見ている」。彼は粕谷さんと互いに目を見交わし、大笑いしました。私は答えて、私の知っているアメリカ人はいかなる政治や軍事の活動にも巻き込まれてなく、彼らはただ似つかわしい事業に従事しているだけで、軍側のそういう態度は根拠の無いものであり、事実と何ら関わりも無いと、言いました。
 彼らがとてもいんぎんに1度私に訊ねたのが、返還するはずのフィルムを私が受け取っているかどうかでした。フィルムの返還の保証には、彼らは十分明確ではなかったみたいです。
 花輪さんは私のレポートに感謝を表し、もう1度軍側と話してみると請け合いました。私は彼に、私が言った事の内容を書いておくのに同意するかどうかと訊ね、明確な回答が与えられるよう要求しました。それから私は、自分がたった今話したことをかいつまんで書き記し、粕谷さんに細かく見てもらいました。
 会談全体はすこぶる友好的な雰囲気でした。軍側の文書は言辞があいまいだったのだと、私は想像していますが、総領事はこのことを手軽に解決したがっていて、私の陳述が、彼のそうするのに足がかりを提供したことになりました。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
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●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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細菌戦を支えた民間「同仁会」
戦後医学の思想の源流「同仁会」 
  これが勤務要領となるともっと露骨である。「皇軍指揮のもとに軍宣撫工作に協力し、皇国医術を施し、もって支那人心の安定に努め」、「待遇は医師、歯科医、薬剤師は将校、技術員、事務員、看護婦長は下士官、看護婦、傭人は兵に準ずる」。
 こうして、京大閥は「満州」731部隊を形成し、東大閥(慶大、慈恵大などを含む)は帝大閥を配下に「中国」同仁会の中軸を形成し、これを基本として学閥が植民地分割支配行ったのである。
 しかし、その根は唯1つ。「軍事目的」という1点でつなぎ合わされていたのである。
 Y・A氏(前出、同仁会幹部)は私にこう言った。「実は私も石井四郎さんをよく知っています。石井さんには『石井部隊に来い』と勧誘を受けましてね」そう言ってから重大なことを付け加えた。「実は漢口同仁会として石井部隊から研究費をもらっていましたからね」と。
 同仁会のK防疫診療班幹部だったY・K氏が語ったこの証言は重要である。
 この証言が意味するところを考えてみれば、
①731部隊は研究者の供給をかなり同仁会に求めていた。
②731部隊は同仁会に研究費を出して研究を委託していた。

※同仁会と731部隊の関係は強かった。多くの同仁会の医師が731部隊に入ったり、また、731部隊の出来ない研究を同仁会に依頼していた。
 医者全員が患者の治療という本来の任務を忘れ、戦争に勝つにはどうしたらいいのかを最優先に考えていたようだ。

湯浅謙
湯浅謙氏

湯浅謙(ウィキペディアより抜粋)
第二次世界大戦中、日本陸軍の軍医として中国で勤務、軍務として生体解剖を行う。
戦後、戦犯容疑者として中国の戦犯管理所へ移送されるが、中国の人道的な対応に接し、自身の罪を強く認識し深く反省する。起訴免除の判決を受けた後、日本へ帰国する。
帰国後、中帰連の会員として、反戦平和、日中友好運動に参加する。自身の戦争体験、特に生体解剖を証言し、戦争の愚かしさを伝える。

生体解剖・・・医学生時代より、軍医になり中国へ渡れば生体解剖を行う機会があるという話を聞いていた。
命令は、第一軍より陸軍病院・各師団旅団へ伝達される。病院では院長と庶務主任が準備をする。師団では、連隊付の軍医15-16名の教育のため実施した。
被害者は、概ね八路軍と密通した被疑者とされていたが、実際に密通者かどうかは分からない。取調べで残酷な拷問を加えるため、解放した後日本軍の悪い噂が立たないように、口封じの為、生体解剖に送られてきた。
湯浅が潞安陸軍病院に赴任した頃には、生体解剖は日常的に行われていた。
湯浅が携わった生体解剖は合計6回に及ぶ。

中国帰還者連絡会の人びと(上)

私が知る「従軍慰安婦」湯浅謙

石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
                                         1938年5月6日
親愛なるアリソン様:
 花輪さんがその後で言いました。「それなら、あなたが撮ろうとしていた時(あなたを阻止したの)だったのだ」。私は図を1枚描いて、兵士たちがどんな風に私たちを追い越して、その後また引き返してきたかを彼に説明し、その間には私はずっと撮影していなかったことを強調しました。私は彼に、あの時その場にいたあの将校に問うよう提案し、それにスマイスも証言できると言いました。花輪さんは軍側から来た手紙をチラッと見て、そこには私が撮っていた時に阻止されたということを、具体的に細かに書いているわけではないと言いました。
 花輪さんは、目下の情勢では私は撮るべきではなかったと、見なしました。私は、大通りでただ景色を撮っただけで、いかなる軍事と関わりのある内容ではなかったのであって、それも侵犯だと見なされるのなら、それなら軍側は前もって通知しておくべきだ、と言いました。当然ながら、これを侵犯だと見なせる外国人は1人もいないのは、どんな商店でも撮影の器材を売っていて、日本人は至る所で意のままに撮っているからです。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!原子力

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脱原発の第一歩になればと思う!!
浜岡原発
浜岡原発

NHK報道局科学文化部【菅総理大臣の記者会見・全文です】(5/6 19:10)

国民の皆様に重要なお知らせがあります。本日私は内閣総理大臣として、海江田経済産業大臣を通じて浜岡原子力発電所のすべての原子炉の運転停止を、中部電力に対して要請を致しました。その理由は何といっても、国民の皆様の安全と安心を考えてのことであります。同時に、この浜岡原発で重大な事故が発生した場合には、日本社会全体に及ぶ、甚大な影響もあわせて考慮した結果であります。文部科学省の地震調査研究推進本部の評価によれば、これから30年以内にマグニチュード8程度の想定東海地震が発生する可能性は87%ときわめて切迫しております。こうした浜岡原子力発電所のおかれた特別な状況を考慮するならば、想定される東海地震に十分耐えられるよう、防潮堤の設置など、中長期の対策を、確実に実施することが必要です。国民の安全と安心を守るためには、こうした中長期対策が完成するまでの間、現在定期検査中で停止中の3号機のみならず、運転中のものも含めて、すべての原子炉の運転を停止すべきと私は判断を致しました。浜岡原発では、従来から、活断層の上に立地する危険性などが指摘をされてきましたが、先の震災と
それに伴う原子力事故に直面をして、私自身、浜岡原発の安全性について、様々な意見を聞いてまいりました。その中で、海江田経済産業大臣とともに、熟慮を重ねた上で、内閣総理大臣として、本日の決定を致した次第であります。
浜岡原子力発電所が運転停止をしたときに中部電力管内の電力需給バランスが、大きな支障が生じないように、政府としても最大限の対策を講じて参ります。電力不足のリスクはこの地域の住民の皆様をはじめとする全国民の皆様がより一層、省電力、省エネルギー、この工夫をしていただけることで、必ず乗り越えていけると私は確信を致しております。国民の皆様のご理解とご協力を心からお願いを申し上げます。

【以下、質疑応答】
Q)安全性の観点から止めると言うことだが、中部電力はこれまで、東海地震並みの揺れが起きても安全性に問題はないとしてきて、国も容認してきたわけだが、なぜこの期にいたって突然、この浜岡原発だけなのかが解せないことと、もうひとつ、この夏場を迎えて、全部止めると言うことになると夏場の電力量よりも供給量が下回ってしまうと思うがその対策は具体的には?

菅総理)
ただいま申し上げたましたように、浜岡原子力発電所が所在する地域を震源とする想定される東海地震が、この30年以内にマグニチュード8程度で発生する、そういう可能性が87%と、文科省関係機関から示されております。そういう、この浜岡原発にとって、特有といいますか、その事情を勘案をして、国民の安全安心を考えた結果の判断、決断であります。また、電力不足についての質問でありますけれども、私は、これまでの予定の中で言えば多少の不足が生じる可能性がありますけれど、この地域をはじめとする、全国民の皆様の理解と協力があれば、そうした夏場の電力需要に対して十分対応ができる、そういう形が取り得ると、このように考えているところであります。


Q)浜岡原発への停止要請だが、どういう法律のどういう根拠に基づく要請であるのか?もし法的担保ない場合は中部電力が断った場合には総理はどうされるつもりか?

菅総理)
この要請に関して、後ほど海江田経済産業大臣から、詳しくご報告をさせていただきますが、基本的には、この私がきょう申し上げたのは、中部電力に対する要請であります。法律的に色々な規定はありますけれども、指示とか命令という形は、現在の法律制度では決まっておりません。そういった意味で要請をさせていただいたということであります。
Q)中電側が断った場合は?
A)ここは十分にご理解をいただけるように説得をしてまいりたいと、このように考えております。以上


以下市民運動家の記事です。転載
2011.5.6
全衆参国会議員に脱原発の文書を提出してきました。
市民が求め創るマニフェストの会
(提出文書:一部略)
1 被害の拡大阻止、被曝者の健康と生活の補償、被曝地の妊婦・幼児の転居、学童疎開の実施。
2 浜岡原発の停止と他の全原発の総点検
3 東京電力は「想定外」という言い訳をやめ「想定できなかった過ち」を認めること。東京電力社長清水正孝氏と行政の加害責任を問う
4「原発を中止すれば電力が不足する」は大手電力会社と政府の宣伝
 水力・火力・自家発電・太陽光・風力で賄(まかな)える。
 地熱・バイオマス・燃料電池・蓄電池等の開発を急ぐべき。
5 原発はクリーンではない。
 ウラン発掘現場での放射能まき散らし。原発稼働時:蒸気冷却の為の海水温度の上昇(地球温暖化の要因)。
 原発労働者の放射能被害。
6 原発は低コストではない。
処理不可能な使用済み燃料の保管費は莫大
(プルトニウムの半減期は2万4千年で負の遺産を子どもたちに残す。)原発は発熱エネルギーの70%を捨てている。
  地域対策費「安全・宣伝費」等に使われる電源三法交付金は税金の無駄遣い。そして今回のような事故が起これば補償費は莫大。(補償の為の電気代値上げと税金負担は許されない)。 
7 原発と核兵器の開発は一体、平和産業を求める為にも脱原発は必然。日本を除いて、核保有国のほとんどは原発(原子炉から核兵器用プルトニウムの抽出)を持っている。
8 被爆国日本が放射能加害国に転落、日本は責務を果たし、かつエネルギー政策の転換(脱原発)を宣言し実施すること。
  連絡先 T/F 048-686-7398 : shimin_manifesto@yahoogroups.jp
      http://shinsetagaya.web.fc2.com/mani/

この世の地獄!沖縄・731部隊・南京大虐殺

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。


沖縄本土復帰から39年、普天間周辺で平和行進
基地移設
沖縄:平和行進
普天間飛行場のゲート前を歩く平和行進の参加者ら(15日午前9時57分、沖縄県宜野湾市で)=足立浩史撮影 
沖縄県は15日、本土復帰から39年を迎えた。

 「世界一危険」と言われる米軍普天間飛行場を抱える同県宜野湾市では、反戦・平和を訴える平和行進が行われ、県内外の平和団体や労組のメンバーら約3300人(主催者発表)が参加した。

 市役所前で行われた出発式で、実行委員長の崎山嗣幸・沖縄平和運動センター議長は「39年を経ても、(日米地位協定により)米軍の犯罪(の一部)には日本の司法が届かず、県民の怒りは収まることはない」と訴えた。参加者は、同飛行場の南回り(約8キロ)と北回り(約7キロ)の2コースに分かれて行進。「『普天間』の居座りは許さない」などとシュプレヒコールを繰り返しながら、約2時間半かけて歩いた。
(2011年5月16日06時38分 読売新聞)

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
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細菌戦を支えた民間「同仁会」
戦後医学の思想の源流「同仁会」 
 昭和13年4月、当時の同仁会会長林権助は「上海に同仁会の診療救護班を派遣するから便宜供与を頼む」と陸海軍大臣に文書で申し入れた。これに対して陸軍省は副官名で畑(俊六)部隊参謀長に「便宜供与依命通牒」を発し、海軍も山本五十六次官名で当該海軍軍部に通知をしている。そして上海に着いた医師は全員軍の特務部に出頭して軍慈善病院を継承するため、軍の嘱託に任命されている。全員が奏任官待遇、判任官待遇となるわけである。
 畑部隊参謀長は彼らに命令した。
1、上海及びその近郊の宣撫施療を行え。
2、上海近郊を巡回施療せよ。
3、病院施設や宿営、給養は上海特務機関長が処遇する。
4、細部は隊付軍医が指示する。
これで同仁会の性格がはっきりするだろう。民間医学陣で形成された同仁会は、このように全く軍の一部を形成し、軍に機構的にも内容的にも従属し奉仕するものとして生まれたのである。

※戦時中の日本は戦争の為に全員が総動員された。医者も例外ではなかった。そして、軍に従属し、いろいろな命令を実行したのだろう。細菌戦にも動員されたのかも知れない?生体解剖も当たり前のように行われていたのではないか?

湯浅謙
湯浅謙氏

湯浅謙(ウィキペディアより抜粋)
第二次世界大戦中、日本陸軍の軍医として中国で勤務、軍務として生体解剖を行う。
戦後、戦犯容疑者として中国の戦犯管理所へ移送されるが、中国の人道的な対応に接し、自身の罪を強く認識し深く反省する。起訴免除の判決を受けた後、日本へ帰国する。
帰国後、中帰連の会員として、反戦平和、日中友好運動に参加する。自身の戦争体験、特に生体解剖を証言し、戦争の愚かしさを伝える。

生体解剖・・・医学生時代より、軍医になり中国へ渡れば生体解剖を行う機会があるという話を聞いていた。
命令は、第一軍より陸軍病院・各師団旅団へ伝達される。病院では院長と庶務主任が準備をする。師団では、連隊付の軍医15-16名の教育のため実施した。
被害者は、概ね八路軍と密通した被疑者とされていたが、実際に密通者かどうかは分からない。取調べで残酷な拷問を加えるため、解放した後日本軍の悪い噂が立たないように、口封じの為、生体解剖に送られてきた。
湯浅が潞安陸軍病院に赴任した頃には、生体解剖は日常的に行われていた。
湯浅が携わった生体解剖は合計6回に及ぶ。

中国帰還者連絡会の人びと(上)

私が知る「従軍慰安婦」湯浅謙

石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
ベイツ
                                         1938年5月6日
親愛なるアリソン様:
 今日午前に口頭で、日本大使館の人と会って話をした様子をご報告いたしましたが、以下はその書面でのリポートであります。
 5月5日の木曜日に、粕谷さんに報告しに日本総領事館へ行きました。私が家にいないときに、高玉さんが私を呼び出しに来られたのです。粕谷さんは、総領事が私と[5月1日事件]のことで話したがっていると言いました。花輪さんと私が会談している時、粕谷さんはずっとその場にいました。
 「軍側はあなたが写真を撮ったことで、すごく怒っている。一体どういうことだったのか、どうぞ私たちに言って下さい」。それから私は陳述したのですが、あなたにご報告したのと同じです。
 「これは軍側が我々に話したのとずいぶん違っている、彼らからの手紙で我々は、あなたが撮影していた時に兵士に阻止されたと、知ったのだ」。私はそういう事実は無かったと、否認しました。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
細菌戦を支えた民間「同仁会」
京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」 
「同仁会の組織は、まあ昔をたずねればきりがないけど、上海事変のあたりから形成された。うまいこと学閥を利用して組織したものですよ」というのはY・A氏(77)だ。
「北支は東大系で伝研が中心、上海は阪大や慶応系で医者を送り込む。そして日本の軍隊の占領していく所に入って行って軍政をやりやすくする。難民診療などをやってね。鉄道が修復するとどんどん入って行って拠点病院をつくる。広東辺りまで占領すると今度は台北帝大医学部に担当させるという具合でした」
 軍は「もっと医者を集めろ。応召をなくしてやるから」という条件をつけて医者を釣っていく。そして各地に同仁会を作ってはその中心を軍医部長が握った。その代わり、同仁会の医者はすべて軍部に優遇され宿泊所も兵站部が準備した。
 占領後治安の確立した所へ進出する当初の方針は、戦火の拡大と共に崩れ、作戦地区、治安地区への進出もどんどん行なわれるようになった。たとえば、保定診療班(千葉医大)、開封診療班(名古屋大)、九江(きゅうこう)診療班(熊本医大)、蕪湖診療班(九州大)、徐州診療班(京都大)、天津防疫所(岡山医大)、といった具合である。

※戦火が拡大するとともに、医者も中国戦線で活躍せざるを得ない状況になった。学閥中心に医療チームが形成され、各地で生体解剖がなされ、また細菌戦の担い手にもなったのだろう。
 
湯浅謙
湯浅謙氏

湯浅謙(ウィキペディアより抜粋)
第二次世界大戦中、日本陸軍の軍医として中国で勤務、軍務として生体解剖を行う。
戦後、戦犯容疑者として中国の戦犯管理所へ移送されるが、中国の人道的な対応に接し、自身の罪を強く認識し深く反省する。起訴免除の判決を受けた後、日本へ帰国する。
帰国後、中帰連の会員として、反戦平和、日中友好運動に参加する。自身の戦争体験、特に生体解剖を証言し、戦争の愚かしさを伝える。

生体解剖・・・医学生時代より、軍医になり中国へ渡れば生体解剖を行う機会があるという話を聞いていた。
命令は、第一軍より陸軍病院・各師団旅団へ伝達される。病院では院長と庶務主任が準備をする。師団では、連隊付の軍医15-16名の教育のため実施した。
被害者は、概ね八路軍と密通した被疑者とされていたが、実際に密通者かどうかは分からない。取調べで残酷な拷問を加えるため、解放した後日本軍の悪い噂が立たないように、口封じの為、生体解剖に送られてきた。
湯浅が潞安陸軍病院に赴任した頃には、生体解剖は日常的に行われていた。
湯浅が携わった生体解剖は合計6回に及ぶ。

中国帰還者連絡会の人びと(上)

私が知る「従軍慰安婦」湯浅謙

石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
 将校が英語で私に、写真を撮ったのかどうかと聞くので、私は撮ったと言って、写真機を取り出して見せました。建築物を少し撮ったのだと、私は言いました。明らかに将校は、あの私を指して日本語で自分と言葉を交わしている兵士の言うことを聞いて信じ、私が日本軍を撮影したと言いました。全然そうはしていないと、私は答えました。将校はとても丁寧で、その後どうすべきか分からないようでした。彼が私にフィルムを取り出すように勧めるので、うんと苦労してそうしましたが、損失が大きかったのは、そのフィルムが36枚撮りで、その時はまだちょっと撮っただけだったからで、しかも私は撮り終わる前のフィルムをどうやって取り出すのか、不慣れで分からなかったのです(私の写真機はフィルムを全て撮り終わってから、巻き返して取り出すようにできていたのです)。将校が私の名前と番地を欲しがるので、名刺を1枚やりました。3日後にフィルムを返すと、彼が言いました。
 事件の間中、スマイス博士がずっとそば近くにいてくれて、必要があったら、彼が問題に答えてくれました。
 この陳述は、次の日曜日の午後、貴殿と話し合う際の記録とすればいいものです。
                                          敬具

アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

この世の地獄!水俣病・731部隊・南京大虐殺

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日米間の密約はまだまだ存在する!!
全世界の究極の祈り・願い!!
「No more war!!」
武器よ!さらば!
沖縄の米軍基地撤去!沖縄と「天皇の免責」の関係は?

    「怨」
きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!
「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)


新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
昭和天皇の戦争責任・戦争犯罪を問う!
時効なき戦争責任・戦争犯罪!!
政府は戦史資料を公開せよ!!

沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。

城山三郎著『落日燃ゆ』には広田弘毅が、南京大虐殺当時の外相として事件の処理にあたり、軍部に対しても強く抗議した模様が描かれているが、外相・首相と務めれば日本軍が中国で何をやっていたかを熟知していただろう!!もちろん731部隊の残虐な実験や作戦についても!!東京裁判では広田は何も弁明していないが、日本がアジア諸国に及ばした加害の事実はよく知っていたのではないのか?
 
広島・長崎の原爆の詩は、日本軍が中国・アジア太平洋で行った残虐行為を受けた多くの被害者の方々にも当てはまる!!
 峠三吉の詩『にんげんをかえせ』
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ 


●731部隊
『731部隊 細菌戦の医師を追え』(今も続く恐怖の人体実験)
高杉晋吾(1982年11月30日初刷:徳間書店)より
731驛ィ髫垣convert_20110323164244
細菌戦を支えた民間「同仁会」
京大閥「731部隊」、東大閥「同仁会」 
東京帝国大学伝染病研究所。
 それは港区芝白金台町に、あの本郷に重苦しくそびえる東大の飴茶色の建物と全く同じ姿でそびえている。
 北野政次は1945年(昭和20年)3月から上海派遣軍軍医部長であった。石井四郎が少将、大佐、部長クラスの731部隊幹部と鎌倉市内の某料亭でGHQの数人の幹部と密会し、取引条件を設定すると共に、北野もその取引条件を前提に捕虜の身分から釈放され日本に帰ってきた。上海から帰国した直後から北野の姿は東京帝国大学伝染病研究所の図書館に現れていた。
 その頃、東京帝大伝染病研究所(伝研)は激動に見舞われていた。昭和20年9月2日、岡本啓氏(伝研2部)が自分の研究室でガス自殺をし、ついで、昭和20年9月16日、米軍が伝研を接収しようとしたが、これは田宮猛雄所長らの抵抗で阻止するなど大忙しであった。
 北野が東大伝研に現れたとき、もっとも北野を庇護したのがこの田宮猛雄伝研所長であった。田宮は日本医学会の大ボスで、多くの伝研所員を「徴兵逃れ」を餌に731部隊や同仁会に送り込んでいた。
 731部隊の大ボスが京大閥の石井であるならば、当時の軍隊を頂点とする権力構造に、民間の側から医学的に奉仕したのが同仁会である。

※「ウィキペディア」より東京大学伝染病研究所の紹介
伝研東大伝研(現在の東京大学医科学研究所)

東京大学医科学研究所(とうきょうだいがくいかがくけんきゅうじょ、The Institute of Medical Science, The University of Tokyo)は、東京大学の附置研究所であり、医科学の研究を行っている。略称は「医科研」、英略は「IMSUT」となっている。「東大医科研」または「白金医科研」とも呼ばれる。場合にもよるが「伝研」という古い略称で呼ばれることもある。
研究所敷地内には附属病院がある。また、近代医科学記念館も設置されており、医科学に関する最新の情報の提供、および歴史的資料を保存・展示している。

歴史
• 1892年(明治25年)ドイツ留学から帰った北里柴三郎には当時、我が国では受け入れる機関が無く、あたら有為の才能を発揮できない状態にあった。これを聞いた福沢諭吉が私財を投じて設立したものが、「大日本私立衛生会附属伝染病研究所」である。のちに内務省から文部省に移管されるに及んで北里は同所を去り、新たに「北里研究所」を設立して研究を続けた。

歴代所長(抜粋)
  第5代 宮川米次 昭和9.2.1 ~ 昭和15.11.20
• 第6代 三田村篤志郎 昭和15.11.20 ~ 昭和19.5.13
• 第7代 田宮猛雄 昭和19.5.13 ~ 昭和24.3.31
• 第8代 長谷川秀治 昭和24.3.31 ~ 昭和31.3.15
                              
東京大学医科学研究所のホームページより
沿革(抜粋)
大正 5 年: 東京帝国大学附置伝染病研究所となった。
昭和22年: 厚生省所管の国立予防衛生研究所が設置され、本研究所職員の約半数が移籍した。
昭和22年: 東京帝国大学は東京大学となった。
昭和40年: 実験動物研究施設が設けられた。
昭和41年: 奄美病害動物研究施設が設けられた。
昭和42年: 伝染病研究所が医科学研究所に改組し、「感染症・がんその他の特定疾患に関する学理及びその応用の研究」を目的とすることになった。医科学研究所は、研究部18部門「細菌、細菌感染、免疲学、ウイルス、ウイルス感染、寄生虫、アレルギー学、獣医学、制癌、癌細胞学、癌体質学、病理学、微細形態学、化学、細胞化学、生物物理化学、内科学、外科学」、附属施設3施設「実験動物研究施設、奄美病害動物研究施設、病院(2診療科:内科、外科)」で発足した。

田宮猛雄(たけお)(ウィキペディアより)
田宮猛雄
1889年 大阪府で生まれる。
• 1915年 東京帝國大学医科大学(現・東京大学医学部)を12月に卒業、伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)の技手となる。
• 1918年 伝染病研究所の技官となる。
• 1924年 医学博士号を取得。
• 1927年 東京帝國大学伝染病研究所教授に就任。
• 1931年 同大学医学部教授となる。衛生学講座を担当。
• 1945年 医学部長に就任。
• 1948年 日本医学会会長に就任、亡くなるまで務める。
• 1949年 東京大学を停年退官。名誉教授となる。
• 1950年 日本医師会会長となり、2期務める。
• 1962年 国立がんセンター総長となる。
• 1963年 日本学士院会員になる。7月11日に胃癌のため逝去。大阪市阿倍野区に墓所がある。正三位、勲一等。

医学は水俣病で何をしたか(抜粋)(ごんずい53号)
                        宇井純

集中砲火を浴びた熊大研究班

 原因が工場排水中の水銀らしいと見当がついた一九五九年夏以降は、熊本大学医学部の研究班は企業や通産省、御用学者の集中砲火を浴びることになる。このため研究班の姿勢は防衛的、閉鎖的になり、患者の認定についても、批判をおそれて限定的、保守的になる。私が水俣病関係者を調べた結論としては、ほぼこの時期で医学の役割はマイナスに転化したようである。一九六〇年代に入ると、熊本大学の研究班の中でも、明らかに水俣病を厄介物あつかいする空気を見せる者があった。その中でごく少数の医師が、原田正純氏のように患者から学ぼうとする。熊本大学医学部研究班が、東大を中心に水俣病をもみ消すために作られた田宮委員会に屈服し、チッソから金をもらって代表団をローマの国際神経学会に送ったのは一九六一年であり、六四年にそれまでの研究をまとめたいわゆる赤本(熊本大学医学部水俣病研究班「水俣病-有機水銀中毒に関する研究-」・編集部注)が用意された段階では、水俣病を否定する医学界本流と熊大医学部の手打ち式は完了していたと見てよい。この赤本にはチッソから費用が出ていることが明記されている。水俣病は終わったとして新しい患者を出さないことも、意識的にとられた方針であろう。一九六三年当時、胎児性患者の認定は例外的なものであることがしきりに強調されていたのを覚えている。
この間医学界主流にあった東京大学医学部を中心として作られた田宮委員会は、水俣病つぶしの有力な手段であり、日本化学工業協会とチッソから研究費をもらっていたが、表に出ないもくろみは、米国の公衆衛生院(NIH)から熊大へ支給された三万ドルの研究費をねらったらしいことが、複数の関係者の証言で裏づけられる。もみ消しだけで十分犯罪的である上に、横取りまで考えていたとなるとおそろしい話である。ただ田宮委員会の副産物として、周辺で研究に従事していた椿助教授(六五年新潟大学神経内科教授に赴任・編集部注)が水虫薬によるメチル水銀中毒の症状を観察していて、それがのちに第二水俣病の診断に役立ったという事実があった。
日本医学会会頭、東大名誉教授田宮猛雄を委員長とし、公衆衛生学教授勝沼晴雄を幹事長とした田宮委員会と対立するということは、いわば日本医学界全体を敵とすることを意味する。こうして孤立した熊大医学部としては、水俣病の病像をすでに文献記載があって誰も文句のつけられないハンター・ラッセル症候群に限定しておくことが有利であった。新しい症状などをつけ加えたら、ますます学会から袋だたきにあうであろう。そのころ新しい症状であるイタイイタイ病に対して、カドミウムなどという新しい病原物質を提案した富山の荻野昇医師がどんなに学会でたたかれたか、それは一つの教訓であった。熊大医学部が防衛的姿勢をとるのには、そういう社会的な背景があった。
六〇年代前半、医学界主流からは攻撃され、厚生省からの研究費も断たれた熊大医学部がそれでも水俣病の研究をつづけられたのは、医局講座制という強固な閉鎖社会で外からの圧力をはね返したことと、ちょうどこの時期に旧制から新制への博士号取得制度の切り換えがあり、旧制での博士号を開業医が取得するには当時の相場では三〇万円の現金を出身教室におさめると、その金で実験研究をして博士論文を教室が用意してくれるという、いわば学位の売買がひそかに広く行われ、各研究室が自前の研究費を持っていたために研究がつづけられたのであった。つまり当時私たち若い世代の研究者が大学の旧弊として批判した講座制の閉鎖性がむしろプラスに作用したし、学位の売買など常識からいっても論外なことが水俣病の研究を支えたという皮肉なことが起こった。
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これが、熊本大学医学部における水俣病研究の実態だ。公害事件ということもあり、学位という視点では蛇足部分を多く掲載した。学位の記述は、引用部分の最終段落の
「六〇年代前半、…、ちょうどこの時期に旧制から新制への博士号取得制度の切り換えがあり、旧制での博士号を開業医が取得するには当時の相場では三〇万円の現金を出身教室におさめると、その金で実験研究をして博士論文を教室が用意してくれるという、いわば学位の売買がひそかに広く行われ、各研究室が自前の研究費を持っていた」
という部分である。戦後日本で、学位の売買が行われていたという事実である。

水俣病(ウィキペディアより)原因物質の名称
 原因物質は容易に確定されなかった。1958年7月時点では、熊本大学医学部研究班は原因物質としてマンガン、セレン、タリウム等を疑っていた。当時、水銀は疑われておらず、また前処理段階の加熱で蒸発しており検出は不可能であった。更に、有機水銀を正確に分析し物質中の含有量を測定する技術は存在していなかった。しかし、翌年熊本大学水俣病研究班は、原因物質は有機水銀だという発表を行った。これは、排水口周辺の海底に堆積するヘドロや魚介類から水銀が検出されたことによる。公式見解として、メチル水銀化合物 と断定したのは、1968年9月26日であった。 これは、水銀中毒であることは確かだが、当時、数ある有機水銀のうちのメチル水銀が原因であるという確証が得られなかったことに起因する。この物質がメチル水銀であったことはすぐに判明したものの、初期の曖昧な内容が東大医学部などの反論を招いた。そしてそれに対する再反論作成の必要に迫られるなどして原因特定の遅れを招くことになった。ただし当時の文献や、それを引用した文献では、原因物質は有機水銀と表記されていることがある[要出典]。

水俣病
水俣病・・・発見に関わる経過
既に1942年頃から、水俣病らしき症例が見られたとされる。1952年頃には水俣湾周辺の漁村地区を中心に、猫・カラスなどの不審死が多数発生し、同時に特異な神経症状を呈して死亡する住民がみられるようになった(このころは「猫踊り病」と呼ばれていた)。

1946年:日本窒素がアセトアルデヒド,酢酸工場の排水を無処理で水俣湾へ排出。
1949年頃:水俣湾でタイ,エビ,イワシ,タコなどが獲れなくなる。
1952年:熊本県水俣で最も早期の認定胎児性患者が出生。ただし認定は20年後。
1953年:熊本県水俣湾で魚が浮上し,ネコの狂死が相次ぐ。以後,急増。
1954年:8月1日付熊本日日新聞で、ネコの狂死を初報道。
水俣病患者で最古の症例とされるのは、1953年当時5歳11ヶ月だった女児が発症した例である[5]が、患者発生が顕在化したのは1956年に入ってからである。新日本窒素肥料水俣工場附属病院長の細川一は、新奇な疾患が多発していることに気付き、1956年5月1日、「原因不明の中枢神経疾患」として5例の患者を水俣保健所に報告した。この日が水俣病公式発見の日とされる。

1954年:熊本県水俣でのちに水俣病と認定された患者が12人発生。ほかに5人死亡。
当初、患者の多くは漁師の家庭から出た。原因が分からなかったため、はじめは「奇病」などと呼ばれていた。水俣病患者と水俣出身者への差別も起こった。その事が現在も差別や風評被害につながっている。

1956年:5歳11か月の女児がチッソ水俣工場付属病院小児科に入院。5月1日に水俣保健所が「原因不明の奇病発生」として水俣病を公表。後に水俣病の「公式確認」となる。この年,50人が発病し11人が死亡。
1956年頃から、水俣周辺では脳性麻痺の子どもの発生率が上昇していたが、1961年、胎児性水俣病患者が初めて確認された。水俣ではその後、合わせて少なくとも16例の胎児性患者が確認されている。水俣病の原因物質であるメチル水銀は胎盤からも吸収されやすいため、母体から胎児に移行しやすい。さらに、発達途中にある胎児の神経系は、大人よりもメチル水銀の影響を受けやすいことが今日では明らかになっている。

1957年:水俣保健所の実験で,水俣湾内で獲れた魚介類を与えたネコに奇病発生。
1958年:熊本県が水俣湾海域内での漁獲を禁止。
水俣近海産の魚介類の市場価値は失われ、水俣の漁民たちは貧困に陥るとともに食糧を魚介類によらざるをえなかった為、被害が拡大されていくことになった。

水俣市では新日本窒素肥料に勤務する労働者も多いことから、漁民たちへの誹謗中傷が行われたり新日本窒素肥料への批判を行う者を差別することも多かった。

水俣病
石井四郎と北野政次
731部隊隊長石井四郎(左)、北野政次(右)

寧波細菌戦に関する動画はこれだ!!(11:43)
731部隊・細菌戦731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)

731部隊では何が行われたのか
アメリカは、天皇・731部隊員に戦犯免責を与え、データを独占入手した。(21:22)
Unit 731 「731部隊(2/2)~"負の遺産"をめぐる米ソ暗闘(8/12/2007)」
元部隊員の証言!!(7:25)
731部隊 | 日本を変える論客たち
帝銀事件の真犯人は平沢ではなく731部隊員であった!!(8:46)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
エイズは人為的に作られた!!(6:33)
731細菌部隊と帝銀事件との真相2

問題提起731部隊・細菌戦資料センターのホームページより)
 日本は中国に対する侵略戦争中に各地で細菌作戦を実行しました。細菌戦によるペストやコレラの流行によって、中国では多数の犠牲者が発生しました。1997 年と1999 年、細菌戦被害者計180名が日本国に謝罪と賠償を求めて細菌戦裁判を東京地裁に起こしました。

一審・二審の判決は、
1、731 部隊等が細菌兵器の開発の中で人体実験を行っていた事実、
2、731部隊等が陸軍中央の指令で、ペスト菌やコレラ菌を使った細菌兵器を中国各地で実戦使用した事実、
3、細菌戦によって浙江省や湖南省で1万人を超える中国の一般市民が殺された事実、
4、731 部隊等が犯した細菌戦が国際法(1925 年ジュネーブ条約等)に違反していること、
5、細菌戦を実施した日本国にはハーグ陸戦条約第3 条に基づく国家責任が成立したこと、
6、細菌戦は、その被害が悲惨かつ甚大で、非人道的な行為であること、
などの重大な事実認定を行いました。

ところが、日本政府は、判決後も現在まで細菌戦の事実を全く認めていません。これは日本政府が中国侵略に対する真摯な反省を全く行っていないことを意味しています。日中の真の友好とアジアの平和を実現するために、日本が犯した重大な戦争犯罪である細菌戦について、政府は一刻も早く加害と被害の事実を認め、被害者に謝罪と賠償を行うべきです。

731 部隊等の犠牲者に対する戦後補償の速やかな実現は、日本政府だけでなく日本の国民全体の責任です。

●戦後の医学界・薬学界・政界
 731部隊員は戦後、裁判によって1人も裁かれなかった!!考えてみれば、戦時中、国家総動員法が敷かれ、日本の大学の専門家も何らかの形で戦争に加わった。医学界であれば、嘱託として731部隊に係った。その数はかなりの数にのぼるだろう。
 戦後占領軍のアメリカは独占的に731部隊のデータを安く買い取り、自国の細菌兵器開発に役立てた。そして、731部隊員を裁くどころか、アメリカに協力させ、厚遇してしまった!!だから、医学界では731部隊に係った人間が巾を利かせ、長らく牛耳ってしまった。(今も影響を与えているのではないか?)
 戦後もアメリカの要請で人体実験は刑務所などで行なわれ、医学界は731部隊のことを反省するどころか、胸を張ってしまった!!人間を物として扱い、人命を軽視する医療は戦後長らく続いてしまった。(今も変わっていないのかもしれない?)
 医学界が中心となって時の政府に圧力をかけ、731部隊の秘密(細菌戦・生体実験等)を決して公式に認めさせないようにしているのではないか?
 テレビに出演する名医と呼ばれる大先生も、731部隊のことはよく知っているのだと思うのだが、医学界の“掟”『731部隊のことは公言するな!!』と言うのを忠実に守り通しているのではないか?もちろん、医学界・製薬会社・薬学界・政界で活躍している者、これから出世しようと思う者にはこの“掟”が厳然として生きているのではないか!!

●南京大虐殺   
「この事実を・・・・」
(「南京」市民に仕えた宣教師証言集:章開沅/編 加藤 実/訳)
(発行:ストーク、発売:星雲社、定価2200+税)
※『日中歴史共同研究』(2010年1月31日公表)でも明らかなように、日中戦争は日本の侵略戦争であり、南京大虐殺は歴史事実である。私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!
ベイツ
アメリカ大使館アリソン宛の書簡(1938年1月14日~6月16日)
                       金陵大学、南京
                        1938年5月6日
親愛なるアリソン様:
 5月1日の日曜日に、私とスマイス博士とで城南を散歩し、街並みと運河との写真を何枚か私が撮りました。およそ(午後)4時15分頃に私たちは、中華路の方へ向きを変え、北へ歩いていきました。私は大通りの向かい側を写真に1枚撮りました。写真機はずっと私の手にありました。私たちは日本兵がいるのを見ませんでしたし、いかなる時にも軍事に関わりあるいかなる写真も、私はとったことはありませんでした。
 突然、兵士を乗せたトラックが数台、私たちの後ろから疾走して来て、私たちを追い越したのですが、後ろに大砲を曳いていました。私はいかなる厄介なことも引き起こしたくないので、急いで写真機をポケットにしまいました。トラックは北へと走り去り、一切がまったく平静でした。私はまた大通りの向かい側を、写真に1枚撮りました。だいたい3,4分後に、兵士たちの一隊が南へ走って来て、私たちの道を遮りました。将校が1人車に乗って、後ろに付いていました。

兵士たちが記録した南京大虐殺1
兵士たちが記録した南京大虐殺2
兵士たちが記録した南京大虐殺4
兵士たちが記録した南京大虐殺5
兵士たちが記録した南京大虐殺6
「南京!南京!」が見られる映画サイト

●731部隊と天皇
 欧米の帝国主義にならって、日本も中国侵略を真剣に考え、実行していった。
当時、天皇は現人神であり、日本国においては絶対の存在だった。日本人は、小さい頃から、家庭や学校で天皇を拝み、学校では教育勅語が奉読され、天皇のために死ぬことが最高の価値のように教えられた時代でもあった。当時植民地であった朝鮮や台湾の人々を二等国民とか三等国民と呼び、中国人をチャンコロと呼んで蔑視していた。また、軍医になって中国に渡れば、731部隊に所属しなくても生体解剖は当たり前のように行われていた。
 日本の傀儡政権が満州に成立すると、早速、陸軍軍医少佐の石井四郎は、満州の背陰河で人体実験を重ねながら、安くて強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 1936年、天皇の認可の下に中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他多くの石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 1938年(昭和13年)の5月には国家総動員法が発令され、京大や東大の研究者なども上司の勧めや説得により、731部隊に派遣された者もいる。731部隊は国家的プロジェクトだった。そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入り、実際細菌戦の命令も出していた!!。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者(京都帝大・東京帝大医学部が中心)を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊であった!!

 マッカーサーは、軍人であった。軍事戦略に長けていた。日本軍の731部隊の細菌戦や、そこで行われている人体実験、また、アメリカ人捕虜に対する残虐行為などの情報はある程度知っていた。しかし、マッカーサーが占領統治に当たって重視したのは、そのようなことを裁くのではなく、円滑に日本統治をすすめ、将来的には日本が、アメリカの傘下に入って、共産主義と対峙する国にしようとしたのではないか?
そのためには、日本人がその当時も今もかもしれないが天皇教に洗脳されていることを利用し、昭和天皇をそのまま在位させて、その力を統治に最大限活用した。
 そして、国家的プロジェクトであった細菌兵器の開発や、731部隊で行われていた人体実験のデータを極秘裏に集め、自国の遅れている生物兵器開発に役立てようとした。
上記のことを実行するためには、天皇や731部隊員の戦犯免責が必要であったため、731部隊関係者には、最初は731部隊員の戦犯免責はマッカーサー自らが与えていたが、ソ連の介入により、アメリカ本国の了解を取るようにした。
 また、東京裁判でこの件が裁かれないように工作し、731部隊のことに関しては報道管制を敷き、天皇はじめ731部隊関係者が法廷に立つことはなかった。
 結果、天皇の戦争責任は問われることはなく、日本の生物戦の戦争犯罪も一切問われなかった。
 そして、東京裁判は、形式的なのものになってしまった。

 戦後、アメリカのキャンプ・デトリックから細菌戦のことを調査しに派遣された調査官サンダースやトンプソンの731部隊員に対する尋問する前に、GHQのG-2(参謀2部)が先手を打った。*G-2(参謀2部)が、軍事的に価値ある情報(人体実験と実戦データ)を密かに独占することを目的に、731部隊中枢幹部と陸軍高級参謀の一部との極秘の取り引きで、サンダースやトンプソンの尋問に対する供述の内容をコントロールしていた。その背後には、大統領の椅子にまで野心を燃やしていたマッカーサー将軍が、トルーマン大統領にうとまれていた化学戦部隊と共謀して、原爆に匹敵するような秘密兵器を持ちたいという願望があった。
 また、マッカーサー将軍が、8万8千人の将兵を置き去りにして、オーストラリアへ逃げた雪辱を果たし、軍人としての失地回復を図るには、日本占領・統治には失敗は許されなかった。大規模な人体実験と細菌兵器の実戦使用が明らかになれば、当然おりから進行中の東京裁判でも、重大な戦争犯罪として裁かれざるを得なくなる。そして、それはまた、極秘部隊ではあっても、天皇の軍令によって正規軍の一部となっていた細菌戦部隊(防疫給水部)の行状として、天皇の戦犯訴追という結果を招きかねない重大問題であった。それは、日本軍部が、敗戦を目前にして最後までこだわった、国体護持を危うくしかねない問題そのものであった。双方の利害はそこで完全に一致していた。*

731部隊幹部はデトリックの調査官に、人体実験の事実は隠し続け、人体実験はしていないと嘘を通した。
1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊幹部の尋問を要求した。*この尋問要求をめぐる米ソの協議の過程で、人体実験、ノミや細菌の生産の実態など、731幹部隊員の供述が提示されたことによって、価値ある情報の独占を画策していたマッカーサー及びG-2 は、あわてて戦犯免責取り引きを含めて、ソ連の要求に対する対応を本国からの指示を仰ぐというかたちに切替えたと考えられる*。
 アメリカは731部隊幹部に約束した戦犯免責を保証し、人体実験・生物戦のデータを独占しようと、石井らと打ち合わせをする。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになってしまった。
731部隊の戦犯追及をしていた占領軍(アメリカ)の法務局の活動はアメリカ自身の手によって強制的に中止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 
 日本政府及び天皇とアメリカは、一緒になって、731部隊の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)
その結果、裁判で国民の前に731部隊の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任を問う声は国民からはあがらなかった。日本政府は戦争の加害の事実に目をつぶり、隠ぺいし続けているが果たしてこれでよいのであろうか?
※*~*【『生物戦部隊731』(アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪)西里扶甬子著 :草の根出版】より引用。
※パウエルの記事と森村の本は、日本で政府が見解を出さざるを得ないほどの騒ぎを巻き起こした。政府は国会で731部隊の存在と、731部隊の戦争犯罪について初めて認めた。議論の中で政府は、石井の細菌実験について知りながら石井にかなりの軍人恩給を給付していたことを全く偶然に露呈してしまった。【 『死の工場(隠された731部隊)』:シェルダン・H・ハリス著、近藤昭二訳 193頁】

●巨大なプロジェクト:石井機関
(常石敬一:『部隊展』全国実行委員会より)
ジュネーブ議定書の下で
・・・・・・・日本について筆者(常石敬一)は次の3点を報告した。第1に生物兵器を戦争で使用したこと。未遂のものを含めると対象国は(時代順に)ソ連、中国、そしてアメリカだったこと。第2に生物兵器研究・開発計画には日本中の医学者が総動員されており、そのかなめが軍医学校防疫研究室だったこと。第3に第2次大戦時の首相東条英機や敗戦時の参謀総長梅津美治郎ら内閣や軍の最高幹部は、生物兵器開発の遂行やその過程で人体実験を知っていたこと。・・・・・・
 今回初めてこうした項目立ての下で日本の生物兵器研究開発の歴史を見た結果、重要なポイントでありながらこれまであまり注意を払ってこなかった点がいくつか見えてきた。
 その第1は要員1万人以上という、日本の生物兵器開発計画の規模の巨大さだった。もうひとつは日本の計画では始めからヒトに対する生物兵器攻撃が予定され、人体実験が行われてきたことである。
 規模で当時1000人を超えていたのは旧ソ連だけだった。他は比較的大規模だった英独でも数百人規模だった。このように大規模なものとなったのは陸軍の最高幹部の承認および奨励の下でこの計画が進められたためである。それだけ日本の計画は本気だったということである。計画発足当初から対人用の生物兵器開発が行われたこともそうした本気であることの表れである。

●昭和天皇の戦争指導
 戦前の日本において天皇は現人神(あらひとがみ)とされ、大日本帝国憲法では、天皇は日本国の主権者として国のすべてを統治すると定められていました。天皇には軍隊を指揮・統率する最高の権限【統帥権(とうすい権)】があり、開戦と終戦を決定する権限も天皇にあったのです。日本の軍隊は天皇の軍隊という意味で「皇軍(こうぐん)」と呼ばれました。
 一方、「天皇は神聖にして侵す(おかす)べからず」(同憲法第3条)とされ、天皇に政治や軍事の責任を負わせることはできないとされていました。かわりに政治は各国務大臣が天皇を輔弼(ほひつ・・・助けて)して責任をとり、軍事は統帥部(陸軍は参謀本部、海軍は軍令部)が天皇を輔弼して責任を負うことになっていました。
 1937年に日中全面戦争を開始すると、拡大する戦争を指導するために、皇居内に大本営を設けました。大本営は陸海軍の最高司令官である大元帥(だいげんすい)・天皇の総司令部という意味で、戦争指導の最高統帥機関となりました。この大本営は参謀総長と軍令部総長を幕僚長とし、陸海軍大臣も参列した軍部指導者だけの会議でした。
 大本営陸海軍首脳が天皇の御前(ごぜん)で行なった会議が大本営御前会議で、左右に陸海軍のトップが座り、中央の奥に昭和天皇が座りました。この会議では、重要な戦略・作戦について審議し、決定しました。この会議では、陸軍統帥部や海軍統帥部からの上奏(じょうそう・・・意見や事情などを天皇に申し上げること)に対して、天皇は御下問(ごかもん・・・質問)や御言葉を与えるというかたちで戦争指導・作戦指導に深くかかわりました。
 昭和天皇はこのほかにも、戦闘の勝利や軍事行動の成功に対して賞賛、激励の勅語(ちょくご)や嘉賞(かしょう・・・おほめ)の言葉を与え、国民の戦意高揚、国威発揚(こくいはつよう)のために積極的な役割を果たしました。 (『未来をひらく歴史』第2版日本・中国・韓国=共同編集:122頁)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。