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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)




●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
「身を隠せ」-逃亡者の日々
当時は、住民票があっても無くても、米など食えず、餓死すれすれの暮しであった。芋が比較的豊富で、月に千円もあれば生きていける。千葉海岸の生活は、逃亡者としてはまあまあの暮しであった。国道改修工事事務所の離れを借りて住んでいた。後ろはびわ畑が続いて房総線に達し、前は開けていて房総の海が見えるすばらしい場所であった。時々地引き網をやって威勢良く魚をあげているのが見えた。
 私の主な仕事は、3日に1回ぐらいの割で、軍払い下げの大型トラックいすずの六輪車に銚子の魚を積んで東京築地の魚河岸へ運ぶことであった。米は無かったが芋と魚で生き延びていた。
 千葉へ移ってから2年目、昭和23年2月12日、女の子が生まれた。千葉県の千と、私の故郷である長野県鶴賀の鶴をとって千鶴子と命名した。
 ここで困ったことが起きた。せっかく生まれた子どもを籍がないままにしておくわけにはいかない。そこで私は初めて移動届けを出し、形式的には逃亡をやめたのである。
 3年目になると、どうしていつまでも浮草のように千葉に逃れているのか一層わからなくなり、3年間勤め上げた漁業会をやめ、思い切って信州へ戻ることにした。
 その間、隊長からの連絡も無くなり、不思議に思ったが、その頃すでに、石井隊長は731部隊の全秘密書類をアメリカ軍に売り渡して、戦犯・死刑という窮地から逃れる見通しを持っていたのである。  そんなこともつゆ知らず、私はびくびくしながら人目をはばかるようにして信州へたち戻ったのであった。(明日に続く)

※731幹部ら(というか陸軍上層部・政治家など)はうまく米軍と取引をして、戦犯免責を手中にし、詳細な資料を提供する代わりに金までもらった。なにせ、これが国民に世界にばれると、最高責任者天皇まで責任が及ぶのは必至だろう!!隊員たちは、東京裁判に被告として席に座ることは免れ、国民に731での事実が知らされなかった。今でも政府は隠そうとしているのだから同じかもしれない。
 中にはアメリカに渡って記録文書の提出にかかわった者もいた。
 また、朝鮮戦争に協力した隊員もいた。
 それに引き換え、下級隊員たちのその日をいかに生きるかは大変なものがあった。(ノブ)
※日本で行なわれた人体実験に九大事件がある。九大事件は、1945年、九州大学医学部で行なわれた米軍捕虜に対する「生体解剖」事件で、戦犯として軍司令官や医学部助教授らが死刑判決をうけた!!(その後恩赦により減刑になっている。)
九州大学生体解剖事件

参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

張瑞豊(男、86歳)の証言

 1937年には家は大香炉62号で、炒め物を造る商売をしていました。母(張楊氏)と叔母(梁楊氏)と弟と妹2人に、妻(張蔡氏)と3歳の息子がいました。
 日本軍が南京の八○塘を爆撃した時、私は家中の年寄りと子ども達を連れて沙洲圩の馬家村まで逃げて避難しました。冬月の11日に日本軍が沙洲圩に来たので、ラオパーイシン(庶民)は四方へ難を逃れました。私は母や叔母や妻とはぐれて離れ離れに逃げました。私と弟と隣りの息子の馬世浩とは逃げる時に道で日本兵と出くわしてしまい、日本兵は私たちの手と頭とを検査し、手にたこができているかいないかと、頭に帽子のたがが痕になっているかいないかとを一目見て、私たちにひざまずかせようとしましたが、私たちはひざまづかないで、手振りで私たちはラオパーイシン(庶民)だと描いて見せました。日本兵が馬世浩を検査した時、こめかみに傷の痕が1つあるのを見付けて、中国兵だと言い、その場で1発で撃ち殺されました。日本軍が行ってしまい、私たちは大急ぎで逃げましたが、やがて日本軍に出会い、人夫に捕まって毛家渡までわらを担がされ、わらがずり落ちてきて、日本軍が銃剣で私を突っつこうとし、私がひょっと避けて、突っつかれずに済み、わらを担ぎ終えたので、急いでずらかりました。(明日に続く)(段月萍と劉相雲が記録)
※○は日本の漢字に変換できない漢字。

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言



※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト


憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

ひとりひとりの安全を

大事にする世界を。



Imagine,

A world that values

the safety of

each and every human.


政府と政府とのあいだにではなく、人と人とのあいだに平和をつくる事が
大切だと思います。人と人とのあいだには、文化があり文明があります。
政府が変わっても、人間の文化や文明は変わりません。
私はイラク人として、日本の人たちとイラクの人たちの間に
平和をつくりたい。それが私の理想です。
(イラク/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

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(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)





●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
「身を隠せ」-逃亡者の日々
昭和21年、終戦の翌年金沢から東京へトラックで荷物を運んでしばらくして、また太田大佐を通じて石井隊長から連絡があった。
 「長野県などにうろうろしているな、千葉県へ来い」というのである。
千葉県は石井四郎隊長の故郷である。私は妻子を連れて安房郡岩井町高崎海岸へ身を隠した。
 行けと言われたのは私1人きりだった。いろいろ考えさせられたが、石井隊長がどんなに731部隊の秘密がばれるのを恐れていたのかがわかった。繰り返し言うようだが、私は隊長車の運転手であり、同時に「マルタ」運搬の特別車の運転手でもある。つまり、731の全貌を知る立場にいたから、隊長の目の届かぬところに泳がしているわけにはいかなかったのだろう。
 戦争も終ったのに、「こんチクショウ!」という反発感もあった。しかし、それ以上に繰り返し隊長や上級幹部に教育された「何もかもお国のためだ。同胞のためだ」という731部隊の精神を私は引きずっていたのである。
 それに長野県にはこれといって職もなかったので、見ず知らずの千葉海岸まで一種の逃亡を試みたのである。隊長の世話で岩井漁業会につとめた。何しろ住民票も移さずにいわばもぐりの生活を始めたのである。(明日に続く)

※戦後になっても石井隊長の目から逃れられずに生きるとは、何と息苦しかったのではないか?
生活も苦しかったようである。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

李心良(男、75歳)の証言

 1937年に家は江寧県定麟鎮で、父は名を李少懐と言い、医者でした。家では薬屋をやり、石灰の窯も焼いていて、石子場もありました。父は鎮では鎮長をし、家には母と弟2人と妹に私と妻とがいました。
 日本軍が南京に攻めて来た時、私は定麟鎮の自衛隊長でした。戦闘が激しくなり、上から撤退を命じてきたので、父は私に母と弟妹と妻とを連れて江寧県龍都郷下浦塘村の実家に帰るよう命じました。私が家を落ち着かせ終わった、冬月10日に、日本兵が中山門外の麒麟郷を占領したので、私は戻れなくなりました。日本兵は定麟鎮を占領して焼き殺し犯しかすめ、ラオパーイシン(庶民)は四方へ逃げ散りました。日本軍が行ってしまってから、父が鎮長として様子を見に外へ行ったら、日本兵の4,5人に捕まって行き、今に至るまで杳として音信がありません。その時父はたったの45歳でした。
 日本軍が民心を安定させた後に戻ってきたら、家は建物が日本兵に焼き尽くされていて、城内に入って姉の李慶芳の家に住まうしかなく、その頃姉の家は明瓦廊2号で、米屋をやっていたので、姉にお金を少し都合してもらい小さな商売をして生活しました。(段月萍と劉相雲が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言



※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

戦争にそなえるより

戦争をふせぐ世界を。


Imagine,

A world that instead 

of preparing for war,

prevents war.


コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)




●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
石井隊長からの特命
 第731部隊を撤収する時、上官の命令は「貯金通帳などはもはや紙切れも同然だ。731と確認されるようなものは一切焼却せよ。一切痕跡を残してはならない」「引上げ荷物はなるべく身の回りのものだけにせよ。荷物は2つだけ」。そう言われて私たちは家具や調度の大事なものは一切残すか焼却し、つましい生活で貯蓄してきたお金も捨てた。釜山だったと思うが、朝鮮銀行で千円渡されただけであった。さらに、新京と釜山でも、「731の痕跡をとめるな」の厳命のもとに、手に持っているものを2度に渡って焼却させられた。私たち夫婦に残ったものは、着のみ着のままのほかには、息子憲一の骨箱1つと憲次のおむつが残っただけであった。
 これが8年間にわたる軍への奉公の総決算であったのだ。ところが、金沢から東京・千葉へのトラック輸送で、私たちが危険を侵してまで運んだものは、焼却を命じた最高幹部の豊かな私財と、貴金属を含む高価な実験用具などだったのである。
 その後幹部は、帰郷すると一切言わざる、見ざる、聞かざるで、すべてノータッチであった。内々の連絡はあるようだが、幹部内の情報は私たち下々の者には一切伝わってこない。
 私たちに与えられた任務は、今にいたるも次の3項目で、その後解除することもなく、今日に続いている。
 1、郷里へ帰った後も、731に在籍していた事実を秘匿し、軍歴をかくすこと。
 2、あらゆる公職には就かぬこと。
 3、隊員相互の連絡は厳禁する。
 
である。今でも私の目にこびりついているのは、平房を去る前、石炭山に軍刀を抜き、仁王立ちになった石井隊長の鬼気迫る形相である。隊長は全身を震わせ声をはりあげた。
「秘密は墓場まで持っていけ、もしバラすような事があったら、この石井はどこまでも追いかけるぞ」と。(明日に続く)

※越さんが必死で運んだ物とは、上級隊員の私財だったとは!!それは頭にくる!!部下には荷物は2つだけと言っておきながら、幹部たちは堂々とたくさんの私財を持ち帰っている。
 その後、上級隊員たちは、アメリカと交渉し戦犯免責を得て、公然と731部隊で行なっていた事をアメリカに打ち明け、お金をもらっている。そして、公職につくな!と命令されていたにもかかわらず、国立予防衛生研究所(予研)の所長や大学教授・医学部長・学長にまでなったものもいる。一方下級隊員は上記の3か条をかたくなに守り、就職もできずに奥さんの収入に頼ったり、家庭崩壊になる場合もあった。就職できても過去を語れず、苦しい思いの連続であった。
 軍人恩給の申請を3か条に縛られてできない人もいた。何たることだ!!
 石炭山での石井の絶叫した命令は、731でやばいことをやっていたから絶対公言するな!と言うことであり、ばれると国家・天皇の責任が問われるとその時は非常に心配していたのだろう!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

梁慧(女、64歳)の証言

 1937年の12月16日に、母と叔母とお隣の家の2人の、みんなで4人で難を逃れて沙洲圩へ行きました。沙洲圩の辺迎面で日本兵2人と行き違い、通せんぼされ、日本軍が彼女たち4人の内2人はホアクーニャン(若い娘)で、およそ20歳余りと目星をつけ、その内1人のホアクーニャンを渡せと要求しました。4人は迫られて河に跳び込み、日本軍がすぐにも離れて行くと思ったのですが、あに図らんや日本兵は行こうとせず、4人は活きながらにして溺れ死んでしまいました。後にそれらの屍が引き上げられて来て、私は母や叔母など4人のやられた屍をこの眼で見ましたが、そのすさまじい場景は今も尚記憶に新しく、ありありと目に浮かびます。(王国英と馬管良が記録)


南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言



 
※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

女性たちが

平和をつくる世界を。


Imagine,

A world where women

create peace.


戦争は、子どもや夫が戦いにいくことを女性が認めない限り起こりません。
女たちは、一歩前へ踏み出し、男たちを含むあらゆる人間の産みの親として、
地球とそこに生きるすべてのものたちの世話役として、破壊をやめさせる責任を果たす事ができます。(アメリカ/先住民女性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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国の公式見解?変わるか?

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日本政府の姿勢
これまで、越さんが証言し、また多くの731部隊員が公衆の面前で証言しているにもかかわらず、今のところ、日本政府の姿勢は以下の通り。何でこんな明らかな問題に事実を認める返事が無いのか?不思議でならない!!過去を隠したい?
 もはや昭和天皇に戦争責任がかかるのを恐れているとしか考えられない。

 メールを各機関に送っても何の返事も無く、口をつぐんでしまう。

今は政権交代したばかりで民主党は大変忙しいのか?
今後どのような返事が返ってくるか楽しみだ!!
 過去の問題にどう向き合うのか?今日本は借金を抱えて大変なことは分かる。
でも、歴史の闇に葬り去っていいのか!!今後の対応に期待したいところだ!!

 かつて小泉首相は、やたら、「未来志向」を強調し、過去を無視し続けた!!そして、公然と靖国に参拝し、アジアの国々から、猛然と批判を受けた。

 731部隊の被害者は3000人ではない。これは1941年~1945年までの川島清少将の証言だ。1941年より前に殺された人々は考慮されていない。思い出さねばならないのは、石井は人体実験を1932年に始めているということである。何百、おそらく何千と言う人々が、背陰河(ハイインガ)の冒険的事業で殺された。ほかにも、平房で1938年から1941年に川島が来るまでの間に殺されている。あと、731部隊の支部や石井の指揮下にはない(奉天・南京・長春など)の施設で殺されている。また、細菌戦の被害者・撤退後の疫病の発生での被害者を含めるとゆうに万の単位になるのではないか?

 これだけの犯罪行為をしたにもかかわらず、その隊員たちは裁かれること無く、戦後医学界で何人も出世を果たした!!
 その結果、医学界の体質は戦後も変わらず、ミドリ十字の「薬害エイズ事件」に代表されるいろいろな医療事件・事故が起きている。

国の公式見解 

731部隊について国会で取り上げられたことがある。
1982(昭和57)年4月6日、国会議員が「生体実験を行った731部隊の規模・配置状況」について質問したのに対し、厚生省(当時)は内部資料をもとに、部隊員総数(3599人)などを回答した。日本政府が公式に731部隊の存在を認めたのは、この時が初めてである。しかし731部隊の人体実験と細菌戦の実行については認めず、今もその態度を変えていない。さらにアメリカからの関係資料の取り寄せと、調査が要求されたが、外務省は拒否している。

東京地裁判決では細菌戦の事実認定をしている!!
 東京地方裁判所(民事18部 岩田好ニ裁判長)は、2002年8月27日、731部隊細菌戦国家賠償請求訴訟(原告・中国人被害者180名)において、731部隊等の旧帝国陸軍防疫給水部が、生物兵器に関する開発のための研究及び同兵器の製造を行い、中国各地で細菌兵器の実戦使用(細菌戦)を実行した事実を認定した。
 すなわち、判決は、「731部隊は陸軍中央の指令に基づき、1940年の浙江省の衢州、寧波、1941年の湖南省の常徳に、ペスト菌を感染させたノミを空中散布し、1942年に浙江省江山でコレラ菌を井戸や食物に混入させる等して細菌戦を実施した。ペスト菌の伝播(でんぱ)で被害地は8カ所に増え、細菌戦での死者数も約1万人いる」と認定した。
 さらに判決は、細菌戦が第2次世界大戦前に結ばれたハーグ条約などで禁止されていたと認定した。
 しかしながら、原告の請求(謝罪と賠償)に関しては全面的に棄却した。
 一方判決は、法的な枠組みに従えば違法性はないとしながらも、「本件細菌戦被害者に対し我が国が何らかの補償等を検討するとなれば、我が国の国内法ないしは国内的措置によって対処することになると考えられるところ、何らかの対処をするかどうか、仮に何らかの対処をする場合にどのような内容の対処をするのかは、国会において、以上に説示したような事情等の様々な事情を前提に、高次の裁量により決すべき性格のものと解される。」と指摘し、政府の対応を求めている。


資料は返されている?
・1986年、アメリカ下院の公聴会でアメリカ軍の記録管理部長が「731部隊の資料は1950年代後半に日本に返還されている」と語った。そして「資料は日本の外務省に返却され、その後、防衛庁の戦史室に移された」(日本の国会図書館の調査)。日本の戦争責任を明らかにし、過去の精算をするカギはまさに日本政府の手にあるといえよう。

以上「731部隊展  1993.7-1994.12」より
       発行日     1995年2月11日

(追記)
【もう1つ私自身に関する経験を具体例として示そう。1988年8月10日、アメリカのサンディエゴにおいて「科学、技術そして責任―日本の細菌および化学戦」というシンポジウムが行なわれ、筆者も講演者の1人として話をした。筆者は本書にも書いているように、石井部隊が中国で細菌戦を行なったこと、そして部隊では本当に人体実験が行なわれており、人体実験は日本の医学会では「公然の秘密」であったことを講演した。
 幸いこのシンポジウムは翌8月11日の「ロスアンジェルス・タイムス」にかなり大きく取り上げられた。アメリカではこの種の記事の場合、反対側のあるいは何かを言われた側の意見も聞くのが通例のようで、記者のリンダ・モンローはワシントンの日本大使館の広報担当のイマイ・オサムに取材している。イマイは次のように述べている。「日本政府は細菌戦の実験が行なわれたことを確認することも否定することもできない。日本政府はいわれている中国での実験についてなんの記録も持っていない。戦時中の記録はすべて廃棄されており、したがって私どもとしては知らないとしかいいようがない」。
 戦時中の記録はすべて廃棄されているわけではない。アメリカ軍は石井部隊に関しては膨大な資料を持ち帰ったが、1950年代の末あるいは60年代の初めに日本に返還したと言っている。これは1988年9月17日に下院で行なわれた公聴会において陸軍の責任者、ジョン・ハッチャー博士が明らかにしていることである。この公聴会は戦争中、奉天の捕虜収容所で、石井部隊員によって人体実験された、としている元アメリカ軍人の主張についての公聴会である。
 ハッチャーの証言は確認されている。公聴会後、日本の国会図書館が調査した結果、証言の資料は1958年に返還され、現在日本の官庁のどこかが保管していることが確認された。この他にも慶応大学その他に石井部隊関連の資料が保管されている。こうした状況での先のイマイのコメントは、意識的かどうかは別にして、嘘をついたことになる。外務官僚ですら見え透いた嘘、あるいは歴史の真実から目をそらそうとする態度の積み重ねが、戦争責任の問題についての国際的不信感を醸成しているのがまだ分からないのだろうか。】
(常石敬一著:「消えた細菌戦部隊」ちくま文庫:1994年版)

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
石井隊長からの特命
東京へ着いて杉並のオリエンタル写真工業、近くの民家の軍医学校、若松荘と3ヶ所に荷をおろした。荷おろしで分かったのだが、この中味には私物ばかりでなく、顕微鏡や貴金属のたぐいも含まれていた。
 若松荘の2階に、石井隊長が寝ていてびっくりした。
 私は平房を発つ直前、直々の隊長命令で隊長車を特別に用意せよと言われ、フォード37年型新車2台にドラム缶10本、オイル交換をし、予備のオイルも用意して待機していたが、直前に取りやめになった経緯がある。
 私はずっと隊長の所在安否が気がかりであった。種種の情報を集めてみると、通貨で見た者がいるということであった。私自身新京と釜山で会っている。その後の消息は分からなかった。内地まで、潜水艦か飛行機で帰ったものだろうと言われていたのだがー。
 その隊長がそこに寝ていたのである。ピアノなどが置いてある部屋で、24歳ぐらいと思ったが、娘さんの明美さんもいた。私はこの部屋に厳重に梱包してある荷物を幾つか運び込んだ。それは731部隊の生体実験の資料なども含まれていたのであろう。
 その後、千葉県の増田少将のもとへかなりの荷物を運んだ。この人は昭和20年6月大佐から閣下に昇進したのであった。私物と思われるものも大分あった。
 私は荷物の運搬を終ってひどく空しさを感じていた。それはぶっつけどころの無い、じわじわ腹の底から押し上げてくるような憤懣であった。戦争中から終戦にかけて、初めて感じた根強い不満でもあった。(明日に続く)

※せっかく苦労してたくさんのオイルを交換したにもかかわらず、その車が使われなかったり、偉い人の私物まで大変な思いをして運んでいれば、不満も出てこよう!!自分たちの荷物は身の回りの物2つだけというのに比べ、幹部は相当な量の私物を持ち帰っている。
 それにしても、アメリカと戦争している時に、フォードの車を使用するとは日本軍の面子もあったものではない。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

曹粉蓮(女、65歳)の証言

 日本の侵略軍が南京に入ってきた時、10何軒かの家の者たちが、船に乗ってよう姜家園まで逃げましたが、船が中央軍に持っていかれてしまったので、ある醤油屋に住まいました。冬月の11日に、日本兵が来て、町外れで私たちを見つけ、機関銃で掃射してきて、私の母、采紅才の母親、呉祥林、林有才の奥さんのお母さん、それに安さんというお婆さん、の合わせて5人が日本軍に銃殺されました。
 伯父(采紅才の岳父)が、娘を連れて螺糸橋まで逃げたところ、日本軍が伯父の娘を強姦しようとしたので、伯父は娘を守るために、日本兵に殺害されました。
 韓じいさんと呼ばれていた国民党の警官が、大虐殺の最中に撃ち殺されず、死体が自分の身体の上にかぶさっていて、一死を免れ、夜になってようやく逃げ出して来、全身血まみれだったのを、私たち受け入れてあげられませんでした。(張連英と夏龍生と林金洲が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言

 
※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。


Imagine,

A world that gets rid of 

military bases and reclaims 

the forests and the oceans.



 森に抱かれ、海にはぐくまれ、
人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに
生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)
 
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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メールの回答結果:731部隊について

現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解を10月に各機関にメールで問い合わせていたがその結果を公表しよう!!
 残念ながらというか、初めから予想できたというか、具体的な回答らしきものは全く無かった!!

メールでの問い合わせの内容は以下の通り。(10月8日送信)

件名: 731部隊について

内容:

1、○○は731部隊の存在についてどういう見解をお持ちでしょうか?

2、そこで行われた人体実験についての○○の見解はいかがなものでしょうか?

3、中国で行われた日本軍による細菌戦に対する○○の見解はいかがなものでしょうか?

 以上3点ご回答願います!!


(○○は問い合わせ機関名)

各機関の回答
1、内閣府(総務省)・・・回答なし(以下のメールがきた。回答のたらい回し)
こちらは、電子メールでご相談を頂いた総務省東京行政評価事務所です。
 △△がご質問されている事項について、当所では詳細を把握しておらず、政府見解を示す立場にはありませんので、お手数ですが、首相官邸のホームページにある「ご意見募集、FAQ」(http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html)のフォームからお問い合わせいただくのがよろしいかと思います。
          総務省東京行政評価事務所行政相談課
              〒169―0073 東京都新宿区百人町3―28―8
                           新宿地方合同庁舎
          担 当:岡村一彦
T E L:03-3363-1100
  F A X:03-5331-1761
        (平日8:30~17:00以外は留守番電話対応となります。)
(こんなメールが来て早速首相官邸ホームページに送ったが、政権交代で忙しいのか、いまだ返事はもらえず!! 予想:今後も無視されるでしょう!)

2、外務省・・・回答なし
(マルタの収容施設として、ハルピンの日本領事館が使用されていたが!!)

3、文部科学省・・・回答なし(今の歴史教科書に載っていると思うのだが?載っていないのかな?)

4、防衛省・・・・・回答なし

5、厚生労働省・・・厚生労働省です。 ご質問を受付いたしました。
内容によっては回答までに時間を要する場合があることをご了承ください。
(回答)
厚生労働省ホームページをご利用いただきありがとうございます。
 返信が遅くなりましたことをお詫び申し上げます。
 さて、お問い合わせについてですが、援護行政所管部局に確認したところ、
 ご質問の内容については厚生労働省では所管しておらず、回答は困難とのことでしたのでご了承願います。
 お力になれず遺憾ではありますが、ご理解賜りますようお願い申し上げます。
(唯一、国の機関から回答がありましたが、他省への責任転嫁!あれ?軍人恩給などで731部隊員の事務処理をしなかった?他の省へのなすりつけ!官僚の世界では当たり前のことか?)

6、民主党・・・・・回答なし(受信確認メールはきた。)
民主党へ「ご意見・ご感想」をお送りいただき、誠にありがとうございました。
いただいたメールの内容は担当者に伝え、今後の党運営や政策立案の参考にさせていただきます。
この度は衆院選への国民の皆さんの関心の高まりと共に、毎日、多くのメールをお寄せいただいております。そのため、個別に回答を差し上げられないこともありますが、何卒ご容赦ください。
今後とも民主党への一層のお力添えと、変わらぬご支援を、よろしくお願いいたします。
 (政権交代で忙しい? 予想:今後も無視されるでしょう!)

7、社民党・・・・・回答なし
 (この党も政権交代で忙しい? 予想:今後も無視されるでしょう!)

8、自民党・・・・・回答なし(受信確認メールはきた。)
自民党へ「ご意見・ご提言」をお寄せいただき、誠にありがとうございました。
いただいたご意見・ご提言は、政策立案や党運営に反映させるべく、担当の議員やスタッフに届けておりますが、毎日、たくさんの方から頂戴しているため、お返事できない場合がありますことを、あらかじめご了承下さい。
このたびの総選挙は自民党にとって大変厳しい結果となりましたが、皆さま方の審判を厳粛に受け止め、「政治は国民のもの」(立党宣言)との精神に立ち返り、新たなスタートを切って参ります。
引き続きのご支援、ご叱声をよろしくお願い申し上げます。

自由民主党
(予想:この党も、今後もこの件は無視するでしょう!!)

9、共産党・・・メールを拝見しました。
侵略戦争当時、731部隊で非人道的なことが行なわれた事実については存じておりますが、日本共産党として、歴史上の問題ひとつひとつについて見解はありません。
ご了承下さい。
(唯一回答があった党である。もちろん「赤旗」に「悪魔の飽食」が連載されたのだから事実は認めるに決まっていると思うが、見解が無いとはどういうことか?もう過去のことは、取り上げても仕方が無いということなのか?何か歯切れの悪さを感じる!!)

10、NHK
(NHKには4つ目にこんな質問を加えた。4、中国で731部隊が行ったことを取り上げる検証番組の放送予定はありますか?
 以前NHKは731部隊を番組で取り上げたようだが私は見ていない。)

日ごろNHKの番組をご視聴いただきありがとうございます。
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NHKは、公共放送として、憲法で保障された表現の自由のもと、正確で公平・公正な情報や豊かで良質な番組を幅広く提供し、健全な民主主義の発展と文化の向上に寄与しております。
この役割を果たすため、報道機関として不偏不党の立場を守り、番組編集の自由を確保し、何人からも干渉されません。ニュースや番組が、外からの圧力や働きかけによって左右されてはなりません。NHKは放送の自主・自律を堅持します。
 
上記の趣旨で取材や番組制作を行っており、お問い合わせいただいた内容について、NHKとしての見解は持ち合わせているものではありません。

また放送や番組でこれらに関連したものがございましたら、具体的な放送日や番組名などお知らせいただき、改めてお問い合わせください。


今後とも、NHKをご支援いただきますようお願いいたします。
お便りありがとうございました。

NHK視聴者コールセンター

(いつも国家権力に影響されていませんか?従軍慰安婦問題でも、安部・中川の力に押し切られた感がありますが!!拉致報道の問題も国家権力が介入し、中立的だとは全然思いませんが!!国営放送になっている?)

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

「ノブの日記」のタグをクリックお願いします!!


きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
日本がかすんで見える
 私への指令は、金沢医大病院倉庫の荷物を2台のトラックで東京へ運べということであった。トラックの運転台には、私服で袋におさめた1本の軍刀を持つ菊地少将(第4部長)太田大佐(総務部長)がいて、直接指揮をとった。ほかに増田少将がいた。地図をひろげては道を探し。でこぼこ道を縫って飛騨山脈を越えた。
 この飛騨の山越えで、もう1台の車が崖から落ちて、横倒しになってしまった。その車の運転手は途中の樹木に引っかかって無事であった。
 私たちは、ロープをつけてこのトラックをなんとか引きあげたが、重い荷物はある程度谷底に落とさねばならなかった。下を見ると絹糸のように川が細く光って見え隠れしていた。荷物が、ガラガラ金属音をたてて落ちていったところをみると、かなり貴重な顕微鏡などの器具類ではなかったかと思う。車はハンドルが多少ガタガタする程度で、使用に堪えた。
 とにかく、どこをどう通っているか全く見当もつかなかったが、ただ菊地少将の地図の上での指示通り、ハンドルを回すだけであった。下呂温泉で1泊した。将校たちが金はたっぷり持っていることは分かっていたから、心配することはなかった。
 平房を出てから久しぶりのご馳走にありつき、温泉にも入って、引きあげ以来初めてゆったりした気分になった。
 それから諏訪大社前で1泊した。ここでは交替で運転台で荷物の監視を命じられた。トラックの荷台はシートで覆われていて、中身を確かめることができなかったが、監視が必要ということは、大変貴重なものであったことは確かである。
 将校たちは、諏訪の温泉旅館でゆっくり寝ているのに、こちらは運転台での仮眠である。「戦争は終ったのに」とそんな考えがかすめたが、その後も長い間731部隊の隊員という意識を克服することができないでいた。(明日に続く)

※731部隊の貴重な資料?資材を東京へ運ぶという大変なことをやったと思う。当時の道路状況はかなり悪かったと思う。それにしても将校は敗戦後も大金を持っていたとは、本当に恵まれた特権的な部隊だと思う。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

金宏寿(男、71歳)の証言

 日本軍が中国を侵略し南京が陥落した時、私はやっと24歳で、私たちは豆菜橋の難民区に住まい、女の家族たちは金陵女子大学に住まいました。ある日、母が家が気になって仕方なく、ちょっと見に家に戻りたいと、布団を1枚抱えて、五台山から帰って行きましたが、いくらたっても戻ってこなくて、安心できないでいた時に「あなたのお母さんが日本兵に五台山の防空壕で撃ち殺されたよ」と人の言うのが聞こえました。そこで撃ち殺された人はとても多くて、私たちはまるで死んだ人の身体の上を歩くようにして、やっと母の死体を見つけ、私たち死体を抱いて大泣きに泣き、山の上まで抱えて行って埋葬しました。(金長貴と馬管良が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言

 
※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器を使わせない世界を。

Imagine,

A world that doesn’t

let weapons be used.



憲法9条はどんな軍隊より、どんな核兵器よりも大きな力をもっています。なぜなら、核兵器はけっして平和をもたらさないからです。
それはこれまでの歴史が証明しています。
 核兵器はこれまでに何十万人もの人々の命を奪い、国を破壊してきましたが、世界はまだ暴力と戦争だらけです。(アメリカ/男性 )




 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)



●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅷ ニホンのハタは
日本がかすんで見える
 遠くかすかに日本をとらえた時の感動は、今でも忘れない。
 無事帰ったという安堵と久しぶりに見る日本の山々は、私たちを涙ぐませるのに十分だった。
 舞鶴からは、石炭を積む無蓋貨車で、毛布をかぶって、名古屋に着いたのは8月23日だったと思う。名古屋は、あたり一面焼け野原になっていて、私たちは改めて日本が負けたということをかみしめざるを得なかった。
 親子3人、駅の近くで焼け残った板や枕木を軍刀で切って、例の命の泉でもあったペスト菌培養のアルマイトの一斗罐で飯を焚いて飢えをしのいだ。
 そして、長野にようやく着いて私たち家族は姉の嫁ぎ先の蓮心寺でしばらく落ち着いた。
 私は家族を送り届けたら、直ちに東京へこいという指令を石井隊長から受けていたので、そこに家族を残して東京へ出向いた。他の者は来てはいなかったので、石井隊長にえらく信頼されたが、ちょっと複雑な気持ちであった。
 東京に着くと直ちに金沢へとんでくれという話であった。731部隊は、舞鶴から汽車で金沢に行き、金沢の野間神社に仮の本部をおいていたのである。釜山まで、貨車で運んだ荷物は相当なもので、これを舞鶴から金沢へ運び、いったん金沢陸軍病院の倉庫へ移したことがわかった。
 野間神社には幹部が15名ほどいた。東京から離れた、金沢の由緒ある古社の、あまり人目に立たぬ所に逃れて、幹部は、進駐軍の動きを見ていたようであった。(明日に続く)

※平房で実験していた資料などをかなり持ち帰ったのではないか?平房の現場はかなり爆破して壊したが、人体実験で得た大量の貴重な資料はこっそり持ち帰ったようである。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

戴素芳(女、65歳)の証言

 日本軍が南京を占領した時は、私はもう18歳でしたから、母が私を隠れさせ、しかも黒い灰を顔に塗りつけ、はさみで髪の毛をみんな切ってしまって、日本軍に侮辱されないようにしてくれました。
けれども母は家にあった方形のテーブルが気になって、家に戻りました。ところが何と日本兵が人を捕まえに来たので、母は逃げ出し、転んで頭から河に落ちてしまい、活きながらにして溺れ死んでしまいました。父も毎晩逃げ走っていて、やはり河に落ちました。その頃はとても寒く、食べる物も無く、父を抱えて家に帰りましたが、間もなく病気になって世を去りました。(蒯世鋼が記録)

南京大虐殺に加わった元陸軍伍長栗原利一さんの息子さんから大変貴重なコメントを頂いた!!
本当にありがとうございます!!「南京大虐殺」の真実が日本人の1人でも多くの方に理解していただけたらと強く思います!!以下:コメント


南京大虐殺は世界的に誤解されています。 中核的な出来事は南京陥落時の城外における大規模な捕虜の殺害です。 父親(栗原利一)のスケッチブックでも7万余人と書かれています。 非戦闘時の7万余人の捕虜の殺害ですから、当然、日本陸軍が軍の組織として行なったものです。 捕虜の多くは蒋介石軍兵士などです。 ただ、中国側の言う30万人説は戦闘時の犠牲者も含めた数として合理的な数です。 昭和12年7月の南京の人口は135万人です。 11月末の人口は50万人で、これに南京防衛軍15万が加わった65万人が日本軍の攻撃に晒されました。 否定派の言う20万人は逃げ場の無い貧民の数です。 小平市の警察学校と小平団地を合わせた(昔の警察学校の広さ)10万坪の安全区に押し込められた貧民の数です。 (65連隊のシャーカンおける2千人斬首は父だけが日本側の証人です。名古屋市の河村市長は無知なだけです。「ジョン・ラーベ」は城内での出来事しか書かれていないので日本人には誤解を与えます。)

(参考ホームページ)
栗原利一資料集
山田支隊:栗原利一証言


※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

おたがいに戦争しないと

約束した世界を。

Imagine,

A world that promises

not to fight wars

with each other.


 戦争して平和を取り戻すんだという意見があります。
でも、イラクを見てください。ブッシュ大統領はサダム・フセインを倒すといって実行しましたが、平和にすることはできませんでした。戦争が起きると、もっと多くの人が犠牲になるだけなのです。暴力や武力では平和はつくれないことを、今のイラクは証明しています。(ケニア/男性)


 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)




●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
我ラ撤収ス
 生まれたばかりの子どもや、1,2歳の赤ん坊はばたばた死んでいくのを私も見てきた。妻の話を聞くと、平房を出る時、夢中で探してきた細菌培養用のアルマイトの一斗罐(いっとかん)に水をたっぷり入れてきたのが、役立ったということであった。その一斗罐にはふたがついていて、寒天を流し込む口がついているものであった。
 私はマルタの実験での知識を生かしほとんど本能的に水が生命だと考えて、その一斗罐を探したのであった。罐に水がなくなると妻は、汽車から飛び出して水を探して走り回ったということである。また、幸い妻は資材部の車輌に乗っていたので、携行食と水で生き抜くことができたのであった。
 憲次の方は、妻の母乳で生きてきたのだ。あの大混乱と飢えの中でも妻の乳は涸れなかった。日頃から物事にくよくよせず、楽天的な妻は、下町の庶民の娘の根強さで、子どもをしっかり守り抜いて釜山までたどり着いたのである。
 いよいよ釜山の岸壁を離れ、731に通ずる大陸を後にする時は胸迫る思いがした。無事で家族と共に長野へ帰れるのかということが心配であった。
 船の中で忘れることのできないことは、子どものたくさんのオムツの洗濯であった。洗い場も何もないので、ロープの先にオムツをつけ、さらにおもりをつけ、それを釣りでもするように棒の先につるして波間で洗うのである。波に叩かれて案外きれいになった。
 本来27人ぐらいの定員の船室に、百数十人とギュウギュウづめで、食べ物も1日に握り飯1つしか与えられず、飢えと暑さとのたたかいであった。蒸気がもれて噴き出しているところを見つけ、そこで味噌汁を作ったりしたこともあった。(明日に続く)

※必死に子どもを何とかしたいという越夫婦の努力と思いが伝わってくる。
しかし、それにしても本当に大変な逃亡である。
731でやっていたことの異常なことが、戦争が終ると幹部らもその重大さを改めて認識したのだろう。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

黄恵芬(女、63歳)の証言

 日本軍が入ってきた時私はやっと16歳で、家中で上新河まで逃げましたが、帰ってきた時は父が日本軍に捕まって行き運び人夫にさせられていて、その父が逃げ帰って来て私たちに、「日本兵はなんかと言うと俺達をげん骨で殴り脚でけり、それに皮の鞭で打ったりこん棒で打ったりし、その場でなぐり殺された者もあったりで、苦難をなめ尽くしたもんだ」と言っていましたが、間もなく血を吐いて死んでしまいました。父が死んでから、私は母について行って、金陵女子学校のヴォートリンさんの家に隠れました。そこにも日本兵が夜やって来てホアクーニャン(若い娘)を欲しがるので、間もなく私たちは家へ戻ったのですが、家の4軒あった家屋がみんな日本軍に焼き尽くされていました。私たち一家は住む所が無く、生活していけずに、外に露店を出すしかありませんでした。ある日、私は日本兵が1人、懐妊している婦人のお腹を、銃剣で切り開いて、子どもをほじくり出し、という風にしてその婦人が活きたまま刺し殺されたのをこの眼で見ました。(蒯世鋼が記録)

 

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

武器をつくったり

売ったりしない世界を。


Imagine,

A world that doesn't

make or sell weapons.


紛争が続くアフリカでは、子どもたちまで武器を持ち、命を落としています。
その武器はヨーロッパやアメリカから売りつけられています。
アフリカの私たちは、殺しあう必要もないのに買わされているのです。
 だから、9条はアフリカにこそ必要だと思います。
9条があれば、これ以上アフリカに武器を持ち込ませないようにできるのです。(ケニア/男性)
 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)




●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
我ラ撤収ス
 いつソ連が襲ってくるかという不安と、真っ暗な密室の中の暑さと飢えは、人間の限界をこえていた。気が狂って飛び降り自殺をする娘や、死んだ乳飲み子が腐乱しているのに抱きしめ続ける母親だとか、これ以上の生き地獄はなかった。
 私も、妻と次男の憲次がどこに乗っているか確かめる余裕などなく、業務に追われていた。そんな時貨車の中でお産があり、なんとか無事生ませたが、赤ん坊は間もなく死んだ。乳飲み子が生きていける条件は全くなかったのだ。
 汽車が止まるたびに線路の脇に小さな土饅頭がつくられた。いざという時にと渡された青酸カリを飲んで、自殺した将校婦人が、私の知る限り2人もあった。長野県出身のある技手も、おかしくなってわけの分からぬことをいい始め、気がついたらいつの間にかいなくなっていた。気の狂った人は女性の方が多かった。
 10日もかかって、ようやく釜山に到着した。私は妻が乗っていると思われる汽車を探して走った。そしてようやく釜山埠頭で再会できた。本当に何といっていいか言葉にならなかった。お互いに「どうだった」とどちらからともなく言っただけだった。妻の背には憲次が元気でいた。私が抱き上げると、憲次は泣き出した。しばらくすると父親だということがわかったのかにっこり笑った。
 生まれてまだ6ヶ月の赤ん坊の頭は、汗もがつぶれうみが出ていた。大変な暑さのうえに風呂へも入れなかったのだから無理もない。生きていたことさえ不思議であった。(明日に続く)

※過酷な逃亡なだけに、乳飲み子や女の人に犠牲が多かったようだ!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

徐蘭英(女、51歳)の証言

 日本の侵略軍が南京を占領した時、私は満3歳になったばかりでした。父は姓を劉と言い、あだ名を馬扣子と言っていて、その頃、父は日本軍に雑役をさせられに捕まって行きましたが、日本語が分からなくて、先ず幾つかびんたを食わされ、それから銃剣で続けざまに幾太刀も突っつかれ、腸がみんな流れ出てしまい、立ちどころに死んだのですが、殺された地点は水西門外の瓦廠街51号で、旧の教会堂の後ろの河辺でした。この事は祖母と母とが自ら話してくれたのです。
(尚文蘭と孫秀蘭と夏龍生が記録)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

軍隊のお金をみんなの

暮らしのために使う世界を。


Imagine,

A world that spends

money not on armies,

but on people's lives.


 アメリカでは、イラク戦争に年間およそ1兆円も税金をつぎ込んでいます。それなのに、ハリケーンから自国民を守ることさえできませんでした。
日本が9条をなくして大きな軍隊を持てば、きっと税金は戦争の用意に回され、日本の人々の生活は苦しくなるでしょう。
そして、貧困に苦しむアフリカの人々への支援も減らされてしまうのではないでしょうか。
(ケニア/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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強制連行!やっと和解!!政府はどうした!!

西松建設がやっと和解した!!

強制連行 中国人男性と西松建設が和解…補償基金設け謝罪
10月23日12時46分配信 毎日新聞

 戦時中に広島県の建設現場に強制連行されて重労働を強いられた中国人男性8人(生存者4人と4遺族)と施工業者の西松建設(東京都港区)が23日、和解した。西松側が強制連行の責任を認めて謝罪し、2億5000万円を信託して補償などのための基金を設ける内容。戦後補償問題で企業側が自主的に和解を申し出て、補償に応じるのは異例。

 和解金の支払い対象は1944年当時、西松建設の「安野発電所」建設工事現場(広島県安芸太田町)に強制連行された360人。8人は代表して和解に応じた。裁判外で当事者同士の話し合いがついた場合に合意内容を調書にまとめる「即決和解」が同日、東京簡裁で成立した。

 和解条項は西松側が(1)歴史的責任を認識して「深甚なる謝罪の意」を表明(2)2億5000万円を支払い被害補償や消息不明者の調査、記念碑建立などを目的とする基金を設立--する内容。

 中国人側が西松建設に賠償を求めた訴訟で最高裁は07年4月、「日中共同声明で裁判では賠償を求められなくなった」として請求を棄却し、原告の敗訴が確定した。その一方で、判決は強制連行の事実を認め「被害者の苦痛は極めて大きい。救済に向けた努力を期待する」と自主的な解決を求めていた。

 西松側は「問題は解決済み」という立場を取ってきたが、違法献金事件を機に企業責任を重視する対応に方針転換した。今後、新潟に連行された約180人との和解も目指す。

 西松側の弁護士は同日、「不祥事を踏まえ過去の諸問題について見直しを続けてきた。中国人当事者及び関係者のご努力に感謝する」とのコメントを発表した。【銭場裕司】

 ◇「謝罪うれしい」…中国人側

 中国人側と西松建設側の各弁護士は和解成立後、東京都内でそろって会見し、握手を交わした。強制連行された邵義誠さん(84)は「我々の要求が認められ、謝罪を受けたことをうれしく思う」と語った。中国人側の内田雅敏弁護士は「裁判ではなくても、こういう形(訴訟外の和解)で解決する道筋ができた」と評価し、邵さんは「他の企業と日本政府が全面解決するよう希望する」と訴えた。【銭場裕司】

 ◇中国人強制連行

 1942年の閣議決定に基づき、43~45年、中国人労働者約4万人が日本に連行された。全国35企業135カ所の炭鉱や港湾施設などで労働を強いられ、劣悪な環境下で6830人が死亡したとされる。和解したのは「花岡事件」で被告になった大手ゼネコン「鹿島」など数社しかない。ドイツでは政府と企業がナチス時代の強制連行被害者に補償金を支払う基金を創設している。

※国策でやったのに、日本政府は賠償に関与していない!!残念だ!!すべてあの戦争中の損害賠償は大日本帝国憲法下の国家無答責で最高裁でも押し通している。日本は戦争の反省が不十分だったから戦後も戦争中の出来事を大日本帝国憲法で裁いている!!おかしくありませんか?原爆被爆者が「人間をかえせ!」と叫んでいるようにここでも「人間をかえせ!!」と叫びたい!!【国家無答責の法理(こっかむとうせきのほうり)とは、国家無答責の原理ともいわれ、大日本帝国憲法のもとで、官吏は天皇に対してのみ責任を負い、公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする法理をいう】

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。その結果、ソ連の尋問は形式的なものになった。
 731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
我ラ撤収ス
 8月13日は、部隊最後の引き揚げの日だった。私たちは最低しなければならない証拠隠滅をすばやくやり終えて、追われるように汽車に飛び乗った。妻たちを乗せた前日出発した汽車を追いかける形になった。
 かなりのスピードで走っていた汽車が、急にストップした。車窓からのぞいてみると、前方に妻たちの乗ったあの長い車両が見えた。けたたましい蒸気の音と車がスリップする音が交差して異様な音を出しながら、車体はまったくといっていいほど動かないのである。
 平房から一昼夜かけて、わずか15,6キロしか進んでいなかったのである。
 早速、私たちの機関車を連結して引っ張ることになった。作業は手早く行なわれて、ようやく汽車は動き出した。
 なつかしいハルピン駅を通り過ぎる時、遠くで夜空が赤々と燃え、照明弾が時折落ちていた。ソ連軍の攻撃の中、私たちは進まねばならなかった。
 それ以後も、汽車はゆるやかな丘にぶつかると止まってしまい、いつ動くか分からない。たとえ動き出しても、又どこで止まるか分からない不安があった。特に、「731部隊は皆殺しになる」という噂が乱れ飛んでいたので、車輌の中は異様なあせりと不安があった。
 また、機関士に北朝鮮系の者が多かったようで、彼らは「朝鮮独立」を叫び、機関車の頭を松葉で飾るなど興奮状態で、しばし持ち場を離れた。私たちは仕方なく、銃剣や拳銃で嚇したり、すかしたりして列車を走らせた。
 だいたいハルピンから新京まで普通6,7時間で走るのに、この時は3,4日もかかってしまった。(明日に続く)

※ずいぶん多くの貨車を引きずっての逃亡だ!!ソ連軍が迫っているから、心理的にもパニックになっていたと思う。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

武金山(男、68歳)の証言

1937年の12月13日に、日本軍が南京を占領しました。14日に叔父が私と一緒に難民区に行きましたが、家には年取った母が行かないでいて、日本軍に7太刀突っつかれて殺されました。その頃家は茶館をやっていて、もう1人の働き手も刺し殺されました。3日して、死体を片付けに帰って行ったところ、王府巷の角まで行ったら日本軍に捕まって連れて行かれ、死人を焼くのに薪を運ばされることになり、焼き終わってから放たれましたが、進香河まで来た時、道に死人がたくさん見えました。
(尚秀華と厳紹英が記録)

 
※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん

世界から戦争のなくなった

平和な世界を。


Imagine,

A peaceful world 

without war.


でも、どうやったら

そんな世界が

やってくるのかな

一つひとつ考えてみよう。


But,how can 

such a world be made?

let's think about it.


 

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
松花江にすてたマルタ
 しかし、今はただ黒いうねりと、はてしなく涛涛と流れの音がこだましているだけである。カマスが落ちるとき、小さい音がして、黒い河面に波頭が光った。その間も、火こそ見えなかったが、花火の音のようにドカン、ドカンと部隊の建物を破壊する音が、時々風に乗って聞こえてきた。
 スンガリの流れは、カマスも爆破音もすべてのみ尽くして、暗闇に吸い込まれるように流れていた。
 作業が終了した時は、夜が白々と明けていた。私は長い運転歴の中で、一度も居眠り運転をしたことはなかったし、寝不足で深夜に及ぶ作業の時も睡魔に襲われたこともなかったが、この時ばかりは、何度かハッとしてハンドルを握りしめたものである。
 頭はかえって妙に冴えているのに、眠気と疲れが足元から上がってきて、体全体がだるく重くなり、ずるずる地の低にずり落ちていくようだった。
 焼け跡と化した部隊へ帰った時は、まったくふらふらで、運転台から降りる力すらなかった。「終った、すべて終った・・・」。私は波間に吸い込まれる様にして、そのまま運転台で意識を失った。多分その日は8月12日の朝であったと思う。(明日に続く)

※証拠隠滅に日本軍は必死であったことが分かる。今でも政府は731部隊の人体実験についての見解を示さないだろう。認めると大変なことになるからだ。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

林玉紅(女、58歳)の証言

 1937年の12月に、祖母と父と母とが兄弟姉妹8人を連れみんなで11人で、毛公渡の近くの沈家村まで難を逃れ、親戚の家に住まいました。日本軍が南京を占領した後、ある日、日本兵の一隊がそこまでやって来て、母を侮辱しようとしたので、母は反抗して日本軍に銃殺されるという目に遭いました。芦柴洲で父も捕まって行き殺害されました。祖母が兄弟姉妹8人を引き連れ苦しい日々を送っていました。明くる年に、姉が父母のやられたことで、余りにも嘆き悲しみ鬱々として死んで行きました。
 そのほかにも、1937年の冬月11日に、私は10何歳かの娘さんが、渡し船に乗っていて、日本軍に撃ち殺されたのを見ました。同じ日に、酒を飲んだ日本兵が1人天秤棒で農民を数人殴りつけて傷つけ、王さんという爺さんを殴り殺しました。以上はみんな同じ日に沈家村で起こった事なのです。
(肖中煌が記録)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

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南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

MESSAGE(メッセージ)


 環境が豊かで、平和で公正な世界。
日本の憲法9条は、そんな世界を願う私たちを励ましてくれます。

人々は、夢を見てきました。
人間の権利が守られ、植民地や奴隷制がなくなることを夢見て、一歩ずつ、一つずつ、実現してきました。

あともどりせず、前に進みましょう。
戦争のない世界へ。
すべての国が憲法9条をもつ世界へ。




第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

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遺棄毒ガス訴訟!!

日本軍は中国に敗戦直後大量の毒ガス弾を遺棄して撤退した。
最近、その遺棄された毒ガス弾が、都市の再開発で工事現場などから出てきて、多くの中国市民を苦しめている。日本軍の罪業はまだまだ続いている。日本政府はこの問題に関してほとんど無視し続けている!!国側弁護士の態度にもあきれ返る!!

 その中国の被害者が日本で裁判を起こし、闘っている。


 以下は裁判を傍聴した方の報告です。(メールで着ていたので勝手に転載させていただきました。あしからず)。

倉橋です。
 昨日東京地裁で、チチハルの毒ガス被害裁判の傍聴に参加しました。
 実に多くのことを感じた1日で、皆さんの熱気に元気をもらいました。
 70名あまりの参加で、若いかたも多かったです。

午前11時から、原告被害者の楊樹茂さん(45歳)に、富永弁護士の質問が続きました。

 楊さんは(父が元地主であったため)、子どもの頃文革で迫害され、貧しい生活に耐えてきました。職を転々としながら、次第に豊かになり、ひまわりの種を精選販売する会社を設立、どこよりもいい物を販売し、大きく発展したところでした。

 2003年8月4日、自宅の庭用にトラック5台分の土を買い、11日に整地作業をしたため、両足に水泡ができ、やがて203病院に入院、3ヵ月後に治らなくとも退院となりました。
 体に無理して、200キロのひまわりの種を精選、得意先40軒の店などに出向きましたが、感染を恐れ一つも売れませんでした。

以来、会社はつぶれ、だるい体で働けず、イライラ(悶胸・胸が苦しい)で、家族との仲が壊れ、薬代で借金がかさみ、年取った父親までがゴミ拾いでわずかな金をかせぐようになった。
(このとき、思い余って楊さんは泣かれました)

最後に、もう、生きていたくないが、家族のために死ねない。なんとか、医療費が出ないだろうか。

公正な裁判を望む、との言葉でした。

楊さんへの尋問が終ったとたん、ベテランの小野寺弁護士がいきなり立ち上がり、大声で向かい側の国側弁護団の一人に向かって言われました。

「以前からあなたについては傍聴人から苦情が出ていた。
 原告の話をまともに聞こうという姿勢はなく、居眠りをしている。
今日もまた、○時○分から○分まで、さらに、2回、居眠りをしていたのを確認した。目の前で原告が泣いているのに、なんたる態度だ。

 被害者の苦しみを真摯に受け止めてほしい。

新政権は弱者にやさしくすると言っているが、あなたはその国が指定した代理人なのだから、まともな態度を取りなさい!」

見事な一撃を、裁判官も会場も固唾を飲んで見守り、言われた人はたじたじとなり、一言もありませんでした。

午後1時20分から2時間ほど、今度は原告らを検診した橘田亜由美医師に対し、
佐藤弁護士が証人尋問をおこないました。
(神経内科とは、神経の機能や器質の異常を対象とする科であり、毒ガス被害者に対し、神経内科からの検証は世界で初めてとのことです。)

橘田医師は、当初は皮膚の糜爛(びらん)がある周辺に神経痛がおこるのではと思っていたが、そうではなく、神経全体にまで、末梢神経から大脳に至るまでえいきょうしていることがわかった、と証言されました。

 感覚障害、運動障害、自律神経障害自覚症状、高次機能障害など、いくつもの分野についての、テストなどをもとに、証言されました。

膨大な資料に対し、国側代理人の質問は実に瑣末なことばかりでした。

また、小野寺弁護士から注意を受けた人は、今度は起きていたようです。

最後に、福井さんという若者がチチハルまで出かけて、被害女性の、う・景芝さんの日常生活を撮影した記録を大きなスクリーンで見ました。

 一日中咳に苦しめられ、寝ているだけの生活。彼女の薬代のために、息子は1年出稼ぎに行き、5部屋のうち3部屋を売っても、まだ足りない。
暗がりにたたずむ夫のやせた横顔が映し出されました。
彼女も、生きていたくないとつぶやきました。

法廷は4時に終了、そのあと皆で熱気ある報告集会をやり、1日が暮れました。
今日の尋問のために奮闘された弁護士さんたち、橘田医師、福井さん、そしてぎっくり腰を押して司会もされた大谷さん初め、支援会のスタッフの方々、本当にお疲れ様でした。

次回は11月16日、3人の原告が来日されます。11時より103法廷。

どうか一人でも多くのかたが傍聴されますように。

(大久野島の藤本さんはみえませんでしたが、病状悪化でしょうか。心配です。)
 
以上

(参考ホームページ)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
松花江にすてたマルタ
 マルタの骨は熱くて、すぐ拾えるものではなかった。カマスに骨を入れ終わった時は、暗くなりかけていた。私たちは、そのカマスをスンガリ(松花江)に運んで、捨てることになった。私たちはタテに縄をかけたカマスをトラックに積み込んだ。カマスは意外に重く、運び上げる時ガサガサ骨のきしむ不気味な音がした。カチカチ鳴るのは足錠や手錠であった。そのカマスは200ほどになった。
 どういうわけか運転士は私1人であった。部隊からスンガリまで20キロの夜道を、人骨一杯のカマスを山と積んで、1人走るのは並大抵な仕事ではなかった。スンガリに着くと、バックで車を堤防につけ、河にカマスを投げ込むのである。堤防には5,6人の隊員が待っていて、一つひとつカマスの口を結んだ縄をはずして放り投げる。水流で骨がカマスからとび出し、河底に沈むように、最後まで証拠隠滅には気を使ったのである。
 その夜、月も星もない深夜、私は延べ約160キロ、部隊とスンガリの1本道を4回往復した。

 スンガリは私の好きな河であった。広い河で向こう岸がかすかに臨める程であったが、私はふるさとの千曲川を時々想い出し、妻を連れてボートで遊んだこともあった。河の真ん中に太陽島という小島もあって、美しい流れに色を添えていた。(明日に続く)

※遺体を濠に埋めたり、河に捨てたりと、証拠隠滅は徹底していた。戦後、731部隊のことは何十年も隊員自らの口から語られることなく過ぎ、残虐な様子も国民にはなかなか伝わってこなかった。今でも証拠隠滅作業は続いているように思う!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

傳永成(男、57歳)の証言

1937年の冬には、私はもう満10歳でした。私は日本軍が中華門から入ってくるのをこの眼で見ました。あの時は、お金のある人たちはほとんど逃げていってしまい、貧しい人たちや商売をしている小商人たちだけが残っていました。私は街で、日本軍が銃で街角で団子を売っていた人を撃ち殺したのを見ましたが、父が銃声を聞いて、私を家に呼び返し、門をしっかり閉めさせたのを、日本軍がその家の門をこじ開け、父の傳寿を街まで引きずって行って銃殺しました。日本軍はそれに私たちの内庭の査さんという男の人を引きずり出して、刀で首を斬りおとし、その母親も息子の殺されたのを見て、日本軍に武者ぶりついて格闘すると、日本軍に脚でけり殺されてしまいました。日本軍は私も引っ張り出して、ズボンを引きずり下ろすと、男の子だったので、やられないで済むことになりました。私たち長楽街では日本軍にみんなで20人余り殺害されたのですが、日本軍はその死体を集めて来、火を放って焼き捨て、跡形もなく消し去ろうとしたのでした。しばらくして、私たちが上海路の難民区に行ったら、日本軍が毎日人を捕まえ殺しに来ていて、私たちが難民区に住まい始めた翌日に、日本軍はトラック10数台に捕まった青年を積み込み、下関の江辺まで運んで行き、機関銃で掃射し、その人たちをことごとく殺害したのです。 (王天柱と達式宏が記録)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

はじめに


 戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
 世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
 日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
 それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
 世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
証拠隠滅=殺しつくし、焼きつくす
 小林寿雄さんは次のように証言している。
 「8月11日、営内の兵隊と少年隊が動員され、マルタを中庭の濠で焼くように命令された。今まで絶対の秘密にされていたロ号棟へ、少年隊を引き連れていった。私たちが見たものは、薄暗い獄内に息絶えているマルタであった。特別班が青酸ガスか何かで殺したものであろう。としても特別班だけでは手に負えず、私たちはかり出されたのであった。
 初めて獄の中をのぞき、ごろごろ死んでいるマルタを見た少年隊はショックを受け、青ざめて坐り込んでしまうものもいた。しかし、事態は急を要していた。明日にもソ連軍が入ってくるという事態の中で、感染の心配なんていってられなかった。
 軍手をしただけで、鎖を引きずって階段をごとごと引きおろす。あるいは2階の窓から、次々と放り投げたりした」
 こうして私たちは、何十本も濠にぶち込み、薪と重油をかけ、トタンを上にかぶせて火をつけた。真っ黒な煙が異臭を放ってふき上がった。
 同時に運輸班の私たちは、ハンマーとつるはしで車を壊し始めた。ラジエターやエンジン部分をむやみにぶっ叩き、タイヤに釘を打ち込んで、絶対に2度と使えぬようにした。近くの工兵隊が出張して来てダイナマイトをしかけ、コンクリートの建物をドカンドカンと壊し始めた。東郷神社の裏手の原っぱに埋めた、航空燃料のドラム缶を舎屋に投げ込んで火をつけた。たちまち、猛然たる火と煙が廊下を走り、天井から窓から、煙と火の竜巻が、ふき出した。仲間の1人が、ガソリンに火をつけようとして大やけどを負い、ついには死んでしまった。(明日に続く)

※731部隊はマルタを殺し、焼いて証拠隠滅をはかるのに必死だった。余りにも残虐なことをやったものだから、証拠が残っていては、あとあとばれた場合が恐いのだろう!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

張紅芳(女、59歳)の証言
 
 私は張紅芳と言い、南京向陽糖果廠で働いていて定年になった者です。1937年の冬に、中国侵略日本軍が南京を占領しましたが、あの時は12歳で、家の人について避難し沈挙人巷の金陵神学院の難民区に住まいました。父の張徳富は年を取っていたので、篾街5号の家に残って留守番をしていました。日本軍が戸別に捜索逮捕しに来て、家まで来て門を叩きましたが、父が日本軍を恐がっていて、ぐずぐずした後やっと門を開けに行きました。門を開けたところを、自分の家の門のところで銃で殴り殺されました。父と一緒にやられた人では篾街6号に住んでいた隣人で傳さんという老人が1人いました。隣人の陳お姉さんは日本軍に強姦されてからまた銃殺に遭いました。父が死んでから、1ヵ月くらいして初めて私たち分かったのですが、私たちが家に帰ってきて、父が門の門口に倒れ伏しているのを発見したのです。難民区から家へ帰る道で、日本軍による殺害に遭った屍をたくさん見ましたが、
篾街31号の裏門の河辺にも日本軍に焼き殺された屍が幾つかありました。それに被害者の屍で、頭が水かめに突っ込まれていて足が上を向いていたり、身体と首とが別のところにというのもあったりで、見るに忍びない凄まじさでした。(王天柱が記録)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


 日本が「9条を変えて、戦争に行ける国になるべきだ」と言う人たちがいます。誰が何のためにそう言っているのか、考えてみましょう。
 2001年の「9・11事件」以来、アメリカは「テロと戦う」といって、アフガニスタンやイラクなど世界のあちこちで戦争やその準備をしています。そしていろいろな国に「一緒に戦おう」と協力を求めています。日本の自衛隊はイラクに派遣されましたが、アメリカはこのような協力を、さらに本格的に日本に求めています。そこで邪魔になるのが、「戦争に参加してはならない」と定めた9条です。

 また、日本国内にも、戦争のためのミサイルやハイテク兵器をつくってもうけようという企業があります。彼らにとって邪魔になるのは、「武器を売ってはいけない」と定めた9条なのです。こうした理由から、アメリカ政府や日本の一部の大企業は、9条を変えたいと思っています。
 そうやって日本が「戦争できる国」になっていくことを、かつて日本に苦しめられたアジアの人々はどう感じるでしょうか。近隣の国々は、日本の軍事化をどう見るでしょうか。そして皆さんは、世界の中の日本のあり方を、どう考えるでしょうか

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
証拠隠滅=殺しつくし、焼きつくす
 撤収作業で緊急を要したのは、マルタの処置であった。
 ロ号7,8棟に、青酸ガスを噴出させて、かなりのマルタを殺した、また、私たちが直接手を出さないで確実に殺す方法を編み出した。つまり、マルタ2人を互いに向かい合わせ、首にロープをまき、その中央に棒を差し込んで、2人がねじるのである。もちろん、私たちはかたわらで銃を構えている。2,3分で2人とも自らの首を自らの手で締め上げていった。この方法で私たちは多数のマルタを殺した。また、その他いろいろな方法で、マルタを整理したのである。
 私たちは、マルタを殺す前、マルタ自身に溝を掘らせてから処置することも忘れなかった。そんな時、彼らは足かせを引きずりながら、生気の無いドロンとした眼で、シャベルや鍬(すき)をにぎっていた。きっと、その溝が何のためのものかわかっていたのだろう。(明日に続く)

※殺す方法は青酸ガスだけではなかったのだ。ずいぶん残虐なやり方でマルタ同士を殺させたものだ!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

周秀英(女、59歳)の証言

 1937年の12月13日に、中国侵略日本軍が南京を占領しました。ちょうどその日に、父の周保銀が大牽牛巷17号の中庭の防空壕に隠れていましたが、日本軍に捜査されて見つかり、検査されて疑わしいところが見つからなかったので、父に門のところに日本の旗を揚げさせました。父と弟1人とが自分の家の門口に日本の旗を揚げようとしていたところを璇子巷からやって来た別の日本兵2人に見つかり、発砲されて父と弟とがその場で撃ち殺されてしまい、日本軍が引き上げるのを待って、私たちようやく父と弟との死体を片付けたのでした。
 このほか、日本軍は又実輝巷30号のある家へ行き、中に隠れていた何人かでアヘンを吸っていたのが、発砲され全部家の中で撃ち殺され、死んでからも長いこと誰にもわかりませんでした。以上こうしたことはみんな私が自分の眼で見た事実なのです。(王天柱が記録) 

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

考えてみよう、

日本の憲法9条のこれから。


「日本の憲法9条をあたりまえのものだとどうか思わないでください。それは、ある日突然なくなってしまうかも知れません。憲法9条があるからこそ、みなさんは戦争に行くことなく暮らせてきました。しかし、憲法9条が救っているのは、日本人の命だけではありません。世界中の人々が救われています。9条がなければ、皆さんはアメリカが第二次大戦後に攻撃してきたすべての国、つまり、朝鮮半島、ベトナム、パナマ、グラナダ、イラク、アフガニスタンなどへ戦争に行かされていたのです。」
 これは、アメリカの元海兵隊員で、今では世界的に平和活動を行っているアレン・ネルソンさんの言葉です。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

※今現在でも多くのアジアの方々があの戦争の被害を訴えているが(最近では中国人の強制連行問題や遺棄毒ガス弾の被害などなど)司法機関は「国家無答責」「除斥期間」( 「国家無答責」とは、国の権力行使によって個人が損害を受けても、国は損害賠償責任を負わないとする明治憲法下の原則。現憲法では1947年施行の国家賠償法により、個人の損害賠償請求権が認められている。「除斥期間」とは、民法上、不法行為に対する損害賠償請求権が20年で自動的に消滅してしまうこと。当事者の主張で起算点が変わったりする時効とは区別される。 戦後補償をめぐる訴訟では、被告側が国家無答責や除斥期間の適用を主張することが多い。司法判断は分かれており「著しく正義に反する」として適用を認めなかった例もある。 )を掲げ、原告の訴えを無視し続けている!!
 あの戦争を司法関係者も本当に反省しようという考えがなく、問題を明治憲法下で処理している。ここにも昭和天皇の戦争責任を何とか回避し、天皇制を必死に守ろうとする保守的な姿勢が見られる。(ノブ)



●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)


●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
狂気の演説
 8月11日、石井隊長の演説が終わる頃には、雨が降り出し、その雨は次第に激しくなった。第一次の撤収作業を開始した夕方頃にはどしゃ降りになっていた。
 平房731部隊の引込み線に貨車をつけ、米、味噌、塩などをトラックに積んで運び入れる。満州の汽車は大きくて高い。トラックを横付けにしても届かない。はしごでまず、貨車に酒保品を運び入れ、官舎から運び出した畳をその上に敷き詰める。長いはしごをかけて、女、子どもを乗せる。
 明日にもソ連軍が侵入してくるというおそれで、手荷物は2つだけという厳命である。妻は生まれて半年もたたない乳飲み子を背負い、手にしたのは、オムツと、長男憲一の骨箱ばかりであった。
 私は、妻と何を話すことも無く、騒然としたまわりに飲み込まれてしまっていた。
 「気をつけて」「すぐ追いつくからー」とだけ言い合って、妻は息子を抱きかかえ汽車の中に消えた。まだ、夕方だというのにもうまわりは暗くなっていた。
 連結車両は、50車両、しのつく雨をついて発車の汽笛を鳴らした。しかし、雨でスリップしてなかなか動かない。機関車は車体をふるわせて蒸気を吐き出すのだが、むなしくレールをかむ車輪の音ばかりで、なかなか進んでいかない。
 トラックの運転台にいる私は、ワイパーの動く合い間に見える車両を、イライラしながら眺めていた。それでも少しずつ、妻と子を乗せた汽車はゆっくりと重たそうに動き始め、私の目前から消えていくまでにかなりの時間がかかった。
 その時私は、妻や子が何とか無事に内地へ帰ってくれるよう祈ることしかできなかった。(明日に続く)

※ソ連軍が侵攻してくる直前の731部隊の光景は雨の中騒然としていた。逃げる者も大きな不安に包まれ、命からがら必死で逃げるという感じである。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

楊国喜(男、64歳)の証言

 1937年の冬に、日本軍が南京を占領しました。ある日の朝、母が井戸で水を汲んでいて、よく知っている人に出会ったのですが、その人は前に中央軍に捕まって行き壮丁(成年に達した兵役や労役にあたる青年)にされていた人で、やはり井戸に来て米を研いでいたのを、日本軍に見つかり発砲されて、その場で撃ち殺され、母も手の指を半本落とされ、血を滴らせて家へ駆け戻って来ました。父が母の手に包帯を巻き終わったところに、日本軍が家の内庭に闖入してきて、まずそこにいた隣の爺さん2人を撃ち殺し、父も捕まえて中央軍を捜しに行こうとしたので、母が再三泣きついたのですが、それでも放とうとせず、とうとう発砲して撃ち殺しました。父は楊春芳と言い、人力車を牽いていて、殺された時は37歳でした。(高雲芝と趙玉珂と高方簡が記録)



※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、9条をえらび始めた。


・平和を探ることが人類の進化だと思います。
私たちが本気になって平和を模索しなければ、いろいろな問題は改善されるどころか、悪化してしまいます。
(アメリカ、40代・女性)

・日本が軍隊を持たないという約束を破ろうとしているのではないかと、私はとても心配しています。日本政府が憲法9条を守り。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という決断を決して変えることがないことを願っています。(ベルギー、40代・男性)

・日本の皆さんが9条を世界に広げようとしている大義を、私たち、ケララ州コーチンの市民は、心から支持し、その取り組みに全面的に協力と支援をいたします。
(インド、50代・女性)

・私の地域では、たえまない暴力が解決のめどもつかないまま50年間続いています。戦争は、プレイステーションのゲームではなく、マンガでもありません。あなたの愛する人の現実の死なのです。日本が戦争を放棄したことの意味を、もう一度見つめてください。(レバノン、20代・女性)

・武器や核兵器による絶え間ない脅威は、世界の病というべきものです。私の国、コスタリカは武器をもたない国であり、世界のほかの国々も同じようにあるべきだと思います。現在の日本の憲法9条は非常に素晴らしいものであり、いかなる権力によってもこれは変えられるべきではないと思います。日本は永遠に平和な国として存在するべきです。
(コスタリカ、60代・男性)



第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
狂気の演説
 戦局は破局を迎えていた。ソ連軍が怒涛のごとく押し寄せて来ているという情報を聞いて、部隊内は騒然とした。
 石井隊長が一番恐れていたのは、部隊の内容が人に知られることであった。当然のことながら、部隊で繰り返し行った異常な実験、そして、中国各地で試した細菌の効力とその残虐さは、隊長自らが一番よく知っていた。だから、その秘密が洩れるのをもっとも恐れたのも、石井四郎隊長自身であったと思う。なぜなら、秘密がバレたら石井隊長が一番先に処刑台に立たされるからである。
 終戦時の混乱は8月11日からはじまった。撤収直前、平房の石炭山の上で、大声を」張り上げ眼をつり上げ、つかみかからんほどの形相で隊長は最後の演説を行なった。
 私はそれを今も昨日のことのように覚えている。
 「第731の秘密はどこまでも守り通してもらいたい。もし、軍事機密を洩らした者がいれば、この石井がどこまでもしゃべった人間を追いかけるぞ」
 これは恐怖の言葉として私たちの胸に突き刺さり、以来37年間、私たちの耳に響き続けてきた。この重い言葉のために、私は、今考えれば、愚かともいうべき苦労を、重ねねばならなかったのである。
 また、前に証言した赤沢さんは、「隊長は機密漏洩のおそれがあるため、『家族全員を殺せ』といったらしい。菊地閣下が、『私が責任をもって朝鮮まで家族を連れて行き、秘密の洩れぬようにするから、任してくれ』と頼み、事なきを得たと聞いている」と話してくれた。(明日に続く)

※石炭山での狂気の演説は、特に下級隊員の人生を大きく狂わせた。731に所属していたことを隠したために、思うように履歴書が書けず、戦後就職できないで家庭崩壊に追い込まれた人もいた。また、軍人恩給の申請をしないで生活苦に陥る人が多かった。
 一方幹部や上級職員たちは、731の研究の成果を下にして公然と大学へ戻ったり、製薬会社を立ち上げたりして金儲けに成功するものも現れる。なんという皮肉か。
 石井自身、自分で秘密を口外するなといっておきながら、アメリカに尋問されると、免責と引き換えに、秘密を全部しゃべってしまう。下級隊員たちは731部隊員が免責されたことも知らずに過去を隠し続け、職業を転々とするものも多く、苦労が絶えなかった。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

韓秀英(女、66歳)の証言

 1937年の冬月に、日本軍が南京を占領した時、家の母方の祖母と伯母の朱長富、母と小さい妹の韓小琴との4人が集合村盈其庵の裏門のところの防空壕に入って隠れていました。ほかに、もう一軒の4人もこの壕に隠れていて、みんなで8人でしたが、1937年の冬月11日に、日本軍がそこにやって来て、残酷にも壕の中の7人をその場で殺害し、あの家族の1人だけしか助かりませんでした。家の4人が殺された時、祖母は60歳余り、伯父の朱長富は40歳余り、母の韓氏は42歳、妹の韓小琴はわずかに4歳でした。(肖中煌が記録)

 
※掃蕩では婦女子も関係なくゲリラと思われたのか、たくさん殺されている。武器も持っていないのに!!(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、9条をえらび始めた。


・ある国が戦争放棄を掲げるということは、世界のほかの国々への力強いメッセージになると思います。
(イギリス、30代・男性)

・第二次世界大戦の悪夢を経験した一人として、私は、力ではなく正義と社会秩序による国際紛争の解決手段があること、そしてそれに基づいた国際平和と理解が達成できることを信じています。紛争解決は、交戦ではなく平和的な方法でなされるべきだと思います。(フィリピン、60代・男性)

・僕の国はベトナムで戦争をして、何百万人ものベトナム人と何万人もの自国の兵士を犠牲にし、何も得ませんでした。それなのに、今も戦争をしています。アメリカは根本的に反省しなかったんです。こういう国に従って日本が憲法を変えようとするのは、非常に残念です。
(アメリカ、50代・男性)

・武器でいっぱいの世の中に暮らすことは、自分の墓を掘っているようなものだと思います。現実には、世界の指導者たちが行っていること、特に軍事力を増強していくことは、私にとって全く無益なことだと思います。お金をこうして無駄にするのではなく、教育の拡大と貧困の撲滅のために利用した方がよっぽど有効だと思います。
(フィリピン、60代・男性)

・私は第二次世界大戦の経験者として、日本国憲法第9条をいかなる手段でもっても排除すべきでないと思います。戦争は、人の命を奪い、人びとを苦しめました。武器はこの世に必要ではありません。世界に脅威を与えるべきではありません。過去の過ちを繰り返さないで下さい。(ロシア、60代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
強制堕胎と憲兵逃亡の意味
 もはやマルタは、731の荷物になって、必要はないということである。マルタの生体実験も終りに近づいたということで、もう日本は負けるのではないか、と確信したのである。
 しかし、ぐずぐずしていられなかった。真夏のぎらつく太陽ののもとに、うず高く積み重ねられたマルタの屍を眺めながら、人目につく場所から、どこか別の所へ移さねばならない。私たちは、マルタ1本1本を、ずるずると引きずって、隣りの建物の中の大きな浴場へ運び入れた。
 浴槽には、白い消毒液が入っており、白いタオルは赤茶けて汚れたままになっていた。近づいてみると、浴槽には人間が数体浮かんでいた。
 ズボンに足錠をかけたまま、大きな裸の背中を見せて浮かんでいるのである。その背中には、黒い文字で番号が刻まれていた。その広い洗い場に、次々とマルタをまるで魚河岸でマグロを積むように、積み上げて、ようやくマルタ輸送の仕事は完了した。
 とにかく、つい先程まで生きていたものを、強制的に連行してきて、有無を言わさず、青酸カリで40本、瞬間的に皆殺しにしてしまったのだから・・・・。
 この日一日は、まるで悪夢のように過ぎていった。しかし、眼の前の薄暗い浴場の光景は、まぎれもない現実の地獄絵であった。(明日に続く)

※何という研究機関?人間をモルモットにして、もう使わないとなると、青酸カリで平然と殺し、消毒液に漬けるとは?また、その死体をどこかに捨てたのか、焼却炉で燃やしたか?何とも残虐極まりない!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

董加業(男、65歳)の証言

 1937年の12月14日、日本軍が南京を占領した翌日、父の董興福が、難を逃れて逃げ回るお金が無くて、家で隠れていたら、日本軍に家から引っ張り出されました。家屋の外の空き地で、日本兵は父の衣服を引っぱがし、それから銃剣で刺し殺しました。そばに兄弟2人がいて、1人は8歳1人は4歳で、驚いてすぐひざまずき、大きい方が家の後ろに逃げて、日本軍に射殺され、小さい方は日本軍に銃床で殴られ昏倒しました。
 私には伯父がもう1人いて、名前は董興義と言い、その頃50歳余りで、家は転龍車6号でしたが、家で日本軍に見つかり、老虎頭まで捕まって行って銃殺されました。(陳燕召が記録)

 
※兵士ではない一般の市民や子どもが犠牲になっていることがわかる。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、9条をえらび始めた。



・平和が武器によってつくられるものではないということに世界中の国が気づき、すべての国が憲法9条をもつようになることを願ってます。(オーストラリア、20代・女性)

・このグローバル9条キャンペーンに非常に感動しました。憲法9条を維持しようというこの草の根運動には、日本がアジアとの関係に誠意を持って向かっている姿勢がうかがえます。このキャンペーンに多くの日本人が賛同し、成功することを望みます。がんばってください!(韓国、30代・男性)

・憲法9条に賛同します。このような憲法があることで、私たちは、戦争のもついかなる攻撃性に対して共に、立ち上がるような地域社会の結びつきを強くしていくことができると思います。私たち一人ひとりのの協力こそが、最高の平和の武器だと思います。(ベルギー、50代・男性)

・日本のような歴史を持つ国が、憲法9条を広めようという行動をとることは、世界のほかの国々にとっての模範です。ほかの国々もそれに続くことを祈って。私たちに必要なことは平和への挑戦です。
(コスタリカ、20代・女性)

・日本国憲法第9条の改定に反対です。(ロシア、20代・男性)

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)


※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮


●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
強制堕胎と憲兵逃亡の意味
 終戦の10日ぐらい前のことである。私はハルピンの日本領事館へ、いつものようにマルタの受領にいった。憲兵と2人で、40本のロシア人マルタを積んで、いつものコースに従って部隊の裏門から入り、マルタ小屋、ロ号棟へ入りかけたとたん、車を停止させられた。
 解剖室の前である。診療部の者が白衣で待ち受けていた。ピンとくるものがあった。通訳の「予防注射をするので、1人ずつ降りてくるように」という命令でマルタは1人1人下車した。私はエンジンをかけっぱなしにして、その様子を見ていた。
 隊員の1人がマルタの腕を消毒し、他の隊員が注射するーすると、わずか1CCぐらいの注射で、若い頑丈な青年のマルタがうめき声1つ上げずにひっくりかえる。青酸化合物の血管注射である。
 マルタがひっくりかえると、車のかげに引きずっていく。そして次々と車から降ろし注射する。6尺以上もある大男も、声もなくひっくりかえり、横から押さえていなければならないほどであった。ただ単純に無表情に次々と殺していく光景を目撃して、私は事態の深刻さを予感した。(明日に続く)

※マルタまでお荷物になり殺すとは!逃がしてあげてもよいのにとも思う。それにしてもマルタの受領所がハルピンの日本領事館だとは改めて驚く!!これじゃ外務省に問い合わせても、返事がもらえないだろう。国も戦争責任から逃れたいであろう。国をあげて極秘裏に研究?していた機関であることの証明だ!!(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

湯長亮(男、52歳)の証言

 1937年の冬に、日本軍が南京を占領しました。あの時、家は養虎山で、家には8人いましたが、私はその頃ほんの5,6歳で、上の兄と2番目の兄と上の姉と一緒によその土地まで逃げたので生き残ってこれました。家には母と祖母とそれに妹が1人いて、泥で作った防空壕に隠れましたが、小さい妹の泣き声が日本軍に聞きつけられ、機関銃で3人を掃射し、母と祖母と妹とを全部銃殺しました。父の湯国興は養虎巷の街の油小屋で働いていましたが、日本軍に捕まって行ってから失踪し、屍すら見つかっていません。家の草葺の家の家屋2軒も日本軍に焼き払われてしまいました。とにかく、その頃の養虎山一条街が、日本軍に破壊されたその惨憺さたるや見るに忍びないものでした。(張健と趙玉珂と高方簡が記録)

※南京の殲滅作戦の徹底さがよく分かる。女は又、子どもを産み、その子どもが中国軍に入って立ち向かってくるだろうということから殺し、子どもは大きくなって中国軍に参加するだろうから殺し、年よりは与える食糧もないことから殺した。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

世界は、9条をえらび始めた。


・憲法9条はまるで、神が私たち人類に送ってくれた宝物のようです。(中国、40代・男性)

・9条は、明らかに戦後の東北アジア地域のパワーバランスを保ってきた一要因です。(モンゴル、60代・男性)

・9条は、日本が多くの残虐行為をおこし、侵略戦争を行った反省から制定されたものです。その9条をなくすことに賛成できません。(韓国、60代・女性)

・9条の平和主義は、私たちの世代だけでなく、次の、その次の世代の平和にも重要です。(中国、40代・男性)

・すべての国が憲法9条を持つようになり、平和が最後の手段としてではなく、唯一の手段となる日が来ることを願っています。(イギリス、20代・男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


※731部隊では3000人以上のマルタを人体実験・解剖し、殺害した。
また、15年間にわたるアジア・太平洋戦争でのアジアの犠牲者は1000万(最小の見積もり)~3500万人(最大の見積もり)である。
 日本は、その誰一人にも個人的な補償はしていない!!(ノブ)

.
●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅶ ああ いさましや
強制堕胎と憲兵逃亡の意味
 終戦、いや敗戦らしいということは、私は3ヶ月ほど前からわかっていた。南方へ派遣された者が帰ってきて話すことが、大本営の報道とあまりに違っていたからだ。
 そして私自身も「やはりダメなのか」と実感したことがいろいろあった。その1つに、妊娠3ヶ月ほどの女性をすべて診療室へ呼び出し、婦人科医の手で強制的に堕胎させたことである。どうしても産みたいと渋る女性には、婦人会の幹部が、連日入れ替わり立ちかわり押しかけ、おろすことを強制した。私も、泣いて産みたいと訴える若い女性の姿を見たが、その訴えは受け入れられなかったようだ。
 ついで1ヶ月前、憲兵伍長が逃亡するという事件が起きた。第731部隊には曹長、軍曹、伍長と3人の憲兵がいた。その憲兵は大変な遊び人で、明らかに梅毒症状だとわかる斑点が頬に出ていた。彼らは普段、支那服のような私服を着て行動しており、かつて立入禁止区域の道外の憲兵を勤めていたので、街のすみずみまで熟知していたので、遊ぶ場所を心得ていた。よく特別車で女の所へ乗りつけたこともあった。もちろん、マルタは積んでいないが、特別車を運転して女街へ乗り込むのは気が引けたが、憲兵命令では仕方がなかった。
 道外は、治安おだやかならざるところで、それだけに一層庶民の心の動きや、秘密情報がピンピンとわかる所でもあった。おそらく、かの憲兵伍長は、日本軍の敗戦を予想し、このままだとソ連軍や八路軍にしょっぴかれて殺されてしまうと踏んで、いち早く逃亡したのだろうと思った。(明日に続く)

※妊娠3ヶ月の女性を全員堕胎させるとは何と残酷な話であろうか!大日本帝国は戦争に勝つことのみを考え、最初は女性に対して、「産めよ!増やせよ!」と号令をかけ、産んだからといって、特別手当を出すわけでもなく、成人したら、赤紙1枚で召集し、戦地へ送り出させた。国民は「出征!万歳!」とか「名誉の戦死」という言葉に翻弄された。
 今度は、負けるとわかると、堕胎せよだ!人権無視もはなはだしい!
この暗黒の時代、戦争の為政者は、自分のことしか考えておらず、国民は全く無視されていたことがよくわかる。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

朱玉昌(男、54歳)の証言

 1937年には、家は双塘朱家苑1号でした。12月15日、日本軍が南京を占領した時に、小行まで逃げて行ったり戻ったりし、後でまた沙洲囲まで逃げました。明くる日日本軍が焼いたり殺したりしに沙洲囲まで来たので、私たちはまた谷里村まで逃げました。その時父と祖父とが私たちをはぐれてしまいました。やがて、祖父と父とは私たちを探しに手探りして家に帰って来ました。家についてから、父が家屋の後ろの小高くなった所で見渡していたら、日本軍に見つかって、1発撃たれて傷つけられ、父が家に這い戻ったら、日本軍がまた我が家まで追ってきて、父の胸を猛烈に幾太刀か刺したので、父はその場で死亡しました。祖父の朱福宝は頭を日本軍に幾太刀か斬られて、昏倒してしまいました。小さい妹で、数ヶ月にしかなっていなかったのが、逃げ帰ってきた時に死亡しました。5歳の弟が、中華門の城門付近で、日本軍に殺害されました。(陳燕召が記録) 

※日本軍の掃蕩作戦が徹底的にされていたのではないか?一般の大人・子ども・老人まで無差別にされていた感がある。もちろん殺されなくても、逃亡生活で生まれたばかりの子が死ぬ場合もあるだろう。悲惨なことだと思う。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条がゆきわたった世界


 「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮



●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅵ 勢いみせて
殺したのはだれか
 総務部に勤めていた妻の妹がかけつけてくれた。その時妻は、初めて声をあげて泣いた。私たちは3人で、通夜をすませた。次の日の葬儀には、運輸班の仲間が来て世話をしてくれた。731部隊には同じ雇員の中に寺の住職もいて、僧衣に着替え、丁寧に読経をつとめてくれた。
 憲一が死んだのは昭和19年9月5日のことであった。明けて20年2月5日に次男が生まれた。同じ5日という日に何か運命の糸を感じた私と妻は、亡くなった長男の名の一字をとって「憲次」と名づけた。(明日に続く)

※731の待遇が良かったから、奥さんの妹も731に呼び寄せたのだろう。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

楊鑑新(男、66歳)の証言

 1937年の12月に、日本軍が南京を占領した時、私は20歳になっていませんでした。父の楊広生は、又の名を楊篠川と言い、その頃は浦口の天橋の下で商売し漢方薬の店を開いていました。日本兵が南京の至る所で人を殺し火を放って、やらない悪事はなかったので、避難のために家中でよその土地の高旺まで逃げました。父の楊広生は年取っていて、家に留まっても大した関係はないと自分で思っていたので、行かないで、家で店を見守っていました。日本軍が浦口まで来て焼き殺すので、父は浦口から4里か5里ほど離れた九福洲の随荘の近くに避難したと言うのに、やっぱり日本兵に出会ってしまいました。彼らは初め父から銀貨を取り立て、父が日本軍に少しばかりやりましたが、日本軍はまだ放たずに、依然として脅迫して取り立て、父が銀貨全部と金目の物をみんな日本兵にやった後、日本軍は何と銃で父を撃ち殺し、それからその死体を随荘の河辺に押し入れました。
 後に、その地で九福洲に埋葬しました。(達式宏と王天柱が記録)


※日本軍の風紀の乱れがよく分かる。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条がゆきわたった世界


 「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
 「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人々が、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです。
 第2次世界大戦を経験した人類は、「もう2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」という思いで、国連をつくりました。国連憲章は、「武力行使をしない」「軍事費は最小限にする」ことを定めました。しかしその国連憲章がつくられたあとに、広島と長崎に原爆が落とされ、戦争は終わりました。そして、日本の憲法9条が生まれました。
 国連憲章も日本の9条も、目標は同じ「戦争をなくす」ということです。
同じ目標のもとで、日本の9条は、国連憲章よりもさらに一歩前に踏み出しました。9条は、戦争につながるような軍隊をもつことを否定したのです。9条が一歩踏み出したその先に続くのは、私たちです。9条から見えてくる世界の創り手は、私たち一人ひとりなのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 1947年(昭和22年)1月に、ソ連が石井ら日本にいる731部隊員の尋問を要求した。アメリカは人体実験のデータが表ざたになると、そのデータをアメリカが独占できなくなると判断し、以前から水面下で交渉していた陸軍参謀の服部卓四郎や政治家の亀井貫一郎のグループに石井らの戦犯免責と引き換えに、731の詳細なデータを金で買うことを伝え実行した。
 そのため、731の戦犯追及をしていた占領軍の法務部の活動はアメリカ自身の手によって強制的に停止され、詳細なデータはアメリカが独占することになり、東京裁判では731部隊のことは裁かれなかった。
 マッカーサーと本国アメリカとの交渉の中で、データの独占のこともあったが、もう1つの大きな懸案は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒になって、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
 そのため、天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
(昭和天皇とマッカーサーとの会談は極秘裏に戦後11回行われた。新憲法が制定された後でも、「象徴天皇」という新たな憲法上の地位に“制約”を感じることもなく「政治的行為」として、マッカーサーと「トップ会談」がなされていた。それも、当時の政府を飛び越えて行われていた。この「トップ会談」の「公式記録」はこれを所管する宮内庁・外務省が正式に資料公開すべきである!!)

 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追及もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●参考ホームページ

天皇・マッカーサー会談

・731部隊のことを知っていた皇族
秩父宮

三笠宮

東久邇宮

・731部隊に係わっていた皇族
竹田宮

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅵ 勢いみせて
殺したのはだれか
 大人だと5時間ぐらいかかるのだが、憲一は2時間ぐらいで終わった。骨は熱くなかなか冷めず、しかも灰の中にまぎれた憲一は、なかなか見つからなかった。
 私は小さい骨箱を抱いて、とぼとぼと官舎へ帰った。戸口に近づくと消毒液の臭いが立ち込めていた。例のように大規模な消毒がされたのであった。妻は、骨箱の前に黙ったままいつまでも座って頭をたれていた。
 初めての子を失った悲しみの上に、2番目の子を身ごもり、心労と妊娠でげっそりやつれ、眼も落ち窪み、やせた肩があわれであった。妻は何も言わず、時折着物の袖で涙をぬぐっていた。私は慰めようもなく、妻の隣にじっと座っているだけであった。
 つい先程まで、よちよち歩きで「ウンマ、ウンマ」と片言まじりで指をしゃぶっていたわが子が、小さな骨箱におさまってしまっている。私は、実はその時初めて、憲一にどんなに慰められて暮らしてきたかを知ったのであった。
 マルタを連行して、安達(アンダー)実験場で殺して帰った日や、ガス実験で血へどを吐いて死んだマルタを見た日など、私は、重くふさがれた気持ちで官舎へ帰ったものだが、憲一は、沈んだ私に無邪気に手を差し伸べて、よちよち歩いて来て、にこっと笑う。又ある時は、妻の乳首をくわえながら無心に寝ていた。わあわあ泣いて、妻を困らせていたこともあった。がそれさえ私の慰めになった。
 官舎の中で、私の遅い帰りを待っている妻にとっては、一層慰めになり、生きる力になっていたのだと思う。(明日に続く)

※奥さんは初めての子を失い相当ショックだったようである。それに、大規模な消毒もあったから、荼毘に立ち会えなかったのだろう。
 わが子の与えてくれる慰めが隊員にとっては仕事への大きな励みになっていたことが分かる。
(ノブ)

参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

張健(男、59歳)の証言

1937年の農暦11月23日に、日本の賊が南京を占領した時私はたった12歳でした。私と上の姉と2番目の姉とは難を逃れて江北へ行きました。祖母と3番目の姉とが眼が見えず、歩けないので、父は2人を手放すに忍びず、一緒に留まりました。
 私たちが行ってから、父は祖母を後方沖の3番目の姉の家(今の尭化郷後方沖生産隊)まで連れて行き隠れさせました。ある日の午前中、日本軍の1人が後方沖の桑樹園まで紛れ込んで来て、父が背が高く、話をするのも北方のなまりなのをみて、中国兵だと疑い、銃を構え父のみぞおちに狙いをつけて1発、弾が胸を貫いて行き、年わずか51歳の父はその場で死去しました。残忍な日本軍はまだやめようとせず、ガソリンを身体にかけて死体を焼くのに火を放ちました。父が銃殺された何日か後に私は初めて知って、急いで戻って来ましたが、父が3分の1焼かれていて、残った部分が酷く焼けただれているのが見えるだけで、見るに忍びない有様でした。
 日本兵はそれに家の新しく建てた瓦葺の家2軒を壊し、建築資材を尭化門の駅まで引きずって来て焚き火の薪にしました。祖母は父が死に、家が焼かれたために悲しみ憤ってやまず、2ヶ月もしないで恨みを呑んで世を去りました。良心を全く失った日本兵が我が家を損なうこと人を死なせ家を壊しで、私をして帰るべき家のない孤児たらしめたのでした。(王志懐と胡桂英と張兆府が記録)


    
※父親と家を失い、祖母まで急逝したのだから、精神的なショックを大きく受けただろう。そして現実に父親と家が無くなったのだから、生活が大変だっただろう。(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

朝香宮

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

9条がゆきわたった世界


 みなさんは学校で、どんな歴史を学んできましたか?
 国内で行われた戦国時代の戦い以外に、日本がほかの国々と行った戦争について、どのように教わってきましたか?
 多くの国々では、自分の国がいかに正しく、立派であり、誇らしいものであるかを繰り返し強調してきました。その影で、自分の国がほかの国の人々に被害を与えたことについては、忘れられる事が多かったのです。
「国のためではなく人々のために歴史を教えたい」そう願う日本、韓国、中国の市民や研究者たちは、一緒になって一つの歴史教材をつくりました。(日中韓3国共通歴史教材委員会編『未来をひらく歴史』、高文研、2006年)。傷つけた側、傷を受けた側が、共通の歴史をとらえ直そうとしているのです。
 イスラエルは、60年にわたりパレスチナの土地を占領しています。それが理由となって、中東地域全体で暴力の連鎖が続いています。そんな中にあっても、イスラエルの若者とパレスチナの若者が出会い交流を進めています。
 インドとパキスタンは、国境のカシミール地方の領有権をめぐる対立を60年間にわたって続けています。国境では衝突が絶えず、両国は核兵器をもちミサイル開発を続けながらにらみ合っています。それでも、平和を求める市民は、国境を越えた交流を進めています。
 南アフリカでは、人種隔離政策(アパルトヘイト)の中で白人が黒人を抑圧してきました。アパルトヘイトは終わり、「真実と和解委員会」がつくられ、過去を見つめて和解を進めました。それぞれの問題において、一人ひとりの「対話」で少しずつ、ゆっくりと解決をしようと努力が続けられています。


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)



●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れた。アメリカは、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金でそのデータを731部隊幹部から買い取り、731部隊員を戦犯免責にした。データを独り占めするのも大きな目的であったが、もう1つの大きな目的は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒に、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
その天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追求もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅵ 勢いみせて
殺したのはだれか
 私はこの死をどうしても認めたくなかった。だが、私のそんな気持ちにかかわらず、時の経過は残酷にも「憲一の死」という現実を私に突きつけた。
 そして、一方で冷静な声が「息子は細菌実験の犠牲になったのだ」とささやいていた。病状から見てペスト菌にやられたのは明らかであった。私が部隊から運んできて、そして抵抗力のない赤ん坊に感染したのかもしれない。けれど、確かな感染経路はどう考えてもわからなかった。
 しかし、731部隊で生まれたことがもう宿命であったのだ。こんな場所を親が選ばなければ、憲一は死ななくてもよかった。憲一は私が殺したのかも知れない。いや、私が殺したのだ。
 死亡診断書には、風邪をこじらせたためと書いてあった。しかし、信じることができなかった。誰にもそれを確かめることなどできず、診断書をそのまま受け止めてひたすら我慢しなければならなかった。 死亡届には、子どもの死んだ平房の住所ではなく、江省・哈爾洪(ハルピン)吉林衛36号という石井隊長の住所が書いてあった。私たちが住んでいない住所が息子の死亡届に明記されていたのである。なぜそのようなことになるのか、この時はよくわからなかった。
 火葬は、私と2人の隊員が立ち会って、夕方から始まった。マルタの場合は、構内の死体焼却場で焼かれるのだが、日本人犠牲者は、飛行機の滑走路のはずれで、たきぎにガソリンをかけ、トタンをかぶせて焼かれるのである。
 大陸の夜は深い。夜空にぎっしりと青い星がちりばめられている。そして、その真紅の火柱だけが、音をたてて燃えていた。憲一は星になったのだ。(明日に続く)

※子どもがペスト菌に感染した?大人は抵抗力があった?奥さんも少しずつ抵抗力ができたのか?よくわからない。でも、普段、細菌に触れている仕事だからそうかも知れない。恐い仕事だ。荼毘には奥さんは立ち会わなかったのか?
 本当に大陸の夜は満天の星で、澄み切っていただろうな。
 1人でいると恐くなるような深い深い夜だろうな。(ノブ)


参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

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731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

江雨発(男、70歳)の証言

 私は江雨発と言い、今年で70歳で、家は中央門外の黄家圩です。日本兵が南京で中国人民を虐殺した場景を思い起こすと、非常な悲憤に駆られます。
 1937年の農暦11月11日の朝、どんより曇っていて、北風が吹きすさび、寒さが骨身に染みる日でしたが、完全武装した日本兵の一群が小紅山から駆け下りてきて私たち紅心肚村に闖入しました。父の江建余はその時もう60歳余りでしたが、家の中から出てきて、ばったり日本軍と鉢合わせしました。日本軍は銃剣を手にし父に狙いをつけながら、口でぺちゃくちゃがなり立てていましたが、父が分からないので、日本軍は頭に来て、銃剣を父の喉に狙いをつけて猛烈に一太刀刺したので、父はその場で地に倒れ、身体中が血だらけとなったのに、日本軍はやめようとせず、又もや、みぞおちを狙って一太刀刺し、父はこうして活きたまま日本軍の銃剣の下に死んだのです。
 母が父の死んだのを見て、一切をかえりみずに父の身体に突っ伏し、ワアワア大泣きしているのを、凶悪残忍な日本軍は又もや母の頭を二太刀刺し、途端に、母は顔が一面血だらけとなって、昏倒してしまいました。日本軍はかか大笑いして、大手を振って去って行きました。
 母は目が覚めてから、山の洞穴にもぐって隠れ、もう出て来られませんでした。2日して、兄が聞いて駆けつけ、洞穴から気息奄々(きそくえんえん)の母を救い出し、八卦洲の方へ連れて行ったので、母はそれでやっと一死を免れたのでした。(高秀蘭と王文清と葉雲が記録)

   
※お母さんは助かったとは言え、傷の後遺症は大変だっただろう。勿論、心の傷も癒える事はないだろう!!かか大笑いした日本兵はその後どうなったのだろうか?(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

ひとりひとりの安全を

大事にする世界


 また、地球上の人々の生命と権利を守る責任は国際社会全体にあるのだ、という考え方も広がりつつあります。たとえば、国の中で紛争状態や人権侵害があるときに、その国の政府が「これは国の内部の問題だから外国は口出しするな」などということは、もはや許されないのです。国と国が戦争をしていないからといって、それは平和を意味しません。人々の生命や権利が脅かされているかぎり、それは平和ではないのです。
 日本国憲法には、9条と並んで、もう一つ重要な部分があります。
それは前文の次の言葉です。
「我らは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏からまぬかれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

 世界には、戦争に行くことを正しいことではないと考えて、兵隊に行くのを拒む人々もいます。これを「良心的兵役拒否」の権利と呼びますが、この権利を国際的に保障しようという動きも活発化しています。
 平和は、国から市民へ降りてくるものではなく、市民が国を動かし、国際社会を動かしてつくり上げていくものなのです。
  
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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"Martha"* cry of "Asian victim"! !

"Flag of the Rising Sun"* "Kimigayo" it's opposite! !, (symbol of an invasion) (song of emperor praise) New Japan! !

"I'm chosen from a hereditary Imperial system and do, and it's to a presidential system!" (I ask about Emperor Showa's war responsibility.)

● Why doing Japanese Government's always admit almost no 731 units of existence and the brutality to speak using evidence material to Japan and the* foreign journalists after the war for them or, if, I'm correcting for a writer. That's also the question by which a writer is for oneself, but in case of has answered as follows much. If it's the biggest cause that 731 units of hiding was performed by just after the loss and Japan and U.S. combination. Japan could take fact of a human body experiment and use of biological weapons down from the center stage of history by that. On the other hand the United States could monopolize data by a human body experiment by Ishii's network. It was stated at the first chapter that a secret treaty of this Japan and U.S.
failed in 1986, but even if there are probably no secret treaties, unfortunately Japan would try to hide a brutality of Ishii engine. Still a secret treaty of Japan and U.S. was to make an accomplice called the United States get it, and that the role of reducing a Japanese mental burden in criminal hiding was played, I'll get a word.
There is another existence which became a big prop for mental burdened reduction in Japanese war crime hiding. That's Emperor Showa's existence. A writer was a network of Ishii who meets and has heard talk so far, and the one the medical scientists who were studying took with one voice was a word as "emperor's honor". Or a scientific research was being performed for a country because researchers of Ishii's network were an emperor by logic in their feeling. Therefore the brutality which is never performed primarily was sanctioned and carried out with "for country" "for emperor" by itself. In other words, they were making themselves convinced "A brutality was performed for an emperor." Because it's that, it's the reason which will bring disgrace on the top that an emperor tells his crime a country doesn't admit.
A country, Japan has clung to a secret treaty of Japan and U.S. just after the loss and to protect an emperor. As a result, no human body experiment Ishii's network did, victim's research excavation of a creature competition and compensation are done in this Japan. Perhaps this is reeled off 1 of firm structure a country called Japan has. An individual is located in a lower rank than a state basically for that, the structure which is never equal. Even if I compensate a state for other ones by the results and peace pacts, etc., the attitude which isn't compensated to an individual will be got. The criminal fact which is the past as a country for it, responsibility about that can't be admitted again. Or an order of this theory may be reverse. Or a crime, because I don't want to admit responsibility, it may be the one said that which doesn't make the individual a partner.
It's from the actuality an indemnification problem doesn't advance at all wartime these days that I have begun to think of this. .... ".
( "731 units" Tsuneishi Keiichi work: Kodansha Publishers present-day new publication: 1995)
※ 731 units and emperor Japan was working on development of the most modern weapon to win the war from the front where the Sino-Japanese war starts.
Japan scarce in manpower and funds aimed at development of an inexpensive and made strong weapon (poor man's nuclear bomb).
It was Shiro Ishii that it appeared there. The military and an emperor listened to the germ weapon he explains (biological weapons) and emperor's bottom of approval and that were put into practice. I called a Chinese, a Korean, a Russian and a Mongolian Martha, did a living body experiment and a vivisection, piled up trial and error and aimed at development of a more strong germ weapon while making a vast site in suburb Hirabo of Chinese Heerhpin a research institute and cooperating with a network in the army army medical student school in Tokyo and other Ishii.
So a developed bacteria bomb (pottery bomb) was a Chinese city, and actual fighting was done. A city took out many victims of an accident and was confused by a plague bacillus.
I didn't go up and hurried development of a weapon more than I thought of a reserach achievement but time has been late already and has permitted entry into the war of the Soviet.
As soon as the Soviet entered the war, the military and an emperor planned for 731 units of destruction of evidence and blew a building up immediately, and all the members killed accommodated Martha, and a member was returned to Japan in a hurry 731 copies.
This will be also because the task will be taken an emperor to, too,when a war crime comes out.
Several royalty also associated with 731 units, and there was royalty who concerned 731 indeed, too. Tojo goes, too and information about 731 should also reach ears of generalissimo Emperor Showa.
Weren't 731 units which bet the huge budget, gathered excellent medical scientists in the whole country and made the military and the unit an emperor expected most?
731 unit executive made a secret treaty with the United States after the war, and the reserach achievement I got 731 copies by a human body experiment in exchange for member's war criminal immunity from responsibility was sold for a little money in the United States.
It's left in a question why the United States did war criminal immunity from responsibility of 731 copy member who was doing a living body experiment contrary to humanity. Wasn't the response immunity from responsibility of emperor's war crime?
Is the United States valuable when the Soviet requested Ishii's delivery of the United States? I was afraid that data passes to the Soviet. The United States monopolized the data first, and 731 units of the data was bought from an executive by small change and the member was made war criminal immunity from responsibility 731 copies from the policy I'd like to use for a behind schedule germ warfare study in an own country. It was also a big goal to monopolize data, but maybe was another big goal to make sure that the responsibility won't come to an emperor?
(The doctor who concerned a human body experiment is judged by the United States by "Nurnberg continuation trial" in Germany! Highest officer Hitler commits suicide already.) As Japanese Government and the United States planned for concealment of 731 together, and this was Tokyo Tribunal of War Criminals and weren't judged, I made sure that the cruel fact won't be published in front of the people.
MacArthur tried to use the power of Emperor Showa well and govern Japan in case of Japanese occupation.
Maybe didn't you want to touch 731 units in the United States to remove the emperor from a war criminal?
Because that was a result and a trial and information on 731 wasn't exhibited and was the one which wasn't pursued in front of the people, war responsibility of generalissimo Emperor Showa wasn't asked about.
I don't understand a view about the present 731 units of germ warfare of Japanese Government and execution of a human body experiment. (I'm inquiring about it now.) (Nob)

● What kind of unit were 731 units? I'll see a former 731 copies of member's confession account. 越 I'd like to see the book called Sadao work (former Kwantung army transit group member with a 731st unit 3rd copy head office) "for a flag of the Rising Sun, in red tear (tear)" (publishing office: Educational publication meeting of historical sources).

I'm born in Nagano-shi in March in 1918, 越 Sadao (lower back and Sadao)....
I graduate from an industrial high school mechanical engineering course in 1934. I join up in the 642nd unit which migrates to Manchuria in 1939. I join up in the 731st unit (Ishii unit) in 1941. I work at a transit group including an after 4 year bacteria group. I leave by loss and arrive at Nagano in September in August in 1945. Suffering every day is sent while hiding the 731st copy of background as a member after the war, and it's to present.


● 731 units "For a flag of the Rising Sun, in red tear" (越 Sadao work: Educational publication meeting of historical sources) lay Ⅵ Whether it's dragging that momentum was shown and killed Didn't I want to admit this death no matter what? But passage at time also forced actuality as "Kenichi's death" on me cruelly in spite of such my feeling.
And on the other hand still voice was whispering "My son was sacrifice of a bacteria experiment." It was clear that I judged from the condition and lost a plague bacillus. It may be the one by which I was carrying from a unit and infected the baby to whom I have no resistance. So even if I thought, how wasn't certain route of infection understood?
But it has been already fate that I was born by 731 units. When a parent didn't choose such place, Kenichi didn't have to die. Kenichi may be the one I killed. No, I killed.
It was written on a death certificate as the purpose which complicated a cold. But it wasn't possible to believe it. It was made for no one to make sure of that, and I had to catch a medical certificate just as it is and stand it earnestly. Not the address of Hirabo where a child died, but the address of Ishii leader as number 36 of 江省 and 哈爾洪 (Heerhpin) good luck Mamoru Hayashi was written on a dead report. The address where we don't live was written by son's dead report clearly. I didn't know well at the same time why it was such thing.
I and 2 members attend, and cremation has started from the evening. Maltese in case of is baked at a corpse incineration in premises, a Japanese victim can write gas on firewood at the outskirts in a runway of an airplane, and covers galvanized iron, and is baked.
It's deep at night in a continent. A blue star is inlaid in a night sky closely. And only the crimson column of flame was making a noise and was burning. Kenichi was a star. (Following tomorrow)

※ Did a child infect a plague bacillus? Did an adult have the tolerance? Could your wife do the resistance a little, too? It isn't understood well. But because it's the work which usually touches bacteria, it may be so. Fearfulness work. Didn't your wife attend cremation?
It would be really clear at a star in the whole sky at night in a continent.
When I'm here by myself, it'll be deep deep night it'll be fearfully. (Knob)

● Nanjing Massacre "Of this fact.... " (The "Nanjing Massacre" survivor testimony collection: The 侵華日軍南京大屠殺遇難 brother period sense house/volume Makoto Kato/translations) (issue: Stoke sells it: Nebula company and fixed price 2000+ tax) ※ We, Japanese is Nanjing Massacre, I think "of this fact,*.. " should be read modestly.
I think Japanese has to know what kind of thing had happened in Nanjin more.
Many victims worry in PTSD even now! !


Furious personal slaughter of 2 and the Japanese military Damage of my father and mother Testimony of 江雨発 (70 years old for a man) I say 江雨 発 and am 70 years old by this year, and a house is a yellow person outside the center gate. When a Japanese soldier recalls the scene which slaughtered Chinese people in Nanjin, it's seized with extreme indignation.
A north wind clouded more than DON in a morning on 農暦 November 11th of 1937, and was the day when we rage and feel the coldness to the marrow, but a group of the Japanese soldier who armed perfectly ran from Mt. Kobeni, and we were getting off, and broke into a red heart intention village. I was about already 60 years old then, but father's 江建余 left from the inside in a house and came across the Japanese military short. The Japanese military were roaring endlessly by the mouth while having a bayonet in the hand and aiming at my father but he didn't know the fatherhood, so the Japanese military got mad, and aimed at the father's throat, and stuck a sword of bayonet intensely, so though it was overthrown at the place at the place in the body, and became bloody, my father didn't try to stop the Japanese military, and I died under the bayonet of the Japanese military while aiming at a pit of the stomack and living through a sword of stabbing and fatherhood in this way again.
My mother sees my father dying, and without thinking back to everything, a face is put down on father's body, and that a WAAWAA university is crying, the head by which the cruel Japanese military are my mother brutally again, just then one face becomes bloody for my mother, and two swords of stabbing has fainted. The Japanese military, KA or, I had a big laugh, rejected Ote, left and went.
My mother dived in a cave in a mountain, hid and wasn't left any longer after she woke. My elder brother did for 2 days, and heard, ran, rescued a mother of breath 奄々 (Kisoku, forever) from a cave and brought you to the way to 洲 of eight signs of divination, so my mother avoided one out finally with that. (Takahide orchid, Humikiyo O and leaf cloud record.) ※ It can be said that a mother was saved, and aftereffect of a bruise would be serious. Of course, a bruise at the heart wouldn't also be healed up! !, what happened to the Japanese soldier who had a big laugh after that? (Knob) ※ Generalissimo Majesty word which gives the "word" gladder about Nanjin occupation than Emperor Showa to the army and navy staff chief, and is enough After the strategy by which the army and navy several units in a 中支那 district are around Shanghai, I chase daringly boldly, and metropolitan Nanjin is entrapped and thinks to be enough satisfactorily deeply. Tell to these effect officer and man. ( "Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Iwanami new publication) ※ A report should be included in an emperor from the Ministry of Foreign Affairs, the military and Asakanomiya about Nanjing Massacre! !, (knob) ※ Since there is also a kind of guerrilla activity by a defeated soldier and a flight soldier of clothes in the inside of the hall and the outside of the hall as well as a ceremonial hall on a day of the "of an Imperial Army to the capital of the 未曾有 grand enterprise and the foe, entering" grave ceremony which will be reported by royalty and Nanjing Massacre.... great press to Japan people, the prestige of the Imperial Army will be damaged. Moreover Yasuhiko king lieutenant general is royalty, and Shanghai dispatch sardar and Asakanomiya (Well, well, that, it's seen and that isn't liked.) are "under palace" "Imperial prince". For commander's body of the Imperial House which is a symbol of emperor's military, if, when a disgraceful affair occurred, it led to the person concerned's taking problem of course by a serious matter in the world. A special guard organization as ( "Makihara diary") dispatched 立哨 from each unit and got a strict security cordon to Asakanomiya who put headquarters at the metropolitan Chinese restaurant in the Nanjin castle and "For (Asakanomiya) under the palace to enter in a place immediately just before Nakayama gate, you didn't become able to pass temporarily." was got.
Severe "大掃蕩 strategy of enemy remnants" even equaled a neighboring farm as well as the Nanjin castle ward, and was developed to hold the entry system on the 17th in this way, and the armed services and common people's slaughtered victim was made something bigger.
( "Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Iwanami new publication) ※ Asakanomiya Yasuhiko king on the 1st place of war criminal list a judicial administration department of Chinese Taiwan government in 1946 made was a direct person in charge of Nanjing Massacre as Shanghai dispatch sardar, but because the American government and GHQ had decided emperor's immunity from responsibility, I was royalty, but therefore even the Nanjin military tribunal was made immunity from responsibility. ... ( " "One hundred murderers compete.", Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Otsuki bookstore)... isn't this also strange? Did you have an account at the back? (Knob)
● 9 articles of constitution "Imagine9" [It's published jointly.] lay Individual's safety.

The world made important The way of thinking in the whole international society is also feeling the people's life on the earth and the responsibility against which a right is defended are wide. For example because this is a problem inside the country, the national government "interferes in a foreign country" at time with the trouble situation and violation of human rights in the country, such as, for, it's no longer permitted. Even though a country and a country aren't fighting a war, that doesn't mean peace. As long as the life of the people and a right are threatened, that isn't peaceful.
The Constitution of Japan has another important part as well as 9 articles.
That's a word next to the above.
"We confirm that the country in the whole world possesses the right to avoid from fear and a lack and live inside Heiwa equally." The people who block they think it isn't a right thing, and to go on the thing which goes to a war for a soldier are in the world, too. This is called a right of "conscientious military service refusal", but I'm also getting active in the movement which will secure this right internationally.
A citizen isn't coming down to a citizen from a country, and moves a country, and Heiwa is moving and is completing an international society.

Beethoven's symphony No. 9 article [renunciation of war, armaments and denial of right of belligerency] 1 Japan people crave the justice and the international peace which makes the order the basis sincerely, and use of intimidation by a movement barrel war of power of the state and the force or the force gives this up forever as the means to settle an international dispute.

2 To achieve a goal of the preceding clause, the fighting power of the land, sea and air forces and other things doesn't maintain this. National right of belligerency doesn't admit this.

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「马耳他」·「亚洲的牺牲者」的呼声!!

「太阳旗」·「君之代」反对(面)!!
(侵略的符号)(天皇赞美的歌)

新的日本!!

向「从世袭的天皇制被选的做总统制!」
(问昭和天皇的战争责任。)

●战后日本···「面向外国的记者们采用证据资料说的话,他们几乎决定,为何日本政府不认为那个野蛮行为是731部队的存在,向笔者质询。对笔者自己来说的疑问也有那个,不过,是多的情况,象下面一样地回答了。战败紧接之后,用日美联合731部队隐藏进行了的事是最大的原因。根据那个日本,能从历史表面舞台放下人体实验和生物兵器使用的事实。另一方面美国,能独占由于在石井的网络的人体实验的数据。这个日美的密约1986年失败了的事用第一章叙述了,不过,恐怕即使没有密约,日本虽然是遗憾也打算遮住但是石井机关的野蛮行为吧。尽管如此日美的密约,能说完成了由于让美国这个共犯者占便宜的事,在犯罪隐藏中减轻日本的精神的负担这样的作用。
 在日本的战争犯罪隐藏中,有成为了为了精神的负担减轻的大的支柱的再1个存在。那是昭和天皇的存在。用笔者到现在为止相会听了话,石井的网络研究的医学者们异口同声说的,是「天皇的名誉」的言词。他们的心情中的逻辑,石井的网络的研究人员们为了因为天皇,或是国家进行着科学研究。因此自己正当化「因为天皇」「因为国家」,实行了要是本来绝对不进行的野蛮行为。总之他们,使之理解着自己「为了天皇进行了野蛮行为」。所以,天皇,叙说国家没承认的自己的犯罪的事,应该损害政府的名誉的。
 为了保护国家,并且天皇,日本战败紧接之后的日美的密约紧紧抱住。作为那个结果,在这个日本,石井的网络去了的人体实验和生物战的牺牲者的发掘调查和补偿什么都没被做。恐怕这个,日本这个国家有,来自(源于)1个坚固的构造。那,基本性地个人是自国家位于后面,绝对不对等的这样的构造。那个结果,对由于和平条约等除了以外的国家的赔偿去,对个人也不补偿这样的态度被取的。为此,作为国家过去的犯罪的事实,同时不能承认关于那个的责任的。这个讨论的顺序说不定逆。即,据说说不定不想承认责任犯罪,不把个人作为对方。
 从开始考虑这样的事的,近来的战时补偿问题毫不前进这样的现实。····」
(『731部队』常石敬一著:讲谈社现代新书:1995年)
※731部队和天
皇日本致力于为了从日中战争开始之前开始,在战争中获胜的最新兵器的开发。
对资源和资金缺乏的日本,便宜地能的强有力的以兵器(穷人的核炸弹)的开发作为目标。
 在那里出现了的是石井四郎。他说明的细菌武器(生物兵器)军部·天皇倾听,并且对天皇的认可下,那个进行了实行。把研究设施做成中国哈尔滨的郊外平房的广大的地基,与东京的陆军军医学校和其他的石井的网络一边联合,一边称中国人·朝鲜人·俄罗斯人·蒙古人等马耳他做生物实验·生物解剖等,反复试行错误,以更强有力的细菌武器的开发作为目标。
 在那里被开发了的细菌炸弹(陶器炸弹)在中国的城市实战被做了。用鼠疫菌驱出多的受灾者城市混乱了。
 比想都不获得研究成果,紧了兵器的开发,不过,时候已经允许了晚,苏联的参战。
 苏联刚刚参战,军部·天皇很快地测量731部队的证据湮灭,就爆破建筑物,全体人员急忙返还了到日本被收容的马耳他杀人,731部队员。
 这个战争犯罪也暴露的话,天皇那个责任也被问的。
 731部队几个人的皇族也往返,实际关乎731的皇族也在。东条也来,关于731的信息也应该进入大元帅昭和天皇的耳朵。
 上莫大的预算,聚集全国的优秀的医学者被做(制作)了的731部队,不是军部·天皇最寄予期待的部队吗?
  用一点点的钱给(对)美国交售了战后731部队干部与美国密约,在731部队员的战犯免除责任和交换里(上)用人体实验得了的研究成果。
 为何,美国做了做违犯人道的生物实验的731部队员的战犯免除责任在疑问里(上)留下。那个回答,不是天皇的战争犯罪的免除责任吗?
 苏联美国要求了石井的引渡的时候,美国贵重的?害怕数据传到了苏联的事。从美国,先独占那个数据,供想迟到的本国的细菌战研究使用这样的方针,用做了的钱从731部队干部买下那个数据,把731部队员做为战犯免除责任。独占数据也是大的目的,不过,再1个大的目的,不是象天皇那个责任是达不到一样地吗?
 (在国被人体实验有关的医生等根据「Nurnberg继续审判」根据美国的手裁判!最高负责人希特勒已经自杀。)
 象日本政府和美国,对一起,要安排731隐藏,这个以东京审判不被裁判的那样,那个残酷的事实国民前不被公布一样地。
 麦克阿瑟在日本占领时,很好地利用昭和天皇的力量打算统治日本。
为了从战犯取下那个天皇也,美国不想不是碰731部队吗?
 因为那个以结果,审判国民前731信息不被公开,追求也不被做,大元帅昭和天皇的战争责任没被问。
 关于现在的日本政府的731部队的细菌战和人体实验的实行的见解,我不明白。(现在咨询中)(把手)


●与731部队是怎样的部队?查阅原731部队员的坦白记。我越定男著(原关东军第731部队第3部分本部付运输班组成员)想『太阳旗红在眼泪(是没有)』想查阅所说的(发行所:教育史料出版会)的书一下。

 越定男(腰·Sadao)···1918年3月长野市生。
1934年毕业工业高中机器科。1939年传到满洲,第642部队入队。1941年第731部队(石井部队)入队。运输班等工作以细菌班为首以后4年。根据1945年8月战败撤回,9月到达长野。一边遮住作为战后第731部队员的经历度过苦难的每天,达到现在一边。


●731部队

『太阳旗红在眼泪』(越定男著:教育史料出版会)

Ⅵ势必显示
杀了的不想
谁 我无论如何也认为这个死。但是,我的尽管是那样的心情,时候的流逝残酷向(以)我也亮出了「宪一的死」的现实。
 低声私语着「是并且,一方冷静的声音儿子细菌实验的牺牲变成的」。从病情来看被鼠疫菌做了的明显。是我说不定从部队运送,并且感染抵抗力的没有的小宝宝的。但是,怎样考虑也不明白确实的感染途径。
 可是,在731部队出(产)生了的事已经是宿命。如果父母不选出这样的地方,宪一不必死。宪一是我杀死的。是哦,我杀死的。
 在死亡诊断书上,写着因为弄扭歪感冒。可是,不能相信。必须谁确认那个的事等也不有,就那样接住诊断书只顾忍耐。 对于死亡报告,不是孩子死了的平房的地址,江省·哈尔洪(哈尔滨)吉林卫36号的石井队长的地址写着。是我们没住的地址被儿子的死亡报告写明的。为何成为那样的事,这个时候不太明白。
 火葬,我和2个队员遇见,从傍晚开始了。是马耳他的情况,在区域内的尸体焚烧场被烧(烤),不过,日本人牺牲者,在飞机的滑行路道未中,在柴火上挂上汽油,盖上镀锌铁皮被烧(烤)。
 大陆的夜晚深。夜空满满地蓝的星被镶嵌。并且,只那个深红的火柱,立声音燃烧着。宪一是成为星的。(接着明天)

※孩子感染了鼠疫菌?大人抵抗力有?夫人是也一点点抵抗力能的吗?不太明白。因为但是,平素,是碰细菌的工作不那样知道。是可怕的工作。向(以)火葬夫人没遇见吗?
 真的大陆的夜晚在满天的星,清。
 是一个人在的话变得象可怕一样的深的深的夜晚。(把手)


●南京大虐杀

「····这个事实」

(「南京大虐杀」生存者证言集:侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念头馆/编辑加藤实/译)(发行:Stoke,发售:星云公司,定价2000+税)

※我们日本人,想谦虚应该读南京大虐杀的「···这个事实」。
更日本人想是用南京发生着怎样的事的需要知道。
现在多的受害者的各位对PTSD也烦恼!!


2,日军的狂暴的个人的虐杀

父亲和母亲的受害

水湾雨出发(男人,70岁)的证言

 我称为水湾雨出发,今年以70岁,家是中央外行的黄家。想起日本兵用南京虐杀了中国人民的场景的话,被非常的悲愤驱使。
 是1937年的农日历11月11日的早上,浑浊地变阴着,北风刮大风,寒冷沁入骨和肉的星期日,不过,完全武装的日本兵的一群从小红山跑下去来我们红心腹村闯进了。父亲江建余那时再是60岁多,不过,从家中出来,突然与日军头碰头了。日军拿枪和剑对父亲一边安上目标,用口喋喋不休一边吵闹立着,不过,是因为父亲不明白,是因为日军到头来,向(以)父亲的喉咙安上目标猛烈刺了枪和剑一刀,父亲在那个场合在地倒,身体中全是血变成的,日军不打算中止,又瞄住霭,胸口一刀粮食探子,父亲这样活了死日军的枪和剑下的。
 母亲看父亲死了的,不回顾一切父亲的身体突然伏下,凶恶残忍的日军又二大刀粮食探子,对时候,母亲脸一面全是血变成哇哇地大哭做,霭母亲的头,昏倒了。日军ka大笑,挥大公司离开了。
 母亲醒之后,钻入山的洞穴隐藏,已经没被出来。2日做,哥哥听跑去,从洞穴挽救出来气息奄々(来马上不得不得的)母亲,因为带去了到八卦州,母亲是因此终于避免一死的。(高秀栏和王文清和叶云记录)

   
※妈妈虽说得救了,伤的后遗症严重吧。当然,心的伤也不需(会)愈!!吧ka大笑了的日本兵是此后成为怎样的?(把手)

※比起昭和天皇感到喜悦南京占领的「
您的话」陆海军军幕僚长承蒙够的大元帅陛下
您的话中支那方面的陆海军军诸部队为上海附近的作战接连进行勇猛果断的追击,陷首都南京够的事深深地对满足想。这个意思官兵传达。(『南京事件』笠原十九衙门著:岩波新书)

※关于南京大虐杀,从外务省和军部·朝香宫报告应该进入到天皇!!
(把手)

※与皇族根据南
京大虐杀····大报道阵容被日本国民报道的「对未曾有盛事,敌人的首都的皇军的进城」一大典礼的日,不用说礼堂,在场内,场外中,也有由于残兵和便服兵的游击队活动的类皇军的威信能伤害的。而且,上海派遣军司令官·朝香宫(早上或者凿子)鸽子彦王中将是皇族,是「宫殿下」「宫先生」。如果对作为天皇的军队的象征的皇族的司令官的身体,假使的丑闻发生的,由于天下的一件大事当然导致了有关人员的引咎问题。也有所说的取了南京城内的首都饭馆放置了司令部的朝香宫特别,从各部队派遣立哨严格的警戒体制,「为了中山门的马上跟前的地方宫殿下(朝香宫)进城一时成为通行禁止」(「牧原日记」)的特别警备体制被取的事。
 为了这样,17日举行进城式,越发要了及得上不仅仅是南京城区到近郊农村为止严酷的「残敌大扫荡作战」被开展,被虐杀的军民的牺牲大的东西。
(『南京事件』笠原十九衙门著:岩波新书)

※虽然1946年的中国国民政府的司法行政部制作了的战犯名单1位的朝香宫鸠彦王作为上海派遣军司令官是南京大虐杀直接的负责人,可是,从美国政府和GHQ决定天皇的免除责任的事,因为是皇族的南京军事审判也被认为是免除责任。不可笑···(『「一百刽子手竞赛」和南京事件』笠原十九衙门著:大月书店)···这个也吗?在背面有交易?(把手)
●宪法9条

「Imagine9」【联合出版】

每个人的安全

重要的世界

 同时,所说的对国际社会全体有守护地球上的人们的生命和权利的责任的,想法也正在蔓延。譬如,在国家中有纠纷状态和人权迫害的时候,那个国家的政府「这个别因为是国家内部的问题外国插嘴」等,已经不被容许。虽说国家和国家没做战争,那个不意味和平。只要人们的生命和权利被威胁,那个不和平就。
 日本宪法,与9条并列,有再一个重要的部分。
那是前述的下面的言词。
「我们,确认全世界的国民,有平均地与恐怖缺乏不纠绕的他,和平内生存的权利的事」

 世界,认为去战争的事不是正确的事,拒绝去到士兵的人们也在。称呼这个为「良心的兵役拒绝」的权利,不过,说国际地打算保障这个权利的运动也活出发化做着。
 和平,不是从国家下来来向市民,市民调动国家,调动国际社会造成。
  
第九条【战争放弃,军备及交战权的否认】

1日本国民,与正义诚实希求秩序作为基调的国际和平,与国家权力的作为发动的战争,由于武力的威吓又武力的使用,作为解决国际纠纷的手段,永久放弃这个。

为了达到2前项的目的,陆海空军及其他的作战能力,不保持这个。国家的交战权,不认可这个。

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「몰타」·「 아시아의 희생자」의 외침!!

「일장기」·「 기미가요」반대!!
(침략의 심볼) (천황찬미의 노래)

새로운 일본!!

「세습의 천황제로부터 뽑혀 대통령제에! 」 (쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 묻는다. )

●전후 일본… 「외국의 저널리스트들을 향해서 증거자료를 이용해서 이야기하면, 그들은 대부분 확정되고, 왜 일본정부는 731부대의 존재로 그 만행을 인정하지 않는 것인가,라고 필자에게 질문해 온다. 그것은 필자자신에 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일미합동으로 731부대숨김이 행하여 진 것이 최대의 원인인,이라고. 그것에 의해서 일본은, 인체 실험이나 생물병기사용의 사실을 역사의 겉면무대로부터 내릴 수 있었다. 다른쪽(타면) 미국은, 이시이(石井)의 네트워크에서의 인체 실험에 의한 데이타를 독점할 수 있었다. 이 일미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장에서 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이(石井) 기관의 만행을 감추자로 했을 것이다. 그래도 일미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자를 이득을 보게 하는 것으로, 범죄숨김에 있어서 일본의 정신적 부담을 경감한다고 말하는 역할을 다했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄숨김에 있어서, 정신적 부담 경감을 위한 큰 지주가 된 또 하나의 존재가 있다. 그것은 쇼와(昭和) 천황의 존재다. 필자가 지금까지를 만나서 이야기를 들어 온, 이시이(石井)의 네트워크로 연구하고 있었던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예」라고 하는 말이었다. 그들의 기분 안(속)의 논리에서는, 이시이(石井)의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에,혹은 나라를 위해서 과학연구를 가고 있었다. 그러므로 본래라면 결단코 행하지 않는 만행을, 스스로에 「천황 때문에」 「나라 때문에」라고 정당화하고, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 갔다」라고 자기자신을 납득시켜 있었다. 그러므로, 천황이, 나라가 인정하지 않고 있는 자기의 범죄를 이야기하는 것은, 조정의 명예를 훼손하게 되는 셈이다.
 나라를,그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일미의 밀약에 달라 붙어 왔다. 그 결과로서, 이 일본에서는, 이시이(石井)의 네트워크가 간 인체 실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무 것도 되지 않고 있다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개가 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가에서 하위에 위치하는, 결단코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화조약등에 의한 것 외(타)의 국가에의 배상은 가도, 개인에 대하여 보상하지 않는다라고 하는 태도가 잡아지게 된다. 그 것을 위하여는, 나라로서 과거의 범죄의 사실을,또 그것에관하여서 책임을 인정하는 셈이게는 가지 않은 것이다. 혹은, 이 이론의 순서는 반대일지도 모른다. 다시 말해, 범죄를, 책임을 인정하고 싶지 않기 때문에, 개인을 상대로 하지 않는다라고 하는 것일지도 모른다.
 이런 것을 생각하기 시작한 것은, 작금의 전시 보상 문제가 조금도 진행하지 않는다라고 하는 현실로다. ·…」 (『731부대』쓰네이시(常石) 게이이치(敬一) 저:고단샤(講談社) 현대신서(신간서적):1995년)
※731부대와 천황 일본은 중일전쟁이 시작되기 전부터, 전쟁에 이기기 위한 최신병기의 개발에 열을 올리고 있었다.
자원과 자금에 모자란 일본은, 싸게 할 수 있는 강력한 병기(빈자의 핵폭탄)의 개발을 목표로 했다.
 거기에 드러난 것이 이시이(石井) 시로(四郎)이었다. 그가 설득하는 세균 병기(생물병기)에 군부·천황이 귀를 기울이고,그리고 천황의 인가 아래, 그것을 실행에 옮겼다. 중국 하얼빈의 교외 히라보(平房)가 광대한 부지에 연구시설을 재배하고, 도쿄(東京)의 육군군의학교나 그 밖의 이시이(石井)의 네트워크와 연계하면서, 중국인·조선인·러시아인·몽고리아인등을 몰타라고 칭해서 생체 실험·생체해부등을 하고, 시행 착오를 거듭하고, 보다 강력한 세균 병기의 개발을 목표로 했다.
 거기에서 개발된 세균폭탄(도자기폭탄)은 중국의 도시에서 실전 되었다. 페스트균(plague bacteria)으로 많은 피재자를 내 도시는 혼란했다.
 연구 성과는 생각했던 것보다도 오르지 않고, 병기의 개발을 서둘렀지만, 때 이미 늦게, 소련의 참전을 허용해버렸다.
 소련이 참전하자마자, 군부·천황은 재빨리 731부대의 증거은멸을 재고, 건물을 폭파하고, 수용되어 있었던 몰타를 전원 죽이기, 731부대원을 갑작스럽게 일본에 되돌렸다.
 이것도 전쟁 범죄가 발각되면, 천황에게도 그 책임이 문제되게 되기 때문이다.
 731부대에도 몇사람인가의 황족이 오고 가고, 실제로 731에 영향을 미치고 있었던 황족도 있었다. 도조(東條)도 발길을 옮기고, 대원수 쇼와(昭和) 천황의 귀에도 731에 관한 정보는 들어 있었을 것이다.
 막대한 예산을 걸고, 전국이 우수한 의학자를 모아서 만들어진 731부대는, 군부·천황이 가장 기대하고 있었던 부대가 아니었던 것인가?
  전후 731부대간부는 미국과 밀약하고, 731부대원의 전범면책과 바꿔 인체 실험에서 얻은 연구 성과를 얼마 안된 돈으로 미국에 매도했다.
 왜, 미국은 인도에 어긋나는 생체 실험을 하고 있었던 731부대원의 전범면책을 한 것일지가 의문에 남는다. 그 대답은, 천황의 전쟁 범죄의 면책이 아니었던 것인가?
 소련이 이시이(石井)의 인도를 미국에 요구했을 때, 미국은 귀중한 ? 데이타가 소련에 건너버리는 것을 두려워했다. 미국은, 먼저 그 데이타를 독점하고, 늦고 있었던 자국의 세균전 연구에 쓸모있게 하고 싶다라고 할 방침으로부터, 허푼 돈으로 그 데이타를 731부대간부에게서 매입하고, 731부대원을 전범면책으로 되게 했다. 데이타를 독점하는 것도 큰 목적이었지만, 또 하나의 큰 목적은, 천황에게 그 책임이 미치지 못하도록 하는 것이었던 것이 아닐까?
 (독일에서는 인체 실험에 관련된 의사등이 「Nurnberg 계속 재판」에 의해 미국의 손에 의해 재판되어 있다! 최고책임자 히틀러는 이미 자살하고 있다. )
 일본정부와 미국은, 함께, 731의 은폐를 도모하고, 이것이 도쿄(東京) 재판으로 심판되지 않는 님으로 하고, 그 잔학한 사실이 국민 앞에 공표되지 않도록 했다.
 맥아더는 일본 점령에 즈음하여, 쇼와(昭和) 천황의 힘을 잘 이용해서 일본을 통치하자로 했다.
그 천황을 전범에게서 떼기 위해서도, 미국은 731부대에는 접촉하고 싶지 않았던 것이 아닐까?
 그것 결과, 재판으로 국민 앞에 731의 정보가 공개되지 않고, 추구도 되지 않은 것이기 때문에, 대원수 쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임은 문제되지 않았다.
 현재의 일본정부의 731부대의 세균전이나 인체 실험의 실행에 관한 견해는, 나에게는 모른다. (지금 문의 중)(노브)


●731부대와는 어떤 부대이었던 것일까? 전 (元)731부대원의 고백기를 보아 가자. 고시(越) 사다오(定男) 저(전 (元)간토(關東)군 제731부대 제3부본부부운수 반원) 『일장기는 빨간 눈물 (같은 정도다)에』 (발행소:교육 사료출판회)이라고 하는 책을 보고 싶다고 생각한다.

 고시(越) 사다오(定男)(허리·사다오)… 1918년3월 나가노시(長野市)에 태어난다.
1934년 공업고교 기계과를 졸업. 1939년에 만주에 건너는, 제642부대에 입대. 1941년 제731부대(이시이(石井) 부대)에 입대. 이후 4년간 세균반을 비롯해 운수반등에 근무. 1945년8월 패전에 의해 철수, 9월 나가노(長野)에게 도착한다. 전후 제731부대원으로서의 경력을 숨기면서 고난의 나날을 보내고, 현재에 이른다.


●731부대

『일장기는 빨간 눈물에』 (고시(越) 사다오(定男) 저:교육 사료출판회)에서

Ⅵ 자연히 보여서 죽인 것은 누군가 나는 이 죽음을 무슨 일이 있어도 인정하고 싶지 않았다. 그러나, 나의 그런 기분에 관계 없이, 때의 경과는 잔혹에도 「겐이치(憲一)의 죽음」이라고 하는 현실을 나에게 들이댔다.
 그리고, 한쪽에서 냉정한 목소리가 「아들은 세균실험의 희생이 된 것이다」라고 속삭이고 있었다. 병상으로 보아서 페스트균(plague bacteria)에게 당한 것은 명확했다. 내가 부대에서 날라 와서,그리고 저항력이 없는 갓난아기에게 감염한 것일지도 모른다. 그렇지만, 확실한 감염 경로는 어떻게 생각해도 몰랐다.
 그러나, 731부대에서 태어난 것이 이미 숙명이었던 것이다. 이런 장소를 부모가 뽑지 않으면, 겐이치(憲一)는 죽지 않아도 좋았다. 겐이치(憲一)는 내가 죽인 것일지도 모른다. 아니, 내가 죽인 것이다.
 사망 진단서에는, 감기를 악화시켰기 때문과 씌어져 있었다. 그러나, 믿을 수 없었다. 아무에게도 그것을 확인하는 것등 할 수 없고, 진단서를 그대로 받아들여서 한결같이 참지 않으면 안되었다.  사망 신고에는, 어린이가 죽은 히라보(平房)의 주소가 아니고, 강성·哈爾홍(洪)(하얼빈)지린 에이(衛) 36호라고 하는 이시이(石井) 대장의 주소가 씌어져 있었다. 우리들이 살지 않고 있는 주소가 아들의 사망 신고에 명기되어 있었던 것이다. 왜 그러한게 되는 것인가, 이 때는 잘 몰랐다.
 화장은, 나와 2명의 대원이 입회하고, 저녁부터 시작되었다. 몰타의 경우는, 구내의 사체소각장에서 구워지는 것이지만, 일본인희생자는, 비행기 활주로의 변두리에서, 땔나무에 가솔린을 걸고, 양철판(iron sheet)을 씌워서 구워지는 것이다.
 대륙의 밤은 깊다. 밤 하늘에 가득히 푸른 별이 뿌려 놓아져 있다. 그리고, 그 진홍의 불기둥만이, 소리를 내서 불타고 있었다. 겐이치(憲一)는 별이 된 것이다. (내일에 이어진다)

※어린이가 페스트균(plague bacteria)에게 감염했니? 어른은 저항력이 있었니? 부인도 조금씩 저항력을 할 수 있었던 것인가? 잘 모르다. 그러나, 평소, 세균에게 접촉하고 있는 일이기 때문에 그렇게 지도 모른다. 무서운 일이다. 다비에는 부인은 입회하지 않은 것인가?
 정말로 대륙의 밤은 만천의 별에서, 아주 맑게 트이고 있었을 것이구나.
 1사람이 있으면 무서워지는 것 같은 깊은 깊은 밤이구나. (노브)

●난징(남경)(Nanjing)대 학살

「이 사실을 ·…」

(「난징(남경)(Nanjing)대 학살」생존자증언집:侵화일군 난징(남경)(Nanjing)대 도살遇어려움동포기생각관/편 가토(加藤) 미노루(實)/이유(번역)) (발행:스토크(Stoke), 발매:성운사, 정가 2000+세)

※우리들일본인은, 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 「이 사실을…」을 겸손에 읽어야 한다고 생각한다.
난징(남경)(Nanjing)에서 어떤 것이 일어나고 있었던 것일지를 더욱 일본인은 알 필요가 있다고 생각한다.
지금도 많은 피해자의 여러분(여기저기)는 PTSD에 고민하고 있다!!


2, 일본군이 광포한 개인적 학살

아버지나 어머니의 피해

강비출발 (남자, 70세)의 증언

 나는 강비출발이라고 하고, 올해로 70세로, 집은 중앙문외의 황가입니다. 일본병이 난징(남경)(Nanjing)에서 중국 인민을 학살한 장경을 상기하면, 대단한 비분에 사로잡힙니다.
 1937년의 미노리(農) 달력 11월11일의 아침, 침침하게 흐리고 있어서, 북풍이 휘몰아 치고, 추위가 뼈에 스며드는 날이었습니다만, 완전무장한 일본병의 한 무리가 소 붉은색산으로부터 뛰어내려와 와서 우리들 구레나이(紅) 신(心) 배마을에 틈입했습니다. 아버지의 강 다테(建) 요(余)는 그 때 이미 60세남짓이었습니다만, 집안으로부터 나오고, 우연히 일본군과 화분 맞췄습니다. 일본군은 총검을 손에 넣어 아버지에게 목적을 지으면서, 입으로 재잘재잘 고함쳐 세우고 있었습니다만, 아버지를 모르므로, 일본군은 열 받고, 총검을 아버지의 목에 목적을 지어서 맹렬히 한 칼 꿰맸으므로, 아버지는 그자리에서 땅에 무너져, 신체중이 피투성이가 되었는데도, 일본군은 그만두자로 하지 않고, 또 안개, 명치를 노려서 한 칼 찌르기, 아버지는 이렇게 해서 산 채 일본군의 총검 밑에 죽은 것입니다.
 어머니가 아버지가 죽은 것을 보고, 일절을 뒤돌아 보지 않고 아버지의 신체에 푹 엎드리고, 와글와글 대울고 있는 것을, 흉악 잔인한 일본군은 또 안개 어머니의 머리를 2칼찌르기, 순간, 어머니는 얼굴이 일면 피투성이가 되고, 혼도해버렸습니다. 일본군은 か인가 크게 웃고, 활개를 쳐서 떠나 갔습니다.
 어머니는 잠이 깨고나서, 산의 동굴에 들어가서 숨겨져, 이미 나와지지 않았습니다. 2일 지나서, 형이 물어서 급히 달려 오고, 동굴로부터 기식(호흡)奄⊙ (와 즉 얻지 않는 얻지 않는다)의 어머니를 구해내고, 팔괘주쪽에 데리고 갔으므로, 어머니는 그래서 드디어 1사를 모면한 것이었습니다. (다카히데 란(蘭)과 오(王) 후미(文) 기요시()와 잎구름이 기록)

   
※어머니는 구했다고는 해도, 상처의 후유증은 대단했을 것이다. 물론, 마음의 상처도 아물 일은 없을 것이다!! か인가 크게 웃은 일본병은 그 후 어떻게 된 것일까? (노브)

※쇼와(昭和) 천황보다 난징(남경)(Nanjing) 점령을 기뻐하는 「말씀」육해군 막료장에 주셔된대 원수폐하 말씀중 시나(支那) 방면의 육해군 제부대가 상해 부근의 작전에 계속되어 용맹 과감한 추격을 행하고, 수도 난징(남경)(Nanjing)을 빠뜨려된 것은 깊이 만족에 생각한다. 이 취지장병에게 전해 드려라. (『난징(남경)(Nanjing) 사건』가사하라(笠原)19사(관)저:이와나미(岩波) 신서(신간서적))

※난징(남경)(Nanjing)대 학살에 대해서는, 외무성이나 군부·아사카(朝香) 미야(宮)에게서 천황에게 보고가 들어 있었을 것이다!!
(노브)

※황족과 난징(남경)(Nanjing)대 학살·… 대보도진에 의해 일본 국민에게 보도되는 「미증유성사, 적의 수도에의 스메라기(皇)군의 입성」일대 세레모니(ceremony)의 날에, 식장은 물론, 장내, 장외에 있어서도, 패잔병이나 평상복병에 의한 게릴라 활동의 류가 있어서는 스메라기(皇)군의 위신을 손상시킬 수 있게 된다. 게다가, 상해 파견 군 사령관·아사카(朝香) 미야(宮) (아침인가 끌이나) 비둘기彦왕중장은 황족으로, 「궁전하」 「미야(宮)님」이다. 천황의 군대의 상징인 황족의 사령관의 몸에, 만약의 스캔들이 발생하게 되면, 천하의 일대사로 당연 관계자의 인책 문제에 연결되었다. 난징(남경)(Nanjing) 성내(城內)의 수도반점에 사령부를 둔 아사카(朝香) 미야(宮)에게 그다지, 각부대에서 류(立)哨를 파견해서 엄중한 경계 체제를 취하고, 「나카야마(中山) 가도(門)의 바로 앞이 있는 곳에서 궁전하(아사카(朝香) 미야(宮))이 입성하기 위해서 (일시)한시 통행 금지가 되어」 (「마키하라(牧原) 일기」)이라고 말하는 특별경비 체제가 잡아질 것도 있었다.
 이렇게 해서, 17일에 입성식을 거행하기 위해서, 난징(남경)(Nanjing) 구스쿠(城)구뿐만 아니라 근교농촌에까지 미쳐서 가혹한 「산적대掃蕩작전」이 전개되어, 학살되는 군민의 희생을 한층 큰 (습득하다)소유했다.
(『난징(남경)(Nanjing) 사건』가사하라(笠原)19사(관)저:이와나미(岩波) 신서(신간서적))

※1946년의 중국 국민정부의 사법 행정부가 작성한 전범 리스트1위의 아사카(朝香) 미야(宮) 하토(鳩)彦왕이야말로 상해 파견 군 사령관으로서 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 직접의 책임자이었지만, 미국 정부와 GHQ가 천황의 면책을 정하고 있었던 것부터, 황족이기 때문에 난징(남경)(Nanjing) 군사재판이라도 면책으로 여겨졌다. ··· (『「100망나니 경쟁」이라고 난징(남경)(Nanjing) 사건』가사하라(笠原)19사(관)저:오쓰키(大月) 서점)… 이것도 이상하지 않습니까? 뒤에서 거래가 있었니? (노브)
●헌법 9조

「Imagine9」 【합동 출판】에서

한사람 한사람의 안전을

소중히 여기는 세계

 또, 지구상의 사람들의 생명과 권리를 지킬 책임은 국제 사회 전체적으로 있다,라고 하는 사고방식도 퍼지고 있습니다. 예를 들면, 나라 안(속)에서 분쟁 상태나 인권침해가 어느 날에, 그 나라의 정부가 「이것은 나라의 내부의 문제이기 때문에 외국은 말참견하지 마라」등이라고 하는 것은, 이미 용서되지 않습니다. 나라와 나라가 전쟁을 하지 않고 있다고 하고, 그것은 평화를 의미하지 않습니다. 사람들의 생명이나 권리가 위협되어 있는 한, 그것은 평화스럽지 않습니다.
 일본국헌법에는, 9조와 함께, 또 하나 중요한 부분이 있습니다.
그것은 전문의 다음 말입니다.
「우리들은, 전세계의 국민이, 같이 공포와 결핍으로부터 모면해, 평화의 사이에 생존하는 권리를 소유하는 것을 확인한다」

 세계에는, 전쟁에 가는 것을 옳은 것이 아니다고 생각하고, 군인에게 가는 것을 막는 사람들도 있습니다. 이것을 「양심적 병역거부」의 권리라고 부릅니다만, 이 권리를 국제적으로 보장하자고 하는 움직임도 활발화하고 있습니다.
 평화는, 나라에서 시민에게 내려 오는 것이 아니고, 시민이 나라를 움직이고, 국제 사회를 움직여서 만들어 내 가는 것입니다.
  
제구조 【전쟁 포기, 군비 및 교전권의 부인】

하루 본 국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제평화를 성실에 희구하고, 국권의 발동된 전쟁과, 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영구히 이것을 포기한다.

2전항의 목적을 이루기 위해서, 육해공군기타의 전력은, 이것을 보유하지 않는다. 나라의 교전권은, 이것을 인정하지 않는다.

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れた。アメリカは、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金でそのデータを731部隊幹部から買い取り、731部隊員を戦犯免責にした。データを独り占めするのも大きな目的であったが、もう1つの大きな目的は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒に、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
その天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追求もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅵ 勢いみせて
長男憲一が死んだ
 それから1年たった秋、私たち夫婦がもっとも悲しむことが起こった。
 私が帰宅すると、妻は不安そうな顔で、「熱40度もあるの」と言った。「どうして早く医者に診せないんだ」と私は怒った。
 熱でグッタリしている憲一を抱いて、診療所にかけこんだ。そういえばここ数日憲一は熱っぽく、いつもの元気はなかった。医者は直ちに入院するようにいい、「歯が抜けてきた」と一言だけ言い残し、病名も告げずに診療室から出て行った。
 最後の一言が、私の全身を凍らせた。私の受けたつたない衛生学の知識でも、それはただならぬ症状であることがわかった。その後の医師や看護婦のあわただしい動きが、それを裏付けていた。私は敗血症ではないかと思った。
 その日から一週間、私は寝ずに必死で看病した。しかし、高熱におかされる憲一を完全に癒してやることは、もう私たちにはできなかった。ただそばにいて「代わってやることができるなら」と心を痛めることしかできなかった。
 グッタリとした憲一が、ふと「アーちゃん」と覚えたての言葉を、かすれた声で言った。それが憲一の声を聞いた最後だった。
 昭和19年9月5日午前1時30分、添い寝している私が、憲一に足でけられたように感じ、はっとしてとび起きた。憲一は一度大きく、しかもゆっくり息をして静かになった。
 妻は「憲一、憲一ッ!」と叫び、私は医者を呼びに飛び出した。医者が来て、憲一の細い腕に何本もの注射がうたれた。しかし憲一の体はピクリともしなかった。
 憲一は死んだ。あっけなかった。
 こんなに私たちが愛しているのに、何者かが憲一を奪っていったのだ。(明日に続く)

※越さんのわが子に対する愛情は熱いものが感じられる。何とよきお父さんなのだろう!!添い寝までして我が子看病をしている。あまりにも人間的な熱い愛情だ!!組織で仕事となると冷酷な人間にだれしもなってしまうのか?そういえば、ナチスのユダヤ人収容所の所長も休日は家族で暖かい団らんを過ごしている映像を見た記憶がある。(ノブ)

参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
 
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

王松泉(男、59歳)の証言

 1937年末に、日本軍が南京を占領する前に、家中の者で避難しに沙洲圩まで逃げましたが、南京の北珍珠巷125号の家には父と兄だけが門番に留まっていて、日本軍が南京を占領してから、家の家屋4軒に火を放って焼き払った、その火がついた時に、父が外へ駆け出し、その場で日本軍に銃剣で刺し殺され、兄が北珍珠巷から地蔵庵のそばの沼(今の南京圧鋳廠)まで駆けていった時に、沼に跳び込み、追いかけて来た日本軍に発砲され撃ち殺されました。父は人力車ひきでして避難した時は50歳余りで、兄は見習い職人で、死んだのは19歳でした。日本軍が南京を占領してから1ヵ月余りして、私たち沙洲圩から戻って来ましたが、その道で死人を少なからず見かけ、婦人が小さい子どもを抱いて一緒に死んでいたり、老人や青年の人の屍もあったりもしました。南京に戻ってから、父と兄の屍を片付け埋葬しましたが、ほかにも屍が5,6体あって、どれも私たちの知らない人でしたが、みんな日本軍に殺害されたものでした。
 このほかに、私が沙洲圩でこの眼で見たのですが、10歳余りの子どもが家鴨を放し飼いしていて、日本軍が食べるのに家鴨をつかまえようとし、子どもが日本兵にはつかまえさせまいと、家鴨を沼の方へ追いやったので、日本兵が発砲して家鴨を放し飼いしている子どもをその場で撃ち殺してしまったのでした。(肖仲煌が記録)

  
※肉親を失うショックは多感な時期だけに相当なものがあるだろう!
 日本兵も食糧に困っていた。中国の子どもから家鴨略奪しなければ生きていけなかったのか?それにしても、家鴨をつかまえて食べればよいものを子どもまで殺すとは!(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

ひとりひとりの安全を

大事にする世界


 これまで多くの人々は、平和とは「国を守ること」と考え、国を守るためという目的で大きな軍隊がつくられ、国の中での争いが放置されてきました。しかし近年では、「国家の安全」だけではなく「人間の安全」という考え方を大切にしようという事が、世界的に言われ始めました。
 緒方貞子・元国連難民高等弁務官などが中心となった国際専門家委員会が、2003年に「今こそ"人間の安全保障”を」という報告書を発表し、国連に提出しました。そこには、「国どうしが国境を越えて相互依存を深めていく中、国家ではなく人々を中心とした安全保障の考え方が今こそ必要である」という事が述べられています。
 武力紛争下の人々、国境を越えて移動する移住労働者たち、国内外に逃れる難民たち、極度の貧困、HIV(エイズ)などの感染症との戦い、女性の性と生殖に関する健康といった問題は、「国家の安全」だけを考えていたら見落とされてしまいがちな、しかも深刻な「人間の安全」に関わる問題です。

 2005年の国連世界サミットでは、「人間の安全保障」という言葉が初めて最終文書に盛り込まれました。じつは、これを推進したのは日本政府でした。「人間の安全保障」という考え方は、「武力によらずに平和をつくる」という憲法9条の考え方と通じ合うものがあります。私たちは、こうした考え方をもっと世界の中で広めていく必要があるでしょう。



 
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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"Martha"* cry of "Asian victim"! !

"Flag of the Rising Sun"* "Kimigayo" it's opposite! !, (symbol of an invasion) (song of emperor praise) New Japan! !

"I'm chosen from a hereditary Imperial system and do, and it's to a presidential system!" (I ask about Emperor Showa's war responsibility.)

● Why doing Japanese Government's always admit almost no 731 units of existence and the brutality to speak using evidence material to Japan and the* foreign journalists after the war for them or, if, I'm correcting for a writer. That's also the question by which a writer is for oneself, but in case of has answered as follows much. If it's the biggest cause that 731 units of hiding was performed by just after the loss and Japan and U.S. combination. Japan could take fact of a human body experiment and use of biological weapons down from the center stage of history by that. On the other hand the United States could monopolize data by a human body experiment by Ishii's network. It was stated at the first chapter that a secret treaty of this Japan and U.S.
failed in 1986, but even if there are probably no secret treaties, unfortunately Japan would try to hide a brutality of Ishii engine. Still a secret treaty of Japan and U.S. was to make an accomplice called the United States get it, and that the role of reducing a Japanese mental burden in criminal hiding was played, I'll get a word.
There is another existence which became a big prop for mental burdened reduction in Japanese war crime hiding. That's Emperor Showa's existence. A writer was a network of Ishii who meets and has heard talk so far, and the one the medical scientists who were studying took with one voice was a word as "emperor's honor". Or a scientific research was being performed for a country because researchers of Ishii's network were an emperor by logic in their feeling. Therefore the brutality which is never performed primarily was sanctioned and carried out with "for country" "for emperor" by itself. In other words, they were making themselves convinced "A brutality was performed for an emperor." Because it's that, it's the reason which will bring disgrace on the top that an emperor tells his crime a country doesn't admit.
A country, Japan has clung to a secret treaty of Japan and U.S. just after the loss and to protect an emperor. As a result, no human body experiment Ishii's network did, victim's research excavation of a creature competition and compensation are done in this Japan. Perhaps this is reeled off 1 of firm structure a country called Japan has. An individual is located in a lower rank than a state basically for that, the structure which is never equal. Even if I compensate a state for other ones by the results and peace pacts, etc., the attitude which isn't compensated to an individual will be got. The criminal fact which is the past as a country for it, responsibility about that can't be admitted again. Or an order of this theory may be reverse. Or a crime, because I don't want to admit responsibility, it may be the one said that which doesn't make the individual a partner.
It's from the actuality an indemnification problem doesn't advance at all wartime these days that I have begun to think of this. .... ".
( "731 units" Tsuneishi Keiichi work: Kodansha Publishers present-day new publication: 1995)
※ 731 units and emperor Japan was working on development of the most modern weapon to win the war from the front where the Sino-Japanese war starts.
Japan scarce in manpower and funds aimed at development of an inexpensive and made strong weapon (poor man's nuclear bomb).
It was Shiro Ishii that it appeared there. The military and an emperor listened to the germ weapon he explains (biological weapons) and emperor's bottom of approval and that were put into practice. I called a Chinese, a Korean, a Russian and a Mongolian Martha, did a living body experiment and a vivisection, piled up trial and error and aimed at development of a more strong germ weapon while making a vast site in suburb Hirabo of Chinese Heerhpin a research institute and cooperating with a network in the army army medical student school in Tokyo and other Ishii.
So a developed bacteria bomb (pottery bomb) was a Chinese city, and actual fighting was done. A city took out many victims of an accident and was confused by a plague bacillus.
I didn't go up and hurried development of a weapon more than I thought of a reserach achievement but time has been late already and has permitted entry into the war of the Soviet.
As soon as the Soviet entered the war, the military and an emperor planned for 731 units of destruction of evidence and blew a building up immediately, and all the members killed accommodated Martha, and a member was returned to Japan in a hurry 731 copies.
This will be also because the task will be taken an emperor to, too,when a war crime comes out.
Several royalty also associated with 731 units, and there was royalty who concerned 731 indeed, too. Tojo goes, too and information about 731 should also reach ears of generalissimo Emperor Showa.
Weren't 731 units which bet the huge budget, gathered excellent medical scientists in the whole country and made the military and the unit an emperor expected most?
731 unit executive made a secret treaty with the United States after the war, and the reserach achievement I got 731 copies by a human body experiment in exchange for member's war criminal immunity from responsibility was sold for a little money in the United States.
It's left in a question why the United States did war criminal immunity from responsibility of 731 copy member who was doing a living body experiment contrary to humanity. Wasn't the response immunity from responsibility of emperor's war crime?
Is the United States valuable when the Soviet requested Ishii's delivery of the United States? I was afraid that data passes to the Soviet. The United States monopolized the data first, and 731 units of the data was bought from an executive by small change and the member was made war criminal immunity from responsibility 731 copies from the policy I'd like to use for a behind schedule germ warfare study in an own country. It was also a big goal to monopolize data, but maybe was another big goal to make sure that the responsibility won't come to an emperor?
(The doctor who concerned a human body experiment is judged by the United States by "Nurnberg continuation trial" in Germany! Highest officer Hitler commits suicide already.) As Japanese Government and the United States planned for concealment of 731 together, and this was Tokyo Tribunal of War Criminals and weren't judged, I made sure that the cruel fact won't be published in front of the people.
MacArthur tried to use the power of Emperor Showa well and govern Japan in case of Japanese occupation.
Maybe didn't you want to touch 731 units in the United States to remove the emperor from a war criminal?
Because that was a result and a trial and information on 731 wasn't exhibited and was the one which wasn't pursued in front of the people, war responsibility of generalissimo Emperor Showa wasn't asked about.
I don't understand a view about the present 731 units of germ warfare of Japanese Government and execution of a human body experiment. (I'm inquiring about it now.) (Nob)

● What kind of unit were 731 units? I'll see a former 731 copies of member's confession account. 越 I'd like to see the book called Sadao work (former Kwantung army transit group member with a 731st unit 3rd copy head office) "for a flag of the Rising Sun, in red tear (tear)" (publishing office: Educational publication meeting of historical sources).

I'm born in Nagano-shi in March in 1918, 越 Sadao (lower back and Sadao)....
I graduate from an industrial high school mechanical engineering course in 1934. I join up in the 642nd unit which migrates to Manchuria in 1939. I join up in the 731st unit (Ishii unit) in 1941. I work at a transit group including an after 4 year bacteria group. I leave by loss and arrive at Nagano in September in August in 1945. Suffering every day is sent while hiding the 731st copy of background as a member after the war, and it's to present.


● 731 units "For a flag of the Rising Sun, in red tear" (越 Sadao work: Educational publication meeting of historical sources) lay Ⅵ Momentum is shown, and that a married couple feels sad about the autumn when 1 year has passed after that and us of which eldest son Kenichi died most has happened.
When I went home, my wife called it "Also to have 40 times of fever." by the face they seem anxious about which. If it "was why don't that you have it examined by a doctor early", I was scolded.
I held Kenichi exhausted by heat and ran into a medical office. When saying so, Kenichi was feverish for these several days, and usual vigor was not. It's good as a doctor will be hospitalized immediately, "A tooth can have been pulled out.", only a word was left and without also telling a name of disease, went out from an examination room.
The last word could freeze my whole body. The clumsy hygienic knowledge I received also showed that that is the unusual symptom. It's after that, the movement with which a doctor and a nurse are busy lined that. I thought I had sapraemia.
Without sleeping, for one week, I was desperate and nursed from the day. But we couldn't do to heal Kenichi violated by a high fever perfectly any longer. I was near free, and you could assume "If it was possible to switch." only being worried.
Kenichi who did wearily called the word which has been just remembered "aah" suddenly with voice blurred. That was the end when Kenichi's voice was heard.
I found me who lies by the side at one thirty a.m. on September 5th in 1944 to have been booted by Kenichi by a foot, was startled and jumped out of bed. Kenichi breathed slowly big and moreover once, and it became quiet.
My wife cried "Kenichi and Kenichi!", and I ran away to call a doctor. A doctor came, and many injections were struck by Kenichi's thin arm. But Kenichi's body wasn't also made PIKURI.
Kenichi died. It was disappointing.
Though we were loving so much, whether you were no persons was taking Kenichi away. (Following tomorrow) ※ Something hot can find not to come for affection to my child. Surprisingly, I'll be a good father! !, I'm lying by the side and am doing my child nursing. Too human hot affection! !, when I work by the organization, is everyone cruel man? When saying so, a holiday has the memory which judged the picture spending a warm happy circle from the family a general manager of a division in a Jewish camp of the Nazis, too. (Knob)
● Nanjing Massacre "Of this fact.... " (The "Nanjing Massacre" survivor testimony collection: The 侵華日軍南京大屠殺遇難 brother period sense house/volume Makoto Kato/translations) (issue: Stoke sells it: Nebula company and fixed price 2000+ tax)

※ We, Japanese is Nanjing Massacre, I think "of this fact,*.. " should be read modestly.
I think Japanese has to know what kind of thing had happened in Nanjin more.
Many victims worry in PTSD even now! !


Furious personal slaughter of 2 and the Japanese military Damage of my father and mother Testimony of O Matsuizumi (59 years old for a man) Before the Japanese military occupied Nanjin at the end of 1937, I escaped to 沙洲 to take refuge by the whole family's person, but when when having set fire to 4 houses in a house and having caught its fire burned off after only my father and elder brother were staying at a gatekeeper in a house on number 125 of Kita Chizu street in Nanjin, and the Japanese military occupied Nanjin, my father bolted to outside and was stabbed by the Japanese military to death by a bayonet by the place, and my elder brother was running from Kita Chizu street to the marsh near the Jizo hermitage (Nanjin 圧鋳廠 now), I jumped in a marsh, and it was crowded, and a gun was fired by the Japanese military which have chased it and have come, and it was shot to death. The fatherhood was a jinricksha pull, and when taking refuge, the one by which my elder brother followed and died of a craftsman by about 50 years old was 19 years old. After the Japanese military occupy Nanjin, it's done for about 1 month, and we have returned from 沙洲, in the field, a dead person, it wasn't little and a woman came across it and held a small child and died together, and there was also a corpse of aged people and youth's person. A corpse of my father and elder brother was put away and it was buried after he returned to Nanjin but there were other 56 corpses, and he was the person from whom we learn about none, but everyone had been killed by the Japanese military.
Additionally I judged from these eyes in 沙洲, about 10-year-old child has a duck run loose, and a child is going to catch a duck in the Japanese military's eating, and that wouldn't make a Japanese soldier catch, a duck was driven away to a way to the marsh, so a Japanese soldier had fired a gun and had shot the child who has a duck run loose to death by the place. (肖仲煌 records.)

※ There would be something considerable only at susceptible time for the shock deprived of an immediate family!
A Japanese soldier was in trouble about a food, too. When not plundering a Chinese child of a duck, couldn't I live? Even though that even a child kills the one which should catch and eat a duck! (Knob) ※ Generalissimo Majesty word which gives the "word" gladder about Nanjin occupation than Emperor Showa to the army and navy staff chief, and is enough After the strategy by which the army and navy several units in a 中支那 district are around Shanghai, I chase daringly boldly, and metropolitan Nanjin is entrapped and thinks to be enough satisfactorily deeply. Tell to these effect officer and man. ( "Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Iwanami new publication) ※ A report should be included in an emperor from the Ministry of Foreign Affairs, the military and Asakanomiya about Nanjing Massacre! !, (knob)

※ Since there is also a kind of guerrilla activity by a defeated soldier and a flight soldier of clothes in the inside of the hall and the outside of the hall as well as a ceremonial hall on a day of the "of an Imperial Army to the capital of the 未曾有 grand enterprise and the foe, entering" grave ceremony which will be reported by royalty and Nanjing Massacre.... great press to Japan people, the prestige of the Imperial Army will be damaged. Moreover Yasuhiko king lieutenant general is royalty, and Shanghai dispatch sardar and Asakanomiya (Well, well, that, it's seen and that isn't liked.) are "under palace" "Imperial prince". For commander's body of the Imperial House which is a symbol of emperor's military, if, when a disgraceful affair occurred, it led to the person concerned's taking problem of course by a serious matter in the world. A special guard organization as ( "Makihara diary") dispatched 立哨 from each unit and got a strict security cordon to Asakanomiya who put headquarters at the metropolitan Chinese restaurant in the Nanjin castle and "For (Asakanomiya) under the palace to enter in a place immediately just before Nakayama gate, you didn't become able to pass temporarily." was got.
Severe "大掃蕩 strategy of enemy remnants" even equaled a neighboring farm as well as the Nanjin castle ward, and was developed to hold the entry system on the 17th in this way, and the armed services and common people's slaughtered victim was made something bigger.
( "Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Iwanami new publication)

※ Asakanomiya Yasuhiko king on the 1st place of war criminal list a judicial administration department of Chinese Taiwan government in 1946 made was a direct person in charge of Nanjing Massacre as Shanghai dispatch sardar, but because the American government and GHQ had decided emperor's immunity from responsibility, I was royalty, but therefore even the Nanjin military tribunal was made immunity from responsibility. ... ( " "One hundred murderers compete.", Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Otsuki bookstore)... isn't this also strange? Did you have an account at the back? (Knob)
● 9 articles of constitution "Imagine9" [It's published jointly.] lay Individual's safety.

The world made important Big military were made with a goal as the purpose by which many people think "To protect a country." and protect a country with Heiwa up to now, and a quarrel in the country was being left. But to make the way of thinking as "human safety" as well as "state safety" important in recent years has begun to be called worldwide.
The international panel meeting of experts in which Sadako Ogata and former UN High Commissioner for Refugees took the leading part has released the report to which I say "now, of" human security"" in 2003 and has submitted it to UN. It's stated to say there "During deepening interdependence beyond the border, a way of thinking of the security which made the people the center, not a state needs one between the country now." The expatriate worker people under the force trouble move beyond the border, domestic and abroad, a problem of the "human safety" a problem such as a female sex and health about reproduction fights and if only "state safety" is considered, is often overlooked and moreover which is serious with an infection of the refugees who escape, extreme poverty and HIV (AIDS) etc..

A word as "human security" was incorporated into a first last document by the UN world Summit in 2005. Well, it was Japanese Government that this was promoted. There is something to communicate with a way of thinking of 9 articles of constitution to which I say "In spite of the force, peace is made." for a way of thinking as "human security". We'd have to be spreading more such ways of thinking in the world.




Beethoven's symphony No. 9 article [renunciation of war, armaments and denial of right of belligerency] 1 Japan people crave the justice and the international peace which makes the order the basis sincerely, and use of intimidation by a movement barrel war of power of the state and the force or the force gives this up forever as the means to settle an international dispute.

2 To achieve a goal of the preceding clause, the fighting power of the land, sea and air forces and other things doesn't maintain this. National right of belligerency doesn't admit this.

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「马耳他」·「亚洲的牺牲者」的呼声!!

「太阳旗」·「君之代」反对(面)!!
(侵略的符号)(天皇赞美的歌)

新的日本!!

向「从世袭的天皇制被选的做总统制!」
(问昭和天皇的战争责任。)

●战后日本···「面向外国的记者们采用证据资料说的话,他们几乎决定,为何日本政府不认为那个野蛮行为是731部队的存在,向笔者质询。对笔者自己来说的疑问也有那个,不过,是多的情况,象下面一样地回答了。战败紧接之后,用日美联合731部队隐藏进行了的事是最大的原因。根据那个日本,能从历史表面舞台放下人体实验和生物兵器使用的事实。另一方面美国,能独占由于在石井的网络的人体实验的数据。这个日美的密约1986年失败了的事用第一章叙述了,不过,恐怕即使没有密约,日本虽然是遗憾也打算遮住但是石井机关的野蛮行为吧。尽管如此日美的密约,能说完成了由于让美国这个共犯者占便宜的事,在犯罪隐藏中减轻日本的精神的负担这样的作用。
 在日本的战争犯罪隐藏中,有成为了为了精神的负担减轻的大的支柱的再1个存在。那是昭和天皇的存在。用笔者到现在为止相会听了话,石井的网络研究的医学者们异口同声说的,是「天皇的名誉」的言词。他们的心情中的逻辑,石井的网络的研究人员们为了因为天皇,或是国家进行着科学研究。因此自己正当化「因为天皇」「因为国家」,实行了要是本来绝对不进行的野蛮行为。总之他们,使之理解着自己「为了天皇进行了野蛮行为」。所以,天皇,叙说国家没承认的自己的犯罪的事,应该损害政府的名誉的。
 为了保护国家,并且天皇,日本战败紧接之后的日美的密约紧紧抱住。作为那个结果,在这个日本,石井的网络去了的人体实验和生物战的牺牲者的发掘调查和补偿什么都没被做。恐怕这个,日本这个国家有,来自(源于)1个坚固的构造。那,基本性地个人是自国家位于后面,绝对不对等的这样的构造。那个结果,对由于和平条约等除了以外的国家的赔偿去,对个人也不补偿这样的态度被取的。为此,作为国家过去的犯罪的事实,同时不能承认关于那个的责任的。这个讨论的顺序说不定逆。即,据说说不定不想承认责任犯罪,不把个人作为对方。
 从开始考虑这样的事的,近来的战时补偿问题毫不前进这样的现实。····」
(『731部队』常石敬一著:讲谈社现代新书:1995年)

※731部队和天
皇日本致力于为了从日中战争开始之前开始,在战争中获胜的最新兵器的开发。
对资源和资金缺乏的日本,便宜地能的强有力的以兵器(穷人的核炸弹)的开发作为目标。
 在那里出现了的是石井四郎。他说明的细菌武器(生物兵器)军部·天皇倾听,并且对天皇的认可下,那个进行了实行。把研究设施做成中国哈尔滨的郊外平房的广大的地基,与东京的陆军军医学校和其他的石井的网络一边联合,一边称中国人·朝鲜人·俄罗斯人·蒙古人等马耳他做生物实验·生物解剖等,反复试行错误,以更强有力的细菌武器的开发作为目标。
 在那里被开发了的细菌炸弹(陶器炸弹)在中国的城市实战被做了。用鼠疫菌驱出多的受灾者城市混乱了。
 比想都不获得研究成果,紧了兵器的开发,不过,时候已经允许了晚,苏联的参战。
 苏联刚刚参战,军部·天皇很快地测量731部队的证据湮灭,就爆破建筑物,全体人员急忙返还了到日本被收容的马耳他杀人,731部队员。
 这个战争犯罪也暴露的话,天皇那个责任也被问的。
 731部队几个人的皇族也往返,实际关乎731的皇族也在。东条也来,关于731的信息也应该进入大元帅昭和天皇的耳朵。
 上莫大的预算,聚集全国的优秀的医学者被做(制作)了的731部队,不是军部·天皇最寄予期待的部队吗?
  用一点点的钱给(对)美国交售了战后731部队干部与美国密约,在731部队员的战犯免除责任和交换里(上)用人体实验得了的研究成果。
 为何,美国做了做违犯人道的生物实验的731部队员的战犯免除责任在疑问里(上)留下。那个回答,不是天皇的战争犯罪的免除责任吗?
 苏联美国要求了石井的引渡的时候,美国贵重的?害怕数据传到了苏联的事。从美国,先独占那个数据,供想迟到的本国的细菌战研究使用这样的方针,用做了的钱从731部队干部买下那个数据,把731部队员做为战犯免除责任。独占数据也是大的目的,不过,再1个大的目的,不是象天皇那个责任是达不到一样地吗?
 (在国被人体实验有关的医生等根据「Nurnberg继续审判」根据美国的手裁判!最高负责人希特勒已经自杀。)
 象日本政府和美国,对一起,要安排731隐藏,这个以东京审判不被裁判的那样,那个残酷的事实国民前不被公布一样地。
 麦克阿瑟在日本占领时,很好地利用昭和天皇的力量打算统治日本。
为了从战犯取下那个天皇也,美国不想不是碰731部队吗?
 因为那个以结果,审判国民前731信息不被公开,追求也不被做,大元帅昭和天皇的战争责任没被问。
 关于现在的日本政府的731部队的细菌战和人体实验的实行的见解,我不明白。(现在咨询中)(把手)


●与731部队是怎样的部队?查阅原731部队员的坦白记。我越定男著(原关东军第731部队第3部分本部付运输班组成员)想『太阳旗红在眼泪(是没有)』想查阅所说的(发行所:教育史料出版会)的书一下。

 越定男(腰·Sadao)···1918年3月长野市生。
1934年毕业工业高中机器科。1939年传到满洲,第642部队入队。1941年第731部队(石井部队)入队。运输班等工作以细菌班为首以后4年。根据1945年8月战败撤回,9月到达长野。一边遮住作为战后第731部队员的经历度过苦难的每天,达到现在一边。


●731部队

『太阳旗红在眼泪』(越定男著:教育史料出版会)

从Ⅵ势必显示
长男宪一死了
的 那(样)1年发生了只秋天,我们夫妇最感到悲哀的事。
 我回家的话,妻子用看起来不安的脸,说了「有热40度」。我发火不「怎么早点儿给(对)医生让医生看病」。
 抱由于热(度)筋疲力尽做的宪一,跑进了诊疗所。那么说来这几天发烧,没有宪一平时的精神。医生象立刻住院一样地好,只一句话落了没说「牙齿脱落了」,病名也不宣告从诊疗室出了去。
 最后的一句话,使之结冰了我的全身。我受到了的拙的卫生学的知识,那个也明白了不寻常的症状。此后的医生和护士的慌张的运动,证实着那个。我想不是败血症吗。
 从当天开始一周,我不睡拼命护理了。可是,高热完全治疗被侵犯的宪一的事,已经对我们不能。只有在旁边心疼痛「如果能替换的」事以外不能。
 作为筋疲力尽的宪一,偶然把记的言词,由于嘶哑的声音称为了「a」。是那个听了宪一的声音的最后。
 昭和19年9月5日上午1点30分,旁边陪着睡的我,象被宪一用脚踢了一样地觉得,突然做飞起来了。宪一大一次,而且慢慢地呼吸安静了。
 妻子「宪一,宪一!呼喊」,我招呼飞出了医生。医生来,对宪一的小的手臂几个注射被打了。可是宪一的身体pikuri一起没要。
 宪一死了。太简单。
 这么我们爱,夺取了什么人宪一。(接着明天)

※对越先生的我孩子的爱情能感到热的东西。如何是吉祥的爸爸!!吧到(连)陪睡做做着我孩子护理。是过分有人情味的热的爱情!!谁都成为了用组织要是工作冷酷无情的人吗?那么说来,Nazis的犹太人收容所的所长假日也有看了过以家族暖的团们n的映像的记忆。(把手)
●南京大虐杀

「····这个事实」

(「南京大虐杀」生存者证言集:侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念头馆/编辑加藤实/译)(发行:Stoke,发售:星云公司,定价2000+税)

※我们日本人,想谦虚应该读南京大虐杀的「···这个事实」。
更日本人想是用南京发生着怎样的事的需要知道。
现在多的受害者的各位对PTSD也烦恼!!


2,日军的狂暴的个人的虐杀

父亲和母亲的受害

王松泉(男,59岁的)证言

 在1937年末,日军占领南京之前,以合家的人到沙州逃跑了向(到)避难,不过,被只有着南京的北珍奇玉街巷125号的家父亲和只哥哥门卫,日军占领南京之后,放出到家的房屋4所火烧光了,附有了那个星期二的时候,父亲跑出去到外边,在那个场合被日军用枪和剑刺杀,哥哥从北珍奇玉街巷到(连)地藏草庵旁边的沼(今的南京压铸厂)奔跑了去的时候,跳拥挤到沼泽,追了的日军开枪的被击毙了。父亲人力车是拉避难了的时候由于50岁多,哥哥是学习手艺人,死了的是19岁。日军占据南京之后1个月多余做,从我们沙州返回了,不过,在那个道很多地外观,妇女抱小的孩子一起死了死人,有老人和青年的人的尸体和都做了。返回到南京之后,整理父亲和哥哥的尸体埋葬了,不过,另外也有5,6尊尸体,哪个都是我们不知道的人,不过,全体被日军杀害了。
 对这个之外,我在沙州用这个眼看了,不过,因为10岁多的孩子放养着鸭子,日军吃抓住做鸭子也好,孩子让日本兵不捉住也好,走了到沼泽鸭子,在那个场合击毙了日本兵开枪放养鸭子的孩子。(肖仲煌记录)

  
※丢失骨肉亲人的休克只多感的时期有相当的东西吧!
 日本兵对粮食也感到为难。如果从中国的孩子不鸭子掠夺没能活去吗?即使那样,抓住鸭子吃到(连)孩子扼杀就行了的东西!(把手)

※比起昭和天皇感到喜悦南京占领的「
您的话」陆海军军幕僚长承蒙够的大元帅陛下
您的话中支那方面的陆海军军诸部队为上海附近的作战接连进行勇猛果断的追击,陷首都南京够的事深深地对满足想。这个意思官兵传达。(『南京事件』笠原十九衙门著:岩波新书)

※关于南京大虐杀,从外务省和军部·朝香宫报告应该进入到天皇!!
(把手)

※与皇族根据南
京大虐杀····大报道阵容被日本国民报道的「对未曾有盛事,敌人的首都的皇军的进城」一大典礼的日,不用说礼堂,在场内,场外中,也有由于残兵和便服兵的游击队活动的类皇军的威信能伤害的。而且,上海派遣军司令官·朝香宫(早上或者凿子)鸽子彦王中将是皇族,是「宫殿下」「宫先生」。如果对作为天皇的军队的象征的皇族的司令官的身体,假使的丑闻发生的,由于天下的一件大事当然导致了有关人员的引咎问题。也有所说的取了南京城内的首都饭馆放置了司令部的朝香宫特别,从各部队派遣立哨严格的警戒体制,「为了中山门的马上跟前的地方宫殿下(朝香宫)进城一时成为通行禁止」(「牧原日记」)的特别警备体制被取的事。
 为了这样,17日举行进城式,越发要了及得上不仅仅是南京城区到近郊农村为止严酷的「残敌大扫荡作战」被开展,被虐杀的军民的牺牲大的东西。
(『南京事件』笠原十九衙门著:岩波新书)

※虽然1946年的中国国民政府的司法行政部制作了的战犯名单1位的朝香宫鸠彦王作为上海派遣军司令官是南京大虐杀直接的负责人,可是,从美国政府和GHQ决定天皇的免除责任的事,因为是皇族的南京军事审判也被认为是免除责任。不可笑···(『「一百刽子手竞赛」和南京事件』笠原十九衙门著:大月书店)···这个也吗?在背面有交易?(把手)
●宪法9条

「Imagine9」【联合出版】

每个人的安全

重要的世界

 到现在为止许多人,所谓和平以为了认为「保护国家的事」,保护国家这个目的大的军队被制作,在国家中的相争被放置。可是说近几年,不仅仅是「国家的安全」打算重要「人的安全」的想法的事,全世界地开始被说。
 发表绪方贞子·原联合国难民高等高级专员等成为了中心的国际专家委员会,2003年「正是现在"人的安全保障"」的报告书,向联合国提交了。在那里,「国家们越过国门加深互相依存中,不是国家正是现在必要把人们作为中心的安全保障的想法」的事被叙述。
 超越武力纠纷下的人们,国门移动的移住工人们,逃跑向(到)国内外的难民们,所说的跟极度的贫困,HIV(爱滋病)等的感染症的作战,有关女性的性和生殖的健康的问题,如果考虑只「国家的安全」是往往被看漏了,而且严重的「人的安全」有关的问题。

 2005年的联合国世界最高级会议,「人的安全保障」的言词第一次被最后文件加进了。其实,推进了这个的是日本政府。「人的安全保障」的想法,有与「不按(不管)武力制作和平」的宪法9条的想法通互相的东西。我们,需要更在世界中传播这样的想法吧。



 
第九条【战争放弃,军备及交战权的否认】

1日本国民,与正义诚实希求秩序作为基调的国际和平,与国家权力的作为发动的战争,由于武力的威吓又武力的使用,作为解决国际纠纷的手段,永久放弃这个。

为了达到2前项的目的,陆海空军及其他的作战能力,不保持这个。国家的交战权,不认可这个。

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「몰타」·「 아시아의 희생자」의 외침!!

「일장기」·「 기미가요」반대!!
(침략의 심볼) (천황찬미의 노래)

새로운 일본!!

「세습의 천황제로부터 뽑혀 대통령제에! 」 (쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 묻는다. )

●전후 일본… 「외국의 저널리스트들을 향해서 증거자료를 이용해서 이야기하면, 그들은 대부분 확정되고, 왜 일본정부는 731부대의 존재로 그 만행을 인정하지 않는 것인가,라고 필자에게 질문해 온다. 그것은 필자자신에 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일미합동으로 731부대숨김이 행하여 진 것이 최대의 원인인,이라고. 그것에 의해서 일본은, 인체 실험이나 생물병기사용의 사실을 역사의 겉면무대로부터 내릴 수 있었다. 다른쪽(타면) 미국은, 이시이(石井)의 네트워크에서의 인체 실험에 의한 데이타를 독점할 수 있었다. 이 일미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장에서 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이(石井) 기관의 만행을 감추자로 했을 것이다. 그래도 일미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자를 이득을 보게 하는 것으로, 범죄숨김에 있어서 일본의 정신적 부담을 경감한다고 말하는 역할을 다했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄숨김에 있어서, 정신적 부담 경감을 위한 큰 지주가 된 또 하나의 존재가 있다. 그것은 쇼와(昭和) 천황의 존재다. 필자가 지금까지를 만나서 이야기를 들어 온, 이시이(石井)의 네트워크로 연구하고 있었던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예」라고 하는 말이었다. 그들의 기분 안(속)의 논리에서는, 이시이(石井)의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에,혹은 나라를 위해서 과학연구를 가고 있었다. 그러므로 본래라면 결단코 행하지 않는 만행을, 스스로에 「천황 때문에」 「나라 때문에」라고 정당화하고, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 갔다」라고 자기자신을 납득시켜 있었다. 그러므로, 천황이, 나라가 인정하지 않고 있는 자기의 범죄를 이야기하는 것은, 조정의 명예를 훼손하게 되는 셈이다.
 나라를,그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일미의 밀약에 달라 붙어 왔다. 그 결과로서, 이 일본에서는, 이시이(石井)의 네트워크가 간 인체 실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무 것도 되지 않고 있다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개가 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가에서 하위에 위치하는, 결단코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화조약등에 의한 것 외(타)의 국가에의 배상은 가도, 개인에 대하여 보상하지 않는다라고 하는 태도가 잡아지게 된다. 그 것을 위하여는, 나라로서 과거의 범죄의 사실을,또 그것에관하여서 책임을 인정하는 셈이게는 가지 않은 것이다. 혹은, 이 이론의 순서는 반대일지도 모른다. 다시 말해, 범죄를, 책임을 인정하고 싶지 않기 때문에, 개인을 상대로 하지 않는다라고 하는 것일지도 모른다.
 이런 것을 생각하기 시작한 것은, 작금의 전시 보상 문제가 조금도 진행하지 않는다라고 하는 현실로다. ·…」 (『731부대』쓰네이시(常石) 게이이치(敬一) 저:고단샤(講談社) 현대신서(신간서적):1995년)
※731부대와 천황 일본은 중일전쟁이 시작되기 전부터, 전쟁에 이기기 위한 최신병기의 개발에 열을 올리고 있었다.
자원과 자금에 모자란 일본은, 싸게 할 수 있는 강력한 병기(빈자의 핵폭탄)의 개발을 목표로 했다.
 거기에 드러난 것이 이시이(石井) 시로(四郎)이었다. 그가 설득하는 세균 병기(생물병기)에 군부·천황이 귀를 기울이고,그리고 천황의 인가 아래, 그것을 실행에 옮겼다. 중국 하얼빈의 교외 히라보(平房)가 광대한 부지에 연구시설을 재배하고, 도쿄(東京)의 육군군의학교나 그 밖의 이시이(石井)의 네트워크와 연계하면서, 중국인·조선인·러시아인·몽고리아인등을 몰타라고 칭해서 생체 실험·생체해부등을 하고, 시행 착오를 거듭하고, 보다 강력한 세균 병기의 개발을 목표로 했다.
 거기에서 개발된 세균폭탄(도자기폭탄)은 중국의 도시에서 실전 되었다. 페스트균(plague bacteria)으로 많은 피재자를 내 도시는 혼란했다.
 연구 성과는 생각했던 것보다도 오르지 않고, 병기의 개발을 서둘렀지만, 때 이미 늦게, 소련의 참전을 허용해버렸다.
 소련이 참전하자마자, 군부·천황은 재빨리 731부대의 증거은멸을 재고, 건물을 폭파하고, 수용되어 있었던 몰타를 전원 죽이기, 731부대원을 갑작스럽게 일본에 되돌렸다.
 이것도 전쟁 범죄가 발각되면, 천황에게도 그 책임이 문제되게 되기 때문이다.
 731부대에도 몇사람인가의 황족이 오고 가고, 실제로 731에 영향을 미치고 있었던 황족도 있었다. 도조(東條)도 발길을 옮기고, 대원수 쇼와(昭和) 천황의 귀에도 731에 관한 정보는 들어 있었을 것이다.
 막대한 예산을 걸고, 전국이 우수한 의학자를 모아서 만들어진 731부대는, 군부·천황이 가장 기대하고 있었던 부대가 아니었던 것인가?
  전후 731부대간부는 미국과 밀약하고, 731부대원의 전범면책과 바꿔 인체 실험에서 얻은 연구 성과를 얼마 안된 돈으로 미국에 매도했다.
 왜, 미국은 인도에 어긋나는 생체 실험을 하고 있었던 731부대원의 전범면책을 한 것일지가 의문에 남는다. 그 대답은, 천황의 전쟁 범죄의 면책이 아니었던 것인가?
 소련이 이시이(石井)의 인도를 미국에 요구했을 때, 미국은 귀중한 ? 데이타가 소련에 건너버리는 것을 두려워했다. 미국은, 먼저 그 데이타를 독점하고, 늦고 있었던 자국의 세균전 연구에 쓸모있게 하고 싶다라고 할 방침으로부터, 허푼 돈으로 그 데이타를 731부대간부에게서 매입하고, 731부대원을 전범면책으로 되게 했다. 데이타를 독점하는 것도 큰 목적이었지만, 또 하나의 큰 목적은, 천황에게 그 책임이 미치지 못하도록 하는 것이었던 것이 아닐까?
 (독일에서는 인체 실험에 관련된 의사등이 「Nurnberg 계속 재판」에 의해 미국의 손에 의해 재판되어 있다! 최고책임자 히틀러는 이미 자살하고 있다. )
 일본정부와 미국은, 함께, 731의 은폐를 도모하고, 이것이 도쿄(東京) 재판으로 심판되지 않는 님으로 하고, 그 잔학한 사실이 국민 앞에 공표되지 않도록 했다.
 맥아더는 일본 점령에 즈음하여, 쇼와(昭和) 천황의 힘을 잘 이용해서 일본을 통치하자로 했다.
그 천황을 전범에게서 떼기 위해서도, 미국은 731부대에는 접촉하고 싶지 않았던 것이 아닐까?
 그것 결과, 재판으로 국민 앞에 731의 정보가 공개되지 않고, 추구도 되지 않은 것이기 때문에, 대원수 쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임은 문제되지 않았다.
 현재의 일본정부의 731부대의 세균전이나 인체 실험의 실행에 관한 견해는, 나에게는 모른다. (지금 문의 중)(노브)



●731부대와는 어떤 부대이었던 것일까? 전 (元)731부대원의 고백기를 보아 가자. 고시(越) 사다오(定男) 저(전 (元)간토(關東)군 제731부대 제3부본부부운수 반원) 『일장기는 빨간 눈물 (같은 정도다)에』 (발행소:교육 사료출판회)이라고 하는 책을 보고 싶다고 생각한다.

 고시(越) 사다오(定男)(허리·사다오)… 1918년3월 나가노시(長野市)에 태어난다.
1934년 공업고교 기계과를 졸업. 1939년에 만주에 건너는, 제642부대에 입대. 1941년 제731부대(이시이(石井) 부대)에 입대. 이후 4년간 세균반을 비롯해 운수반등에 근무. 1945년8월 패전에 의해 철수, 9월 나가노(長野)에게 도착한다. 전후 제731부대원으로서의 경력을 숨기면서 고난의 나날을 보내고, 현재에 이른다.


●731부대

『일장기는 빨간 눈물에』 (고시(越) 사다오(定男) 저:교육 사료출판회)에서

Ⅵ 자연히 보여서 나가오(長男) 겐이치(憲一)가 죽은 그것으로부터 1년 경과한 가을, 우리들 부부가 가장 슬퍼하는 것이 일어났다.
 내가 귀가하면, 아내는 불안할 것 같은 얼굴로, 「열40도도 있어」라고 했다. 「어째서 빨리 의사에게 진찰해 せ 없는 것이다」라고 나는 화냈다.
 열로 녹초가 되어 축늘어지고 있는 겐이치(憲一)를 안고, 진료소에 뛰어 들었다. 그러고 보니 여기 수일 겐이치(憲一)는 뜨겁고, 평소의 건강은 없었다. 의사는 즉시 입원하게 좋은, 「이가 빠져 왔다」라고 한마디만 말을 남기고, 병명도 알리지 않고 진료 실로부터 나갔다.
 최후의 한마디가, 나의 전신을 얼렸다. 내가 받은 서투른 위생학의 지식이라도, 그것은 심상치 않은 증상인 것을 알았다. 그 후의 의사나 간호원(간호사)가 어수선한 움직임이, 그것을 뒷받침하고 있었다. 나는 패혈증이 아닐까라고 생각했다.
 그 날로부터 일주일간, 나는 자지 않고 필사적으로 간병했다. 그러나, 고열에 범해지는 겐이치(憲一)를 완전히 푸는 것은, 이미 우리들에게는 할 수 없었다. 단지 옆에 있어서 「바뀔 수 있다면」이라고 마음을 괴롭히는 것밖에 할 수 없었다.
 축 한 겐이치(憲一)가, 문득 「【아】」라고 기억한지 얼마 안 된 말을, 긁힌 목소리로 말했다. 그것이 겐이치(憲一)의 목소리를 들은 최후이었다.
 쇼와(昭和)19년9월5일 오전 1시30분, 첨가해 자고 있는 내가, 겐이치(憲一)에게 발로 차인 것 같이 느끼고, 깜짝 놀라서 날아 일어났다. 겐이치(憲一)는 한번 크고, 게다가 천천히 숨을 해서 조용해졌다.
 아내는 「겐이치(憲一), 겐이치(憲一)! 」이라고 외치고, 나는 의사를 부르러 뛰어 나왔다. 의사가 오고, 겐이치(憲一)의 가냘픈 팔에 몇개 물건 주사가 찍어졌다. 그러나 겐이치(憲一)의 몸은 비 밤과도 하지 않았다.
 겐이치(憲一)는 죽었다. 맥이빠졌다.
 이렇게 우리들이 사랑하고 있는데도, 누구인가가 겐이치(憲一)를 빼앗아 간 것이다. (내일에 이어진다)

※고시(越)씨의 우리 아이에게 대한 애정은 뜨거은 눈물이 느껴진다. 어떻게 좋은 아버지일 것이다!! 첨가해 잠까지 해서 우리 아이간병을 하고 있다. 매우 인간적인 뜨거운 애정이다!! 조직으로 일이 되면 냉혹한 인간이 누구라도 되어버리는 것인가? 그러고 보니, 나치스의 유대인수용소의 소장도 휴일은 가족으로 따뜻한 단란을 보내고 있는 영상을 본 기억이 있다. (노브)
●난징(남경)(Nanjing)대 학살

「이 사실을 ·…」

(「난징(남경)(Nanjing)대 학살」생존자증언집:侵화일군 난징(남경)(Nanjing)대 도살遇어려움동포기생각관/편 가토(加藤) 미노루(實)/이유(번역)) (발행:스토크(Stoke), 발매:성운사, 정가 2000+세)

※우리들일본인은, 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 「이 사실을…」을 겸손에 읽어야 한다고 생각한다.
난징(남경)(Nanjing)에서 어떤 것이 일어나고 있었던 것일지를 더욱 일본인은 알 필요가 있다고 생각한다.
지금도 많은 피해자의 여러분(여기저기)는 PTSD에 고민하고 있다!!


2, 일본군이 광포한 개인적 학살

아버지나 어머니의 피해

오(王) 마쓰(松)천 (남자, 59세)의 증언

 1937연말에, 일본군이 난징(남경)(Nanjing)을 점령하기 전에, 집안인에서 피난하러 沙주까지 도망쳤습니다만, 난징(남경)(Nanjing)의 북드묾보물(거리)시가 125호의 집에는 아버지와 형만이 문지기에게 머무르고 있어서, 일본군이 난징(남경)(Nanjing)을 점령하고나서, 집 가옥 4채에 불을 떼어 놓아서 깡그리 태워버린, 그 불이 붙었을 때에, 아버지가 밖으로 신출내기, 그자리에서 일본군에 총검으로 찔러 죽여져, 형이 북드묾보물(거리)시가로부터 지조암자 옆(메밀국수)의 늪(지금의 난징(남경)(Nanjing)壓주조廠)까지 달려 갔을 때에, 늪에 뛰어 혼잡하고, 쫓아온 일본군에 발포되어 쏘아 죽여졌습니다. 아버지는 인력거 빼서 피난했을 때는 50세남짓으로, 형은 보고 배워 장인으로, 죽은 것은 19세이었습니다. 일본군이 난징(남경)(Nanjing)을 점령하고나서 1개 월 남고, 우리들沙주에서 되돌아 왔습니다만, 그 길에서 죽은 사람을 적지 않게 겉보기, 부인이 작은 어린이를 안아서 함께 죽어있거나, 노인이나 청년의 난의 시체도 있거나도 했습니다. 난징(남경)(Nanjing)에 돌아가고나서, 아버지와 형의 시체를 정리해 매장했습니다만, 이외에도 시체가 5,6체 있어서, 어느 것도 우리들이 모르는 사람이었습니다만, 모두 일본군에 살해된 것이었습니다.
 이 외에, 내가 沙주에서 이 눈으로 본 것입니다만, 10세남짓의 어린이가 집오리를 방목하고 있어서, 일본군이 먹는데도 집오리를 붙잡으려고 해서 어린이가 일본병에게는 붙잡게 하지 않을 것이라고, 집오리를 늪쪽에 쫓아 보냈으므로, 일본병이 발포해서 집오리를 방목하고 있는 어린이를 그자리에서 쏘아 죽여버린 것이었습니다. (쇼(肖) 나카(仲) 고오(煌)가 기록)

  
※육친을 잃는 쇼크는 다감한 시기만큼 상당한 것이 있을 것이다!
 일본병도 식량에 난처하고 있었다. 중국의 어린이에게서 집오리약탈하지 않으면 살아갈 수 없었던 것인가? 그렇다 치더라도, 집오리를 붙잡아서 먹으면 좋은 것을 어린이까지 못쓰게 만들는 것이란! (노브)

※쇼와(昭和) 천황보다 난징(남경)(Nanjing) 점령을 기뻐하는 「말씀」육해군 막료장에 주셔된대 원수폐하 말씀중 시나(支那) 방면의 육해군 제부대가 상해 부근의 작전에 계속되어 용맹 과감한 추격을 행하고, 수도 난징(남경)(Nanjing)을 빠뜨려된 것은 깊이 만족에 생각한다. 이 취지장병에게 전해 드려라. (『난징(남경)(Nanjing) 사건』가사하라(笠原)19사(관)저:이와나미(岩波) 신서(신간서적))

※난징(남경)(Nanjing)대 학살에 대해서는, 외무성이나 군부·아사카(朝香) 미야(宮)에게서 천황에게 보고가 들어 있었을 것이다!!
(노브)

※황족과 난징(남경)(Nanjing)대 학살·… 대보도진에 의해 일본 국민에게 보도되는 「미증유성사, 적의 수도에의 스메라기(皇)군의 입성」일대 세레모니(ceremony)의 날에, 식장은 물론, 장내, 장외에 있어서도, 패잔병이나 평상복병에 의한 게릴라 활동의 류가 있어서는 스메라기(皇)군의 위신을 손상시킬 수 있게 된다. 게다가, 상해 파견 군 사령관·아사카(朝香) 미야(宮) (아침인가 끌이나) 비둘기彦왕중장은 황족으로, 「궁전하」 「미야(宮)님」이다. 천황의 군대의 상징인 황족의 사령관의 몸에, 만약의 스캔들이 발생하게 되면, 천하의 일대사로 당연 관계자의 인책 문제에 연결되었다. 난징(남경)(Nanjing) 성내(城內)의 수도반점에 사령부를 둔 아사카(朝香) 미야(宮)에게 그다지, 각부대에서 류(立)哨를 파견해서 엄중한 경계 체제를 취하고, 「나카야마(中山) 가도(門)의 바로 앞이 있는 곳에서 궁전하(아사카(朝香) 미야(宮))이 입성하기 위해서 (일시)한시 통행 금지가 되어」 (「마키하라(牧原) 일기」)이라고 말하는 특별경비 체제가 잡아질 것도 있었다.
 이렇게 해서, 17일에 입성식을 거행하기 위해서, 난징(남경)(Nanjing) 구스쿠(城)구뿐만 아니라 근교농촌에까지 미쳐서 가혹한 「산적대掃蕩작전」이 전개되어, 학살되는 군민의 희생을 한층 큰 (습득하다)소유했다.
(『난징(남경)(Nanjing) 사건』가사하라(笠原)19사(관)저:이와나미(岩波) 신서(신간서적))

※1946년의 중국 국민정부의 사법 행정부가 작성한 전범 리스트1위의 아사카(朝香) 미야(宮) 하토(鳩)彦왕이야말로 상해 파견 군 사령관으로서 난징(남경)(Nanjing)대 학살의 직접의 책임자이었지만, 미국 정부와 GHQ가 천황의 면책을 정하고 있었던 것부터, 황족이기 때문에 난징(남경)(Nanjing) 군사재판이라도 면책으로 여겨졌다. ··· (『「100망나니 경쟁」이라고 난징(남경)(Nanjing) 사건』가사하라(笠原)19사(관)저:오쓰키(大月) 서점)… 이것도 이상하지 않습니까? 뒤에서 거래가 있었니? (노브)
●헌법 9조

「Imagine9」 【합동 출판】에서

한사람 한사람의 안전을

소중히 여기는 세계

 지금까지 많은 사람들은, 평화와는 「나라를 지키는 것」이라고 생각하고, 나라를 지키기 위해서라고 할 목적에서 큰 군대가 만들어져, 나라 안(속)에서의 싸움이 방치되어 왔습니다. 그러나 최근에서는, 「국가의 안전」뿐만 아니라 「인간의 안전」이라고 하는 사고방식을 소중히 하자고 하는 것이, 세계적으로 일컬어지기 시작했습니다.
 오가타(方) 사다코(貞子)·전 (元)유엔 난민고등판무관등이 중심이 된 국제전문가위원회가, 2003년에 「지금이야말로” 인간의 안전보장”을」이라고 하는 보고서를 발표하고, 유엔에 제출했습니다. 거기에는, 「나라끼리가 국경을 넘어서 상호의존을 깊게 해 가는 중, 국가가 아니고 사람들을 중심으로 한 안전보장의 사고방식이 지금이야말로 필요하다」라고 하는 것이 말해져 있습니다.
 무력분쟁 하의 사람들, 국경을 넘어서 이동하는 이주 노동자들, 국내외에 달아나는 난민들, 극도한 빈곤, HIV(에이즈)등의 감염증과의 싸우고, 여성의 성과 생식에 관한 건강과 같은 문제는, 「국가의 안전」만을 생각하고 있으면 못보고 넘겨져버리는 경향이 있는, 게다가 심각한 「인간의 안전」에 관계되는 문제입니다.

 2005년의 유엔 세계 정상회담에서는, 「인간의 안전보장」이라고 하는 말이 처음으로 최종문서에 담아졌습니다. 사실은, 이것을 추진한 것은 일본정부이었습니다. 「인간의 안전보장」이라고 하는 사고방식은, 「무력에 따르지 않고 평화를 만든다」라고 하는 헌법 9조의 사고방식과 통하는 것이 있습니다. 우리들은, 이러한 사고방식을 더욱 세계 안(속)에서 널리 퍼뜨려 갈 필요가 있을 것입니다.



 
제구조 【전쟁 포기, 군비 및 교전권의 부인】

하루 본 국민은, 정의와 질서를 기조로 하는 국제평화를 성실에 희구하고, 국권의 발동된 전쟁과, 무력에 의한 위협 또는 무력의 행사는, 국제분쟁을 해결하는 수단으로서는, 영구히 이것을 포기한다.

2전항의 목적을 이루기 위해서, 육해공군기타의 전력은, 이것을 보유하지 않는다. 나라의 교전권은, 이것을 인정하지 않는다.

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この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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きけ!「マルタ・アジアの犠牲者」の叫び!

「日の丸」・「君が代」反対!!
(侵略のシンボル)(天皇賛美の歌)

新しい日本!!

「世襲の天皇制から選ばれし大統領制へ!」
(昭和天皇の戦争責任を問う。)
(時効なき戦争責任)


●戦後日本・・・「外国のジャーナリストたちに向かって証拠資料を用いて話すと、彼らはほとんど決まって、なぜ日本政府は731部隊の存在とその蛮行を認めないのか、と筆者にただしてくる。それは筆者自身にとっての疑問でもあるが、多くの場合、次のように答えてきた。敗戦直後、日米合同で731部隊隠しが行われたことが最大の原因である、と。それによって日本は、人体実験や生物兵器使用の事実を歴史の表舞台から下ろすことができた。他方アメリカは、石井のネットワークでの人体実験によるデータを独占することができた。この日米の密約が1986年には破綻したことは第一章で述べたが、おそらく密約がなくても、日本は残念ながら石井機関の蛮行を隠そうとしただろう。それでも日米の密約は、アメリカという共犯者を得させることで、犯罪隠しにおいて日本の精神的負担を軽減するという役割を果たしたと言えよう。
 日本の戦争犯罪隠しにおいて、精神的負担軽減のための大きな支柱となったもう1つの存在がある。それは昭和天皇の存在だ。筆者がこれまでに会って話を聞いてきた、石井のネットワークで研究していた医学者たちが異口同音に口にしたのが、「天皇の名誉」という言葉だった。彼らの気持ちの中の論理では、石井のネットワークの研究者たちは天皇のため、あるいは国のために科学研究を行っていた。それゆえ本来なら決して行わない蛮行を、自らに「天皇のため」「国のため」と正当化し、実行した。つまり彼らは、「天皇のために蛮行を行った」と自らを納得させていた。それだから、天皇が、国が認めていない自らの犯罪を語ることは、お上の名誉を傷つけることになるわけだ。
 国を、そして天皇を守るために、日本は敗戦直後の日米の密約にしがみついてきた。その結果として、この日本では、石井のネットワークが行った人体実験や生物戦の犠牲者の発掘調査や補償は何もされていない。おそらくこれは、日本という国の持つ、1つの強固な構造からくる。それは、基本的に個人は国家より下位に位置する、決して対等ではないという構造だ。その結果、平和条約等による他の国家への賠償は行っても、個人に対して補償しないという態度がとられることになる。そのためには、国として過去の犯罪の事実を、またそれについての責任を認めるわけにはいかないのだ。あるいは、この論の順序は逆かもしれない。すなわち、犯罪を、責任を認めたくないから、個人を相手としないということなのかもしれない。
 こんなことを思い始めたのは、昨今の戦時補償問題が一向に進まないという現実からだ。・・・・」
(『731部隊』常石敬一著:講談社現代新書:1995年)

※731部隊と天皇
 日本は日中戦争の始まる前から、戦争に勝つための最新兵器の開発に取り組んでいた。
資源と資金に乏しい日本は、安くできる強力な兵器(貧者の核爆弾)の開発を目指した。
 そこに現れたのが石井四郎であった。彼の説く細菌兵器(生物兵器)に軍部・天皇が耳を傾け、そして天皇の認可の下、それを実行に移した。中国ハルピンの郊外平房の広大な敷地に研究施設を作り、東京の陸軍軍医学校やその他の石井のネットワークと連携しながら、中国人・朝鮮人・ロシア人・モンゴル人などをマルタと称して生体実験・生体解剖などをし、試行錯誤を重ね、より強力な細菌兵器の開発を目指した。
 そこで開発された細菌爆弾(陶器爆弾)は中国の都市で実戦された。ペスト菌で多くの被災者を出し都市は混乱した。
 研究成果は思ったよりも上がらず、兵器の開発を急いだが、時すでに遅く、ソ連の参戦を許してしまった。
 ソ連が参戦するや否や、軍部・天皇はいち早く731部隊の証拠隠滅をはかり、建物を爆破し、収容されていたマルタを全員殺し、731部隊員を急遽日本へ戻した。
 これも戦争犯罪がばれると、天皇にもその責任が問われることになるからだ。
 731部隊にも何人かの皇族が行き来し、実際731に係わっていた皇族もいた。東条も足を運び、大元帥昭和天皇の耳にも731についての情報は入っていたはずである。
 莫大な予算をかけ、全国の優秀な医学者を集めて作られた731部隊は、軍部・天皇がもっとも期待していた部隊ではなかったのか?
  戦後731部隊幹部はアメリカと密約し、731部隊員の戦犯免責と引き換えに人体実験で得た研究成果をわずかなお金でアメリカに売り渡した。
 なぜ、アメリカは人道に反する生体実験をしていた731部隊員の戦犯免責をしたのかが疑問に残る。その答えは、天皇の戦争犯罪の免責ではなかったのか?
 ソ連が石井の引渡しをアメリカに要求した時、アメリカは貴重な?データがソ連に渡ってしまうことを恐れた。アメリカは、先にそのデータを独り占めし、遅れていた自国の細菌戦研究に役立てたいという方針から、はした金でそのデータを731部隊幹部から買い取り、731部隊員を戦犯免責にした。データを独り占めするのも大きな目的であったが、もう1つの大きな目的は、天皇にその責任が及ばないようにすることだったのではないか?
 (ドイツでは人体実験にかかわった医師などが「ニュルンベルグ継続裁判」によってアメリカの手によって裁かれている!最高責任者ヒトラーはすでに自殺している。)
 日本政府とアメリカは、一緒に、731の隠蔽を図り、これが東京裁判で裁かれない様にし、その残虐な事実が国民の前に公表されないようにした。
 マッカーサーは日本占領に当たり、昭和天皇の力をうまく利用して日本を統治しようとした。
その天皇を戦犯からはずすためにも、アメリカは731部隊には触れたくなかったのではないか?
 それ結果、裁判で国民の前に731の情報が公開されなかったし、追求もされなかったものだから、大元帥昭和天皇の戦争責任は問われなかった。
 現在の日本政府の731部隊の細菌戦や人体実験の実行についての見解は、私には分からない。(ただ今問い合わせ中)(ノブ)

●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年に満州に渡る、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より

Ⅵ 勢いみせて
長男憲一が死んだ
  私が今まで見聞きしたなかでは、概して「本土より、外地に住む夫婦の方が数倍仲がよい」と思う。知人があまりいない異国のせいか、自然が厳しいからか、その理由はわからないが、どの夫婦でも実に仲がよい。もちろん、私たちの結婚生活も同様であった。休みには二人で出かけ、よく買い物や食事をした。
 私の独身時代は、食堂で冷たくなったどんぶり飯をかっこむことが常だったが、結婚後は、私のためにいろいろ工夫をして食事を作ってくれる妻がいた。彼女の得意な料理はグラタンだった。
 こんな日々が過ぎていった昭和17年の5月、妻の生理がとまった。官舎近くの診療所へ行き、診てもらうと妊娠したということだった。
 昭和18年2月、私たちに男の子が生まれた。名前を「憲一」と名づけた。あの夢にまで見た子どもを囲んでの団らんが現実になったのだ。
 昼の間、異常なまでの緊張を強いられる私は、帰宅して赤ん坊のけがれのない笑顔を見ると、いつも何か救われるような気持ちになった。酒が体質にあわず、精神の高ぶりを、酔うことでまぎらわすことのできない私は、赤ん坊を抱いたりあやしたりすることだけが、心の底から私を慰めてくれた。
 憲一は順調に成長していった。1歳の誕生日の時、かわいい憲一を撮ろうと、カメラをかまえるのだが、私の方に向かってヨチヨチ歩いてきて、なかなかシャッターがきれなかったことを思い出す。(明日に続く)

※戦時中の話とは思えない生活ぶりである。五族協和をうたっていた満州では中国人が虐げられ、日本人が威張っていた。内地では味わえない贅沢を一部の人間は享受していた。仕事は残酷なことをやりながら。一方家庭に帰ると子煩悩で優しいパパだった。かつて、右翼の女性の論客が「こんな優しい子煩悩な人がそんなことをやるはずがありません!」と何にかの折に言っていたのを思い出す。人間とはよく分からない存在だ!!(ノブ)

参考ホームページ

731部隊の全貌

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言1/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言2/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言3/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言4/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言5/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言6/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言7/8

731部隊・石井四郎の野望・元部隊員の証言8/8

731部隊細菌戦国家賠償訴訟

731部隊の設立から敗戦(証拠隠滅)まで731部隊

こんなにもあった細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)

516部隊

大久野島(毒ガス島)

化学兵器CAREみらい基金ブログ

中国人戦争被害者の要求を支える会

根津公子さんのページ
  
南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

※私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

父や母の被害

沈桂英(女、52歳)の証言

 1937年には、家は沙洲圩で、私はたったの5歳でした。私が物事が解るようになってから母が私に告げたのでは、陰暦の冬月22日の日に、家で4人日本軍に殺害されたのでした。
 父の沈伝和が、鄭家荘で日本軍に撃ち殺された。叔父の沈伝元が、盈香廟(今の南京中薬廠の付近)で日本軍に銃剣で殺された。2番目の伯父の沈伝海が、日本軍に連れて行かれ、ようとして音信が無い。日本軍が伯母を強姦しようとし、強姦できずに、伯母が沙洲圩沈家荘の池に跳び込んだので、日本軍に発砲され撃ち殺された。
 我が家の家屋8軒も日本軍に焼き払われました。父が死んだ後、母と私たち姉妹とは、生活の手立てが無く、間もなく妹も餓死しました。(肖仲煌が記録)

  
※沈さんの家では行方不明も含めて4人の犠牲者を出している。その他、放火にあい、家を失い、生計が立てられず、妹は餓死とはあまりにも悲惨だ!!ショックも大きいだろう!!(ノブ)

※昭和天皇より南京占領を喜ぶ「お言葉」
   陸海軍幕僚長に賜りたる大元帥陛下お言葉
中支那方面の陸海軍諸部隊が上海付近の作戦に引き続き勇猛果敢なる追撃をおこない、首都南京を陥れたることは深く満足に思う。この旨将兵に申し伝えよ。(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※南京大虐殺については、外務省や軍部・朝香宮から天皇に報告が入っていたはずである!!
(ノブ)

※皇族と南京大虐殺
・・・・大報道陣によって日本国民に報道される「未曾有盛事、敵の首都への皇軍の入城」一大セレモニーの日に、式場はもちろん、場内、場外においても、敗残兵や便衣兵によるゲリラ活動のたぐいがあっては皇軍の威信が損ねられることになる。そのうえ、上海派遣軍司令官・朝香宮(あさかのみや)鳩彦王中将は皇族で、「宮殿下」「宮様」である。天皇の軍隊の象徴である皇族の司令官の身に、もしもの不祥事が発生することになれば、天下の一大事で当然関係者の引責問題につながった。南京城内の首都飯店に司令部をおいた朝香宮にたいして、各部隊から立哨を派遣して厳重な警戒体制をとったし、「中山門のすぐ手前の所にて宮殿下(朝香宮)が入城するため一時通行禁止となり」(「牧原日記」)という特別警備体制がとられることもあった。
 こうして、17日に入城式を挙行するために、南京城区だけでなく近郊農村にまでおよんで過酷な「残敵大掃蕩作戦」が展開され、虐殺される軍民の犠牲をいっそう大きなものにした。
(『南京事件』笠原十九司著:岩波新書)

※1946年の中国国民政府の司法行政部が作成した戦犯リスト1位の朝香宮鳩彦王こそ上海派遣軍司令官として南京大虐殺の直接の責任者であったが、アメリカ政府とGHQが天皇の免責を決めていたことから、皇族であるがゆえに南京軍事裁判でも免責とされた。・・・(『「百人斬り競争」と南京事件』笠原十九司著:大月書店)・・・これもおかしくありませんか?裏で取引があった?(ノブ)

参考ホームページ

兵士たちが記録した南京大虐殺1

兵士たちが記録した南京大虐殺2

兵士たちが記録した南京大虐殺4

兵士たちが記録した南京大虐殺5

兵士たちが記録した南京大虐殺6

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)4/5.

NNNドキュメント兵士達が記録した南京大虐殺(080407)5/5

南京大虐殺の真相

南京大屠殺 ( Nanking Massacre )

戦争を語るブログ

「南京事件の真実」

「南京事件 小さな資料集」

「南京事件資料館」

「南京事件資料集」

南京への道:史実を守る会

「南京!南京!」が見られる映画サイト

憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

戦争にそなえるより

戦争をふせぐ世界


 また、資源などを狙う外国が、その国の中の武力紛争を悪化させることも少なくありません。平和づくりはその国の人々が主人公になるべきであり、人々が自分たちの土地や資源に対してきちんとした権利を持つ事が重要です。貧しい国に「援助してあげる」のではなく、人々の権利を保障していく事が、平和の基盤をつくるのです。

 いわゆる「テロ問題」も同じです。テレビでは連日、イラクなどでの「自爆テロ」が報道されています。それに対して軍が投入されても、「テロ」はなくなるどころか、かえって増えていってしまいます。「テロリスト」と言う言葉が独り歩きしていますが、このような暴力をふるう人たちは、いったいどのような動機からそうしているのでしょうか。
 「貧困、不正義、苦痛、戦争をなくしていくことによって、テロを行おうとする者たちの口実となる状態を終わらせる事ができる」と、コフィ・アナン国連前事務総長は語っています。暴力に対してさらに大きな暴力で対処しようとすることは、結果的に暴力を拡大させ、人々の命を奪い、人々を大きな不安の中におとしいれます。どうすれば人々が暴力に走ることを予防できるのか考える事が大事です。
 そのための鍵は、軍隊の力にあるのではなく、市民どうしの対話と行動にあるのです。



 
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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"Martha"* cry of "Asian victim"! !

"Flag of the Rising Sun"* "Kimigayo" it's opposite! !, (symbol of an invasion) (song of emperor praise) New Japan! !

"I'm chosen from a hereditary Imperial system and do, and it's to a presidential system!" (I ask about Emperor Showa's war responsibility.)

● Why doing Japanese Government's always admit almost no 731 units of existence and the brutality to speak using evidence material to Japan and the* foreign journalists after the war for them or, if, I'm correcting for a writer. That's also the question by which a writer is for oneself, but in case of has answered as follows much. If it's the biggest cause that 731 units of hiding was performed by just after the loss and Japan and U.S. combination. Japan could take fact of a human body experiment and use of biological weapons down from the center stage of history by that. On the other hand the United States could monopolize data by a human body experiment by Ishii's network. It was stated at the first chapter that a secret treaty of this Japan and U.S.
failed in 1986, but even if there are probably no secret treaties, unfortunately Japan would try to hide a brutality of Ishii engine. Still a secret treaty of Japan and U.S. was to make an accomplice called the United States get it, and that the role of reducing a Japanese mental burden in criminal hiding was played, I'll get a word.
There is another existence which became a big prop for mental burdened reduction in Japanese war crime hiding. That's Emperor Showa's existence. A writer was a network of Ishii who meets and has heard talk so far, and the one the medical scientists who were studying took with one voice was a word as "emperor's honor". Or a scientific research was being performed for a country because researchers of Ishii's network were an emperor by logic in their feeling. Therefore the brutality which is never performed primarily was sanctioned and carried out with "for country" "for emperor" by itself. In other words, they were making themselves convinced "A brutality was performed for an emperor." Because it's that, it's the reason which will bring disgrace on the top that an emperor tells his crime a country doesn't admit.
A country, Japan has clung to a secret treaty of Japan and U.S. just after the loss and to protect an emperor. As a result, no human body experiment Ishii's network did, victim's research excavation of a creature competition and compensation are done in this Japan. Perhaps this is reeled off 1 of firm structure a country called Japan has. An individual is located in a lower rank than a state basically for that, the structure which is never equal. Even if I compensate a state for other ones by the results and peace pacts, etc., the attitude which isn't compensated to an individual will be got. The criminal fact which is the past as a country for it, responsibility about that can't be admitted again. Or an order of this theory may be reverse. Or a crime, because I don't want to admit responsibility, it may be the one said that which doesn't make the individual a partner.
It's from the actuality an indemnification problem doesn't advance at all wartime these days that I have begun to think of this. .... ".
( "731 units" Tsuneishi Keiichi work: Kodansha Publishers present-day new publication: 1995
※ 731 units and emperor Japan was working on development of the most modern weapon to win the war from the front where the Sino-Japanese war starts.
Japan scarce in manpower and funds aimed at development of an inexpensive and made strong weapon (poor man's nuclear bomb).
It was Shiro Ishii that it appeared there. The military and an emperor listened to the germ weapon he explains (biological weapons) and emperor's bottom of approval and that were put into practice. I called a Chinese, a Korean, a Russian and a Mongolian Martha, did a living body experiment and a vivisection, piled up trial and error and aimed at development of a more strong germ weapon while making a vast site in suburb Hirabo of Chinese Heerhpin a research institute and cooperating with a network in the army army medical student school in Tokyo and other Ishii.
So a developed bacteria bomb (pottery bomb) was a Chinese city, and actual fighting was done. A city took out many victims of an accident and was confused by a plague bacillus.
I didn't go up and hurried development of a weapon more than I thought of a reserach achievement but time has been late already and has permitted entry into the war of the Soviet.
As soon as the Soviet entered the war, the military and an emperor planned for 731 units of destruction of evidence and blew a building up immediately, and all the members killed accommodated Martha, and a member was returned to Japan in a hurry 731 copies.
This will be also because the task will be taken an emperor to, too,when a war crime comes out.
Several royalty also associated with 731 units, and there was royalty who concerned 731 indeed, too. Tojo goes, too and information about 731 should also reach ears of generalissimo Emperor Showa.
Weren't 731 units which bet the huge budget, gathered excellent medical scientists in the whole country and made the military and the unit an emperor expected most?
731 unit executive made a secret treaty with the United States after the war, and the reserach achievement I got 731 copies by a human body experiment in exchange for member's war criminal immunity from responsibility was sold for a little money in the United States.
It's left in a question why the United States did war criminal immunity from responsibility of 731 copy member who was doing a living body experiment contrary to humanity. Wasn't the response immunity from responsibility of emperor's war crime?
Is the United States valuable when the Soviet requested Ishii's delivery of the United States? I was afraid that data passes to the Soviet. The United States monopolized the data first, and 731 units of the data was bought from an executive by small change and the member was made war criminal immunity from responsibility 731 copies from the policy I'd like to use for a behind schedule germ warfare study in an own country. It was also a big goal to monopolize data, but maybe was another big goal to make sure that the responsibility won't come to an emperor?
(The doctor who concerned a human body experiment is judged by the United States by "Nurnberg continuation trial" in Germany! Highest officer Hitler commits suicide already.) As Japanese Government and the United States planned for concealment of 731 together, and this was Tokyo Tribunal of War Criminals and weren't judged, I made sure that the cruel fact won't be published in front of the people.
MacArthur tried to use the power of Emperor Showa well and govern Japan in case of Japanese occupation.
Maybe didn't you want to touch 731 units in the United States to remove the emperor from a war criminal?
Because that was a result and a trial and information on 731 wasn't exhibited and was the one which wasn't pursued in front of the people, war responsibility of generalissimo Emperor Showa wasn't asked about.
I don't understand a view about the present 731 units of germ warfare of Japanese Government and execution of a human body experiment. (I'm inquiring about it now.) (Nob)

● What kind of unit were 731 units? I'll see a former 731 copies of member's confession account. 越 I'd like to see the book called Sadao work (former Kwantung army transit group member with a 731st unit 3rd copy head office) "for a flag of the Rising Sun, in red tear (tear)" (publishing office: Educational publication meeting of historical sources).

I'm born in Nagano-shi in March in 1918, 越 Sadao (lower back and Sadao)....
I graduate from an industrial high school mechanical engineering course in 1934. I join up in the 642nd unit which migrates to Manchuria in 1939. I join up in the 731st unit (Ishii unit) in 1941. I work at a transit group including an after 4 year bacteria group. I leave by loss and arrive at Nagano in September in August in 1945. Suffering every day is sent while hiding the 731st copy of background as a member after the war, and it's to present.


● 731 units "For a flag of the Rising Sun, in red tear" (越 Sadao work: Educational publication meeting of historical sources) lay Ⅵ Eldest son Kenichi shows momentum, and generally thinks "The married couple who lives there overseas than a mainland is on good terms several times." at the inside I who died experienced so far. Because whether the foreign cause an acquaintance isn't so much or nature is severe, the reason isn't understood, every married couple, very, I'm on good terms. The married life which are we of course, like. I went out by two people in a holiday and made the purchase and the meal good.
It was usual my single days to bolt down the bowl rice which became cold at a dining room, but I had the wife who devises after marriage variously for me and makes me a meal. The dish she likes was gratin.
Wife's menstruation stopped in May of 1942 when such every day was passing. When I went to a medical office near the official dwelling, and you examined, it was said that they became pregnant.
A boy was born for us in February in 1943. The name was called "Kenichi". Uh, the child who even dreamed, it's circled, and, a happy circle became a reality.
When I who can press the tension until it's abnormal during noon went home and saw the smiling face which has no tainting of a baby, it was the feeling that something is always rescued. Liquor doesn't agree, of spirit, conceited only that I who can't conceal hold and cradle a baby amused me to get drunk from the bottom at the heart.
Kenichi was growing smoothly. I hold my camera ready in order to take cute Kenichi at a birthday of 1 year old, I'm walking waddlingly to my way, and it's remembered that the shutter couldn't be released easily. (Following tomorrow) ※ Talk during wartime is the living way which doesn't seem. A Chinese was oppressed at Manchuria where five group Kyowa was being sung, and Japanese was talking big. Certain man enjoyed luxury which can't be tasted at an inland. While doing a cruel thing for work. When I returned to a home on the one hand, I doted on the children and was a gentle dad. The polemicist who is a right-wing lady formerly, "Such gentle doting person can't do such thing!", in what or, it's remembered that it was being talked about a when. Man is the existence which isn't understood well! !, (Nob)
● Nanjing Massacre "Of this fact.... " (The "Nanjing Massacre" survivor testimony collection: The 侵華日軍南京大屠殺遇難 brother period sense house/volume Makoto Kato/translations) (issue: Stoke sells it: Nebula company and fixed price 2000+ tax) ※ We, Japanese is Nanjing Massacre, I think "of this fact,*.. " should be read modestly.
I think Japanese has to know what kind of thing had happened in Nanjin more.
Many victims worry in PTSD even now! !


Furious personal slaughter of 2 and the Japanese military Damage of my father and mother Testimony of 沈桂英 (52 years old for a woman) A house was 沙洲 in 1937 and I was only 5 years old. When my mother told me after I came to understand a matter, on a day in winter for 22 days of a lunar calendar, 4 people had been killed by the Japanese military at a house.
Father's 沈伝 和 was shot by the Japanese military to death in 鄭家荘. Uncle's 沈伝元 was killed by the Japanese military by a bayonet in 盈香廟 (around Nanjin 中薬廠 now). The 2nd uncle's 沈伝海 will bring you to the Japanese military, 、, about, please, no news are received. The Japanese military try to rape my aunt, it can be raped, without, my aunt jumped in a pond in 沙洲沈家荘, and it was crowded, so a gun was fired by the Japanese military and it was shot to death.
8 houses of my home were also burned by the Japanese military off. The back, my mother and we of whom my father died, there were no living means with a sister, and my younger sister starved to death soon, too. (肖仲煌 records.) ※ 4 victims are being taken out including missing at a house in Mr. 沈. Additionally a living matches arson and is deprived of a house, and isn't made, and my younger sister is too miserable with starvation! !, a shock would also be big! !, (Nob) ※ Generalissimo Majesty word which gives the "word" gladder about Nanjin occupation than Emperor Showa to the army and navy staff chief, and is enough After the strategy by which the army and navy several units in a 中支那 district are around Shanghai, I chase daringly boldly, and metropolitan Nanjin is entrapped and thinks to be enough satisfactorily deeply. Tell to these effect officer and man. ( "Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Iwanami new publication) ※ A report should be included in an emperor from the Ministry of Foreign Affairs, the military and Asakanomiya about Nanjing Massacre! !, (knob) ※ Since there is also a kind of guerrilla activity by a defeated soldier and a flight soldier of clothes in the inside of the hall and the outside of the hall as well as a ceremonial hall on a day of the "of an Imperial Army to the capital of the 未曾有 grand enterprise and the foe, entering" grave ceremony which will be reported by royalty and Nanjing Massacre.... great press to Japan people, the prestige of the Imperial Army will be damaged. Moreover Yasuhiko king lieutenant general is royalty, and Shanghai dispatch sardar and Asakanomiya (Well, well, that, it's seen and that isn't liked.) are "under palace" "Imperial prince". For commander's body of the Imperial House which is a symbol of emperor's military, if, when a disgraceful affair occurred, it led to the person concerned's taking problem of course by a serious matter in the world. A special guard organization as ( "Makihara diary") dispatched 立哨 from each unit and got a strict security cordon to Asakanomiya who put headquarters at the metropolitan Chinese restaurant in the Nanjin castle and "For (Asakanomiya) under the palace to enter in a place immediately just before Nakayama gate, you didn't become able to pass temporarily." was got.
Severe "大掃蕩 strategy of enemy remnants" even equaled a neighboring farm as well as the Nanjin castle ward, and was developed to hold the entry system on the 17th in this way, and the armed services and common people's slaughtered victim was made something bigger.
( "Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Iwanami new publication) ※ Asakanomiya Yasuhiko king on the 1st place of war criminal list a judicial administration department of Chinese Taiwan government in 1946 made was a direct person in charge of Nanjing Massacre as Shanghai dispatch sardar, but because the American government and GHQ had decided emperor's immunity from responsibility, I was royalty, but therefore even the Nanjin military tribunal was made immunity from responsibility. ... ( " "One hundred murderers compete.", Nankin massacre" Tokushi Kasahara work: Otsuki bookstore)... isn't this also strange? Did you have an account at the back? (Knob)

● 9 articles of constitution "Imagine9" [It's published jointly.] lay Than I prepare for a war.

The world which stops a war A foreign country where I aim at resources often makes the force disturbance in the country be aggravated. The national people should be a main character for peace making, and it's important for people to have an orderly right to their region and manpower. Not "I'll aid.", but the case that people's right is being secured makes a poor country a peaceful foundation.

The so-called "terrorism problem" is also same. Every day, "suicide bombing attack" in Iraq is reported on a television. On the other hand even if an army is put in, "terrorism" doesn't disappear, but it's rather increasing. The word called "terrorist" has wings, but from what kind of motive are the people who use such violence on earth doing that?
Kofi Annan UN previous secretary general is explaining "It's possible to bring the state which becomes an excuse of the persons who try to do terrorism to an end by losing poverty, the justice-lessness, pain and a war." The thing I try to handle by bigger violence to violence makes violence expand consequently, and I take the life of people, and people are entrapped in the big anxiety. It's important to think whether it can be prevented from how doing people's run to violence.
There is a key for it in a dialogue between the citizens and behavior, not the one in the power of the military.




Beethoven's symphony No. 9 article [renunciation of war, armaments and denial of right of belligerency] 1 Japan people crave the justice and the international peace which makes the order the basis sincerely, and use of intimidation by a movement barrel war of power of the state and the force or the force gives this up forever as the means to settle an international dispute.

2 To achieve a goal of the preceding clause, the fighting power of the land, sea and air forces and other things doesn't maintain this. National right of belligerency doesn't admit this.

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「马耳他」·「亚洲的牺牲者」的呼声!!

「太阳旗」·「君之代」反对(面)!!
(侵略的符号)(天皇赞美的歌)

新的日本!!

向「从世袭的天皇制被选的做总统制!」
(问昭和天皇的战争责任。)

●战后日本···「面向外国的记者们采用证据资料说的话,他们几乎决定,为何日本政府不认为那个野蛮行为是731部队的存在,向笔者质询。对笔者自己来说的疑问也有那个,不过,是多的情况,象下面一样地回答了。战败紧接之后,用日美联合731部队隐藏进行了的事是最大的原因。根据那个日本,能从历史表面舞台放下人体实验和生物兵器使用的事实。另一方面美国,能独占由于在石井的网络的人体实验的数据。这个日美的密约1986年失败了的事用第一章叙述了,不过,恐怕即使没有密约,日本虽然是遗憾也打算遮住但是石井机关的野蛮行为吧。尽管如此日美的密约,能说完成了由于让美国这个共犯者占便宜的事,在犯罪隐藏中减轻日本的精神的负担这样的作用。
 在日本的战争犯罪隐藏中,有成为了为了精神的负担减轻的大的支柱的再1个存在。那是昭和天皇的存在。用笔者到现在为止相会听了话,石井的网络研究的医学者们异口同声说的,是「天皇的名誉」的言词。他们的心情中的逻辑,石井的网络的研究人员们为了因为天皇,或是国家进行着科学研究。因此自己正当化「因为天皇」「因为国家」,实行了要是本来绝对不进行的野蛮行为。总之他们,使之理解着自己「为了天皇进行了野蛮行为」。所以,天皇,叙说国家没承认的自己的犯罪的事,应该损害政府的名誉的。
 为了保护国家,并且天皇,日本战败紧接之后的日美的密约紧紧抱住。作为那个结果,在这个日本,石井的网络去了的人体实验和生物战的牺牲者的发掘调查和补偿什么都没被做。恐怕这个,日本这个国家有,来自(源于)1个坚固的构造。那,基本性地个人是自国家位于后面,绝对不对等的这样的构造。那个结果,对由于和平条约等除了以外的国家的赔偿去,对个人也不补偿这样的态度被取的。为此,作为国家过去的犯罪的事实,同时不能承认关于那个的责任的。这个讨论的顺序说不定逆。即,据说说不定不想承认责任犯罪,不把个人作为对方。
 从开始考虑这样的事的,近来的战时补偿问题毫不前进这样的现实。····」
(『731部队』常石敬一著:讲谈社现代新书:1995年
※731部队和天
皇日本致力于为了从日中战争开始之前开始,在战争中获胜的最新兵器的开发。
对资源和资金缺乏的日本,便宜地能的强有力的以兵器(穷人的核炸弹)的开发作为目标。
 在那里出现了的是石井四郎。他说明的细菌武器(生物兵器)军部·天皇倾听,并且对天皇的认可下,那个进行了实行。把研究设施做成中国哈尔滨的郊外平房的广大的地基,与东京的陆军军医学校和其他的石井的网络一边联合,一边称中国人·朝鲜人·俄罗斯人·蒙古人等马耳他做生物实验·生物解剖等,反复试行错误,以更强有力的细菌武器的开发作为目标。
 在那里被开发了的细菌炸弹(陶器炸弹)在中国的城市实战被做了。用鼠疫菌驱出多的受灾者城市混乱了。
 比想都不获得研究成果,紧了兵器的开发,不过,时候已经允许了晚,苏联的参战。
 苏联刚刚参战,军部·天皇很快地测量731部队的证据湮灭,就爆破建筑物,全体人员急忙返还了到日本被收容的马耳他杀人,731部队员。
 这个战争犯罪也暴露的话,天皇那个责任也被问的。
 731部队几个人的皇族也往返,实际关乎731的皇族也在。东条也来,关于731的信息也应该进入大元帅昭和天皇的耳朵。
 上莫大的预算,聚集全国的优秀的医学者被做(制作)了的731部队,不是军部·天皇最寄予期待的部队吗?
  用一点点的钱给(对)美国交售了战后731部队干部与美国密约,在731部队员的战犯免除责任和交换里(上)用人体实验得了的研究成果。
 为何,美国做了做违犯人道的生物实验的731部队员的战犯免除责任在疑问里(上)留下。那个回答,不是天皇的战争犯罪的免除责任吗?
 苏联美国要求了石井的引渡的时候,美国贵重的?害怕数据传到了苏联的事。从美国,先独占那个数据,供想迟到的本国的细菌战研究使用这样的方针,用做了的钱从731部队干部买下那个数据,把731部队员做为战犯免除责任。独占数据也是大的目的,不过,再1个大的目的,不是象天皇那个责任是达不到一样地吗?
 (在国被人体实验有关的医生等根据「Nurnberg继续审判」根据美国的手裁判!最高负责人希特勒已经自杀。)
 象日本政府和美国,对一起,要安排731隐藏,这个以东京审判不被裁判的那样,那个残酷的事实国民前不被公布一样地。
 麦克阿瑟在日本占领时,很好地利用昭和天皇的力量打算统治日本。
为了从战犯取下那个天皇也,美国不想不是碰731部队吗?
 因为那个以结果,审判国民前731信息不被公开,追求也不被做,大元帅昭和天皇的战争责任没被问。
 关于现在的日本政府的731部队的细菌战和人体实验的实行的见解,我不明白。(现在咨询中)(把手)


●与731部队是怎样的部队?查阅原731部队员的坦白记。我越定男著(原关东军第731部队第3部分本部付运输班组成员)想『太阳旗红在眼泪(是没有)』想查阅所说的(发行所:教育史料出版会)的书一下。

 越定男(腰·Sadao)···1918年3月长野市生。
1934年毕业工业高中机器科。1939年传到满洲,第642部队入队。1941年第731部队(石井部队)入队。运输班等工作以细菌班为首以后4年。根据1945年8月战败撤回,9月到达长野。一边遮住作为战后第731部队员的经历度过苦难的每天,达到现在一边。


●731部队

『太阳旗红在眼泪』(越定男著:教育史料出版会)

Ⅵ势必显示
长男宪一死了
的 我在到现在见闻中,总的说来想「比起本土,住在外地的夫妇数倍关系好」。也许因为熟人不太在的异国的,自然严厉,不明白那个理由,不过,哪个夫妇也确实关系好。当然,我们的结婚生活也同样。二人出去休息,很好地吃了买东西和饭。
 我的独身时代,匆匆扒拉在食堂冷了的盖饭饭的事平常,不过,结婚后,为了我有这个那个地做办法制作吃饭的妻子。她的擅长的饭菜是奶汁烤菜。
 这样的每天过掉了的昭和17年的5月,妻子的生理停了。据说怀胎了请去机关宿舍附近的诊疗所,诊断。
 昭和18年2月,我们生了男孩子。命名了名字「宪一」。是包围到那个梦为止看了的孩子的团们n成为现实的。
 白天(中午)之间,能强迫到异常为止的紧张的我,观察回家小宝宝的脏没有的笑容的话,成为了总是什么象被救一样的心情。由于酒不适合体质,精神的兴奋,醉的事magira附和事不能的我,只抱小宝宝哄的事,从内心深处抚慰了我。
 宪一顺利长了。是1岁的生日的时候,打算拍摄可爱的宪一,端好照相机,不过,想起去我yochiyochi走过来,怎么也不快门断开的事。(接着明天)

※是隔所谓战争时期的话不认为的生活。在强调五族协和的满洲中国人被虐待,日本人自豪。一部分人间享受着国内不能品味的铺张。工作一边做残酷的事。另一方面是返回家庭的话为子女操心和善的爸爸。以前,「没有右翼的女性的辩论家这样的和善的为子女操心的人应该做那样的事!想起」什么折叠说的。是与人不太明白的存在!!(把手)
●南京大虐杀

「····这个事实」

(「南京大虐杀」生存者证言集:侵华日军南京大屠杀遇难同胞纪念头馆/编辑加藤实/译)(发行:Stoke,发售:星云公司,定价2000+税)

※我们日本人,想谦虚应该读南京大虐杀的「···这个事实」。
更日本人想是用南京发生着怎样的事的需要知道。
现在多的受害者的各位对PTSD也烦恼!!


2,日军的狂暴的个人的虐杀

父亲和母亲的受害

沈桂英(女人,52岁的)证言

 1937年,家在沙州,我只的是5岁。因为我变得明白事物之后母亲向我宣告了,是阴历的冬天一月22日的星期日,用家被4人日军杀害了的。
 父亲沈传和,在郑家庄园被日军击毙了。叔父沈传原,在盈香味庙(现在的南京中药厂附近)被日军用枪和剑杀死了。第2号的叔父沈传海,被日军带去,杳然没有音信。因为日军打算强奸姑母,不能强奸,姑母到沙州沈家庄园的池子跳过拥挤,被日军开枪的被击毙了。
 我家的房屋8所被日军烧光了。父亲死了之后,所谓母亲和我们姊妹,生活的方法没有,不久妹妹也饿死了。(肖仲煌记录)

  
※沈先生的家失踪也包含驱出4个牺牲者。其他,丢失放火合适,家,不能维持生计,妹妹饿死过分悲惨!!休克也大!!吧(把手)

※比起昭和天皇感到喜悦南京占领的「
您的话」陆海军军幕僚长承蒙够的大元帅陛下
您的话中支那方面的陆海军军诸部队为上海附近的作战接连进行勇猛果断的追击,陷首都南京够的事深深地对满足想。这个意思官兵传达。(『南京事件』笠原十九衙门著:岩波新书)

※关于南京大虐杀,从外务省和军部·朝香宫报告应该进入到天皇!!
(把手)

※与皇族根据南
京大虐杀····大报道阵容被日本国民报道的「对未曾有盛事,敌人的首都的皇军的进城」一大典礼的日,不用说礼堂,在场内,场外中,也有由于残兵和便服兵的游击队活动的类皇军的威信能伤害的。而且,上海派遣军司令官·朝香宫(早上或者凿子)鸽子彦王中将是皇族,是「宫殿下」「宫先生」。如果对作为天皇的军队的象征的皇族的司令官的身体,假使的丑闻发生的,由于天下的一件大事当然导致了有关人员的引咎问题。也有所说的取了南京城内的首都饭馆放置了司令部的朝香宫特别,从各部队派遣立哨严格的警戒体制,「为了中山门的马上跟前的地方宫殿下(朝香宫)进城一时成为通行禁止」(「牧原日记」)的特别警备体制被取的事。
 为了这样,17日举行进城式,越发要了及得上不仅仅是南京城区到近郊农村为止严酷的「残敌大扫荡作战」被开展,被虐杀的军民的牺牲大的东西。
(『南京事件』笠原十九衙门著:岩波新书)

※虽然1946年的中国国民政府的司法行政部制作了的战犯名单1位的朝香宫鸠彦王作为上海派遣军司令官是南京大虐杀直接的负责人,可是,从美国政府和GHQ决定天皇的免除责任的事,因为是皇族的南京军事审判也被认为是免除责任。不可笑···(『「一百刽子手竞赛」和南京事件』笠原十九衙门著:大月书店)···这个也吗?在背面有交易?(把手)

●宪法9条

「Imagine9」【联合出版】

预备战争

抵御战争的世界

 同时,瞄住资源等的外国,使之恶化那个国家中的武力纠纷的事也不少。和平制作有那个国家的人们应该成为主人公,人们对自己们的土地和资源好好地穿(戴)了的权利的事重要。贫穷的国家不是「援助」,保障人们的权利的事,造就和平的基础。

 所谓「恐怖活动问题」也同样。电视连日,在伊拉克等的「自杀式爆炸」被报道。而且对于被投入,「恐怖活动」军队不用说丢失,返回也加了。「恐怖主义者」的言词一个人走路着,不过,动用这样的暴力的人们,到底从怎样的动机开始那样在吗?
 「贫困,不正义,痛苦,kofi·安南联合国前秘书长谈着根据丢失战争的事,能打算进行恐怖活动的人们的借口和使之结束变成的状态」。对暴力更加用大的暴力打算应对的事,结果上暴力使之扩大,夺走人们的生命,到大的不安中陷人们。能预防怎样做人们到暴力跑的事考虑的事重要。
 为此的钥匙,军队的力量不是有,市民们的对话和行动有。



 
第九条【战争放弃,军备及交战权的否认】

1日本国民,与正义诚实希求秩序作为基调的国际和平,与国家权力的作为发动的战争,由于武力的威吓又武力的使用,作为解决国际纠纷的手段,永久放弃这个。

为了达到2前项的目的,陆海空军及其他的作战能力,不保持这个。国家的交战权,不认可这个。

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「몰타」·「 아시아의 희생자」의 외침!!

「일장기」·「 기미가요」반대!!
(침략의 심볼) (천황찬미의 노래)

새로운 일본!!

「세습의 천황제로부터 뽑혀 대통령제에! 」 (쇼와(昭和) 천황의 전쟁 책임을 묻는다. )

●전후 일본… 「외국의 저널리스트들을 향해서 증거자료를 이용해서 이야기하면, 그들은 대부분 확정되고, 왜 일본정부는 731부대의 존재로 그 만행을 인정하지 않는 것인가,라고 필자에게 질문해 온다. 그것은 필자자신에 있어서의 의문이기도 하지만, 많은 경우, 다음과 같이 대답해 왔다. 패전 직후, 일미합동으로 731부대숨김이 행하여 진 것이 최대의 원인인,이라고. 그것에 의해서 일본은, 인체 실험이나 생물병기사용의 사실을 역사의 겉면무대로부터 내릴 수 있었다. 다른쪽(타면) 미국은, 이시이(石井)의 네트워크에서의 인체 실험에 의한 데이타를 독점할 수 있었다. 이 일미의 밀약이 1986년에는 파탄한 것은 제1장에서 말했지만, 아마 밀약이 없어도, 일본은 유감스럽지만 이시이(石井) 기관의 만행을 감추자로 했을 것이다. 그래도 일미의 밀약은, 미국이라고 하는 공범자를 이득을 보게 하는 것으로, 범죄숨김을 닮아 두어서 일본의 정신적 부담을 경감한다고 말하는 역할을 다했다고 말할 수 있자.
 일본의 전쟁 범죄숨김에 있어서, 정신적 부담 경감을 위한 큰 지주가 된 또 하나의 존재가 있다. 그것은 쇼와(昭和) 천황의 존재다. 필자가 지금까지를 만나서 이야기를 들어 온, 이시이(石井)의 네트워크로 연구하고 있었던 의학자들이 이구동성에 말한 것이, 「천황의 명예」라고 하는 말이었다. 그들의 기분 안(속)의 논리에서는, 이시이(石井)의 네트워크의 연구자들은 천황 때문에,혹은 나라를 위해서 과학연구를 가고 있었다. 그러므로 본래라면 결단코 행하지 않는 만행을, 스스로에 「천황 때문에」 「나라 때문에」라고 정당화하고, 실행했다. 즉 그들은, 「천황을 위해서 만행을 갔다」라고 자기자신을 납득시켜 있었다. 그러므로, 천황이, 나라가 인정하지 않고 있는 자기의 범죄를 이야기하는 것은, 조정의 명예를 훼손하게 되는 셈이다.
 나라를,그리고 천황을 지키기 위해서, 일본은 패전 직후의 일미의 밀약에 달라 붙어 왔다. 그 결과로서, 이 일본에서는, 이시이(石井)의 네트워크가 간 인체 실험이나 생물전의 희생자의 발굴 조사나 보상은 아무 것도 되지 않고 있다. 아마 이것은, 일본이라고 하는 나라가 가지는, 1개가 강고한 구조로부터 온다. 그것은, 기본적으로 개인은 국가에서 하위에 위치하는, 결단코 대등하지 않다고 하는 구조다. 그 결과, 평화조약등에 의한 것 외(타)의 국가에의 배상은 가도, 개인에 대하여 보상하지 않는다라고 하는 태nj